片思いの人はCB400が大好きなオニイチャン……

ぬまちゃん

第1話 くぅおぉらぁー! ボーっとしてんじゃねぇぞ!

「くぅおぉらぁー! ボーっとしてんじゃねぇぞ! ボケナス!」


 高校の駐輪場で自分の自転車をゆっくり探していたら、突然後ろから大きな声で怒鳴られた。

 ボクは反射的に体をすくめながら、雨上がりのカエルのように勢いよく飛びのいた。

 それから……、恐る恐る後ろを振り返る。


 そこには、革ジャンを着こみフルフェイスのヘルメットで頭を覆った、見たこともない黒い大男が、その体に合わせるかのような大きなオートバイトを押しながらゆっくりと近づいて来ていたのだった。


「おい」

 大男は声を上げる。


「そこのお前だよ」

 ボクに向かってヘルメットが動く。

「お、ま、え」


 一言一言が、ボクの脳天まで通勤快速急行のようにすごいスピードで飛び込んで来る。


「お前がそこにいるから俺の相棒が置けないんだよ。さっさとお前の相棒を探し出して駐輪場から出て行けやぁ!」


 押し殺しているが、声に籠った迫力は凄いものだった。まるでさっき表の道で人を二、三人刺してきたぜ……、俺の逃亡を邪魔する奴は何人たりも邪魔させないぜ……、という黒いオーラがその大男からバシャバシャ出ている感じだ。


 ――

 ボクの高校には定時制がある。あまり知られていないけど、高校には全日制と定時制という区別があるんだ。

 ボクが通っている朝8時から夕方7時までの時間帯に授業を受けるというか、学校の校舎を利用するのが全日制。

 それ以降の時間帯に授業を受けるというか、学校の校舎を利用するのが定時制の夜間部なんだ。

 全日制には入学時の年齢制限があるのだけれど、定時制には年齢制限がない。

 それはそうだ。定時制高校とは、若い頃に何らかの理由で高校を卒業していない・出来なかった者に高校の勉強を再履修する機会を与えるためにあるんだもの。


 そのために、定時制に通って勉強している人達の年齢層も広い。実社会でバリバリ働いている社会人やガテン系のお兄ちゃんも当然含まれる。


 今ではネットを使った通信制の高校が沢山あるので、高校卒の資格も比較的簡単に手に入るのだけどね。それでも、やっぱり高校に通って先生から直接勉強を受けたいという人達も少数だけどまだいるんだそうだ。

 だから、クラブ活動で学校に遅くまで残っていると定時制に通っている人達と遭遇してしまう事も当然ある。


 でも、ボクの属している鉄道研究会はいつも早く終わるんだ。だから定時制の生徒と鉢合わせする事なんかなった、今までは。

 だけど、今日は文化祭の準備が長引いてしまいこんな時間になってしまった、というわけさ。

 ――


 あー怖かった。


 ボクは大慌てで、自分の自転車(相棒)を駐輪場から出して、その場を離れようとした。


「おう! 悪いな、急がしちまって。おれも今から授業なんでな、悪く思うなよ」


 大男は脱いだヘルメットをバイクにしまいながら、ボクの方を見てニヤリと笑いながら声をかけて来た。

 ボクには、その笑顔が冒険の旅に出て多くの経験を積んだ正義の勇者をゴミくずのように一瞬で葬り去って微笑んでいるラスボスの魔王の顔のように見えた。


 ★★★


「おはようー!」

「おはよー」

「おは、おはー!」


 今日も学校が始まった。みんなは、お互いに朝のあいさつを交わしている。ボクはあいさつが苦手だから、小さな声でボソボソとつぶやくだけだ。

「おはよう、ございます」


 ボクが片思いをしている彼女も教室に入って来た。そしてボクの横の席にすわる。

「おはよう、山田くん。あれ? 今日はどうしたのですか、ノートなんか広げて。山田くんのノート初めて見たけど、綺麗な絵ですね。それはどこの風景画なんですか?」


 彼女は隣の席に座って、僕がデザインしているジオラマのイメージ絵を見て感心してくれた。こんどの文化祭で鉄道研究会の発表で使用するジオラマだ。


 ジオラマって、鉄道模型を走らせるときに使われる箱庭の大きなヤツだと思ってくれればいい。田舎の風景から大都会の風景までを限られた場所に再現するんだ。当然主役は模型の鉄道だから、鉄道より目立ってはいけない。

 でも、模型の鉄道がジオラマの中を走る事で、まるで本物の鉄道が目の前を走っているような雰囲気をだせるよう、細かい部分まで丁寧に設計して作る必要がある。

 完璧なジオラマは、それだけで下手な風景画よりも美しいんだよ。


 ……おっといけない、話がそれちゃった。


 ボクのお隣さん、身長は普通の女の子より少し低い。顔も目も鼻も口も小さくて、ちんまりしている。胸は出ているけどそんなに大きくはない、きっとBかCカップだろう。女子の団体に紛れこんだら、絶対に見えなくなってしまうぐらいにこじんまりとした女の子だ。

 恥ずかしながら、新学期の席替えでボクの隣の席に座って初めて彼女がクラスメートだったのを知ったぐらい、彼女はクラスの中でまったく目立たない女性だった。


 天使のわっかが見えるほど艶やかな黒髪は丁寧にブラッシングされているのだろう、ふんわりと彼女の後頭部を覆っているだけで、肩にはかからない。テレビで宣伝しているどこかのメーカーのシャンプーのいい匂いがボクの嗅覚神経に乗り入れて来る。制服のセーラー服は丁寧にプレスされているようで、シワひとつない。

 ピンク色のプラスチックフレームの眼鏡の奥からは、小さいけどクリクリっとした目がボクのジオラマ帳のデッサン図にロックオンしていた。


 ◇◇◇


 キーン、コーン、カーン、コーン。


「おーい! 早く食堂に行こうぜー」

「うどんにする?、そばにする?、やっぱりカレーか」

 大体の男子達は、お昼になると教室から一斉に飛び出していく。


 でもボクはお母さんお手製のお弁当をバッグから取り出して机の上に置く。そしてお隣さんも同じようにバッグから可愛いピンク色の巾着袋で包まれたお弁当を取り出す。ちゃんと巾着袋には『本田』って彼女の名前が書いてある。

 でも、ボクは見てしまったんだ。バッグの中にもう一つお弁当らしき巾着袋があるのが。しかもそっちの袋は青色なんだ。おそろいの柄で、色違いのお弁当袋? ボクはイヤーな予感がして、今のは見なかった事にした。


 「山田くんのお弁当って、いつも色とりどりで美味しそうよね。わたしも参考にしても良いかしら」


 お隣の本田さんは、ボクのお弁当の中身を見て羨ましそうにつぶやく。女の子ってどうしてお弁当の中身に興味をもつのかな? 


 「本田さんのお弁当も美味しそうだよ」

 ボクは彼女の質問にドキドキしながらも、努めて冷静に社交辞令的な返事を返す。


 「ううん、そんな事はないわ。私って自分以外のお弁当も作っているので直ぐにマンネリになっちゃうの。だから山田くんのお弁当が参考になるのね」


 え? それじゃあ、さっきの青色の巾着袋はやっぱり誰かのお弁当なんだ……、ボクの心は緊急停止ボタンを押された電車のように急激に落ち込んでいった。おかげで午後の授業はほとんど耳に残らなかった。


 ◇◇◇


 「しまった。今日も遅くなっちゃった」

 またあの大きなバイクを押してくる黒い大きなバイク乗りのオニイチャンに会ったら嫌だから、すこし帰宅時間をずらそうと思って部室から教室にいったん戻って来たんだ。


 お隣の本田さんもまだ文芸部の部活動から帰って来ていないようだった。あまり遅くまで教室にいると定時制の生徒達と鉢合わせしちゃうからボクは気が気でなかった。


「うおっす!」

 ひと際大きな声が教室の後ろのトビラが開く音と同時に聞こえて来た。この声は最近聞いた事がある声だった。


「お! 昨日のあんちゃんじゃないか。昨日は驚かせちまって悪かったな。ちょっと仕事の事でイライラしてたんだ。許してくれや!」

 そう言いながら僕の背中をバンバンとたたく。やめてくれよ、ボクの背中はそんなに頑丈じゃないんだから。


「でもな、あんちゃんよ。定時制の生徒には俺みたいな大型バイクを駐輪場に止めなきゃいけないヤツらもいるんだから、早めに駐輪場から出てくれよな。今度からは頼んだぜ!」


 昨日のバイク乗りのオニイチャンは、あろうことか教室の一番前! の席にドカリと腰を下ろした。そしてバッグの中から教科書と筆記具とノートと青色の巾着袋を取り出して無造作に机の中にしまった。


 あの巾着袋の色柄は昼間見たことがある。

 まさか、まさかだ。

 あ、あんな巾着袋はど、どこにでもあるはずだ、だ。


 ―― ボクは悪魔になった。――


 教室に残されていた本田さんのバッグを少しだけ開いて、巾着袋の数を確認したんだ。バッグの中にはピンク色の巾着袋しか残っていなかった。


 ―― ボクの青春は今日、たった今終わった。ようし、これからはジオラマで生きていくんだ ――


 ボクはフラフラと教室から出て行った。


 ★★★


「おはようー!」

「おはよー」

「おは、おはー!」


 今日も学校が始まった。みんなは、お互いに朝のあいさつを交わしている。ボクはあいさつが苦手だから、小さな声でボソボソとつぶやくだけだ。

「おはよう、ございます」


 ボクが片思いをしている彼女も教室に入って来た。そしてボクの横の席にすわる。

「おはよう、山田くん。実はお願いがあるのですけど」


 本田さんはそこで一瞬だけ躊躇した。そして少し俯き加減になりながら、ボクに続きの言葉を投げかける。


「実はある人に数学を教えてほしいのです。定時制に通ってる生徒なのですけど……、数学が分からなくて困っているのです。わたし数学はチョット苦手だから上手く教えられないの……」


 え、どういう事だ。ボクの頭の上には巨大なクエスチョンマークが点灯しながらクルクルと回っていた。

 あのバイク乗りのオニイちゃんの勉強を見てほしいと言うことかな?


 いくらなんでも彼氏の勉強を見て欲しいなんて、流石にそれはないよね。

 それじゃあ、あのバイク乗りのオニイちゃんは本田さんとどんな関係の人なんだろう?

 ボクは必死に考えてある結論に至った。

 ……

 そうか、あのバイク乗りのオニイちゃんは本田さんのお兄さんなんだ!


 そうだよな。彼氏のためのお弁当じゃなくて、お兄さんのためのお弁当なんだ。

 きっと、そうだ、そうに決まってる。ボクは0.3秒で結論を出して自分自身を納得させた。


 そうであるならば、本田さんの心をボクに向けさせるチャンスはまだあるぞ! 今ここで良いカッコしなくて、いつするんだ。


「うん、良いよ。ボ、ボクで良ければ」

 ボクは噛んでしまった事を後悔しながらも、爽やかな青年風に答えた。

 本田さんは、クリクリッとした小さな目を大きく広げて本当に嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます、山田君。それじゃあ今度の週末はお時間下さいね」


 ―― やったぁぁぁぁぁ、ボクの青春は運転再開か? ――


 本田さんに見えないように、ボクは小さくガッツポーズをした。

 本田さんと一緒にお兄さんの勉強を見ている妄想で、今日一日の授業はほとんど耳に残らなかった。


 ◇◇◇


 あーあ、今日も部活動が遅くなってしまった。ジオラマ製作が佳境に入っているからなんだ。実際の街の風景ではない仮想の街並みを自然に見せるのは結構難しい。オモチャの街並みを作ってもそれでは意味がないのだから。小さな模型の鉄道に、子供達の思いを乗せて走るのだもの、手は抜けないのさ。


 ボクは、駐輪場で本田さんのお兄さんと鉢合わせしないように素早く自転車を取り出すと、そそくさと学校の校門を出ようとした……その時、


「おお、このあいだのあんちゃんじゃないか!」


 やばい、見つかった!


「ナニをこそこそしてんだよ! 別にとって食おうなんて思ってないから大丈夫だよ。こう見えてもオレは良い奴なんだぜ」


 自分で『良い奴』と言う奴に、良い奴なんかいるもんか。ボクはいつもそう言うガキ大将に虐められて来たんだぞ……


「まあまあ、そんな嫌そうな顔をするなよ。実はよ、今度あんちゃんのクラスメートに勉強を教えてもらう事になってな。そのクラスメートがどんな奴か知りたいんだ。あんちゃんは、本田千尋ってクラスメート知ってるよなぁ。その本田千尋の隣に座っている奴なんだけどさ、教えてくれないか?」


「はは、はい」

 ボクは消え入りそうな声で返事をした。


 ここは、おべっかを使って話を逸らして逃げ出すしかないな。そうだお兄さんのバイクの話をすれば機嫌が良くなってボクを開放してくれるかも。


「お兄さんのバイクカッコいいですね。ボクはバイクの事よく分からないですけど、それでもデザインフォルムなんか凄いと思いますよ」

チョット言いすぎたかな? 逆効果かも。ボクはチョット後悔してしまった。


「お! さすがだなあんちゃん。コレよー、『CB400スーパーフォア』って言うその世界では超有名なバイクなんだぜ。30年前に発売されてからいまだに売れ続けてるロングセラーなんだ。あんちゃんヒョロヒョロしてるけど見る目は確かだな!」


「そうなんですか? このバイクは全体のバランスが完璧だと思いますよ。多分デザイナーのセンスが良いんですよ……。あ! そうだ友達の約束を思い出しちゃったので、先に帰りますね」


 ボクは自転車に跨って大急ぎでペダルに足をかけ、

た ―― まさにその時、

 仕事で鍛えられ上げられた頑丈そうな手で襟首をむんずと掴まれた……。


「あんちゃんつれないなあ。あんちゃんとオレの仲だろう? 教えてくれても良いじゃないか」


 え、ボクとお兄さんはいつそんな仲良しになったの?


 お兄さんはボクの耳元でささやく。

「本田千尋は、オレの娘なんだ。バラすなよ、バラしたらお前の命は無いからな……」


 さっき仲良しだって言ったし、良い奴だって言ったじゃないかー! だから自称良い奴は信用できないんだー。

 ……


 え、今このお兄さん凄いことを言わなかった?

 ……『本田千尋はオレの娘』……


 え? え? え?

 もしかして、ここにいるバイク乗りのオニイチャンて、本田さんのお父さん?!


 本田さんのお父さんはさらに付け加える。

「どうもよ、娘には好きな男がいるらしいんだ。鉄道模型のジオラマ?っていうのか、ミニチュアの街並みな、あれのデザインをしているヤツらしくてな。家に帰るとその男の話を嬉しそう嫁にしてるんだよ……。あんちゃん、これも超ヒミツ事項だかんな。もしもこの超ヒミツ事項がクラスに広まったりしたら、いっそ殺してくれというぐらいにあんちゃんを痛めつけるかんな。ぜってーに、秘密にしろよ」


 本田さんのお父さんは口元がにこやかなんだけど、目が笑っていなかった。

 ボクが本田さんの席のとなりに座っている奴で、ジオラマのデザインをしている男だ、なんて口が裂けても言えないぐらいの眼力だ。

 絶対にあの眼力で既に4、5人ぐらいの人間を殺しているはずだ。本田さんのお父さんはそのぐらい強力な眼力の持ち主なんだ。


「あんちゃんよ、オレは高校の時に子供が出来ちまってよ、嫁と子供のために高校中退して働きだしたんだよ。まあ、その時の子供が千尋なんだけどよ」


 あらためて、本田さんのお父さんの顔をまじまじとみた。言われてみれば本田さんの面影が見える。本田さんはお父さん似なんだ。ボクは怖くていままでバイク乗りのオニイチャンの顔をみてこなかったから気が付かなかった。

 バイク乗りのオニイチャンの話は続く。


「高校中退働けるところなんか限られてるからな。オレは電気工事の仕事をしてる先輩の元で働き始めたんだ。でもよ、電気工事って資格がいるんだよな。そしてその資格試験にはよ、高校でならった三角関数が出て来るんだ。ほら、あのサインとかコサインとかいうやつな。おれはアレが苦手でよ勉強なんか全然してこなかった。『数学なんか社会では使わない』とうそぶいている奴らをぶん殴ってやりたいぐらいだぜ」


 本田さんのお父さんはそう言いながら、頑丈そうな握りこぶしをボクに見せつける。このこぶしで殴られたら絶対に死んでしまう、そのぐらいの迫力があった。


「まあよ、そんでよ。恥をしのんで、娘のクラスメートで数学が出来る奴にお願いする事にしたっていう寸法さ! で、娘のとなりの席に座っている奴はどんな奴なんだ?」


「そうですね、数学の勉強は出来ると思いますよ。それに、人の痛みのわかる奴だから人に教えるのは得意じゃないかな。あ、すみません、本当に約束があるんで、これで失礼します。オニイサンの約束は絶対に守ります、他言しませんから……」


 僕は本田さんのお父さんの手を振り払うようにしてその場を立ち去った。

 そして、学校をでてから先ほどの話をゆっくりと思い返した。


 ―― 娘は、ジオラマの設計をやっている男が好きなんだ ――

 ―― 娘の隣の席に座っている奴に数学を教えてもらう ――


 どうしよう、今度の週末に本田さんと約束してしまったけど。その時に「男」と「奴」と「あんちゃん」が同一人物だってバレルンだよね。


 ボクの青春は、始まりなんだろうか、それとも終わりなんだろうか、……


 

<完>

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