4 花吹雪く祝いの行進

「職員っていってましたね。役場……ですか?」

 彼女の肩書きに先ほどの少女は触れていた。

 今度はイチヨの仕事について、ウォレンがきいてみたくなり話題を振った。

「んー……まぁな。村役場の職員かな」

 歯切れのよくない調子だった。

「カニタマウンマイウンマイ村には、ふたつの役場がある」

「ふたつ。それは珍しいというか……変ですね」

「上ウンマイと中ウンマイを管轄かんかつする村役場と、下ウンマイを管轄する村役場のふたつだ。私は後者にいる。ほぼ出張所みたいなもんだが」

 行政機関の出張所とは、あまりに異な構成である。村の上中と下の間には歴史的なへだたりがあるのか、もしくは広域であるがゆえにわけたのか計りかねる。

 イチヨは面白くなさそうにつづけた。

「こっちの村役場にだけ設営されてる部署があるんだ。生活対策課、私はその担当」

「どんな業務を?」

「村人たちのお悩み解決だよ。あるだろ。喧嘩とか、デカい虫がでたとか雨漏りとか……」

「なるほど」

 ウォレンは心のなかで手をポンと叩いた。イチヨの人の悩みをきくことの上手さ、感情のやわらげ方の上手さが仕事でつちかったものだと合点がいったからだ。

 イチヨは不貞腐ふてくされた様子で、コップのふちを指先ででている。気に食わないことでもあるのか、口を挑戦的にとがらせて眉をひそめていた。

「どうにも変な奴が多い。変な奴が持ってくる話も変な話だ。あっちの村役場どもめ、あっちの管轄のことまで私に丸投げしてきやがる。勘弁して欲しい」

 仕事に対する不満だ。納得がいっていない。疲れきったというふうに大きく息を吐きだして、イチヨは体を小さくしてしまった。

 かけられる言葉もなく、ウォレンは内心で同情的にねぎらったが、同時に彼女が村人たちから絶大な信頼を得ているのを感じ、出会ったばかりのこの女性に尊敬の念を抱いた。ただ仕事を丸投げされているだけとは、彼にはどうしても思えなかった。現にいま会話する、ほかならぬウォレン自身が彼女のを強く意識していたからだ。

 問題に対して、最善の働きをやってのける凄味がある。信頼できる説得力がある。下手にほかに任せるよりも確実な結果を生みだしそうなきざしが、彼女にはあるのだ。

 またドアが開かれた。

「イチヨ。シニーからきいたんだが男連れこんで、ストライキしたらしいな」

 少女につづいて、ノックもなしに中年の男が入ってきた。

 男の片目は一本の傷痕を走らせて閉じられている。ステレオタイプのマタギのように、獣の毛皮をまとった姿は豪胆ごうたんな性格に映るのだが、態度は決して威圧的ではない。

 とはいえ、見るかぎり表稼業とは思えない男がどかどかと突っこんできたのだから、ウォレンは震えあがってしまった。

「なんの話だ。おりに戻ってろ、クソ野郎」

「汚いお口だな、お里が知れるぞ」

「悪いな、お里はここだよ。こ・こ」

「だいたい誰だい、このあんちゃんは」

 太い指がウォレンの胸をドンと押した。鈍い衝撃に、眉をの字にしてウォレンは固まった。

「お前みたいなじゃじゃ馬が色恋沙汰なんぞ、片腹痛いわ」

「あの、おれは……」

 否定しようと声をだそうとしたが、男はウォレンを腕で押しやり、イチヨの前に立った。

「嫌味をいいにきただけか。だったら早くでてけよ」

「なんでそんなこというんだ、傷つく。違う、本題はここから。イチヨお前、メリーウンマイの余興よきょう役やってくれないか」

「なんでだ、やだよ。それはやる気兵士がやるって話になったろうが」

「熱があるっていってる」

「ふざけんな、どうせ仮病けびょうだ」

「本人が熱でてしんどい、っていってんだから仕方ないだろうが」

「なんだアイツ。『ぼくはやる気です!』って、昨日までいってたのに」

 怒涛どとうの勢いで会話するふたりに、ウォレンはしどろもどろとするしかなかった。

 男はまた玄関に戻り「ではお願いします」と静かにつけ加えると、ドアをそっと閉めた。

 緩急かんきゅうに支配された静寂せいじゃくを破ったのはイチヨだった。

「いつもうこうだ」

 ぶうと頬をふくらませながら立ちあがると、いつの間にか空になっていたコップを持って、台所で洗いはじめた。怒りに身を任せた洗い方ではない。ごく自然な、落ち着いた手つきだ。

 その姿を見つつ心を静めて、ウォレンがオレンジジュースを飲もうとしたとき、外からにぎやかな音響がきこえてきた。

 窓に近づいてのぞくと、華やかな行進大隊が村の出入り口である一本道から進攻してきていた。

 横三列の長い軍団は、王都で見る兵団のそれとは違い、整いは雑で列からはみだした者が頻出ひんしゅつしている。

 幼い子どもたちを先頭に、働き盛りの青年たち、腰の痛みを感じる頃合いの中年たち、高速で去る時間を自身のゆるやかな体感ですごしたいであろう老人たち……という年功序列で編成されたその軍団の最後尾は、ふたりの若い男女だった。

 紙吹雪を盛大に舞い散らせる者がいる。

 びた楽器を吹き鳴らす者がいる。

 太鼓を力強く叩いて、旋律の調子を整える者がいる。

 春風と和解して舞い踊る者がいる。

 みなぎる気力を声にして歌う者がいる。

 なにもせずに、微笑みだけを輝かせる者がいる。

 音楽と、かけ声のパレードだった。思わず満面の笑みがこぼれそうになる陽気で愉快な祭りだった。大きな歓喜の渦に呼応して、彼らと共生する大自然も体を左右に揺らして、祝福していた。

 先頭の子どもたちが一歩前に跳ぶと、両足を大きく開き、身をかがめた。野性が狩りで見せる低空の姿勢のようだ。子どもたちは両手でチョキを作り、斜め左右に元気よく全身を伸ばしては縮めせる動作を繰りかえしはじめた。きっと、カニだろう。

 音楽がよりいっそうに大きくなり、波となって大地に響かせる。太鼓が心臓のリズムに重なり生命の脈動、その圧に相似している。

 律動に共鳴する楽器による音は、まるでデタラメなのだが違和感がない。好き好きに思いのまま、楽しく木管や金管を鳴らしているだけにしか映らないが、どうしようもなく胸をはずませる生気にあふれているのだ。

 それは彼らが別方向に動いているように見えて、実際なんのよどみもなく純粋に、一丸いちがんとなってふたりの若者を祝っているからだろう。

 鮮やかなピンク色の葉と、ハサミを入れて作られたらしい紙吹雪が気流のなかで混ざり合い、空の彼方へ飛んでゆく。

 夢に勝る現実の光景であった。圧力鍋に詰めこまれた歓喜と恵みが、我慢できずに飛びだしていた。

 ウォレンのワクワクは一気に最高潮に達した。面白くて、楽しくて仕方がなかった。すぐにでも列に混ざりたかった。

 そして、それはまず間違いなく許された。きっと誰もが笑って、見知らぬ彼を温かく招き入れて肩を組み、弾けた笑顔を向けただろう。

 うずうずする彼の目に、わーっと飛びだす先ほどの少女が見えた。パンパンにふくらんだリュックサックからでんでん太鼓を取りだし、でんでこでんでこ鳴らしながら活気へ突進していった。

 そのあとも次々と民家から人々が飛びだし、全身で楽しさを表現しながら混ざっていく。偉そうに子供たちの前に立ち、先の奇妙なカニ踊りをはじめる中年のハゲた男もいた。みんながどっと笑った。

 こんな賑やかなつどいのなかに入らなくてイチヨは平気なのかと、ウォレンは彼女のほうを見た。

 イチヨはコップをすでに洗い終えて、丹念に台所の水滴をぞうきんでふき取っている最中であった。背中をウォレンに向けていたので表情は読めないが、大きな尻がフリフリと踊っている。どうやらノリにノッているらしかった。

「こんな結婚式は、はじめてです。とても楽しい」

 イチヨの尻がピタリととまった。

 くるりと身をひるがえして、目を爛々らんらんと輝かせたままの笑顔がウォレンに向けられた。

「下ウンマイじゃあ、結ばれたふたりはこうして下ウンマイの村人総出で祝われる。村長クソジジイから祝辞をもらって、あんな感じで下ウンマイ中をねり歩くんだ。一帯をまわったらどっかのカニ塚に集まって、夫婦がを交わす。それで終わり」

「契りの誓いって?」

「あれだよ……チューだよ、チュー」

 腕を組み、頬を赤らめながら目線をはずしてイチヨはいった。

 赤くなりたかったのはウォレンのほうだ。予想外の純潔を見せられて、その一連の仕草にどうしようもない愛らしさを感じてしまったためである。

 外の騒がしさは勢いを増し、徐々に距離感をせばめつつある。

 かぶりを振ってウォレンがふたたび窓を見ると、大群が押し寄せてきているのが見えた。イチヨの家を目指してきている。

「やべぇ、顔ださねーと家ンなかにまで入ってくる!」

 あわてて、イチヨは家の外に飛びだした。

 イチヨが加入したことで村人たちの盛りあがりは頂点に達したのか、歓声が巻き起こった。どうと彼女に波が押し寄せる。イチヨは「ぎえ~~~」と叩き潰されたカエルみたいな悲鳴をあげながら、村人たちにもみくちゃにされていた。

 子どもたちが彼女の足元にすり寄り、若者たちは無理に手を取ってブンブンと振る。そのなかにはあのタイソンもいた。誘われてきたのであろうか。

 中年や老人たちはイチヨの頭をわしゃわしゃとでている。恐ろしい片目の男も撫でていた。

 人々の合間をぬって群青と白衣の少女がトトトと走り、イチヨの尻を巨大なハリセンで叩いた。「イテ!」そんな声も一瞬でかき消される。

 遅れて混ざった神祇のゴーレムたちも順になってイチヨを抱擁ほうようした。「むぎゅッー!」張った胸板とガッシリした土の腕に挟まれて、イチヨが足をバタつかせていた。

 主役である夫婦も村人たちを力ずくで押しのけて、イチヨに近づく。新郎はヘロヘロになる彼女の両手を取って一礼した。新婦はイチヨに抱きついた。

 いまにも倒れそうに揺れながらも、新たな門出を飾る新婦に彼女は「頑張れよ」というかのように腰に手を回して、ポンポンと叩いている。それが精いっぱいのエールらしかった。

 ウォレンは破顔した。

 村人の、イチヨというひとりの女性に対する並々ならざる愛着もそうだが、目をまわしながらも、ひとつひとつに真摯しんしこたえるイチヨの姿がおかしかった。

 頭を撫でられたら、挨拶とでもいわんばかりに撫でる手に自分の手を添える。

 すり寄る子どもたちの頭を撫でてやる。

 乱暴に振りまわす握手にも、されるがままではなく、イチヨ自身も振ってかえす。

 自身の尻を叩く火事場の悪童も逃がさずに襟をつかみ取って、げんこつを青いおかっぱの頭頂部に食らわせていた。

 ゴーレム相手にはさすがに、されるがままであったが……これらの几帳面きちょうめんなサービス精神が、イチヨのイチヨ性たるものを物語っていた。

 ウォレンの心のなかに溜まる重い感情は、目の前の面白おかしいバカ騒ぎによって吹き飛ばされていた。王都にいたころのことなど頭から抜け落ちていた。遠い昔のことのように思えていた。

 玄関に立ちながら、笑うウォレンだったが――ズボンのポケットが振動したことで、途端に表情を凍りつかせた。

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