第捌話 リスタート

 その声に目を見開く。

 ユキシロだ。肩でぜえぜえ息をしながら、汗ばんだ退紅の髪を掻き上げている。

 そしてとんでもなく酒臭かった。赤ら顔でほとんど焦点が合っていないし、おまけにどこかからかっぱらってきたらしい瓶入りビール的なものを抱えている。


「はい、これ。探してたんでショ」


 そう言って、ユキシロはわたしの鞄を渡してくれる。わたしは素直に受け取ろうとして、篝に手を掴まれた。

 地面に下ろされて篝の後ろに追いやられる。


「お前……どういうつもりだ?」


 篝が低く唸るように問う。


「どうって……ヒック、俺の海より広い心の為せる業じゃん? こーわっ。てか、あんたらふたり、どういう関係?」


 途端、篝の気配にどす黒いものが混じる。この人、基本的に周りのものすべてに敵意剥き出しだな……。

 野犬系男子・篝のご機嫌斜めモードに、ユキシロは降参するみたいにぱっと両手を上げた。


「って聞きたかったけど、俺ちゃん賢明だからやめますよーだ。はーあ、これだから脳筋野郎に関わりたくねぇんだよ。なんでも自分の思い通りになると思ってやがる」


 唇を尖らせているユキシロから、篝は鞄をひったくった。ジッパーを開けて、中を探って危険物がないのを確認してから、鞄をわたしに寄越す。


「ミチ、なにか無くなってない?」


 篝の問いに、ますますユキシロは膨れる。

 念のため中身を確認してみたが、神書もどきはもちろん、その他のものもすべてそっくりそのまま入っていた。


「ウェ、ヒック、俺ってば、信用なさすぎ――? ここまで篝ちゃんのおひいさま守ってたの、俺なんだけどね。しかも結局あんたらのせいで無償奉仕だぜ、無償奉仕! ったくこの世で一番キライな労働しちまった」


 ユキシロは深々と溜め息を吐いて、ビール的なものをラッパ飲みする。

 さっきまですっかりユキシロの存在を忘れていたわたしは、さすがに罪悪感で胸がぎりぎりした。


「う……ごめん、ユキシロ。約束したのに……。金貨はないけどなにか、わたしの持っているものでよければあげるから」

「ミチ。喋らなくていい」


 間髪入れずにそう言って、篝は懐から白く光る丸い玉を取り出した。

 なんだろう。


「さっきの骨繰の核だ。提示した条件よりは劣るが、高く売れる。これでミチからは手を引け。でなければ、お前もあの骨繰技師と同じ目に遭わせる」


 あの、篝さん。めちゃくちゃナチュラルに脅しをしているね? しかもこれはたぶん、ユキシロが渋れば本当にリンチを始めそうだ。

 たしかにユキシロは大人としてダメなところもあるけれど、それとこれとは話が別だ。


「篝……ユキシロはちゃんと仕事してくれたし、そもそも約束は約束だし……」


 わたしがもごもご言っても、篝は聞く耳を持ってくれない。

 だけどユキシロは気分を害した様子もなく、「まいどありィ」とだらしない笑みを浮かべて報酬を受けとった。

 なんだか洗っても落ちきらない汚れみたいに複雑な思いが引っかかっていたけれど、ユキシロが納得しているなら、とわたしは無理やり自分の気持ちに折り合いをつけた。


「またね、ミチちゃん」


 ユキシロはそう言って、ひらひらと手を振る。


「うん、なんかこんなことになっちゃってごめんね。しかもさっき引っ叩いちゃったし」

「いーってことよ。そろそろ邏卒も兵隊さんも駆けつけてくるぜ。ちゃんと逃げきれよ?」


 ユキシロはそう言って片目を瞑ると、踵を返した。印象的な退紅が見る見るうちに雑踏の中に紛れていく。

 ユキシロとはあくまでお金の絡んだ契約関係に過ぎなかったわけだけど、あまりにも呆気なくてちょっと寂しい。

 とはいえ、いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。

 外套でカモフラージュしているとはいえ、血塗れの篝も、ぼけっと突っ立っていてはとても目立つ。わたしはふらふらの篝に肩を貸しながら、人気のない路地裏に歩を進めた。

 『なんで賭闘なんかに出てるの?』とか、『野馬さんは死んじゃったの?』とか、『篝は今まで何人の人を殺してきたの?』とか、『人を殺すことをどう思っているの?』とか、篝に聞きたいことは沢山あった。だけどそのどれもが言葉にするにはなにかが足りないような気がして、わたしは口を噤む。

 ひとまずは、目先の問題を解決しなければならない。

 路銀を貯めるつもりが、結局振り出しに戻ってしまった。

 いや、それどころか篝の貯金もなくなってしまったので、マイナスからのスタートになる。


「この後どうする? 旅、できなくない?」

「長旅はね。でも、その必要がなくなった。探していた相手が見つかったから」

「どういうこと?」


 わたしの問いに、篝は人差し指を上に向ける。

 もしかして……もしかしなくても、さっき乱入してきた『青鞜社』の人たち?

 空のヤクザみたいな。もっと言えば、女の人たちばかりだったのでレディースっぽかった。


「ここから叫んでお船に乗せてもらうとか?」


 篝は頭を振った。さっきイカスミが取ってきてくれた文書を指差す。

 よくよく見てみれば、さっきの文章の下に『追伸』の文字があった。


「『追伸、同志求ム。北ノ泥ノ海ニテ待ツ』……。泥の海?」


 泥の海ってなんだろう。

 なんだかやばそうなにおいのする言葉だ。

 少なくとも、日本にはそういう場所はなかった。


「ミチ、運転はできる?」

「運転?」

「ごめん、やっぱり腕、やっちゃったみたいで」


 そう言って篝は、外套を捲って右腕をわたしの方に差し出した。二の腕から見るに耐えないほどに大量出血している。


「なんで今まで黙ってたの!」


 言わんこっちゃない。だからわたしのことを抱っこなどしている場合ではなかったというのに! とはいえ、篝が厚意でそうしてくれたことはもちろん分かっているので、わたしはお宮から失敬してきた包帯をぐるぐる巻きにする。

 それに、篝だけを責めている場合じゃない。この人は自分の身をどこまでも粗末にする人だと分かってきていたところだったんだから、わたしも早く気づくべきだった。


「篝は当分、戦うの禁止だよ!」

 わたしの言葉に、篝はちょっと不満げに口をへの字に曲げた。


「そんな顔してもだめ。許しませんからね。その代わり、わたし、運転がんばるから!」

 わたしのがんばる宣言に、篝は一転、なんだかとっても申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん。大口叩いておいて、この様だ。ミチにまた助けてもらって、その上運転まで」


 わたしはふるふると首を振った。


「わたし……篝がわたしを頼ってくれて嬉しかったよ」

「…………嬉しかった?」

「うん。そりゃ、篝から見たら、わたしなんてなにもできない子どもに見えるよね。だけどこの先しばらく一緒の道を行くなら、わたし、篝におんぶにだっこじゃヤだなって」

「……うん?」


 篝は少年めいた澄んだ目をして頷く。

 わたしの言葉を馬鹿になんかせずに、隅々まできちんと意味を噛み砕こうとしてくれているようだった。


「わたしね、元の世界でなにひとついい関係、つくってこれなかったの。恥ずかしいけど、お父さんともお母さんとも友達とも上手くいってなかった。そのたび自分にがっかりして、そのうち最初からがんばるのをやめちゃった」

「……ミチは最初から俺にぶつかってきてくれた」

「あのときは人の生き死にがかかってるって思ったからとくべつ。でもね、もう自分にがっかりするのに飽きちゃった」


 そう言ってわたしはへにゃりと笑う。


「だから、なんてゆーの、持ちつ持たれつ、みたいな? わたしはこれから篝とそういう関係をつくっていきたいと思ってる。今はまだ、篝におんぶにだっこだけど、いつか篝と並び立てるように、がんばるから」


 わたしが一所懸命役に立ちたい宣言をしているのに、篝は悔いるように目を伏せた。

 わたしが突然こんなことを言いだしたのは、篝が不甲斐ないからだとでも思っているのかもしれない。

 そんなこと、全然ないのに。


「……俺は、ミチに無理をしてほしいわけじゃない」

「うん、無理はできない。わたしにできることには限界があるし。だけど、篝にはわたしになにもしないでいいって言わないでほしいの。篝がわたしのためになにかしてくれるように、わたしも篝になにかを返したいんだよ」


 篝はようやく、わたしの話が腑に落ちたように目を瞬いた。


「右も左も分からない異界人なのに、生意気だって思うかもしれないけど」

「……おもわないよ、」


 刹那、篝の顔にほろほろと崩れ落ちてしまいそうな淡い笑みが浮かぶ。

 泣き出しそうな顔にも見えたので、わたしの見間違いだったのかもしれない。


「あ、それとね。運転! ゲーセンのレースゲームしかしたことないけど、わたしすごい速かったんだよ! だから本物の運転もきっと大丈夫!」


 篝は「げーせん?」と首を傾げている。

 十五歳なので、当然免許など持っていなかったが、まあきっとレースゲームと似たようなものにちがいない。

 篝が命をかけてまで頑張ってくれたんだから、わたしも運転くらいはマスターするぞ。

 固く握りこぶしをしてそう決意する。

 わたしの肩でイカスミがなぜかぶるりと震えあがって、闇夜に飛び立った。

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白綴青路 平凡な女子高生ですが、異世界で嘘つきはじめます。 雨谷結子 @amagai_y

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