改名


「気持ちよかったあ。牛乳、牛乳」


 風呂上がりに飲む牛乳は至高だ。父さんみたいなことはせずに、きちんとパジャマを着て冷蔵庫を開けた。


「あれ?牛乳は?」


「ああごめん、さっき私が飲んだ分で最後だったみたい」


 なんと、それは悲しい。姉に飲まれていたとはタイミングが悪いことこの上ない。


「恵也、母さんも帰ってきたし、話を少ししようか」


「母さんは先にお風呂入るから、恵也は父さんと話を始めておいてね」


 母さんは風呂に消えていった。俺は父さんを正面にして椅子に座った。横には姉ちゃんも座ってくれた。


「さて、改めて説明を聞こうか」


「分かった」


 俺は父さんにその日起こったことを改めて丁寧に言った。何回も聞いてわかっているはずだったが、父さんは真剣に聞いてくれた。


「分かった。説明してくれてありがとう。ここから先は母さんとも一緒のほうがいいから少しまとう。それで、これがお土産だ」


 父さんは唐突にお土産のお菓子を出した。お菓子というのは珍しい。


「置物じゃないんだね。私、父さんは変なものしか買ってこないかと思ってた」


 ここは姉の意見にまったく同意する。父さんは普段の出張なら置物や、ゲテモノののような食品を買ってくることが多く、それで俺たちは頭を悩ませていた。置物は置けばいいが、食べ物に関しては美味しければいいのだが、まずかったときは悲惨だ。


「今回はお土産を選ぶ時間もなかったから駅の売店で買ったんだ」


「そんなに忙しかったの?」


「それもあるが、恵也のことがあったから一秒でも早く帰りたかったんだ。新幹線の待ち時間で買えるのはこれくらいしかなかったんだ」


「そんなわけだから今回は味のほうは問題ないと思う」


 買ってくるお土産に問題があることを自覚していたなんて驚き以外の何物でもない。


「うん! おいしい」


 姉はさっそくそのお菓子を食べて舌鼓を打っているようだ。どれ、俺も一つもらおうかな。個包装されたお菓子を一個テーブルに置かれた箱から取り出し、それを開けると、きれいで美味しそうなお菓子があった。それを口に運ぶと、全体に甘すぎず、くどくない餡の香りが広がる。餡がベタベタしていないのですぐに溶けていき、口の中に余韻を残す。これがくどいお菓子だと、そのくどくてベタベタした味が中々口から消えてくれない。お茶を口に含んでも、なかなか取れないものだ。


 餡を包んでいる葛もまた良い。葛も芳醇な香りで引き寄せられる。これだけいいお菓子ならいい値段がしたのではないか。俺が気にすることではないのかもしれないが。


「そうか、そんなにうまいか。それなら買ってきたかいもあるってもんだな」


 父さんは豪快に笑った。


「あなたが、いつもいつも変なものを買ってくるから、この子たちもあんな反応をするんじゃないの」


 風呂から上がった母さんが、父さんに冷たい視線を送る。


「そんなひどいことを言わなくてもいいじゃないか」


「いつも変なものばっかり買ってくるから信用がないのよ。でも今回は食べられるものを買ってきたからよしとしましょう。それで恵也はちゃんと話をしたの?」


「したよ。ある程度まで話したらそこからは母さんと一緒に話すことって止めたんだ」


「そう、それであなたはどう思うの?」


「軽々しいことは言えないが、私は恵也のなりたいようになればいいと思うしそれを私たちが咎めたり、やめさせたりする資格などない。恵也、もう一度確認だが、名前は本当に変えるんだな?」


 今更何を聞くのか。この名前はすきだ。でも、女になった以上、この名前で生きていくことは何かと不便になるのは間違いない。そんなことになるくらいなら自分はもう戻れないということをわからせるためにも名前を変えたいのだ。

 その気持ちを素直に言った。


「そうか、この件は母さんから聞いてから随分と悩んだんだ。そこで候補を上げようともしたが、これに帰着した。恵也が女の子だったらつけようと思っていた名前だ」


 父さんは立ち上がり、墨と半紙を持ってきて筆をとった。そこに一文字大胆に書き上げた。


「恵と書いて『めぐみ』だ。これが私たちが考えた名前だ」


「恵……、いい響きだな」


 恵、俺は今日から恵也じゃなくて恵。



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