21 爆走ウンマイサーキット

 パジャマからオーバーオールに着替えたイチヨは、人さし指でカギをまわしながら、自宅の真横の森に入っていった。とはいっても、山の真下に位置するウンマイ北集落はそれ自体が森に囲まれているため、集落内のどの民家からでも森は徒歩数秒の距離ではある。

 森の地面は背の高い草におおわれ、木が狂ったように乱立している。唯一、イチヨが入っていったところだけ手入れがなされ、伸びすぎた草も進行の邪魔になる木もない、小さなあぜ道のようになっている。

 その行き止まりに、黄色く丸っこい軽のマキナ・ビトルはあった。彼女の愛車「カミナリ号」である。名づけたのは、拾い集めたジャンクや安値で仕入れたパーツからこれを製造してみせたレビン=Oだ。

 カニタマウンマイウンマイ村でマキナ・ビトルを所有している人間はごく一部だけで、レビンがいなければイチヨも愛車を持つことはなかっただろう。普段は徒歩で移動する彼女も、仕事で遠出するときなどでこの愛車には世話になっていた。

 この空間はイチヨの自然駐車場なのである。

 カミナリ号に乗りこんで、カギを鍵穴かぎあなにさしこむ。そのまま九十度まわすと、ボフッと放屁するように黒い煙をマフラーから吐いて、カミナリ号はガタガタ動きはじめた。

 左手でレバーを引いて、右手でハンドルを操作する。バックで、レビンとアイスマンが待機している自宅前にでた。

「あぶねーからチビはここにいな」

「チビってゆーな。こんなこともあろうかと、カミナリ号にはレビン印の発明品をいろいろ載せてんだよねー。アタシがいないと使えないよ」

「またテメー、変なの積みやがったのか」

「厳しい戦いになるっしょ。アタシの力がイチヨねーちゃんには必要だよ」

 ドヤヤと勝ち誇った顔をして、レビンが運転席の窓に向かって跳んだ。あっ、とイチヨは手元の小型レバーを高速でまわして、窓をおろした。彼女の機転で窓ガラスに衝突せずに済んだレビンは魚雷のように一直線に飛び、助手席に着席した。

「変な乗り方するんじゃねぇ、私が窓を開けなかったら死んでたぜ」

「以心伝心だったね」

「お前の心なんてわからねーよ」

 窓から顔と右腕をだして、車体をバンバンと叩く。突っ立っていたアイスマンが視線をあげた。

「私はまだ動けるが、オメーはどうなんだ、3。相当な重傷だと思うんだが」

「俺様にとっちゃ、こんなのはダメージのうちにも入らんな」

「くるか」

「当たり前だ」

 後部座席にアイスマンが座った。

 ハンドルを切って転回しながら、村の出入口のほうへ徐行スピードで向かう。

「こんなときに、どこにいくんだい」

 つるつるの頭をタオルで磨きながら小走りの並進で、スィンコが声をかけてきた。「デスウンマイの儀式の準備をしないと」とつづけて、狂ったようなスピードで頭を磨いている。デスウンマイの儀式、簡単にいえば葬式である。

「早めに戻ってくる。村兵に連絡しといたから、よろしく頼んだ」

「頼んだって、おいおい」

 スピードをあげたカミナリ号が北集落をでる。追うのを諦めて、タオルを取ったスィンコの頭から発せられる光がバックミラーに反射し、目が潰れそうになる。

「ぐおお、まぶしい! なんなんだアイツの頭!」

「毎日毎日、髪が生えねぇ生えねぇいってる癖に、ああやって頭の光を主張してくんだよアイツ。頭おかしいんだぜ」

「スィンコの頭を切り取ってさー、家に取りつけたらライトになるかなー」

「こえー。サイコパスみてーな発言はつつしめよな」

「この少女にどんな教育をほどこしてきたんだ、お前はよォー」

「人の頭を切り取るとかどうとか教える人間に見えるか、私が」

 山門を抜けて、畑ゾーンに入った。中ウンマイまで一本道だ。

「エントレーにーちゃん、どこいったんだろ」

「神祇と戦うカニさまだってんなら、アジトに向かったんじゃないのか」

 とイチヨがいった瞬間「イチヨ、よけろ!」とアイスマンが叫んだ。とっさにハンドルを右に切る。

 地面を割って、なにか銀色の回転するものが飛びでて、カミナリ号の左ドアミラーを切り離した。もし、アイスマンの言葉に反応できていなかったら車体は真っ二つにされていただろう。

「くおおーっ!」

 畑に落ちる寸前、ハンドルを左に切って道の中央に戻る。

「いまのは!?」

「シルバー・オートマトンだッ! もっとスピードでないのか、追跡してくるぞッ!」

「安全運転至上主義なんだよ!」

「こんなスピードじゃけないよー」

 いって、助手席のグローブボックスをレビンが蹴りあげた。パカッと開いて、なかから太い紐のようなものがでてきた。

「なんだよそれ、そんなの知らないぞ」

「よいしょー」

 レビンがその紐を思いきり引っ張った。ワインのコルク栓を抜いたような軽い音がして、紐が抜ける。カミナリ号がまたボスンと排気音をだした。

「なんなんだよ」

 ゴウンゴウンゴウン。なにかが車内を高速で駆動している。

 背後を振り向いて、アイスマンが「があ」と叫んだ。なにか巨大なエンジンらしき機械の塊がトランクから飛びでている。

 速度メーターが危険速度の赤を示し、なおもとまらずに速度表記外の部分まで針を折ろうとする。あわてて、イチヨがメーターの針をつかんで元の位置に戻そうとするが力が強すぎて戻らない。ブレーキペダルをダシダシと蹴るが、重さが足の裏に戻ってこない。スカッスカッと一番下までペダルが落ちてしまう。これは効いていない。圧倒的に、死ぬほどブレーキが効いていない。

「ああああああ!?」

 カミナリ号が前進しはじめた。加速度的にスピードがあがる。

 イチヨがうしろを見ると、青ざめたアイスマンと、バックドアガラスの先にある闇夜をちろちろと照らす赤い火が目に入った。

 エンジンの点火がはじまっている。爆発的に火を噴く気だ!

「こんなの検査とおせねぇだろ!」

 レビンの胸倉をつかみ、がくがく振りながらイチヨが声を張りあげた。

「アタシは第壱級機関からくり技師だしー、検査局いってもー個人ディーラーとして整備していいしー、書類も自分で通せるしー」

「職権濫用らんよう!」

 ジェット噴射がカミナリ号を激烈に押した。ただごとではないスピードで中ウンマイに侵入する。レバーが発進から動かない。ブレーキもない。イチヨはぶわわと発汗し、奇声を発しながらハンドルを握った。

「やべぇ、クソ速ェッ!」

「うひゃーっひゃっひゃっひゃっ」

「ぬおおマザーファッカー! クソガキ、車になにしやがったんだ!」

「ロケットエンジン積んでみたんだよ、この前さー。手に入った廃材でロケット用のエンジン、作れそうだったから」

「なんで私の車に積むんだよ、ロケットに積めよそれは!」

 下ウンマイと中ウンマイは直線で抜けられるからまだいいが、構造が入り組んでいる上ウンマイはそうもいかない。このまま突っこむなら、相当なドライビングテクニックを要する。いやそれ以前に、カミナリ号が停止できないのであれば三人に待っている運命は「死」のみである。

「おおう!? 空、空を見てよ、イチヨねーちゃん!」

「見れるかァー!」

 アイスマンが「あれは」とうめいた。空がカッと光った。

「カニだ! 上ウンマイ上空にカニと――」

「変なのが衝突してる!」

 爆走するカミナリ号を制御しながら、イチヨは深く座席にもたれて視界をさげた。前のめりになって上空を見る余裕がなかったのだ。ふたりのいうとおり、上ウンマイの黒い空でカニ道楽となにかが、ベーゴマのようにぶつかっては火花を散らし、距離を取って、また衝突してを繰りかえしていた。

「ねぇ、あれどういうこと? ちょっと見識をのべてもらえるかな、見識を」

「うるせー、今それどころじゃねぇんだよッ!」

 レビンの腹立つ要望を払いのけて、座席に座り直す。前かがみになって運転に集中しないと、爆発炎上による死亡はまぬがれない。ウンマイ橋が目の前にまで迫っている。中央を陣取りつづけれなければ川にドボンである。

「追いつかれた!」

 加速したカミナリ号の隣に、巨大な丸ノコがついた。甲高い音を立てて回転している。ガラス越しの不可解な工具に、レビンが呆気に取られていると、

「窓から離れろ!」

 アイスマンがイチヨとレビンの襟をつかみ倒して、強制的に伏せさせた。ふたりが座席の間で頭をぶつけ合う上で、助手席の窓を破って車内に侵入したチャクラムが走った。それは運転席側の窓を破って、外へでていった。

「ブランドンの野郎!」

 怒号をあげて、アイスマンは後部座席のドアを蹴り飛ばし、カミナリ号のルーフに立った。

 焼きあがった餅のようなタンコブをぷくーっと作って気絶するレビンの横で、イチヨは辛うじて態勢を戻して運転に戻った。事故死するわけにはいかない、という執念で戻ったも同然だが、彼女の頭はまだ衝撃から回復していない。ヒヨコや星が頭上でまわっている。

 丸ノコが車体を横から割ろうと突っこんでくるのに合わせて、アイスマンが跳んだ。高速回転する刃に向かって、真正面から。

「ッシャオラーッ」

 空中でひるがえり、丸ノコの側面をブチ蹴った。金属音を響かせながら、丸ノコが吹き飛び、アイスマンがカミナリ号から転落した。

「3ッ!」

 バックミラーに遠ざかっていくアイスマンの姿を認めて、イチヨが叫んだ。包帯に巻かれボロボロになった丸メガネの男が、よろりと立ちあがる瞬間が最後に見えた彼の姿だった。そしてすぐにそれは夜の闇のなかに消えて、なにもなくなった。

 ミラーから前に視線を戻す。勇敢ゆうかんな兵士に対して感慨かんがいふけっている場合ではない。橋を抜けた先は上ウンマイ、ハンドルを切りつづけなければお陀仏になる高難度エリアである――


 受け身すら満足に取れなかった。血を流しすぎて、自由があまりきかない。オルアなる理髪外科医に止血と応急処置をしてもらったといえ、十分ではない。

 よりにもよって相手が悪い。俺様の強すぎる圧倒的パワーが弱まっているなかで、ブランドンを相手するのは厳しいものがある……

 闇の奥から殺気が吹きつけてくるのを感じて、アイスマンは構えた。

 朝は確実に近づいているが、まだ遠い。人気ひとけのない静寂に、ちょろちょろと背後で川の流れる音と、絶妙な距離感を保って虫たちの音が重なっている。

 ――鳴く虫の大半はオスである。メスが鳴く種はかぎられており、彼らは縄張りの主張のため、威嚇いかくのため、メスのため、自己主張のために鳴くのである。今宵こよい、ふたりのオスも鳴く。鳴かずにはいられない。

 ブランドンとアイスマンはほぼ同格の力量を持っている、それだけに勝負の明暗をわけるのは吐きだす気そのものだといえる。

 大敵を前に、男は鳴かずにはいられない。

「きやがれ」

 先ほどとは比較にならない猛スピードで、丸ノコと化したブランドンが、ぴたりと構えのまま静止するアイスマン目がけて、夜を切り裂きながら特攻してきた。

 大きな動きはできない、最小限で刺さねばならない……

 軸足を起点に、蹴り足をすべらせて横にずれる。刃の届くギリギリでおこなった緊急回避であった。

 左半身の一部に刃がめりこむのを明確に感じた。皮膚がちぎれ、肉が裂かれ、骨が削られるのをスローで彼は感じながら、ドロップキックのフォームを作った。

 側面から、二度目の打撃。全体重を乗せたドロップキックを見舞う。鋼鉄の肉体をまとったブランドンがひしゃげながら飛んだ。アイスマンも血を噴きながら地面に落ちた。

「ぐおう」

 血をまき散らしているのは彼の左腕の付け根だ。シルバー・オートマトンのいけにえとなって切断された左腕を見詰めながら、アイスマンは歯を剥いた。

 ――俺様の腕は、いい死に様だった。

 ブランドンに攻撃を通すには、側面から仕掛けるしかない。だが横を獲るためには、それなりの距離か、敵の油断を前提としなければならない。距離を取って回避するということは、敵にも時間を与えることになる。その場合、反撃はまぬがれない。しかも側面狙いが二度目となれば、ブランドンの警戒心は強くなっている。

 腕をえさにしたカウンターで隙を作るしかなかった。彼の戦力と頭では、そこまでが限界だった。

 砂利じゃりを散らしながら、ブランドンが歩いてきた。割れたサングラスの奥で、おぼろげな眼が光っている。顔面をとらえたドロップキックの影響から、彼の鼻と口からはおびただしい量の血が流れている。

 硬い動作でブランドンがみずからの鼻をぎゅっと握った。べきりと骨を曲げる音が響く。折れた鼻の芯を、無理に曲げて治したのだ。

 ふうーっと腹から深い息を吐いて、アイスマンが立った。カミナリ号から転落した際に割れたメガネガラスの破片がパラパラと落ちる。

「やあ、お揃いじゃねぇか。気が合うねェ」

「……」

 なにも返答せずにブランドンがチャクラムを投げようと、わずかに両腕を後退させたとき、アイスマンはメガネを右手で握り潰して、目前の相棒に向かって投げつけていた。

 破片に顔面を打ちつけられて、チャクラムを飛ばすのが遅れた。その一瞬を逃さず血の池に落ちている自身の左腕を拾って、接近する。

 もう投げる間合いではないと判断したのか、ブランドンはチャクラムを持ったまま振った。投げずとも威力を発揮できる凶器に対して、アイスマンは自分の左腕を右手に持って振った。

 完璧な呼吸であった。

 チャクラムを切りさげるブランドンの腕、その側面を左腕のリーチでもって打ち、バランスを崩させたのである。

煉獄旋風アート・アネモス!」

 アイスマンの脚に炎がまとわりつく。炎のギアエを展開している。

 最強であると思いこんでいるがため、つまり本気でやってないから負けても最強であることは揺るがないという保険のために出し惜しんできた技を、ついに彼は放った。

 燃えさかる足刀蹴りをド派手な服の中心に打ちこむ。着弾点を中心に炎の明かりが広がり、全方位がオレンジ色に照らされた。

「どぼええええ」

 食いしばった歯の間から吐しゃ物をまくブランドンの額には、血管が浮きあがっている。かなりの激痛に耐えて、踏ん張っているのが一目りょう然だ。

 炎に巻きあげられながら転げまわるブランドンの表面から、膜のようなものが剥離はくりしてゆく。焼かれているのはブランドンではなく、ブランドンの外側を精巧にコピーして貼りついていたこの膜。耐えかねて姿を見せたらしかった。

「あっちっちー」

 膜は、ブランドンの形からもともとの姿である湯葉のような形になって、あっちっちとふざけたセリフを吐きながら燃えている。

 取りついた者を操る寄生型の神祇、ボンタンアメ・オブラート。ブランドンはどこかで、誰かの手によりこの神祇を飼わされていたのだ。

 どういう仕掛けで動いている事件なのか、さっぱりわからない。依然として全貌ぜんぼうが見えず、やきもきする。

「わからねェ……わからねェんだが……相棒は、助かった……まぁそれでいい……」

 左腕の切断面から血の濁流をなして、両膝を突きながらアイスマンがしんみりとつぶやいた。

 ボンタンアメ・オブラートはもうその場にいなかった。その神祇がいた場所に、たき火がぽつんとあるだけで、あたりはゆっくりと闇にかえっていっている。

「ンアアーッ」

 ブランドンが跳ね起きた。

「いてーYO! 腹が、げろげろ……それに、おっおれの甘い鼻がぁ……ふがふが」

「よお……寝すぎじゃねぇのかい」

「アイスマン」

 親指を片方の鼻の穴に押しつけ、ブランドンがふんと力んだ。血の塊が地面に付着した。ふたりの目がかち合った。

「おれがやったのかYO」

「左腕だけな。あとは別だ、気にするなよ……」

「すまん」

「本当だぞ、兵士が神祇のおもちゃにされて恥ずかしいぜ。俺様みたいにもっとストイックにやんなきゃよォ……それで、どうしたんだ」

「わからんYO……ルーチェの家の前で見張りしてたら、いきなり顔になにかおおいかぶさって、呼吸ができなくなって……で、目覚めたらいまだYO」

「バトンタッチ。俺様はもう動けねェからよォー……カニタマウンマイウンマイ駅周辺の廃屋だ。そこがアジトらしい……イチヨとガキンチョが向かってるから、助けてやれや」

「なんてことだ……わかった、任せろYO」

「カニと……神祇がなぁ、空で戦ってる……あのへんにいけば……」

「もういい、喋るなYO。血がですぎてる」

「なぁ……」

「ん?」

「俺様の名前はなんだったかな……」

「アイスマン……アイスマンでいいじゃねぇかYO」

「あー、そうだな。そうだ……それでいいや……おい、ブランドン」

「まだ喋るのかYO、ちょっと休ませてくれYO~」

「この村ァ……結構いいよなァ……」

「YES、いい村だと思うYO」

「じゃあよォ……助けねェとなァ~……」

「YES……」

 火は消えて、孤独な黒の絵の具が、男たちの鳴いた場所を塗り潰した。

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