第44話 化かしあい

「敵襲だ、急げっ!」


 殺気だった数人の男達が慌ただしく駆けていく。

 その様子を見送ったシシリアは、大きく息を吐き出した。


「どうしたものかと考えあぐねていましたが」

 

 どうやらさっきの者達で見張りも出払ったようだ。

 喧騒が遠ざかると、周囲はたちまち静けさに満たされた。

 

「敵襲? ……フリードでしょうか? それなら任せても大丈夫でしょうから、今の内に。っと、あそこは……備蓄倉庫? そんな感じですね」


 こんな場所には似付かわしくない、小奇麗に整理された部屋が目に入った。

 備え付けられた棚には、琥珀色の液体で満たされた小瓶が並べられている。

 向かいの棚には、薬包紙によって分包された麻薬が箱詰めされていた。


「富裕層には媚薬として、貧困層には麻薬として売られている、と」


 シシリアは、手に取っていた薬包紙を憎らしげに箱へと戻すと、見張りの男達が駆けて行った先へと足を向けた。

 

 

 ☆ 



「くそっ、ゴリアスてめえ、なんで生きてやがるっ! どうしてここがわかったんだぁ!」

 

 男が癇癪かんしゃくを起こしたかのように喚き散らした。


「それは儂の台詞セリフだ、ファブレガスよ」


 ゴリアスはハルバードの鉾先を向けて男を睨み付ける。


 その男、ファブレガスはつい先刻まで美酒に酔いしれていた。積年の胸のつかえが下りた祝いにと、秘蔵の酒まで持ち出して。

 そこへ、まさに寝耳に水、ゴリアス来襲の一報が飛び込んできた。


「悪い夢なら醒めてくれ」と足早に向かった先で、それこそ悪夢としか言いようのない現実を突き付けられる。

 意気揚々と得物を手に仁王立ちしていたのは、酒の肴と成り果てた筈のゴリアスその人。

 周りには、死屍累々といった有り様で手下達が転がっていた。

 

 どういう事だ? 妖精どもとやり合って、ただで済む筈がない。なのに、怪我をしている様子もねぇだと?


 ファブレガスは今更ながら失敗を悟る。

 手負いのゴリアスなら仕留められる、などと下手な希望を抱いて、のこのこと姿を現してしまった。

 さっさと抜け穴から逃げるべきだったのだ。


 ファブレガスは、今し方通って来たばかりの背後にある通路を意識する。

 その時の視線の僅かな動きから、機微を察したゴリアスが鋭い眼光でファブレガスを縫い付けた。

 ファブレガスのこめかみを冷たい汗が伝う。

 

 実力で金等級まで上り詰め、腕っぷしには自信のあるファブレガスも、流石に今回は分が悪い。

 馬鹿正直に一対一サシでやり合っては勝ち目のない、化け物ゴリアスが相手なのだから。


 捕まれば一巻の終わり、なら使うしかねぇ。


 ゴリアスと視線を合わせたままゆっくりと腰袋に手を伸ばし、小瓶を取り出したファブレガス。

 中身を一息に飲み干した。

 怪訝そうに眺めるゴリアスの前で変化はすぐに現れた。


 ファブレガスの口から獣じみた唸り声が洩れ出す。

 筋肉が隆々と膨張し、顔や体に浮き上がった血管がうごめくように脈打っている。

 大量の汗が噴き出し、荒い呼吸を繰り返していたファブレガスの血走った目が――ぐるんと白目を剝いた。

 その瞬間、ゴリアスは総毛立つ感覚に突き動かされていた。

 

 肩口を狙って繰り出した刺突は躱され、大気を穿つ。

 そこへ、無防備に晒したゴリアスの顔面めがけて、ファブレガスの拳が唸りを上げる。

 石突を振り上げて迎撃するゴリアス。

「入る」そう思われた一撃は、ファブレガスの有り得ない急制動とバックステップに空振りに終わってしまう。


「……ファブレガス、おぬし、一体何を飲んだ?」


 視線の動きが読めない真っ赤に染まった瞳、短い呼吸を繰り返す口端から涎を垂らす姿は、変異種の魔物そのもの。

 言葉が届いているかもあやしい。


 それから始まったファブレガスの常軌を逸した攻撃に、ゴリアスは防戦一方に追い込まれる。

 正確に言えば、先の巨人戦と同じく防御に徹していたのだが。

 言葉にすれば同じだが、方向性は全く正反対の戦い。

 時間を稼ぐ為に己の力が尽きるまでの戦いと、相手の限界が訪れるまで時間を稼ぐだけの戦い。

 結末は、呆気ないほど早く訪れた。


 負荷を無視した命令に悲鳴を上げ、千切れゆく筋肉、外れる関節。

 痛みを感じない為に繰り返される自傷行為は、すぐにファブレガスの動きを止めた。


「魔物と違って脆弱な人間の体で、そんな動きをして長く持つ訳あるまいて」


 ゴリアスは、地面に這いつくばったファブレガスを見下ろす。

 薬の効能が切れたファブレガスは、体を持ち上げるのもきつそうだ。


「もう観念せい、ファブレガス」


「がはっ、ふぅ、ふぅ、くそったれぇ、……?! あの野郎……何してやがる」


「ベッケンの事か? あやつが来た所で何も変わらんぞ?」


「……ふっ、そうでもない。こっちにはなぁ……人質がいるんだよ、お嬢ちゃんがなっ」


「シシリアか? ベッケンの奴、無事なら良いのぉ」


「はぁ、はぁ、どういう……意味だ?」


 ファブレガスの言った「あの野郎」とは異なる、ゴリアスの口から出た男の名前。

 洩れ出そうになる笑みをファブレガスはこらえる。

 その瞳は、ゴリアスの背後の通路に現れた――フリードを捉えていた。

 状況を窺うその男フリードに、ゴリアスが気付いている様子は全くない。


 油断している今なら確実にやれる。俺が隙を作って、そこにあいつが魔法を撃ち込めば……死ぬのはお前だ、化け物爺め。


 苦痛に顔を歪めながら立ち上がったファブレガスが、腰裏に備えたダガーを抜いた。

 ゴリアスも「やむ無し」と、一つ息を吐いて得物を構えた。


「ぉぉぉおおおおおおっ」


 ファブレガスの振り絞った咆哮を合図にするかのように、目論見通りフリードが魔法陣を展開する。

 自分達の勝利を確信したファブレガスは、ゴリアスの顔へとダガーを投擲した。

 咄嗟に仰け反ってダガーを避けたゴリアスは、唯一の武器をあっさり手放すという予想外の攻撃に、少なくない隙を晒してしまう。

 それと同時に響く声。


「叔父様っ!!」

 

 ファブレガスも全く気付いていなかった。

 自分の背後の通路に身を潜めていたシシリアに。


「なんでお前がっ、ベッケンはどうした!?」


 ファブレガスこそ油断していた。

 普段なら絶対に有り得ない、目の前の敵から視線を切るという愚行を犯してしまう。


「がっ?! ぁぁあああああああっ!!!!!!!」


 ファブレガスの体を衝撃が走り抜けた。身も内臓も焼かれ、血が蒸発するような一撃。

 電撃の魔法を浴びた体から幾筋もの白煙が上がる。

 力なく膝をつき、どさりと前のめりに倒れこんだ。


「威力は抑えましたが、二日はまともに動けないでしょう。お嬢様、良い援護射撃でしたよ」


 魔法を放ったフリードが、満足そうに言いながらゴリアスに歩み寄る。


「お、おま……う、うぁぎ……ぁあ……」


「おやおや、あれを受けて意識があるとは。腐っても金等級、ですね」


 聞き取れない言葉を最後に、ぴくりともしなくなったファブレガスを見下ろすフリード。

 完全に意識が失われているのを確認すると、視線をゴリアスに移した。


「ゴリアス様、あの状況からよくぞご無事で。もしかしたらとお迎えに向かったのですが、行き違いになってしまったようですね」


「ふん、最後の美味しい所を持っていきよってからに」


「まぁまぁ、そこは効率良くって事で。それにしても、この場所もよく見つけられましたね?」


「儂の鼻は特別じゃ、可愛いシシリアに関してのみな。鼻と言えば、ベッケンはどうした?」


 ゴリアスは、おどけるようにシシリアにウインクをして見せる。

 そのハルバードが纏う白銀の光を見て、シシリアも意味ありげな笑みを返した。


「そういう事ですか。ベッケンなら奥の部屋で寝ていますよ。暫くは目も覚めないと思いますけど」


「……シシリアお嬢様。私は確か、しっかりと体を休めておいて下さい、とお願いしたと思ったのですが?」


 二人だけに通じるやり取りをするゴリアスとシシリアに、要領を得ないフリードは少しだけ不機嫌そうに言及した。


「まぁまぁ、そこは効率良くって事で。この奥で麻薬の精製を。出稼ぎと偽って集められたシトネ村の住民が従事させられていました。それと、【明けの明星】のミリアさんの生存も確認しています」


 自分を真似て誤魔化されては、それ以上の追求も難しい。それに加えて十分な報告までされてしまえば、フリードもお手上げであった。


「ミリアの生存は喜ばしいが、大麻草の栽培だけでなく麻薬の精製までとなると……頭が痛くなるな」


「後はお父様にお任せするしか。それよりも一旦引き揚げて、ここの処理部隊を送る手筈を整えては?」


 ある程度予想していたとはいえ、さしものゴリアスも眉間の皺を深くせずにはいられなかった。

 対してシシリアは、自分達の仕事はここまでと、割り切って提案をする。実際、出来る事は何もないのだから。


「では私が残って、罪人どもの処置と簡単に下調べを行っておきましょう」


 そう申し出たフリードを見て、ゴリアスは踏ん切りをつける為か、一つ息を吐き出した。


「そうだな。死んでいる奴はいないと思うが、拘束してから最低限の治療をしてやれ」


「かしこまりました」


 フリードは拘束する為の道具を探しに奥へと姿を消す。

 二人はその後ろ姿が見えなくなるまで目で追っていた。


「尻尾を出さなんだな」


「叔父様?」


 あの時、思わず叫んでしまったけど叔父様は気付いていた?

 ゴリアスの洩らした言葉は、シシリアの胸中に後悔と困惑を生み沈黙させる。


「どうした?」


「いえ、ごめんなさい。叔父様が無事で本当に良かったです」


「おかげさまでな」


 朗らかに笑って言ったゴリアスは、シシリアの頭を優しく撫でる。

 謝罪をどう受け取ったのかはわからないが、その手はなんとなく「気にするな」そう言っているようにシシリアには感じられた。


「ナズナ達にはもう一方を任せたが、あれなら心配する必要もないだろ。儂らはミリアの様子を見に行くとしようか、ついでにベッケンもな」


「はい、ご案内します」


 二人は、見えなくなってしまったフリードの背中を追うように歩き出した。 

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