第32話 君のままで

 第一層、エアロック横の事務室は、以前来た時と何ら変わった様子は無かった。

 アーコロジー・ピラミーダに最初に入ったとき、トイレを借りようとして入った部屋だ。


「レオンシオ。これを見て」


 タローはベッドに被せられた毛布を取り除く。

 そこには、依然として男性型アンドロイドの部品が並んでいた。

 レオンシオは机の上に置かれた頭部に気付いたのか、持ち上げて覗き込んでいる。

 陽電子頭脳はやはり空だ。


「こいつ、組み立てられそう?」


「そうだな。組み立てるくらいは何とかなるだろう。カイザーの脳を入れて動くかどうかはわからんが。でもまあ、こういうのは規格品だしな」


「じゃ、お願い」


 レオンシオは長いもみあげを耳に掛けた。


「アフターサービス、ってやつか。ま、できる範囲はやってやるさ。料金内でな」


 台車に部品を積み込み、街へ戻る。

 人々は今も変わらず、忙しそうに行き来していた。

 あんな戦いがあった事も知らず、朝になれば起き、合成食品で腹を満たし、仕事をして、帰って寝る。

 どこの世界であっても、誰であっても、どんな状況でもそれは変わらないようだ。

 十人の元老院議員が失われてもなお。

 いまだ修理の目処が立たないガレージに着くと、脚を半分以上失ったイソポーダ号はまだそのままだ。

 修理に必要な部品が届くまで、手の付けようがないらしい。


「お帰りなさい」


 タチアナが作業服姿で出迎えた。

 マイヤーの事務所は治安警察の強制捜査を受け、幹部全員が逮捕されたという。

 逮捕された幹部の中には、タチアナを虐めていた上司もいたらしい。

 行き場をなくしたタチアナは、とりあえずセリーヌたちのアジトに身を寄せている。

 作業台の上には、カイザーのバケツのような頭が乗せられていた。


「上手くいくといいけど……」


「その時は……その時よ」


 タチアナはイケメンの頭部を興味深そうにのぞき込んだ、


「なかなかハンサムじゃない。あたし好みよ」


「本人は美少女になりたかったみたいだけどね」


「ふふっ。本人の希望を叶えられなくて残念だわ」


 初めてタチアナの笑顔を見た気がした。こうしてみると、けっこう美人なのだ。

 タローは思わず頬を赤くした。

 いつかの下着姿を思い出しながら、ふと気付く。


「ま、待ってよタチアナ。そ、それって女の子同士がよかったってこと!? ぼ、ぼくはまだ十五だよ! 怒られちゃう!」


「はあ? 何の話よ。……ってタロー、あなた鼻血出てるわ!」


 タチアナに詰め物をしてもらうと、程なくして鼻血は止まった。

 横になって休んでいると、台所から油の弾ける音と香ばしい匂いが漂ってくる。

 タローの腹が、ぐう、となる。


「もうすぐご飯ができるわ。今、セリーヌが――」


「熱っっつーいっ!」


 タチアナの言葉は途中で途切れ、セリーヌの絶叫が響いた。


「やれやれだぜ。またかよ」


 筋トレをしていたヨーゼフがバーベルをフックに掛け、救急箱を持って台所へ向かった。

 タローも続くと、セリーヌが涙目になりながら水道の水に手を浸していた。

 アビゲイルは頭を抱え、尻餅をついている。


「あああ……この私としたことが! よりによって第一条を侵すなんて! お料理くらい私がやりますのに」


「お黙り! アタシだってねぇ、料理の一つや二つできるさ! こんなん怪我のうちに入らないよっ!」


「ならいいです」


「いいのかい!?」


 二人でコロッケを揚げていたようだ。

 笑い事ではないが、思わず吹き出してしまう。


「セリーヌ、エプロンすっごく似合ってるね!」


「生意気言うんじゃないよ、このスケベガキ! ……おー熱い」


 そんなに熱いのか、顔まで真っ赤だ。

 タローは冷蔵庫を開けると、クロレラのジュースを取り出す。

 ソフィアと一緒に飲んだ飲み物を思い出した。


「……十五年前の異変……かぁ」


 統治用電子頭脳――ソフィアは狂ってなどいなかった。

 外の環境が五百年の間に回復した事を知っており、人類に外の世界への移住を促そうとしていたのだ。

 理由は、ピラミーダの老朽化だった。

 熱が籠もる上層からだんだんと植物に侵食され、根が徐々に躯体を砕き始めていたのだ。

 このままでは、二百年も持たずにピラミーダは崩落する。

 そのために十五年前、ソフィアは環境を意図的に悪化させ、人々の脱出を促したのだ。

 しかし、結果として大規模な暴動が起こってしまった。

 人間の心理はあまりにも不確定要素が多く、ソフィアの力を持ってしても読み切れなかったのだ。

 それどころか脱出した人々も生活に困窮し、多くが戻ってきてしまう。

 ピラミーダは人が生きるのに、非常に居心地のよい世界だったのだ。

 しかし世界は動いている。ゆりかごのような箱庭などお構いなしに。


「まだ、迷ってんのかい?」


 右手をヨーゼフに差し出し、包帯を巻かれながらセリーヌが言った。


「そりゃあ、迷うよ。だって、ぼくはまだ――」


「昔っから小狡い大人は、改革の旗印に子供を使ったものさ。でもま、利用されるのも悪くないんじゃないかい?」


「どうして?」


「また廃墟の街で暮らしたい? たしかに、アビゲイルがいりゃあ寂しくはないだろうさ。でも、それだけさ。それだけなんだよ。いつかアンタが死ねば、そこで全てがお終いさ。アンタの自由だ、別にいいけどねぇ。でも、ちょっとばかり薄情じゃないかい? 袖振り合うも多生の縁、って言うじゃないか」


「うん……そうだけど……」


「アタシはアンタの事、嫌いじゃないよ」


 ソフィアはタローに、外の世界への段階的な移住を人々に促す説得をして欲しい、と頼んできた。

 ピラミーダの人口は十万人。

 大人もいれば、子供もいる。

 元老院の言う事も聞かない人たちが、タローの話を聞いてくれるだろうか。

 それどころではない。

 いずれは他のアーコロジーとの折衝もして欲しいという。

 こちらの方がより大きな問題だった。

 タローが俯いていると、テーブルにコトンと音を立ててコロッケが載せられた。

 アビゲイルが笑顔を向けてれる。


「結論を急ぐ必要はありませんよ。ねえ、タローさま。覚えていますか? タローさまが生まれて九ヶ月と十二日目の事なんですが」


「お、覚えてるわけないじゃないか!」


 タローの顔はみるみる赤くなった。覚えてもいない子供の頃の話をされるのは恥ずかしいものだ。


「そうですか? ほんの十五年前ですけど」


「大昔だよ!」


 一瞬、沈黙が周囲を支配する。

 セリーヌはため息をつき、力なく笑った。


「大昔……ねぇ。最近、時の流れが早いのよねぇ……」


 全員の視線が集中するが、言葉を掛けられる者は誰も居ない。

 食堂に入ろうとしていたレオンシオとタチアナが足を止めたが、タローはそれを知らなかった。

 アビゲイルは背筋を正し、その件には触れずに話を続けた。

 ロボットは空気を読むという事が無い。


「私、人間らしくなったほうがいいかタローさまに聞いたんです。そうしたら、タローさまは泣き出しました。あの時タローさまは、きっとこうおっしゃったのです。無理に人間らしくしなくてもいい、と」


「そう……だね。覚えてないけど、ぼくは今でもそう思う。アビゲイルはアビゲイルだ」


 少し格好を付けすぎただろうか。

 ヨーゼフは口笛を吹き、セリーヌは扇子を取り出して仰ぎ始めた。

 タローの顔はますます赤くなり、アビゲイルは満面の笑みを浮かべていた。

 こんなに嬉しそうなのは、ずいぶんと久しぶりだ。

 しかし、アビゲイルには嬉しいという感情は無いだろう。

 それはあくまでもタローの主観でそう見えるだけだ。

 アンドロイドは決して人間に危害を加えず、裏切ることもない。

 すなわちアンドロイドの浮かべる表情は人間の心を写す鏡にすぎない。

 根本的に精神構造が人間のそれとは全く異なる、異質の知性なのだ。

 しかしタローにとって残念なことに、多くの人間は誤解を続けている。

 すなわち、人間に似た姿をするアンドロイドに対し、無意識のうちに人間性を求めてしまう。

 それがマイヤーの悲劇を生んだ遠因なのだ。

 あるいは逆にカイザーに対したように、無機質な機械としての振る舞いを求めるのも同様の間違いだ。

 ロボットにはロボットなりの心があり、人間には理解できない。

 ロボットやアンドロイドに対し擬人化もモノ扱いもせず、異質の知性をありのまま受け入れられる人間は、おそらくアビゲイルに育てられたタローだけだろう。

 マイヤーだけでなく、セリーヌたちやタチアナですら理解していないようだ。

 しかしタローはそれを指摘するつもりは無かった。

 同じ種族の人間同士ですら、相手の感情や考えを完全に理解する事はできない事がわかったからだ。

 だから、ありのままでいいし、ありのままで生きていくしかない。

 他人に対してもまた、ありのままを受け入れるしかない。

 これから先も人間と関わっていくのであれば。

 そして、それでもそれは新たな諍いを生み出し続けるだろう。

 そう考えると、少しタローは不安になった。

 しかし、アビゲイルが優しい――タローにはそう感じられる――口調で語りかけた。


「さあ、冷めないうちにお召し上がりくださいな。どんな道を選ぼうとも、私はタローさまとずっとず~っと一緒ですからね。決して裏切ったりはしませんし、どんな事にも従います。私の、最高のあるじ」


 コロッケは、とても美味しそうな匂いだった。

 母がアビゲイルに教えたレシピそのままの、少し歪な形。

 レオンシオとタチアナも食堂に入り、席に着いた。

 気の早いヨーゼフは、すでにかじりついている。

 他のみんなも食べ始めると、美味い美味いと言っている。

 気に入ってくれたらしい。

 セリーヌ。

 ヨーゼフ。

 レオンシオ。

 タチアナ。

 彼らとなら、あるいはきっと。

 それにアビゲイルだっている。

 ついでにカイザーも復活するかもしれない。

 もしかしたら、できるかもしれない。


「冷めちゃいますよ」


 でも、今は。


「うん。いただきまーす」


 サクリ。大好きなコロッケの味だ。

 

(了)

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箱庭のアーコロジー ―ぼくを赤ん坊から育てた美少女型アンドロイドがさらわれたので助けに行く― おこばち妙見 @otr2000

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