「ただいまー」

 玄関が開く音と共に、美代が帰宅する。見覚えのない男物のスニーカーに、彼女は首をかしげる。

 京が少し気まずそうにリビングから顔を出した。

「お袋、お帰り…その」

「こんにはー!」

 その後ろからひょっこりと顔を出したはじめて見る顔の男子生徒に、彼女は目を瞬かせた。

「…ダチだ」

 その言葉に、杉浦はにっこりと嬉しそうに笑う。

「お邪魔してます!」

 美代はぽかんと口を開けて買い物袋を落とす。そしてとても嬉しそうな顔で両の手のひらを合わせた。

「あらあらまぁまぁ!お名前は?」

「杉浦俊っす」

(下の名前俊しゅんっていうのか…)

 これまたはじめて知った京である。

「俊くん、お夕飯食べた行ってちょうだい。旦那も喜ぶわ〜」

 気分良く鼻歌を歌いながら買い物袋を持ち上げて、彼女はリビングを通って台所に行く。

「マジっすか。ごちになります!」

「………」

 京は黙ったまま小さくため息をついたのだった。



 崇が帰宅すると、妙に豪勢な食事がテーブルにあり、それを息子と見知らぬ男子生徒が囲って座っていた。妻である美代はご機嫌だ。

「…ただいま」

 とりあえず、それだけ言ってみる。京が振り向いた。

「お帰り親父。こいつ、ダチの杉浦だ」

 困惑している様子の父親に苦笑しながら、京は杉浦を指さした。

「お邪魔してます。杉浦俊っていいます」

「…日曜じゃ、なかったのか」

「色々あって…」

 京が少し気まずそうに目を逸らした。それに軽くため息をついて、彼はネクタイを緩めた。

「まぁいい。俊くん、ゆっくりしていけ」

「あざーす!」

 ぺこりと頭を下げる杉浦と父親のやりとりに、京はほっと胸を撫で下ろした。


 夕飯を食べ終え、美代に見送られながら京と杉浦は家は出た。

「悪いな、送ってもらって…別に俺男だし、平気なんだけど」

「気にすんな。今回は迷惑をかけたし、夜道は危険だ」

 道中歩きながら、二人は笑った。

「それに、杉浦の実家のケーキ屋も興味ある」

「お、なんか買ってくか?」

「残念ながら財布を持ってきてねぇから無理だな。また今度」

「おー、待ってる」

 笑って、杉浦は空を仰いだ。

「お前、月が綺麗ですねって知ってる?」

 唐突な問いかけに、彼は首をかしげて緩く頭を振った。聞いたことはあると思うが。

「これさ、夏目漱石がアイラブユーを翻訳したんだって。つまり、これはあなたを愛していますって意味になるらしい」

 著名な文学者の名前が出て、京は苦々しい顔をした。

「…現代文は苦手だ」

「あ、そうなん?そういや、昨日数学の時間もさされた時、問題サラッと解いてたよな〜。あれかっこよかったわ」

 うんうんとうなずく杉浦に、京は小さく笑った。

「数学は好きだ…理系なら、大体できる」

「文系は?」

「…歴史が得意だ」

「他は?」

 楽しそうに自分を覗き込んでくる杉浦に、京は目を逸らしてため息をついた。

「…他は苦手だ」

「ほぉう〜?」

 ニヨニヨと君の悪い笑みを浮かべる杉浦に、むっと顔をしかめる。

「お前はどうなんだ」

「俺はどっちも満遍なく得意だぜ〜?あ、化学はちょっと苦手かも」

 ドヤ顔の後に若干長い顔をして、彼は頬をかいた。

「…テスト前、一緒に勉強するか」

「お、しよしよ!鈴木も誘ってな!」

 こくりとうなずいて、京は心の中でガッツポーズをした。一時はどうなることかと思ったが、無事に夢に描いた青春を送れそうだ。

 先ほど杉浦がしていたように、京は空を見上げる。月が、綺麗だった。

「…あのさ」

 杉浦がすこし真面目な顔をした。

「鈴木たちには、昨日のこととか諸々内緒にした方がいいよな?」

 それに、京は少し迷った末にうなずく。できれば、まだ隠しておきたかった。鈴木たちのことを信じていないわけではないが、あまり露見させるようなことでもないだろう。

「わかった。俺もなんかあったときは協力するわ」

「サンキュ」

 少し困ったように笑った京に、杉浦はうなずいた。

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