案件02:愛憎のゴッドクラブ伝説

1 カニの声がきこえた朝

 彼は無限に広がる宇宙を、素っ裸で漂流していた。

 はじまりも終わりも忘れて明滅する星々のなか、安定を欠いて蛇行しながら飛ぶ銀の円盤や、テールライトのように伸びて消える流星が彼の横を通りすぎる。これらはまれなものである。でくわそうと思って、でくわせるものではない。

 知的生命体たちが惑星と呼ぶ球体が迫ってきた。これも宇宙できわだつ稀であり、なかでも「ジオ」という惑星は美しい個性に彩られていた。

 青と緑を基本の模様として浮きあがらせ、真っ白な雲を規則性なく円のなかで漂わせるジオの外観は異質に鮮やかで、生命の鼓動を感ずるに足る様相をていしている。

 ジオには海と陸が広がっており、陸のごく小さな一箇所には、山に囲まれた緑あふれる大自然の村がある。地図にちんまり「カニタマウンマイウンマイ村」と書かれているその縦長の村を見守るのが、彼のささやかな楽しみのひとつであった。

 ――よくここまで実ったものだ。

 土地が枯れ果てて、人心がやせ細っていたころのカニタマウンマイウンマイ村を知っているからこそ「たいしたものだ」と感心せざるをえない。

 そのときに力を貸したとはいえ、やったことといえば、たまたま仲良くなった村の少年に頼まれて、腐った村人たちにかつを入れたこと。助けを求めて、村にやってきた者たちも仲間として受け入れるようしたこと。ファンサービスの一環として握手会を開いたことくらいのもので、実質あまりなにもしていない。

 にも関わらず、そこから彼らはなぜか奮起ふんきして、村の実りを増やしていった。ついには長いときを生き残り、水準を元よりも押しあげて復活した。

 見事な人間たちだと、当時も嘆息を漏らしたが、村の全景を見るだにその想いはつのる。

 ――いい村だ。

 軌道をらしてジオへ入りこみ、村の上を駆ける。旋風せんぷうが遅れて自分のうしろで巻き起こり、追従してくる。

いそくせぇな、この突風」

「やだあ、スカートがあ」

「いまデカいカニみたいなの、空飛んでなかった?」

 吹きあおられた村人たちが口々になにかいっている。

 ものの一瞬で彼は下ウンマイの山門前にたどりつくと、かくりと右に曲がった。東集落につづく道と、山へ入っていく坂道が見えてくる。彼は坂道を選び、その先の下ウンマイ村役場に向かった。

 密集した木立に包囲される板張りの村役場は、風が吹くと建物全体が明るくなったり暗くなったりと顔を変える。風を起こす彼が近づいたことで、やはりざわざわとその建物の陰影は躍った。

 ガラス張りの引き戸から男たちの声が漏れている。

 彼はそっと、なかの様子をうかがった。

「退治を頼むよ!」

「コッチは日々、恐怖におびえながら暮らしてるんだからな!」

「ヒゲが生えていないことを、恥ずかしいと思わないといけないよ!」

 くしでとかせそうなブラウンの口ヒゲを立派に生やした三人が口々に、片目に大きな傷あとを残すマタギのような男……ジョージに迫っている。くどくどと、まるでカニの念仏だ。

「はい……頑張ります……」

「すぐに頼むよ!」

 三人はそう吐き捨てて村役場からでていくと、解放されたジョージがため息をついた。

 なにか面白そうなものはないかと、彼は村役場のなかを見回してみた。

 村役場の内装は、一か所にほぼすべてが集められている。

 待合用の硬い椅子が五脚。書類などの筆記台が二台。玄関正面には横一列に並べられた事務机がある。仕切りが立てられ、三つに区切られている。左のスペースには「総務課」と書かれた板が天井から吊りさげられており、真ん中はヒゲたちの話をジョージが座ってきいていた「住民課」、右は「税務課」とそれぞれ部署ごとにわけられている。

 受付の内側には職員用のデスクが四台、それぞれ壁にひっついてある。あとは書類やファイルを収納する大きなオフィス棚があるくらいだ。

「えらい剣幕じゃったのぉ」

 関係者以外立ち入り禁止の廊下から、ひょっこりと仙人のようなヒゲを伸ばした村長が顔をだした。上ウンマイと中ウンマイを管轄する村長は上ウンマイの村役場にいるので、彼は正確には下ウンマイの村長である。

「村長……」

「話の内容は」

「イノシシですよ。山からたびたびおりてくるみたいで、どうにかしてくれと。そんなこといわれてもって感じですよ。偉そうにヒゲ生やしやがって」

「ヒゲがなんだって?」

「失言でした」

「ヒゲを悪くいってはいかんぞ、ジョージ。……さて、イノシシか。こりゃあ生活対策課の領分じゃのう。イノシシの住民票をだすってなら話は別じゃが?」

 村長は村役場ジョークをいって、それがスベったことを察すると「イチヨかのう」と、神妙につぶやいた。

「しか、ないですかね……」

「退治することはなかろう。いったん捕獲してから、山を整備する方向で進めるのはどうかのう」

「結構でしょう」

 村人たちのイノシシ捕獲作戦はぜひに見てみたいが、その前に村のなかで神祇を相手取った極小の戦争がはじまりそうだ。まずはそちらをどうにかしないといけないだろう。

 彼は呼ばれてやってきた。村の人間を観察しにきたわけではない。

「わしがかけ合おう。イノシシとなりゃあ説得に時間がかかるわい」

「お願いします」

 ジョージは手元の書類をトントンと机に叩きまとめて、それを小脇にかかえながら自分のデスクに戻った。村長も身支度をするのか、杖を突きながら廊下の奥へ消えていった。

 村役場の窓から離れて、山の上まで浮かぶ。離陸地点を定め、彼は隕石のように突っこんだ。カニタマウンマイウンマイ村北集落、これから起こる渦の中心点へ――


 エントレーは、光に包まれた真っ白の世界に立っていた。あたりを見まわしてみても漠然と白だけが広がっているだけだ。

 完全に染まった白は、人に神を感じさせる。

 ここは、どこだろう。教会が熱弁する楽園とやらだろうか。ともすれば、おれは死んだのか。

 この一か月、彼は死人のように生きてきた。そつなく暮らしてはいるが、ある一件から心ここにあらずという状態がつづいている。病は気からというように、いきなり自分が死んだとしても不思議ではなかった。

 ――カニ!

 野太い声が光の彼方から響いた。まるで脳に直接、届くようなリバーブの効いた声だった。

 ――カニ。 ――カニ! ――カニ!!

 声がどんどんエントレーに近づいてくる。それにつれて音量も増す。彼は必死に、声の方向を探るように視点と首を小刻みに動かしたが、なにかしらの姿は発見できなかった。

 すると白の先から赤いなにかが現れ、ゆっくりと彼に接近してきた。ずんぐりとした山型の胴体、その先端についた丸い眼。細長く伸びた左右三本ずつの脚、それらの一番上部についた左右二本のハサミ。

 カニだった。

 中途半端に巨大なカニが身動きせず、スライドしてエントレーに近づき静止した。

 声だけが迫ったときは一抹いちまつの恐怖らしき感情も覚えたが、こうなってしまうと恐怖もなにもなく、唖然あぜんとするほかになかった。なにを考えてるかわからない、しかしどこか愛嬌を残す姿に得体の知れない恐怖は吹き飛んでしまった。

 ――カニ!

 カニは「カニ」と叫ぶと、光の粒子となって消えた。

 白が光度を増し、彼を飛び抜けていく。まぶしさにエントレーが目をつむると、まぶたの奥にあった強烈な光の刺激は徐々に薄れて、ついには消えてしまった。

 耳に、いつもの小鳥たちの鳴き声が戻ってくる。

 ゆっくり目を開けると、いつもの朝食風景が広がっていた。

「……夢?」

 夢にしては鮮烈だった。現実とも思えないが、光の余韻よいんと巨大なカニのおかしさが彼のなかに残っていた。

 一か月前からつづく気だるさを感じつつ、支度を終えて家をでると、

「先生、おはようさん」

 挨拶してきたのは、近所に住むキヨシだ。先生とはエントレーのことを指している。彼は下ウンマイ北集落に暮らす「弐式ウンマイ普通教養学校」の教師であり、キヨシは彼の元教え子だった。

 この村にしては珍しい派手な服を着て、ギターを背負うキヨシは、村の仲間たちと「クライング・ベイビー・シャーラップ」なるバンドを組み、リーダー兼ボーカルを務める青年である。

「あれ、まだいたのか」

「でるところさ。挨拶まわりして最後に先生。いままでありがとう」

「こちらこそ。王都でも頑張れよ」

「かならずビッグなバンドマンになるぜ」

 キヨシの口癖であった。

 王都でビッグなバンドマンになると、村人たちは耳から血が噴きでるほど、彼からきかされてきた。しかし、いっこうに彼は村をでず、なにも行動を起こさないので、誰も彼に期待していなかったが、今度ついに王都に向かう決心を固めたらしかった。

「なぁ、イチヨん家にいってみなよ。今朝ももめてるぜ」

「もめてるって、なんで」

「新しい仕事がきたらしい。イチヨが駄々こねてて面白いんだ」

「不機嫌なイチヨには近づきたくないけど興味はひかれるなぁ。……じゃ、寄ってくかな。まだ時間あるし」

「おれはいくぜ。また先生に会いにくるよ、ツアーバスに乗って」

 そういって、キヨシは歌いながら村の外へ向かって歩きだした。

「ニンジンシリシリ、ラフテー、テビチ! ヒラヤーチー、ミミガー、ニンジンシリシリ! アンダギー! アンダギー!」

 オリジナルソングなんだろう。王都なんかにいっちゃって大丈夫かと、エントレーは急に心配になってきた。返り討ちにう可能性が濃厚に思えたが、それもいい経験だ。エントレーは小さく手を振った。

 キヨシが見えなくなったあと、彼はお隣のお隣に位置するイチヨの家のドアをノックするでもなく勝手に開けた。

 机にイチヨと村長とレビンが、三角の陣形に座って話している。

「やだってんだろ! 専門業者呼べよ、バカじゃねぇの」

 机をドンと叩いて、イチヨが声を荒げた。

「村の財政状況を舐めるな。内々でどうにかできることに金はださんぞ」

 村長が落ち着き払って、いう。

「早く村におりてきたイノシシを山に帰してよ」

 髪の毛先を指でいじりながらレビンがたきつけている。顔が小悪魔的にニヤついているあたり、イチヨをからかって遊んでいるのだろう。

「おはよう、イチヨ。シニー。村長」

「うおお!? ビックリしたー」

 うしろから声をかけられたことに驚いたのか、イチヨが跳ねた。

「オメーだけじゃねぇけど、当たり前にウチに入ってくんのやめろよな」

「おお、エントレーか。おはよう」

「アタシはシニーじゃないんだよなぁ。レビン=O……天才機関からくり技師の美少女なんだよね」

「はいはい。で、今度はイノシシか。大変だな、村役場の生活対策課は」

 ベッドに腰かけて、話題に混ざりこむ。

「お前さんからも説得してくれ、駄々こねやがるんじゃ」

洒落しゃれになんねーっての。イノシシだぞ、イノシシ」

「なにもひとりでって話じゃないのにさー」

「ホントじゃよ。なぁイチヨ。わしゃ、お前にさんざ教えてきたはずじゃ。大人とはいったいなんなのか……大人になるとは、どういうことか」

「覚えがないね」

 反抗的にイチヨがいった。

「ほう。レビン、この愚かな大人に教えてやんなさい。大人とはなんだ? 一言でまとめてごらんなさい」

「『責任』……ですかね」

「それ」

「うるせんだよ」

 イチヨとまったく同じ反応を、エントレーも心のうちで示した。うるさい。

 それにしても、レビンは村長に調教でもされているのだろうか?

「生活対策課じゃろうが」

「私は窓口がいい。戻してくれよ」

「言いたい放題テレホーダイいうからダメ。黙ってイノシシ追いかえせ」

「ぶち殺すぞ、ジジイ」

「やってくれたら、肉の宮のハンバーグおごってやるのにのぅ」

「え、肉の宮のハンバーグ?」

 村長が彼女の好物で釣りはじめた。えさを目の前に置かれ、待てを食らっている犬のような絶妙な表情でイチヨが停止した。

 肉の宮は、リク大陸の東側に存在する肉のメッカである。肉の水準が非常に高く、肉料理のおいしさは追随ついずいを許さないという。我らがウミ大陸からは遠すぎるため、とてもいけたものではないが、肉の宮の肉は高価ながらウミ大陸にも渡ってきている。それを仕入れてやろうと、村長は釣り針を垂らしているのである。

 これはどうやらまた負けそうだな、イチヨ……エントレーは苦笑しながら立ちあがった。

「朝から元気なこって。おれは学校にいくよ、時間がヤバい」

「おう、いってら」

「学校の皆に、イチヨ職員へのクレームをどしどし送るよういっといてね」

 レビンがイヒヒと笑った。

「なんでだよ。いいからオメーも学校いけや」

「やだ。ガッコより家で機械いじってるほうが楽しいもんねー」

 エントレーは、自分がきてから彼らが意識的に自然体で振る舞おうとしている空気を感じていた。気を遣わせて申しわけない、という気持ちで彼は家をあとにした。

 そろそろ立ち直らねば迷惑ばかりをかける。しかし、どうにもならないトゲが心臓にちくりと刺さったままで抜けずにいた。

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