第3話 傷心

『それからどうなさったんです?』俺は彼がほっと大きく息を吐き、肩を震わせて告白を止めたのを見計らって訊ねた。


『まだ定年前だったんですがね。勤めていた建設会社を退職しました。それから四年ほどは何もする気が起きませんでね。家に閉じこもって、時々元の会社の下請けのような仕事をしていたんです』


 息子二人は、両親の破局を知り、驚いたり、腹を立てたりした。

”父さん、もうそんな母さん、許してやる必要なんかないよ”

”あんなに優しくしてあげてたのに裏切るなんて最低だ!”


 異口同音にそう言った。


 始めは正一も腹を立てていた。

 許せないとも思った。

 だが、時間が経つうちに、

”俺にも問題があったのかもしれん”そう考えるようになったという。


 彼女と親しかった職場の同僚に訊ねたところ、どうやら二人の仲は、柴田が入社してからずっと続いていたらしく、最初にモーションをかけたのは、当然柴田の方で、直ぐに男女の関係になったのが分かった。


『間抜けですよね。まったく。妻に嫌われたくなかったために、半分気付いていながら、何もしなかったんですから』

 正一は半ば自嘲気味にそう言った。


 その後、彼はやっと一時期の深い絶望から立ち直り、息子や友人たちの助力を得て、現在の事務所を立ち上げ、今に至っているという。


『で?私に何を依頼したいんです。私は探偵です。料金を払って頂ければ、大抵の仕事はやってのけますが、しかし夫婦間のトラブルに関しては原則として引き受けないことにしているんですがね』


 俺はわざと冷淡な口調で答えた。


 正直、嫌だった。

 こういうのは、俺の最も苦手とするところである。

『いえ、彼女との仲を取り持って欲しいとか、そんなことを申し上げているんじゃないんです。この老人ホームに彼女を訪ねて、様子を確認して来て欲しいんです。私が行けばそれでいいんですけどね。でも、それだけの勇気がないんです。情けないとお思いでしょうけど・・・・』


 俺は腕を組み、ため息をついた。


”折角だが断る”

 そういうのは簡単だったが、俺は何故かそうは言わなかった。

(自分でも良く分らん)


『分かりました』

 俺はそう答え、腕組みを解き、シナモンスティックを咥えた。


『料金は基本一日六万円、他に必要経費です。あと、万が一拳銃などの武器が必要な場合は、先にそう仰ってください。別途危険手当として一日四万円の割増しとします。それから、私はご依頼を受けた以外の事・・・・例えば復縁の仲立ちをするとか、そう言ったことは一切関知しません。納得が出来ましたら、この契約書にサインと捺印をお願いします』


 俺はスティックを齧り、契約書を彼の前に置いた。


 彼は軽く眺めただけで、直ぐにサインをして、俺に手渡した。


『何分よろしくお願いします』俺が立ち上がると、深々と最敬礼をした。




 〇〇市は、富山県の県庁所在地である富山市から、私鉄で1時間ほどいったところにある、海沿いの都市だった。


 市とはいうが、実際は町が少し大きくなった程度で、昇格したのもつい最近のことだという。


 川田正一氏の元に届けられたあの手紙には、本村幸子の直筆の手紙と共に、施設のケアマネージャーが書いたという事務的な書類が一枚入っていた。

”本村幸子様はアルツハイマー型認知症を患い、二年前から当施設に入所しておられます。

 貴方の住所は本村様の所有物にありましたので、ご連絡差し上げた次第です。


 本来ならば、まず目的の施設を訪ねるべきだったのだが、その前に少し寄り道をしてみたくなった。


”家具のシバタ”について訊ねてみると、誰でも知っていた。


 何でも創業百年を誇る老舗しにせで、本店の他、市内だけでも支店が二店舗、県内一体を含めると五店舗以上はあるという。


 俺は早速、市の中心部にあった、豪壮な自社ビルを訪ねてみた。


 地上七階のそのビルは、辺りを睥睨するかのように、威容を誇っていた。


『この会社の社長・・・・いや、専務かもしれん。柴田陵氏に会いたいんだが』


 受付の女性は俺の提示した認可証ライセンスとバッジを見せると、胡散臭そうな目つきをして、館内電話でどこかに掛けていたが、


『専務ですね。専務は今外出中で、いつ戻るか分かりません』という。


 なるほど、思った通りだ。


『じゃ、また来ます。どうしても会ってお話がしたいんでね』

 それだけ言って玄関を出た。


 階段を降り切ったところで、後ろから声がかかった。


『おい、兄ちゃん』


 振り返ってみると、そこには目つきの悪い男が三人、イカにもという服装をしてこっちを睨んでいた。


『ちょっと顔を貸して貰おうじゃないか』


『やだ、といったら?』


『それでも来てもらう』


 俺はわざと肩をすくめるような動作をして、三人につき合ってビルの裏手に回った。


 そこはどうやら、家具を運んでくるためのトラックが数台停まっている駐車場で、どの車にも全て『シバタ』のロゴが入っている。


『どこの何もんに頼まれたか知らんが、怪我をしないうちにさっさと帰りな』


『断る』


『何?!』一番目つきの悪い奴が鋭い声を上げる。


『俺は探偵だ。仕事が終わるまで帰らない。それだけのゼニがかかってるんでね』


『野郎!』


 三人は一斉に懐に吞んでいた道具を抜いて突っかかってきた。


 数分後、いや、正確には3分と少しだ。俺は通りでタクシーを拾い、拳を撫でていた。


 え?あいつらはどうしたって?いう必要はなかろう?

 あんなのをするのは朝飯前だ。


 俺は連中から聞き出した(どうやって聞き出したかは企業秘密ってやつだ)柴田専務の家に向かってタクシーを急がせていた。


 そこは市内でも有数の高級住宅街・・・・とはいっても、一番デカいのはその家だからすぐに分かった。


 玄関の呼び鈴を押すと、下ぶくれのエプロンをした若い家政婦が出てきた。


『柴田専務は御在宅ですか?私は探偵の乾と申します』俺がそう言って認可証とバッジをみせると、彼女は『しばらくお待ちください』と訝し気な声で言い、奥に引っ込んだ。


 次に出てきたのは、30歳くらいの、クリーム色のワンピースを着た女性だった。顔の全部がとがっていて、まるで出来損ないのお稲荷さんの狐のような顔をしている。

『私が柴田陵の家内ですが、貴方は?』あからさまにこちらを見下しているのが分かる声を出す。


『御主人に用があってお邪魔したんです。私立探偵の乾と申します。』


『主人は現在外出中でいつ戻るか分かりませんの。』

『はあ、そうですか。ではまた参ります。』

『何度来られても無駄ですわ。主人は面識のない方とはお会いしませんから』

『いえ、また来ます。それじゃ』


 俺はそう言い置いて、その場を去った。



 俺が次にタクシーを走らせたのは、市の西の端、海を見下ろす小高い丘の上にある、


『医療福祉法人・育寿会・特別養護老人ホーム、陽光の里』だった。

 

 入口の受付で、川田正一氏に頼まれてきたといい、川田氏に書いて貰った紹介状を出すと、事務長と称する人が出てきて、初めは四角四面に、

”家族でなければ会わせることは出来ない”と突っぱねていたが、押し問答をしていると、ケアマネージャーの田中という人物が出てきた。


 こちらは事務長より話が分かる。


 俺の言葉を聞くと、


『分かりました。どうぞこちらへ』と、エレベーターで二階へと案内してくれた。


 特別養護老人ホームというのは、まあ、簡単に言えば、

”認知症などがあって、家族の介護が不可能な65歳以上の老人”が収容されている施設だ。


 ケアマネージャー氏の話によれば、彼女は手紙に書いた通り、二年前からこの施設にいるという。


 今のところはまだ重症ではないようだが、それでも一人で生活するには困難であるということで、ここにいる。

『しかし、こんな高級な施設に入るには、かなりの費用が必要だったんじゃないですか?』それを聞くと、彼は少しばかり答えにくそうにしていたが、


『彼女、かなり稼いでましたしね。ご自分の手持ちの財産と、後は・・・・』そこでまた口ごもる。


『後は?』俺が促すと、


『株式会社シバタ家具、ご存知でしょう?あそこの専務さんが出して下さったんです』

 俺は何気なく、廊下に置かれてあったベンチ式の椅子を見やった。そこには”シバタ”のロゴが入っている。

 館内はかなり明るい造りで、中庭を挟んでロの字型になっており、右手側に2人部屋と四人部屋が、それぞれ十室配置されていた。

『本村さんは食堂の方におられます。今はレクリエーションの時間ですから』

 ケアマネ氏は腕時計を眺めながら答えた。


 廊下の突き当りをまっすぐいったところ、そこが食堂で、かなり広い。


 椅子とテーブルが幾つか配置され、その中で老人たちが介護職員の指導で何か体操を行っていた。


『あれが本村さんです』


 彼が指さした先、窓際の一番日当たりのいい場所に、”彼女”はいた。


 彼女は体操をしているグループから外れ、たった一人で椅子に腰かけ、窓の外を見ていた。


 えんじ色のセーターに、紺色のズボン、髪は栗色と白髪が混じっている・・・・いや、正確には白髪の中に栗色が混じっているというべきなんだろう。

 首のすぐ後ろで束ねてある。顔立ちは心持ち卵型で、皺が多くないから、年齢(六十七歳)の割には若く見えるようだ。


 俺達が近づき、ケアマネ氏が『幸子さん、調子はいかがですか?』そう訊ねたものの、反応らしい反応は示さない。


 じっと窓の外を見つめたままだ。

 目は大きく見開いていて、一見そんな病気には見えないが、どこか瞳の中心が何となく濁っているような、焦点があわないといったような、そんな感じだ。

顔全体にも表情が全くなく、能面のような印象を受けた。

 何気なく手元を見ると、彼女はフレームに入れた写真を持っていた。


 男性と彼女、そして小学生と中学生ぐらいの子供が二人写っていた。

『幸子さん、今日はお客さんをお連れしたんですが』

『お客さん・・・・?』

 こちらに顔を向けて、俺を見上げた途端、彼女の顔がひきつったようになり

『太郎・・・・?太郎なの・・・・?ごめんなさい・・・・お母さんを許して』そうして大声で叫び、椅子から立ち上がって身体を震わせた。


『幸子さん、この方は太郎さんじゃありませんよ。乾さんといってね・・・・』


 ケアマネ氏が慌てて中に割って入る。

 幸子はなかなか落ち着かなかったが、ケアマネ氏と若い介護士が落ち着いて説得をすると、ようやく肩を落とし、また元のように椅子に掛けた。


『済みません。太郎さんっていうのは、幸子さんのご長男の名前らしいんです。若い男性を見ると、何時もこうなるんです。』

 言い忘れていたが、彼女の息子、長男の太郎は元夫である正一に似ていて丸顔、そして背は低い、面長で175はある俺とは似ても似つかぬ顔立ちに体型だった。


 もっとも、入所したばかりの頃は”凌さん、あなた”でしたけどねと、彼は付け加えた。



 事務所に戻ると、彼はそこで”細かいことは守秘義務がありますので”と濁しながらも、彼女が入所した経緯を話してくれた。


 彼女は元々シバタ家具の社員で、どうやらもともと家具に関しては一通り以上の知識があったとみえ、入社間もなく売り場主任に抜擢され、その後重役秘書になったのだという。


 しかし今から二年ほど前から”兆候”が出始め、アルツハイマー型認知症の診断を受け、ここに来たという。

『入所その他の手続きをして下さったのは、すべて柴田陵さん、つまりはシバタ家具の専務さんなんですよ』


 なるほど、俺は心の中で小さく呟いた。







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