僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツが憎くて憎くて仕方がない

姫乃 只紫

僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツが憎くて憎くて仕方がない

 中学生の頃、アルビノの知人がいた。

 アルビノは別名を白皮症はくひしょうと云って、生まれつき髪や肌が白いことこそよく知られているが、紫外線に弱くその多くが視覚障碍しょうがいを持っていることはあまり知られていない。

 肌を直射日光から守るため、彼女は夏場もカーディガンを羽織っていた。登下校の際は日傘が欠かせず、教室に一人でいるときも、誰かと一緒にいるときも、うつむき気味であることが多かった。生来の性格もあったのだろうが、どうやら日の光が眩しくてまともに顔を上げていられないようだった。

 席は最前列が定位置だった。聞くところによるとアルビノの弱視はメガネやコンタクトの類で矯正しようがないらしい。だからこその最前列だったのだろうが──。授業が終わったあと決まって友人のノートを写していた彼女を見るに、やはり板書のほとんどは見えていないようだった。

 クラスメイトの一人として身近にいたからこそ、ただ生きてゆくだけでも気苦労が絶えないだろうなと同情する反面、そんな彼女が羨ましくもあった。


 もし、彼女が自叙伝は書いたとしたら、それはきっと多くの人の心の支えになるだろうから。


 一個上の姉と相合傘で下校している姿を度々見かけた。そのときは、いつだって儚くぼうと見えた彼女の姿が、地面にくっきりと色濃い影を落として見えた。

 高校生の頃、自称同性愛者の友人がいた。

 彼自身「俺、案外女子も好きかも」と度々独りごとのように漏らしていたこともあり、どこまで本気の「自称」なのか定かではなかったが──。ただ、「云っておくが男が好きなだけで女の格好をしたいとかそういう趣味はないからな」と声高に主張していたあたり、もしかしたら本当にそういう気があるのかもしれないと思う気持ちはあった。

 お互いアニメやゲームが好きだったので、架空のイケメンを見ては「抱けそう? というか抱きたい? 抱かれたい? どっち?」みたいなバカなやりとりを交わしていた。彼がその手の話にオープンなスタンスだったので、僕も彼をネタとして扱うことはあれど、腫れ物のように扱うことはなかった。

 ネタのひとつとして姉に自称ホモの友人がいるのだと話して、彼の発言一つひとつ──面白そうなところを拾い上げては、笑いに変えた。


 笑いながら、同じ性を愛しているで他人を惹きつけられる彼が羨ましくもあった。


 思えば、案外何でも話しているな──と思った彼と家族の話だけはしたことがないと気付いたのは、高校を卒業したあとのことだった。

「小学五年生の頃、霊が見えると嘘をついていました」

 向かいに座る彼女が云った。

 さて思考に耽る直前、僕は彼女に何と訊いたのだったか。今日も今日とて飽きもせず頼んだカフェオレに口をつけながら思い返す。


 誰かを羨ましいと思ったことはありますか──と。


「当時仲良しだった友人がいたのですが、すごく聡明なだったのです。顔立ちも整っていて、足も速くて、人気だった男の子ともウワサがあって──だから、私は霊が見えるのだと嘘をつきました」

 だからの使い方がおかしいと全力でとぼけてやりたかったが、あいにくと僕にはだからを用いた理由がよくわかってしまったので、なるほど──と云う以外なかった。その気持ちよくわかるよ──という些か気障ったらしい台詞も選択肢としてなくはなかったが、いかにも男が女との心理的距離を詰めるためだけの台詞めいていたので、口にするのは控えた。


 大学に入って間もなく、クラウドソーシングサイトに登録してライターの仕事を始めた。


 理由として、接客業のバイトは自分のパーソナリティから不向きであると早々に判断したこともあるが、純粋に唯一長所と信じて止まぬものを試してみたいという思いがあった。

 小学六年生の頃から小説を書くことが趣味だった分、文章を書く習慣だけは身についていた。進捗がどうあれ、物書きに時間を費やすことは苦ではなかった。そこそこ経験を積んだ末、小説を書くのはどうにも下手くそであると痛感していたが、他人に伝わりやすい──感情を込めた文章を書くことに関してだけは、それなりに自信があった。

 宇宙人や手相、都市伝説などフィクションとしてそれなりに面白いと思う気持ちこそあれ、毛ほども信じていないものをそれらしく書いたこともあった。それしか当てがなかったというより、別段書きたくもないものを書くのが仕事であり、そういう積み重ねがスキルアップに繋がるのだと信じていた。


 もとより望んでいた心理学関係の記事を書く仕事に出会うまで、そう時間はかからなかった。


「前に、貴女は詩を書くのが好きだと云っていましたね?」

 彼女は答えない。答えを考えているというより、言葉の続きを待っているように見える。

 だから、続けた。

「僕は、以前貴女に小説を書くのが昔からの趣味だとお話ししました。だから、何かを創る趣味がある者同士仲良くなれそうだと、そんな距離の詰め方をしましたね。ただ、僕は本音を云うと小説を書くのがそんなに好きではないのです。大学生のとき、ライター業でそれまでずっと書いてみたかった心理学の記事を書いて、初めてお金が振り込まれたとき、僕はもっと幸せな気持ちになれると思っていました。なのに、実際は、ああこんなもんか──といった感じで。それは金額どうこうではなく、多分僕は自分の特長である文章でお金を稼ぐことができたら、それはどんなに幸せなことだろうと過信していたのだと思います。現実に酷く落胆してしまったのです。ライティングでこんな気持ちになるのだから、きっと小説で稼げたとしても似たような気持ちになるのだろうと。それから、避けていた接客業に手を出してみたのですが、ありがとうと云ってもらえることが意外と嬉しかったり、案外長続きしてしまったりして、その度自分の感性があまりに普通過ぎるといやになってしまって」

 僕は、一旦言葉を切った。切らざるを得なかった。


「どうして皆脚光を浴びたら、評価されたら、自分の作品が生計を立てることに繋がったら、それは嬉しいことに違いないという宗教を信じているのでしょう」


 彼女は小首を傾げると、頬にそっと手を当てた。袖口のケミカルレースから華奢な腕時計が覗いている。

「何だか──初恋を思い出すお話ですね」

「はあ」

 我ながら間抜けな返事だが、これでも気持ちは身構えている。こういう話題を振ったときの彼女の返しは概して抽象的と云うか、多分にトリッキーである。

「中学生の頃、好きな男の子がいました。けれど、他の女の子と一緒にデートしているところを偶然見かけてしまって」

「それは──ショックでしたね」

 いいえちっとも、と彼女はニュートラルな面付きでかぶりを振る。


「むしろ、お似合いの二人だなとさえ思えてしまって──。私が殊更寛容であったとか、そういうことではないと思うのです。ただ、初めて失恋した事実よりも初めて失恋した事実が大して痛手でなかったことの方がショックでした。彼を好きだという気持ちはもっとずっと大きくて、かけがえのないものだと思っていましたから」


 ああ──云いたいことはわかる気がする。これしかないと思えるほどに好きだと信じていたものが、実はそんなに好きではなかった。これほど嬉しいことはないと信じて止まなかったものが、いざ体験してみると然して嬉しいものではなかった。


 僕も小説を書くことが、ただただ楽しい時期があった。


 誰かに読んでほしい、構ってほしいという時期があった。それがいまではこれだけの年数をここに注いだのだから、ただ止めあぐねているというか、ゲームは社会人になると同時に卒業してしまったし、他に時間を潰すすべを知らないというか。


兎角とかく──僕はそのとき痛感したのです。小説家になる上で大切なのは、才能でも実力でもなく、まさになのではないかと。だから──と云うべきなのでしょうか、僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツらが憎くて憎くて仕方がありません。書かざるを得ない呪いにかかっているヤツらが羨ましくて仕方がありません。僕は七年近くこれを続けてきたけれど、書かねばならないなどという衝動に駆られたことがない。自分の作品をこっぴどくけなされてカッとなったこともない。だって、僕以上に僕の作品の面白くない点を見つけられるヤツなどこの世には絶対居やしないからだ。僕は、その気になれば──」


 明日にだって筆を折ることができるのに。

 その宣言だけは、弱々しく僕の膝元に落ちた。そこにある握り拳を見つめる。思えば、僕の人生はあちこちで行く当てのない握り拳を作ってばかりの気もする。

 似たようなものかもしれません──という彼女の声が聞こえた。

「私が詩を書き始めたのも、そういう理由だったかもしれません。書きたかったからというより、少しでも他の人たちとは違う私でありたかった、幽霊が見えるという嘘の延長に過ぎなかったのかもしれません。結局、私たちみたいな人間は周りから君ってちょっと変わってるねと云われたくて、その他大勢とは違うと認めてほしくて何かを創り始めたまま、今日まで至ってしまったのかもしれませんね」

 アルビノの彼女が羨ましかった。

 同性愛者の彼が羨ましかった。


 僕が、今羨ましいと思っているのは──。


 小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツだろうか。書かざるを得ないという呪いに縛られた誰かだろうか。

 心の中で、首を捻る。どうにも──違う感じがする。

「ただ──明日にでも筆を折れるというのはどうでしょう。明日もきっと何かしらは書いているのではないでしょうか。才能がない。成果を褒められても、お金になっても素直に嬉しいと思えない。でも、そんな自分が嫌いじゃない。むしろ大好きなんでしょ。だったら、明日も何かしらは書いてますよ。性懲りもなく」

 ところで──と彼女が人差し指を立てる。

 僕は、まだ彼女が並べた言葉の数々を精査し切れていないというのに。

「私が投稿した詩についこの前初めて感想をもらったのですが──というお話はしましたっけ?」

「──いいや」

 あまりにも話が変わり過ぎてはいやしないかと、必要以上にかぶりを振ってしまった僕がよほど滑稽こっけいだったのか、彼女は唇に笑みを忍ばせる。

「それは──良かったですね。どう返信したんです?」

「返信はしていません。というよりするつもりはありません。いただいた感想自体は私の作品を多分に褒めてくださる嬉しいお言葉ばかりだったのですが」

 彼女が、ハーブティーにそっと口をつけた。カップをソーサーに休めて、窓の外にゆるりとまなこをむけて、幽かな吐息を交えてこう云った。


「何だか読みが浅かったので」


 だから、返信するまでもないかな──と。

 彼女の視界の端には、きっと呆けた顔の僕が映っている。その行いをさてどう評したものか、素直な意見を述べてよいものか迷っているうち、視線がぶつかった。見慣れた、からかうような眼差しだった。


 君というひとは、よく目だけで心のうちをあらわにする。


「物書きってそういう感じでいいと思うんですけどね」

 目線は、再び窓の外へと向いてしまう。

 僕が今──羨ましいと思っているのは。

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僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツが憎くて憎くて仕方がない 姫乃 只紫 @murasakikohaku75

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