終章

終章


 ――あの草原での死闘から、七年の歳月が過ぎた。


 時が経つのは早いものだ、と老人めいた感慨を抱きながら、アーキェルは一人、昼下がりの森の中を歩いていた。


「……いい天気だな」


 聳え立つ大樹の隙間を縫って、ちらちらと地面の上で躍る木漏れ日を眺めながら、しみじみと呟く。そのまま光に彩られた小路をまっすぐに進んでいると、左手奥の茂みから、不意に、アーキェル、と呼び掛けられた。

 耳に馴染んだ穏やかな響きに、相手を悟って立ち止まる。直後に、草木をさわさわと揺らして姿を現したのは、黄金の毛並みがうつくしい、一頭の龍だった。


「丁度いいところに通りかかったな。先刻ラナの実が大量に手に入ったゆえ、いくつか持って行ってくれ」

「本当に? ありがとう、それじゃ遠慮なく」


 その言葉に甘えて、アーキェルは白く輝く実を頂戴することにした。――かつては龍の聖域の門番と侵入者として相対したこともあるアシュクールだが、今や親しい隣人となって久しい間柄だ。


「これから向かうのか? ……私も、後ほど伺わせてもらおう」

「一足先に、これも供えさせてもらうよ。ありがとな」


 情に篤い彼は、おそらくこの日に合わせて、わざわざラナの実を採りに行ってくれたのだろう。純粋な好意がじんと沁みて、アーキェルは再度、心からの謝意を伝えた。

 白い宝石のようなラナの実を抱え、木漏れ日が射す道の上を、ゆっくりと歩き出す。つややかな丸い実は、腕の中から芳しい香をほのかに放ち、そよ風に乗っては鼻先を擽っていった。



 それから半刻ほど森の中を行くと、今度は小路の先にちょこんと佇んでいる、仔龍の小さな背中が視界に飛び込んできた。


「あ、アーキェル! こんにちは、今日はよく晴れてるね」

 

 振り返るや、翼をぱたぱたとはためかせて挨拶をしてくれたのは、薄青の瞳が印象的な、シュリカだった。――初めて会った頃よりも、一回り以上大きくなったシュリカは、レスタとシェリエが創り上げた薬によって、以前より遥かに健康そうな身体つきになっていた。

 腰を屈め、毛艶を増した明るい色の鬣を撫でていると、ふと名案を閃いた。思いつくままに、アーキェルはその提案を口にする。


「ああ、そうだな。……シュリカ、よかったら後で水浴びにでも行くか?」

「ほんとうに? いいの? ……やったあ!」


 無邪気にころころと笑うシュリカは、ぴょこぴょこと鬣と尾をひとしきり左右に揺らしてから、そうだ、と鼻歌混じりに告げてきた。


「そういえば、シェリエさまから伝言を預かってたの。『先に行く』って」

「――了解。じゃあ、また後でな」

「あっ、ちょっと待って!」

「ん?」


 立ち上がろうとした矢先に呼び止められ、再びしゃがみ込んだアーキェルは、シュリカと目線を合わせ、続く言葉を待った。


「――はい、どうぞ。ぼくの分も、持って行ってくれる?」

「……ありがとう」


 ふわり、と鼻先に浮かび上がった小さな一輪の花を、そっと受け取る。

 行ってらっしゃい、と翼を振るシュリカに見送られ、手を振り返しながら、アーキェルはその場を後にした。



 シュリカの姿が見えなくなり、ちょうど百歩を数えたところで、そろそろいいか、とアーキェルはぴたりと立ち止まった。同時に、ピシ、と小枝が割れる音が響き、背後で何者かが慌てたように息を呑む気配があった。


「……レスタ、もう観念して出てきたらどうだ?」

「――あれ? もしかして、だいぶ前から気付いてた? 絶対ばれないと思ってたのに」


 残念だったな、と振り返った途端に後方の景色が歪み、光魔法を解いたレスタが、全く悪びれない様子で姿を現した。……まったくこの幼馴染は、何年経っても油断がならない。


「魔法は完璧だった。けど、気配の消し方がまだ甘いな」

「ちぇー。いきなり真正面に現れて、びっくりさせるつもりだったんだけどな。いかにシェリエ直伝とはいえ、なかなかアーキェルは出し抜けないものだねえ」

「……言っておくけど、シェリエにだけは試すなよ。下手したら身体が消し飛ぶぞ」


 はーい、と生返事をしたレスタに肩を竦め、足並みを揃えて歩き出す。ほどなくして、いい匂いだね、とアーキェルの抱えたものに目を留めたレスタは、表情をやわらかく綻ばせた。


「みんな、アーキェルたちのために、いろいろ用意してくれたんだね。――七年前は、こんな風に過ごせるなんて、想像もしてなかった」


 束の間記憶を辿るように、レスタが天を仰ぐ。その拍子にさらりと肩から零れた栗色の髪は、いつしか背の半ばほどまで達していた。


「十頭と、五十八人。まだ、完全に打ち解けたとは、言えないかもしれないけど……それでも、こうして同じ場所で共存できてるって、ものすごい進歩よね」


 黙って首肯し、アーキェルもまた、七年前の、けして忘れ得ぬ日を思い返す。


 ――黒き龍を葬った後、力尽きて倒れていた二人を迎えに来てくれたのは、他ならぬレスタだった。見事に黒き龍を呼び寄せるための標的しるしを破壊したレスタは、驚くべきことに、龍の群れとともに焼け野原に降り立った。


 いったい何が起きたのか、と仰天するアーキェルに、レスタはすぐさま種明かしをしてくれた。


 レスタが領城から持ち出した龍の骨は、アーキェルの育ての親のものだったこと。

 龍の渓谷に残っていたシュリカが、竜族なかまを集め、骨に宿る記憶を皆に見せてくれたこと。

 過去の盟約を目の当たりにした十頭の龍が、シェリエの気配を追って駆けつけてくれたこと。竜族の群れに恐れをなした軍の兵士たちは、一目散に逃げ出したこと。


 呆然と、宙に弧を描いて舞う十頭の龍を見上げるアーキェルに、目を覚ましたシェリエは、さらに驚愕すべき言葉を口にした。


 ――クロムの街の人々を連れて、龍と人が共生する場所を創らないか、と。


 あまりのことに度肝を抜かれ、唖然とするアーキェルに、シェリエはあっさりと続けた。


『領主にあれほど恨まれてなお、奴がお前の故郷を滅ぼされないと言い切れるか? 何より――お前とわたしは、双星の誓いを交わした。……あの誓約は、永遠の絆を結ぶものだ。天を巡る双子星のごとく、生涯離れることはできない』


 絶句したまま、無意識に額に手を当てた。……そういえば、確かにあの時、何かが刻まれたような感触はあったのだ。

 てっきり、一時的にシェリエの力を借りることができるようになったのだと思っていたが――まさか、終生の誓いだったとは。


『それで、お前の答えは?』


 衝撃に浸る間も与えず、不敵な表情で問うてきたシェリエに、アーキェルが返した言葉は、ただ一つ。


『――もちろん、望むところだ』


 万感の想いを込めて告げたあの日が、きっと、本当の始まりだった。




 追憶に浸るうちに、いつしか目的地の近くまで辿り着いていたらしい。

 連なっていた木々がようやく途切れ、まばゆい光が射し込むその場所へ、アーキェルはレスタとともに、足を踏み入れた。


「――来たか」


 輝く陽射しの下に佇んでいた白銀の少女が、ゆっくりと、こちらに振り返る。

 

 ふわりと風に舞い、星がこぼれるような淡いきらめきを放つ、白銀の長髪。

 その奥から、凛と咲き誇る、気高き一輪の花のごとき横顔が覗き――あたたかな光を宿す黄金の瞳が、やわらかくほどけてゆく。


 二人の姿を認め、咲きほころぶような笑みを浮かべた少女の隣に、アーキェルは胸を震わせながら、並び立つ。そのまま静かに大地に膝をつき、抱えていた白い花と実を、塚の前にそっと手向けた。

 しばし瞑目し、七年前に旅立った亡き母に祈りを捧げていると、不意に、一陣の風が、三人を包み込むように吹き抜けた。



 束の間、――――純白の光と見紛う花々が、鮮やかに、視界一面を覆い尽くした。



 幻のようなひとときの後、白い花弁は、遥かな蒼穹に向かって、どこまでも高く、高く、舞い上がっていく。


 祝福のごときその光景に、沁みわたるほど青い、空を仰ぎ。


 後に、白銀の竜姫と約束の少年と称される二人は、晴れやかな笑みを湛え――どちらからともなく、手を取り合った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白銀の竜姫と約束の少年 空都 真 @sky_and_truth

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画