2.探偵と剣鬼

 洗浄剤などの化成品から自動車や家電、IT機器の部品を製造しているカーム化成本社は、鋼和市東区の湾岸にある五〇階建てのデザイナーズビルだ。

 あちこちに警備員が待機している正面エントランスホールには、厳重なセキュリティチェックが施されてある。空港で設置されているような金属探知機にX線検査機、その奥には駅の自動改札にそっくりなゲートが並んでおり、そのセンサーに社員証か、受付で発行された特別入館証をかざさなければ、社長本人でも入館すら出来ないシステムとなっている。

 そのエントランスに、ビシッと背広を着込んだ男が現れた。

 きっちり七三に分けた黒髪に、細身のフレームをした銀縁眼鏡を掛けた長身の男は、肩に大判のポスターや図面を収納できるアジャスターケースと呼ばれる筒を提げている。

 見た目からして外回りの営業に出ていた社員か、外部から企画のプレゼンをしにやって来た他社の人間だろう。警備員の目にもそう映ったのか、誰に咎められることなく、男は自然な足取りでゲートへ向かう。

 社員証をエントランスのセンサーにかざすと、すんなりとゲートが開いた。

 反応しない金属探知機やX線検査機を尻目に、男は社屋の奥へと進む。



 男は正面から歩いて来たカーム化成の若い男性社員とぶつかった。

 社員が抱えていた資料やアジャスターケースが床に散乱してしまう。

「ああ、すみません」

「いえ、こちらこそ」

 お互いに謝罪し、二人は散らばった資料を拾い集める。

(……三八階、エレベーターから出て右手奥にある会議室。もう相手方は、全員揃っている)

(了解)

 小声でそう伝えた社員に頷くと、さりげなく、互いのアジャスターケースをすり替えた。

「すみません、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 資料を集めた社員は、男に礼を言って去っていった。


 三八階の会議室に到着した男は、扉をノックして「失礼します」と入室する。

 室内の中央には手前から奥に向かって伸びる長いテーブルが置かれており、両脇には今回のプレゼンを聴こうと集まったカーム化成の幹部八人が揃っている。

 そして、最奥の上座には、カーム化成の社長その人がいた。


 ――情報通り、今回の標的が揃っていた。


 男は後ろ手に扉の鍵を掛けると、アジャスターケースから中身を取り出した。

 それは一見、木製の杖のようで長さは一メートルほど。

 男はテーブルの上に跳び乗ると、重心を落とし、左腰に杖を添えて構えた。

 突然の行動に、標的たちが動揺したと同時に、仕込み杖から銀色の閃光が迸る。

 摺り足による高速移動で卓上を駆け抜けつつ、白刃を振るった。

 テーブルの端、社長の眼前で男は急停止。その背後で、深々と切り裂かれた首から勢いよく血を噴き出して絶命する幹部たち。

 最後に、驚愕と恐怖と絶望が入り混じった表情を浮かべた社長の眉間に、深々と刀を突き刺して引き抜き、残心する。

 真っ赤に染まった室内に、力なく椅子にもたれかかる斬殺死体が九体。

 抵抗はおろか、悲鳴を上げる間も与えず一瞬で九人の命を奪った男は、刀に付着した血糊を払い、鞘に納めた。

 男は、目を大きく見開いたままの死体を見据える。

「……斬業手当は要らん。とっておけ」

 眼鏡のブリッジを指で軽く押し上げて位置を正しながら、冷たくそう言い放った。



 三○分後。

 カーム化成から数百メートル離れたビジネスホテルの一室。

「ふぅ……」

 カーム化成に潜伏していた味方の手引きで、難なく脱出を果たした男は、変装用の伊達眼鏡を外し、七三に整えられた髪を適当に掻き乱して一息ついた。

 そして、潜入の際に使ったスーツ――眼鏡や靴、偽造した社員証もベッドに脱ぎ捨て、事前に用意していた服を身に着ける。

 着替え終わった頃合いを見計らったかのようなタイミングで、


 ――コン、コンコン、コン、コン。


 特徴的なノック音が響く。

「――失礼します。お部屋の掃除に伺いました」

「……どうぞ」

 入室を許可すると、様々な掃除用品を乗せたカートと共に男性従業員が現れる。

「――ご苦労様。相変わらず見事な手際だね、ブラボーゼロ」

 ドアを閉めて従業員が称賛するも、

「予定通り、A2のルートでホームに帰還する。デルタゼロ、後始末は任せた」

 淡々と事務的に返した。

「――真面目だね。了解した」

 デルタゼロと呼ばれた従業員は、呆れたように肩を竦めた。

 そのが、早々にその場を去っていく男――ブラボーゼロを見送る。




「――さて」

 残されたデルタゼロは、ドアに鍵を掛けて窓のカーテンを閉める。

 そして、誰もいない部屋のクローゼットを開けると、そこには結束バンドで手足を拘束された男がいた。薬で眠らせた彼の腕には、無数の注射痕がある。

「――過去に薬物乱用で幾度も逮捕され、最近になって仮出所を認められた前科者。社会には不要なクズだけど、僕らにとっては、とても役に立つ。嗚呼、実に適任だ」

 芝居がかった台詞と共に、ブラボーゼロが残したアジャスターケースから仕込み杖を取り出す。

 鞘から抜いた刀身が、照明の光を受けて、ギラリと不吉な輝きを放った。

「――おめでとう、貴方は選ばれた。そしてありがとう、僕らの身代わりになってくれて」

 その無機質で無感情な眼が、哀れな生贄の姿を捉えた。




 ホテルを出た後、ブラボーゼロはタクシーを二回ほど乗り換え、鋼和市西区のターミナル駅前で降りると、PID――個人用情報携帯端末に着信が入る。

「む……」

 相手は、意外な人物だった。


 ***



 ――私立才羽学園高等部一年C組教室――


「外部の人を雇った? しかも無償タダでぇ?」

 ホームルーム前の教室にて、沖田涼子が素っ頓狂な声を上げた。

「編入初日で文化研究部に入ったこともびっくりだけど、まさか次の日にそんな話を持ち掛けられるとは、思ってもみなかったよ……」

「それで、どうです? 生徒会から許可は貰えませんか?」

 美優の確認に、涼子は腕を組んで「うーん」と唸る。

「……とりあえず、学園祭の実行委員にも話を通してみないことには何とも……その外部の人には、ちゃんと話して、承諾して貰ったの?」

「はい、快く(割と強引に)引き受けて貰いました」

 実際は、「演劇経験もなく、部外者が参加するなどおかしい」と正論を語って渋っていたクロガネを、根気よく頼み倒したのだ。三時間にも及ぶ交渉と土下座の末、クロガネが根負けしたのである。

「それじゃあ、企画書を書いて、そのあと生徒会室へ一緒に来てくれる? それと、部長の梅原さんも同席して貰うから、連絡しておいてね」

「梅原さんが部長だったんですか……」

 あの三人の中で一番おとなしく、年少の亜依が部長とは意外だった。

「あの部室は元々、文学部のものだったからね」

 納得した美優は、自前のPID(編入する前にクロガネが用意してくれたもの)を取り出して、文化研究部の面々に今の話の内容をグループメールで送信する。

(そうだ、後でクロガネさんも交えて打ち合わせしないと……)

 ポケットにしまいかけたPIDを、再び取り出した。




 そして放課後、学園から最寄りのファーストフード店にて。

「で、どうだった?」

 美優からの連絡で呼び出されたクロガネは、テーブルに肘を付いて顔の前で両手を組み、真剣な表情で訊ねる。

「生徒会と実行委員会が検討した結果、クロガネさん……外部の参加も条件付きで許可されました」

 美優がありのままに報告すると、

「……マジか……マジでか……」

 がっくりと、うなだれた。

「まぁまぁ、ポテトでも食べて元気出してくださいよ。ウチらも頑張るんで」

「竹田智子さん、だったか? それ、俺が注文したやつだからな」

 軽い調子で元気づける智子にげんなりしながら、自前のポテトを食べるクロガネ。

 その場には文化研究部の三人も揃い踏みだった。

 美優の方で事前にクロガネの紹介を済ませてあったのか、三人は初対面かつ悪い意味で有名な探偵に対し、気さくに接してくる。

(とはいえ)

 野郎一人が女子高生四人に囲まれているこの状況は、どうにも落ち着かない。

 さっきから周囲の、特に男性からの視線が気になる。

「それで、条件というのは?」

「はい。まずは学園に入れる許可証の発行手続きも兼ねて、生徒会長と理事長が直接会って面談をしたいとのことです」

「まぁ、それは当然だな」

 客人でもない部外者を学園に入れるのだ。生徒の安全のためにも、クロガネの人となりを知る必要がある。

「形式上、クロガネさんは私の保護者ですから、そこまで心配しなくても良いのでは?」

「俺が心配しているのは、そこじゃない」

「では、どこを?」

「それは……いや、それよりもだ」

 ちらりと他の女子生徒三人を一瞥し、クロガネは話題を変える。

「外部からの協力者? は、あと何人必要なんだ? あんまり多いと、学園側も許可できないだろ」

「協力者は(もっきゅ)、あともう一人(もっきゅ)、必要です(もっきゅもっきゅ)」

 ハンバーガーを食べながら松山絵里香がそう言うと、

「……【竹取の翁】と【最強の剣士】、アクションの目玉である二人が、最低限不可欠、です……」

 梅原亜依が控えめに続く。

「そのもう一人に関しては、アテがあるのか?」

 クロガネの問いに、三人は首を横に振った。

「いや、全然」

「流石にアクション慣れしてないと怪我するし」

「……ただの素人には、難しい……」

「俺もその素人なんだけどっ」

 思わず抗議するも、

「クロガネさんなら大丈夫ですよ。運動神経も良いし、実際の戦闘経験も豊富でしょう? 演出上の手加減も、寸止めも出来ると思います。時間だけ持て余している、ただの暇人な素人よりも、遥かに頼りになります」

 美優にそう説得されて押し黙る。だが、言葉の端々に棘というか毒がないか?

「えっと、クロガネさん? で、良いですか?」

 智子が挙手して呼び名について訊ねて来たので、「構わない」と頷くと、

「クロガネさんには、アクション慣れしている伝手ツテとか居ませんか? 探偵なら、人脈もありそうな感じなんですけどー」

 と訊いてきた。

 それは偏見だと言いたかったが、居るには居る。

 ただし、裏社会に居る危険人物ばかりだが。

「あっ、もしかして居るっぽい感じです?」

 どう答えるべきかと悩んでいると、アテがあると勘違いされた。

「……その中に、剣道とか、剣術の心得がある人とか、居ます……?」

 亜依が条件を絞って訊ねてくる。

 アクション慣れしていて、剣の心得がある人材。

 クロガネの脳裏に一人、その条件を満たす男が思い浮かぶ。

「……居るには居る」

「それなら、その人に連絡を取ってくれませんか?」

「しかしだな……」

 渋っていると、美優は突然立ち上がって頭を下げた。

「お願いします。練習しようにも、打ち合わせしようにも、私たちには時間がありません。それにこれは彼女たちからの依頼でもあるんです。部の存続以前に、高校時代の思い出づくりのためにも、どうか協力してください。お願いします」

『お願いしますっ』と美優に続いて起立し、頭を下げる文化研究部の面々。

 周囲からの視線が痛い!

「まず、座ってくれる? 店側と他のお客さんに迷惑だ」

 赤面し、気まずげに着席する四人を見て嘆息する。

「とりあえず、連絡はしてみる。たぶん、望み薄だと思うから、断られても気を落とさんでくれよ」

 PIDを取り出したクロガネは、目当ての番号を呼び出すと席を外す。

 店の外に出たところで、相手が出た。

「……もしもし? 黒沢だけど、いま大丈夫か?」

『お前から連絡が来るとは、珍しいこともあるものだ。明日は雨か?』

 PIDの向こうに居る男の冗談を、

「予報では晴れだ」

 軽く返した。仮に雨だったら、洗濯物は部屋干しだ。

「ちょっと込み入った事情があってな」

『用件は何だ?』

「ああ、うん……実は、とある学園の文化祭でやる演劇の助っ人を頼まれた。部外者でも良いから、アクションが出来る人材を見付けて欲しいとのことだ」

『それで俺をか?』

「そうだ。頼めるか?」

『断る』

 即答。

「ですよね」

『話は終わりか?』

「ああ、突然頼み込んで悪かったな。俺の方で何とかしてみるよ」

『……待て。お前はその演劇とやらに出るのか?』

 男は急に神妙な口調で訊ねてくる。

「あ、ああ。出るけど?」

『アクションもので、お前が戦う役なのか?』

「……ああ、そうだ」

 嫌な予感がしてきた。

『俺に頼もうとしていた役は、お前と戦ったりするのか?』

「……」

 これだから、頼みたくなかったのだ。

 俺との真剣勝負殺し合いを嬉々としてやりたがるこの男だけは!

『……答えろよ』

 黙っていると、ドスを効かせた低い声が耳朶じだを打つ。

 観念して正直に答える。

「……ああ、そうだ。依頼主はアクションが出来て、剣の心得がある人材を二人ご所望だ。そして劇の内容には、その二人が真剣勝負を行うシーンがある」

『引き受けた』

「引き受けんの!?」

 その掌返しは要らん!

『詳しく話を聞きたい。今、どこにいる?』


 五分後。


「来たぞ」

「来たの!? そして早ぇ!?」

 割と近所に居たのだろうか。

 店先に現れた長身の男は、クロガネにとって馴染み深い昔の仕事仲間だ。


 新倉永八にいくらえいはち


 鋼和市の実質的支配者である獅子堂家を、影から守る特殊部隊『ゼロナンバー』の一人。

 表音フォネティックコード/コードネームは、〈ブラボーゼロ/ブレイド〉。

 そして、時代錯誤な剣の達人ソードマスターである。



「……前の職場で同僚だった、新倉永八だ」

「初めまして、お嬢さん方。新倉です」

 長身でクロガネ以上に鋭い目付きをした男は、背筋を伸ばして一礼する。

『は、初めまして……』

 礼儀正しいが、どこか冷たい威圧感を醸し出す新倉に、面識があった美優を除く女子高生たちは戸惑う。

 お互いに自己紹介を済ませた後、改めて詳しい事情を訊いた新倉は、ちゃっかり注文していたコーヒーを啜りつつ、学園祭で発表する演劇の台本に目を通した。

「……つまり、この【最強の剣士】を俺が演じて、黒沢が演じる【竹取の翁】と戦い、最後に負ければ良いのだな?」

「お願いできますか?」

 すぐには了承せず、新倉は質問を続ける。

「この、二人のアクション……殺陣の内容は?」

 台本は亜依が手掛けた小説を元に、智子が演劇用に手を加えたものだ。小説版では具体的かつ詳細に書かれていたアクションの内容は、台本だと『※ここで派手なアクションシーン』といった感じで、抽象的な指示しか記されていない。

 新倉の問いに、元文学部で脚本担当の亜依が答える。

「……それはお任せします……出来るだけ、怪我をせずに、インパクトがあるものであれば、大丈夫です……」

 それを聞いたクロガネは、胃が痛くなった。相手が新倉ではアドリブどころか、ガチの殺し合いになりかねない。インパクトはあるだろうが、怪我はしないで済むかどうか。むしろ、怪我だけで済むかどうか。

「舞台はどこで? 広さはどれくらいある?」

「舞台の候補として、才羽学園の講堂は使えないかと現在検討中です。講堂のステージは、十人前後のアイドルが歌って踊れるくらいの広さはあります」

 美優がいまいちイメージしにくい例えで言った。台詞の内容からして、スクールアイドルもののアニメでも最近観たのだろう。

「得物は?」

「演劇用の模擬刀です。刀身はゴム製で銀色に塗装されてますが、遠目でも偽物だと解ってしまうような造りです」

 元演劇部で演技担当の智子が答える。

 ふむ、と頷いた新倉は、真面目な顔で訊ねた。

「それで、練習はいつ、どこでやるんだ?」




「……新倉の奴、ノリノリだったな」

「でも、お陰でキャスティングの問題は解決しました」

 今後の予定が決まり、ミーティングを解散したクロガネと美優は、揃って帰路についていた。

「早速明日から練習か……気が重い」

「まだそんなことを……私たちも頑張りますから、クロガネさんも頑張りましょう」

「舞台に立って、不特定多数の衆目に晒されるんだぞ。柄じゃない」

 美優には悪いが、目立つのは苦手だ。

「何を今更。『鋼和市随一のトラブルメーカー』とか、散々目立っているじゃないですか」

「それは結果的にそうなっただけで、自分から目立っていたわけじゃないっての」

 元暗殺者という経歴の弊害か、探偵を始めたクロガネには何かと物騒な依頼が舞い込むことが多い。大抵は依頼人側に問題があるのだが、実力で厄介事を捻じ伏せるクロガネの解決手腕に注目が集まるのだから自業自得である。

「とにかく、一度引き受けてしまった以上は最後までやり遂げましょう。それに今回の依頼が達成されれば、『学生』というネットワークの伝手が出来ますし、危険性の少ない平和な依頼も来るようになります。そうなれば、クロガネさんの悪いイメージも払拭される筈です」

「……そう上手く行くかねぇ」

 どうも最近、助手である美優に言いくるめられている気がする。

 事実、彼女のサポートもあってトラブルは減少傾向にあった。


『速報です。鋼和市東区にあるカーム化成本社ビルにて、この会社の社長を含む幹部九人が何者かに殺害されました。警察は殺人事件と見て捜査しています』


 二人は足を止め、ショッピングセンタービルの外壁に取り付けられた大型ディスプレイを見上げる。そこに映るニュースキャスターが、真剣な表情で報道していた。


 内容は今から一時間ほど前、会社の社長を含めた幹部九人全員が殺害されているのを、同じ会社の社員が発見したとのこと。

 さらに死体が発見される直前、死亡した九人が中心となってカーム化成が製造した兵器の部品や技術を、海外に密売する計画を立てていたらしく、それを裏付ける証拠が鋼和市中央警察署に送られていたことも警察関係者への取材で明らかにされた。

 また、現場から数百メートル離れたビジネスホテルの一室にて、殺害に関与していると思しき男性が遺体で発見された。

 男性は過去に薬物乱用の罪で逮捕された前歴があり、現在仮出所中だったとのこと。

 犯行に使用したと思われる刃物で首を切って自殺を図ったらしく、その場で死亡が確認された。

 髪型や服装、体格が、カーム化成の防犯カメラに映っていた犯人らしき人物と酷似していたため、警察はホテルで死亡した男性をカーム化成重鎮殺害の容疑者と見て、慎重に捜査を進めているらしい。


「……調べますか?」

 真剣に報道を観ていると、唐突に美優がそう言った。

「いや、必要ない」

 首を横に振ったクロガネは、

「それより、今晩は何食いたい?」

 話題を変えて歩き始める。

「先程、ジャンクフードを食べたので軽めのものが良いですね」

 隣を歩く美優と他愛もない話をしつつ、先程の殺人事件について思考する。

 斬殺死体が九体。

 凶器は鋭利な刃物。

 容疑者らしき男が自殺したと報道されたが、恐らくは替え玉だろう。薬物でラリッた素人に、九人もの人間を刃物で殺すのは難しい筈だ。

 手口からして、プロによる犯行であるのは間違いない。

 それも、殺害した九人の悪事を暴露する辺り、計画性も感じる。

(まさか、新倉が……?)

 こちらが呼び出す前に、彼はゼロナンバーの仕事をしていたのだろうか。

「クロガネさん?」

 不意に声を掛けられて、我に返る。

「……ん、どうした?」

「こっちの台詞ですよ、急に黙り込んで」

 クロガネを見上げる美優の表情には、心配の色が浮かんでいた。

「ああ、ちょっと考え事。蕎麦そばかうどんか、どっちにするかで悩んでた」

 適当にそう言うと、美優が目を輝かせる。

「お蕎麦にしましょう。生地をこねて打ち付けて伸ばして細切りにするの、一度やってみたかったんです」

 えっ、そこから?

「わざわざ手打ちとかしないよ。麺は市販ので充分だ」

 切り替えよう。

 明日から演劇の練習が始まるのだ。

 新倉も参加するが、彼が関与したと思しき事件にこちらは関係ない。

 今は目の前の依頼を完遂することに専念しよう。



 だがしかし。


 新倉のゼロナンバーとしての仕事が、巡り巡って思わぬ形で飛び火することになるなど、この時の機巧探偵の二人には知る由もなかった。

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