第2話「日常の崩壊」

「大変ですぅ!!」

休みを取っていたはずの、カレネお付きの兵士であるコルが駆け込んできたのはカレネが眠りについて間もなくの事だった。コルは塔の内部の階段を上がりながら同じく身辺警備役のフォルティと教育係のオニロの名を呼び探し回っている。

「何事だい」

眠りについたカレネを見届けたオニロが螺旋階段を下っていくと慌てた様子で私服のコルが跳ねている。

「今からこの塔、襲撃されますよ!どっかから情報がバレたんですぅ!!」

「……一体どういうことだ」

いつもは穏やかなオニロの眉間にしわが寄る。

「酒場にいたらなんか恰幅のいい男たちが『城の塔にいる悪魔を討伐しにナントカ……』って!!」

どうしましょう~と半分泣きべそをかいている新兵コルに、「落ち着き給え」とオニロが声をかける。

「その情報は本当なんだね?間違いはない?」

「本当ですよぉ!!そう聞いておれ慌てて店飛び出して走ってきたんですから!」

くよくよと弱気なコルにどうしたものかと一瞬頭を抱えたオニロだったが、すぐさま思考を切り替える。

今最優先にすべきは自分たち、いや、カレネの安全だ。しかし迎え撃つには人数が足りない。こんなに大々的に人を雇っているということは少なくとも兵士の中にもその首謀者の息がかかったものがいるだろうということだ。ここから城へ向かったところで、帰ってくるまでにおそらく突入される。

「何事かしら」

頭上から戸の開く音とともにカレネの声が塔に響く。

「カレネ様……」

流石のコルもカレネの出現で気を引き締めたのか、姿勢を正す。ぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら降りてくるカレネにオニロが近づいていく。

「カレネ様」

「どうしたのオニロ。怖い顔……」

「実は……」

と、その時オニロがキッと塔の入口の方に顔を向ける。だが時すでに遅し、かすかに開いていたその扉の前から何者かがいなくなる気配がした。

「チィッ!」

オニロが大きな舌打ちをしたかと思えば階段を飛び降りその扉に錠をした。

「聞かれた」

「聞かれた、って……」

状況を飲み込めないコルとおびえた表情のカレネの方を向いてオニロが険しい顔で答える。遠目にみてもわかる、怒りと焦りがにじんだような表情にコルは生唾を飲み込んだ。

「ここにボクらとカレネ様がいるという確証をやつらに与えてしまった――!」

そう言ってオニロは棒立ちのコルに指示を出す。

「コル、ボクらはここを出る。なんとか一晩、外でカレネ様をお守りするんだ」

階段を駆け上がりカレネの手を取ったオロニはコルの事を見下ろす。

「は、はい!」

「一階を、なんとしても死守しろ。ボクの部屋に抜け道がある」

「わかりました!」

コルは慣れない様子で、それでも一生懸命に一階へと向かっていき普段立てかけてある置物のような槍を手に取る。

「オニロ」

手を引かれながらも不安そうに名を呼ぶカレネの様子に、なるべく怖がらせないようにと表情を緩めたオニロが小さく振り返り声をかける。

「カレネ様、申し訳ございません。あなた様を狙った敵人が現れるとのことで、一晩野外、どこか身を隠せる場所にて持ちこたえることといたします」

カツカツとオニロの履いた靴が階段をたたく音に続くようにカレネのぺたぺたというスリッパの音が不気味なほどに静かな塔の内部にこだまする。

「外?どうして、お城に行かないの?」

オニロはその質問にすぐさま答えを出そうとしたが一度言葉を飲み込み、幼く繊細なカレネのため言葉を選びなおす。

「城に、敵を連れていくわけにはいきません。国王陛下や女王陛下、そしてレナート王子に危険が及びます。わかりますね?」

本当の答えはと言えば、伏せられた存在であるカレネを城に連れていき、その姿を誰かの目に触れさせるわけにはいかなかったのだ。それにいくら自分たちの子どもといえど、国王と女王がひそかに忌み子である彼女を避けているのをオニロは悟っていた。だからこそ、彼女を守れるのは自分たちしかいない。

カレネの部屋に入って適当な上着を着せ靴を履かせると断りを入れてカレネを抱き上げた。一段飛ばしで固い石造りの階段を下りれば、ドン、ドンと音を立てる扉に対して槍を構えるコルの姿がだんだんと近づく。

「オニロ!」

何かに気づいたようにカレネが声を上げれば、窓からなにかが投げ込まれる。

オニロはそれに当たらぬように全速力で駆け下りるとカレネを守るよう、窓から投げ込まれ、地面についた衝撃で割れたその物体を見た。

もやり、と黒い煙が沸き上がったそれをみて、オニロは顔をしかめる。

「ウェン・プルの毒か…!」

カレネが聞いたこともないそんな言葉を吐いたオニロはカレネに口をふさぐよう命令すると階段を下りるスピードを上げる。

パリン、パリンと酒瓶のようなものが割れる音がだんだんと塔のあちらこちらから響く。おそらく先ほどと同じ毒が投げ込まれているのだろう。

「コル、行くぞ、殿は頼んだ!」

「はい!」

冷や汗をかいたコルがようやくやってきたオニロに安堵するように、扉から距離を置く。外では何やら柄の悪そうな男たちが扉を壊さんとあれやこれやと様々な手を試しているようだった。しかし塔の入口の扉は国で一番丈夫だ。そう簡単に破られはしないだろうとオニロは見込んでいた。

地下へ通じる階段へと一行は足を踏み入れる。カレネが数回しか足を踏み入れたことがない空間だ。地下にはオニロ、コル、そしてフォルティの私室としてあてがわれた部屋があるが、カレネに何かあったときのためにと普段彼女の部屋の近くで寝泊まりしている彼らが日常的に使うことはほとんどない。そんな部屋だ。カレネが足を踏み入れたのも、まだ幼いころに眠れないからと夜中に私室で薬の研究をしていたオニロを尋ね自分の部屋を抜け出してきた時と、好奇心で一度踏み入れそのあと叱られたあの日くらいなものだ。

地上と比べより湿気のある地下室の感じになれないカレネは口にハンカチを当てたままきょろきょろとあたりを見回す。

「私、もうレナートに会えないの?」

不安そうにカレネが尋ねるとオニロは首を横に振った。

「大丈夫ですよ。ボクとコルを信じてください。ねぇ、コル?」

名を呼ばれたコルは少しうれしそうに「そうっすね!」と答えてみせる。カレネはそれでも少し不安そうにオニロの服を小さな、幼い手でぎゅうと握った。

自分がこんなにも危険な目にさらされるとは思っていなかったカレネだったが、とにかく今はその悪い人たちから逃げないくてはいけないと、そう決意した。


オニロへとあてがわれた小さな部屋には、たくさんの薬品と書きかけのノート、そして本があった。

部屋に入るなりオニロはカレネを床へと下ろすとあまり使われた様子のない、壁側に設置されたベッドを引く。その下に隠されていた床下の戸をぐっと開けば、より暗い闇が口を開けていた。

「地下通路です。大昔に整備されていた水路に通じているのですが、なにせ暗いので」

そう言って調合台の置かれた机の上から本やらノートやらをひったくり、オニロの私物の斜め掛けのカバンに詰め込みそれを身に着けると最後に机の上を照らしていたカンテラを手に取った。プリズムのように淡く七色にきらきらと輝き、不思議な色合いだとカンテラを眺めていたカレネだったが、オニロが部屋の外で警戒に当たっていたコルにかけた声で現実に引き戻されると、その床下の戸に身を躍らせるオニロの近くへと向かう。

「いいというまで降りてこないで」

そう言い残しランタンをもって下に降りたオニロの姿が見えなくなったことに焦燥感を募らせたカレネだったが、下から「降りてきてください」と聞こえた声に慌てるように足元に伸びる金属製のはしごに足をかけた。

「コル、ついてきて」

「ええ、わかっています!」

不安そうにコルにも声をかけたカレネはそちらに注意を向けてしまったせいか湿っているはしごから足を滑らしてしまう。

「きゃっ!」

ふわり、と優しく受け止められ、恐怖で閉じていた目をカレネが開ければ、心配そうなまなざしで彼女の事を受け止めたオニロと目があった。

「こういう場面でもお転婆を発揮されては困りますよ」

最後にコルがはしごを下り、頭上の塔へ通じる戸が閉じられる。ついに上からの光もなくなったとき、ふと、カレネの胸元のあたりが闇の中で淡く光った。

「あっ」

カレネが慌てて声を上げる。

「なにか、光ってる?」

コルがカレネの胸元を指さす。カレネが服の下からそっと取り出したのは、碧く美しい、大粒の宝石が淡く光を発しながら輝くペンダント。その青い光が持ち主の顔を碧く照らす。

「これは、お母さまからいただいたペンダント……」

カレネが常に肌身離さず身に着けているペンダントがその存在を示すように輝いている。その輝きはまるで呼吸するかのように強弱をゆっくりと繰り返している。

「不思議、こんなこと一度も無かったのに」

「なにかの、サインかもしれない」

そう、静かにオニロが告げると、彼はランタンを掲げた。

「行こう、とにかくここを抜けなくては」

彼の掲げるランタンに照らされた三人の顔は厳しいものだった。


入り組んだ水路をオニロを先頭に進んでいく一行。現在は使われていない旧水路とはいえ川の水や雨水をいまだ引き入れているのかその足元には数センチ水がたまっており、歩くたびじゃばじゃばと音を立てる。それどころかカレネの履いた布製のブーツがだんだんと浸水し、そこを抜け出すころにはすっかり重くなっていた。


水路を抜けた先には鉄格子の扉があって、さび付いているのかなかなか開かない鍵に少々焦りをみせながらもオニロがなんとかそれを解くと、ついにカレネは人生で初めて、空の下に立つこととなった。

初めて見る夜空に少々心を奪われていたカレネだったがそれを楽しむ間もなくオニロに抱き上げられた。

「さて、どうしたものか。こんなに夜遅いと人間ではなく獣が怖いな」

月光によって照らされているためにランタンの明るさを落としたオニロが呟く。

「もう町からで出てるんで、この先の平原を抜ければ、あとは森しかないですよぉ……」

「森があれば十分だ。食べ物も手に入るし」

「本気ですかァ?!だって森って行ったって【黒の国】の……」

「ボクは、カレネ様が助かるならなんだってするよ。……きみは、どうだい」

試すようにオニロがコルを見る。コルは苦虫を嚙み潰したように顔をゆがめながらも仕方なく頷くしかなかった。

「でも、病気とかなんないっすかねぇ……」

不安そうにコルが小さな声で呟いた。

ようやく足早に歩き始めた一行は周囲を警戒しながらだんだんと城から遠ざかる。その様子をオニロの肩越しに、カレネは何も言わず、見つめていた。

――すぐに帰れる。

……そう思おうとすればするほどに不安がカレネの胸を黒く塗りつぶしていくようだった。


夜の冷たい空気に満ちた世界を、三人が進む。

城下に町があるために、その敷地から外れてしまったこの場所にあるのは静けさとだんだんと目につく木々だけだ。

ついに頭上すらも覆いつくすような高い木々の植わる森へと足を踏み入れれば、木々の間や草むらから生き物の気配が時折感じられる。

カレネは心地よい振動でだんだんと眠くなってきた体を起こすように、初めて見る、塔の外の世界を観察するように眺める。

「おれたちもう、【黒の国】の領地に入ってるっすかねえ……」

コルが辺りをきょろきょろと見まわしながらつぶやくとオニロは分からない、と答えた。

「彼らは具体的な領地を示してはいないから、正確にはわからないよ」

「うぅ……。……この辺で隠れて夜明かしませんか…?」

「いや。【黒の国】の森の中は洞窟が多いはずなんだ。だからどこか安全に休めそうな洞窟を見つけてからそこに落ち着こう。もうそろそろこちらの手口もバレただろうしね」

肩のあたりでうとうととしているカレネをちらりと見てなおも歩みを進めるオニロ。その後ろをコルは離れるわけにもいかずついて歩く。塔から持ってきた槍が重くなってきて捨てたい衝動に駆られてきたが武器を捨てるわけにもいかずなんとか背負って歩く。

わさわさと草を踏みつけ歩き続けることおよそ三十分。

ようやく手軽そうな洞窟を見つけると一行はそこで腰を下ろした。

「カレネ様、大丈夫ですか?」

「うん……ありがとうコル…」

眠そうにカレネが目をこすり、大きく欠伸をする。

ふとコルが注意深くカレネの姿を見てみれば自分とは違い、寝巻に一枚上着を羽織っただけの彼女は少々寒そうだ。

つかの間思考を巡らせたコルは答えに行き着くと立ち上がり、洞窟の入口へ足を向けた。

「オニロさん、おれ、カレネ様のために火起こしたいです。なので枝集めてきてもいいですか」

その申し出に首を横に振りかけたオニロだったが確かに寒そうにかたかたと震えるカレネの姿を見ると渋々それを認めた。

「わかりました。しかし、そろそろ危ういですので、あまり遠くには行かないように」

「はい!」

ようやく自分でもできることを見つけたコルは嬉しそうに返事をすると、膝を丸めて心配そうにこちらを見るカレネにニッと笑って見せた。

「もうちょっとの辛抱ですから!」

そう言い残し洞窟を出ると、その足音がだんだんと遠ざかっていく。

夜も更けてきたのか、気温が下がるごとにだんだんと霧の生じ始めた森の様子が洞窟の中からでもわかる。

洞窟に残ったオニロとカレネの二人は会話もなく、だんだんと過ぎていく時間を沈黙の中共有していた。

「……」

することもなく、少し気の緩んだカレネは立ち上がると洞窟の近くへと顔を出した。オニロはその様をただ黙って眺めていた。


突然ヒュッ、と空気を切るような音が響く。

草むらの奥から飛来した矢が、カレネの体目掛け飛んでくる様が、ゆっくりとオニロの目の前で展開された。


「――カレネ様……――!」

飛来する矢の届く間際オニロの叫ぶような声がカレネに届くが、カレネは飛んでくる矢を理解できぬまま、目を見開いていた。

(これは、なに?)

カレネは自分目掛けて飛んでくるその物の名も存在も知らず、避けることもない。


誰もが死を覚悟したその時、カレネの胸元のペンダントがより一層強く輝いた。

その光がカレネの目の前で展開し、大きな盾のように彼女を、殺意を持って向かってくる矢から守る。


矢がその光の盾に達したとき、矢は勢いを失い、ゆっくりと地面に落ちた。それとともにバキリ、と何かが割れるような音が響き光の盾が砕け散る。

その光景に目を奪われているのか動かないカレネを抱えるように、後ろから飛び出したオニロが走り出すとその背後の草むらからもう一度弓が引き絞られるような音が響く。

危険を感じたオニロは草むらにカレネをかばう様に倒れ込むが、放たれた弓矢がその身をかすめ、ぐぅと苦しそうなうめき声をあげる。

「オニロ!」

「大丈夫です、っ」

オニロはもう一度立ち上がってカレネを持ち上げて走るも、右腕の一部を先ほどの一撃でえぐられ、ぼたぼたと血が流れている痛みでカレネを注意して運ぶことができない。相手はよほど腕のいい殺し屋のようだ。

数メートル進み、もう一度飛んできた弓矢を今度は木の裏に隠れてやり過ごすが今にも泣きだしそうなカレネの顔と自分の怪我の具合を見比べて、オニロはある決断を下す。

「カレネ様、ボクはあいつをなんとかします」

「オニロ、でも血が」

「大丈夫です。それより、あれを」

オニロが指さすその先、背の高い木の枝に、尾の長い、美しい青い鳥が止まっている。

カレネとその鳥の目が合うと、青い鳥はふわり、とはばたき、森の奥へと飛んでいく。

「あの鳥を追いかけなさい。いいですね」

「でも…!」

「カレネ様」

遂にぼろぼろと泣き出したカレネにオニロは優しい表情で頭をなでると口を開いた。

「ボク、かくれんぼでカレネ様を見つけられなかったことはないです。だから、大丈夫。必ず、見つけますから」

べそをかいたカレネを守るよう立ち上がるとその背をとん、と押した。

「だから、ボクを信じて。今はただ、あの鳥に従ってください」

ヒュン、ともう一度弓矢が飛んでいく。

がさがさとこちらに向かってくる足音にオニロは表情を厳しくすると、カレネをもう一度、今度は強く突き飛ばすように背を押し、その背に対して本人も出したことないほどの声で大きく叫んでみせた。

「逃げろ!!!」

押された勢いのまま、ついにカレネは駆けだした。その姿を先に飛んで行った青い鳥が見つめ、また飛び立つ。はばたく音とカレネの足音がオニロの元からだんだんと遠ざかっていく。

「――さようなら、王女陛下」

小さく、悲しげにそうつぶやいたオニロは不届き者を足止めすべく、勇ましい顔で敵に向かっていく。そこには、一片の後悔もなかった。


深く暗い森を幼いカレネは駆けていく。


振り返ればきっと置いてきたコルとオニロの元に戻りたくなってしまうから。

ただ、頭上を飛ぶ青い鳥を涙があふれる目で捉えて走る。

木の根に引っかかり転んでも、それでもなお立ち上がり夢中で走り続けた。

青い鳥の跳んだ軌跡の線が、カレネの視界に光る。まるでオニロの持っていたランタンのようなその光の線と暗い森に映える青い鳥の姿を追いかける。

実に長いこと走り続けたカレネを導いていた青い鳥が消えたのは、森の中、ひらけたようになっている空間であった。

青い鳥を見失ったことに気づいたカレネは必死に光の線を探すが、だんだんと薄まり、消えていく線しか見えない。

上着の裾を握りしめ周囲を見回すがここがどこかもわからず、ついに不安がカレネの心を覆いつくした。

何とかせき止めていたはずの悲しみの波がどっとあふれ出し、それはカレネの目から川のように流れだした。

「わあああああああん」

暗い、冷え切った森に、泥だらけのカレネの泣き声が響く。

「わあああああああああああああん」

転んだ時に切ったのか、血の出た膝や手のひらも痛い。

――それをやさしく慰めてくれる人だってもう、彼女の周りには居ないのだ。

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