2-②


――無事に大学合格しました。ありがとうございます。

 私は声には出さずに念じ、まぶたを上げた。

 目の前には、質素な配色の拝殿。大きな鈴と繋がっている麻縄が、かすかに揺れている。

 森戸もりと神社。鎌倉入りしたばかりの源頼朝みなもとのよりともが葉山の海沿いに建てた、古い神社……らしい。学校と最寄り駅との中間地点にあるから、推薦入試の前に受験合格を祈願しておいたのだ。

 私はあたりを見渡して、本殿の隣にある木造の小屋――『お札お守納所』へと足を踏み出す。

 先にお参りを終えた青井あおいが、そわそわと近づいてきた。

「ここ、学校から近いし、このへんに住んでる同級生もいるんだけど……。だれかに目撃されたらまずくない?」

 私の後ろに半身を隠しながら耳打ちしてきた。周囲を警戒しているつもりなのかもしれないけれど、私とくっついていたら余計に目立ちかねない。葉山の観光の中心地とはいえど冬の平日は参拝客もまばらで、高校の制服を着ているだけでも人目につく。だったら、知人に会ってしまうことにおびえるよりも、腹をくくったほうがいいはずだ。

「大学合格したから、お礼参りに来たって言えばいいんじゃないの? 実際そうだし」

 肘を使って青井を押しのけると、青井が愕然としたように「もしかしてこれは……デートではない……?」とぼやいた。

 私は「さあ」と流しながら、物置のような『お札お守納所』の前に立った。リュックの鞄の内ポケットから『受験合格御守』を取り出して、大きな木の籠に納める。

 たったそれだけのあいだに、さっきまで隣にいたはずの青井がいなくなっていた。

「青井?」

 首をひねりながらあたりを見渡すと、青井は参道で知らないおじさんと肩を叩きあっていた。知り合いなのか、満面の笑みではしゃいでいる。

 私が立ち尽くしていると、青井は私の視線に気付いたのか「魚住うおずみさーん!」と声を上げた。おじさんに頭を軽く下げてから、飼い主の元へ戻る犬のように駆け寄ってくる。

「ごめん、犬の散歩仲間のおじさんが話しかけてきて……」

 私は謝る青井のわきをすり抜けて、参道へと向かう。

 青井が「待って待って!」と隣に並んだ。

「青井、犬飼ってるの?」

「うん、ラブラドールが二匹いるよ」

「つまり、青井の家には合わせて三匹の犬がいる、と」

 私が雑な相づちを打つと、青井も「そうなんだよ、みんなかわいくて……」とポケットからスマホを取り出した。どうやら、私に犬の写真を見せようとしているらしい。

「ってちょっと待って!?  三匹? 俺も含めてる?」

 私が首を傾けると、青井は「違う違う!」とまくし立てる。

「うちにはドーベルマンみたいな弟もいるから四匹だよ! ちなみにドーベルマンはうちの学校の中等部にいるから……いや、俺は犬じゃないよな……つまりラブラドールたちとドーベルマンで三匹……? あれ?」

 私は青井のスマホにぶら下がったお守りを横目で見た。

「そういえば、青井はお守りを返納しなくていいの?」

「買ったばっかなのに返納するのはなんかもったいないから、お正月でいいかなーって」

 青井はへらへらと笑い、お守りを大切そうに握りしめた。



「ねえ、デートってなにするものなの?」

 神社から県道に戻る途中、私は青井に問いかけた。

 青井は「んー」と顎に手を当て、虚空を見上げる。

「カップルでいっしょに出かければ、それはデートなんじゃないかな? でも、おうちデートって概念もあるような……?」

「がいねん」と私は繰り返した。ひょっとすると、デートとは明確な定義が存在しない言葉なのかもしれない。

「青井はデートしたことある?」

「あるといえばあるような、ないとは言えないというか……」

 青井は輪をかけて難しい顔をする。

 デートという概念が抽象的なものだから、デートに該当する行為を経験したことがあるのか、青井もよくわかっていないのだろうか。

「つまり、あるってこと?」

「ちなみに、魚住さんのこと好きになる前だからね」

「気にしてないから」

「俺が気にしてるんだって!」

 青井は「これだから魚住さんは」と不可解な文句を垂れながら、正面を向いた。

「……あれは高一の春のことだったかな」

 数秒の空白ののち、やけに重々しく切り出す。

「魚住さんのことが好きって気付く前に、中等部の後輩の女の子といっしょに水族館に行ったんだけど……。俺、釣りも好きだから魚ネタは結構豊富なんだ。だから調子に乗ってずっと魚の話をして……それがよくなかったらしくて。その子は外部進学のために高校受験して、勉強が忙しかったみたいで自然と音信不通になっちゃったんだよね」

 青井はわざとらしくため息をつく。足を引きずるようなずるずるとした歩調にも、覇気がなかった。

 私は首をひねる。

「水族館で魚の話をするのって普通じゃない? というか他に話題ってあるの?」

 もしデート特有の作法が存在するなら、教えてほしかった。どうしてその作法を守らなければいけないのか、理由も含めて。

「うーん、今日の晩ごはんについて……?」

 青井の返答はひどく頼りなかった。

「それはただの雑談じゃないの?」

「でも、俺しか楽しめない話題よりはマシかと思って……」

 青井だけから恋愛を学ぶのは危ないと、私は察する。

 きっと、青井は恋とはなにか本気で考えたことがない。感覚だけで恋をしている。もちろん、恋の感覚さえ持たない私に、青井を責める資格はないけれど。

 このままだと、恋を知らないまま高校を卒業することになってしまいかねない。

 恋について人一倍詳しそうで、なおかつ話しかける口実がある人物を探さなければ――。

 繊細な見た目の男子が脳裏をよぎる。

 そうだ、三原みはらだ。

 女たらしと名高く、菜々子ななこと恋人同士だった人間なら、恋愛だけではなく菜々子の気持ちも理解しているかもしれない。

「そういえば、魚住さん家ってナマコ食べる?」

 私が「は?」と顔を上げると、青井は「いや、あの、俺はどうしてナマコの話を……?」とてのひらで口を押さえてしまう。

「これだから俺は駄目なんだ! 食卓の話をするにしても、カサゴとか鱚とか他に選択肢が……ってキスは恥ずかしい!」

「ナマコ、薄く切らないと硬いよね」

 私は気のない返事をしながら、三原に話しかけてみようと決意した。

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