第21話 忘れられないもの

 翌日、ナズナたちは朝から街へと繰り出していた。

 

 露店通りには食べ物から雑貨品、旅で欠かせない小道具まで、様々な品を扱う店が連なっている。

 各地から人や物が集まる土地柄、デブルイネでは目にする事のない物珍しい商品も多く、ナズナたちも次々と目移りしているようだ。

 店の人間と客のやり取りも旺盛で、やはり活気が凄い。


 不意に、香ばしい匂いがギンタの鼻をくすぐった。

 

 匂いの元をたどれば、こんがりと焼き色のついた鶏肉が炭火で炙られている。

 串に刺さったそれを店主がひっくり返すと、肉汁がポタリと炭に投下され、ジュッという音に続いて炎が踊る。

 香ばしい匂いに加えてその音と光景が、通行人の食欲を絶妙に掻き立てていた。


「ギンタ、涎。あれ食べたいの?」


 ナズナの腕の中で、目が釘付けになっているギンタ。そこへタイミング良く、串焼きが差し出された。


「はい、ギンタ。これ食べていいよ」


「あっ、ごめんね。メグ、いくらだった?」


「いいのよ、このくらい気にしないで。連れてきてもらったお礼よ」


「ありがとうね。ギンタ、良かったね」


 ナズナが言い終わる前には、ギンタは串焼にパクつき咀嚼していた。

 

 最初に、パリッと焼かれて少々焦げ目の付けられた皮の苦みを感じるが、さらに噛むことであふれだす肉汁がそれに合わさることで、肉の旨味がぐっと引き立てられる。何とも言えない幸福感が、口中にじゅわっと広がっていく。

 噛めば噛むほど堪能できるそれらを、胃に落とした後の満足感。悪くない。


 オークの時は使えない奴だと思ったが、評価を一段階上げてやるとするか。

 オレ様の羽繕いくらいさせてやってもいいだろう――などと、ギンタは考えていたりする。


「将を淫と欲すれば、まずは召喚獣を射よ。ふふふふふっ」


 メグの残念な呟きは、幸い、誰にも拾われることは無かった。


 その後も、店や街並みを見て回るのに夢中だったナズナたちは、結構な距離を歩き、いつの間にか、少しばかり雰囲気の異なる区画へと入っていた。

 

 店名らしき看板は掛かっているのだが、何の店なのかまでは分からない。

 ただ、どの店も二、三人の女が壁にもたれかかって立っている。彼女たちは肌の露出が多く、扇情的な空気を醸し出していた。


 そんな女たちに色目を使われて、リーバスとライアルは動揺を隠しきれていない。

 ナズナたちの進路を遮るように、一人の女がすっと歩み出た。


「坊やたち、ここに来るのは、すこーし早いかな。将来、お金を沢山稼いでからおいでなさいな」


「うっ……」


「すみません、ボクたち、この街は初めてで。それで色々と見て回っていたらここに」


 一際なまめかしい女の、あやすようでありながらとがめるようでもある眼差しに呑まれたのか、言葉に詰まったリーバスたちに代わりナズナが応えた。

 

「あらあら、まぁまぁ……あなた、ここで働く気はない? すぐに人気が出て、見た事もない大金を稼げるわよ?」


 ナズナを目にするや上から下まで眺め、途端に穏やかな物腰となった女が熱心に勧誘しだした。


「えぇーっと、その、魅力的なお話ではあるんですが、ボクはまだ学生でして……」


「ふふっ、可愛いわね。冗談よ、冗談。それにここは、娼館の集まる歓楽街。今のあなた方には無縁な場所よ」


 女は奇麗な顔に儚げな笑みを湛える。


「さぁ、さっさとお戻りなさい。あなた方のいるべき場所へと」


「すみません、ありがとうございまし……た」


 お礼を述べ、きびすを返して来た道を戻って行く。

 何かに目を止め、顔を上げた状態で固まっているナズナを除いて。


「サーシャ……姉さん?」


 ナズナが目を止めたのは、だらりとたたずむ一人の女。

 痩せ細った体で頬もけ、焦点の合っていない虚ろな瞳。魂の抜け落ちた――棄てられた人形のような女であった。

 

 半信半疑で歩み寄ったナズナが、こわごわといった感じで覗き込む。

 異変を感じ取ったギンタが、抱かれていたナズナの腕から飛び降りた。

 


「サーシャ姉さん、サーシャ姉さんだよね?」


 両肩を掴んで揺さぶるが、反応は無い。

 ナズナを見ているといった雰囲気だけは伝わってくる。


「……無駄だよ。心が壊れちまってる。その子は近いうちに処理場行きだろうさ」


「処理場?」


「その子みたいになると、もっと程度の低い店に捨て値で売り払われるんだ。そこでは人間としては扱われない。完全に物として、欲求のけ口とされるのさ。

 ピンとこないかい? そういう快楽を求める奴らがいるって事だよ。女が死んでも誰も文句を言わない場所。だから、処理場さ」


「そんな……」


「どのみちそうなったら治らない。忘れてやるのがお互いの為だ」


「忘れるだなんて……サーシャ姉さん、どうして? 何があったの? あんなに優しくしてくれたサーシャ姉さんが……ナズナ、ナズナだよっ、思い出して……」


「諦めな……もう、自分の名前さえ言えないんだ」

 

 サーシャの虚ろな瞳にナズナの顔が映りこんでいる。瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼし、けれども決して目を逸らさず、訴えかけるナズナの顔が。


「…………」


「……え!?」


「……ぅ……な」


「サーシャ……姉さん?」


「な……ぅ……な」


「うん……うん! ナズナだよっ。サーシャねえ


 意思の感じられないサーシャの瞳から、つーっと、一筋の涙が頬を伝った。

 ナズナは涙でくしゃくしゃになった顔で、何度も、何度も頷いている。


「まずいわね、店の男どもが来た。あなたたち、ひとまずお行きなさい。面倒な事になるわよ」


「でもっ!」


「ナズナ、ここは一旦行きましょう。メグさん!」


「行こう、ナズナっ」


 シシリアの掛け声に、メグとリーバスがナズナを半ば強引に連れていく。


「ぐぅえ」


 ナズナに忘れられたギンタが、シシリアを見上げて訴えかけた。


「失礼しますね」


 シシリアは素早くギンタを抱きあげ、サーシャに頭を下げるとその場を後にした。

 ナズナとは違った香りと感触に包まれて、ギンタは無事帰路に就く。

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