6 「一軒家選んでんじゃねぇよ」

『最近の調子はどうなの?』


 我が賃貸に招かれざる客が増えてから数日後。実家の母親から近況を尋ねる電話が鳴った。

 年に数回あるかないかの頻度でしか無いが、それでも仕事に圧されて中々帰省することもままならない昨今に聞く親の声は、心の平穏を取り戻す後押しをしてくれる。


「変わらんよ。親父は?」

『タケさんと出かけてる』

「あぁ、そっちも変わりなさそうで何より」


 タケさんとは親父と幼馴染にしてご近所さんでもある男性だ。快活な人柄で俺も幼い頃はよく世話になっており、近場にある川に連れられ遊んでいた。

 此度も親父はおそらく、タケさんに誘われて釣りにでも行っているのだろう。亭主元気で留守が良いとはよく言ったもんだ。


『たまには帰っておいで。皆喜ぶから』

「んー、なかなか大型の連休が取れなくてなぁ」

『いっつもそれじゃない』


 淡い期待を寄せる声色に思わず苦笑しつつ、何度もやり取りした会話にテンプレートで答える。ともすれば呆れ混じりの返事が電話越しに届いた。


「実際その通りなんだからしょーがないんだって。

 それに──」

『それに?』

「──や、何でも無い」


 現在アパートで別世界の魔王と執事と変な生き物と同棲しているから心配で離れられんなどと、誰が言えたものだろうか。


「……近々引っ越しはするつもりだよ」

『……あら! あらあらあら! あんたまさかようやく』

「先に言っとくけどあいつとはもう別れてるからな」


 妙な察しの良さを垣間見せた母親の言葉を遮って先手を取る。

 親しい女がいた事もあったが、それももう過去の事。忙しさにかまけて彼女をないがしろにしていれば、縁も切れるのはごくごく当たり前の話だ。


『えー。母さん会うのを楽しみにしてたのに』

「早合点が過ぎる。別に結婚を前提にしてた訳でもないしなぁ」

『甲斐性なし』

「親父に似たんだなきっと。うん、そうに違いない」

『そういう所はほんとそっくりよあんた達』


 この後に及んで血が繋がっている事を再確認した親と子である。


「最近きてね。部屋が少し狭くなって来たんだ」

『荷物?』

「そう、

『……ふーん?

 まぁ、ちゃんと暮らせるのなら何も文句は言わないけど』


 会話の流れからして何となく感づかれていそうな予感。しかしいくら察しの良い母親でも、その中身がだとは夢にも思うまい。


「……落ち着いたら、今度はこっちから連絡するよ」

『そうしてちょうだい。風邪引かないように気を付けるのよ?』

「分かってるって。親父にもよろしくな。それじゃ」


 電話を切って人心地。通話していた時間を眺める自分の頬が、いくらか緩んでいる事に気が付く。声を聞いただけなのに包み込まれるような安心感に包まれるのは、さすがは母親と言ったところか。


「さて」


 寄りかかっていたフェンスから背を離し、スマホをポケットに突っ込む。眼前には部屋の玄関。


「……何故なにゆえ部屋の主がわざわざ外に出て家族と近況報告せにゃならんのだ」


 無駄な敗北感を振り払いつつ、玄関の取っ手に指を伸ばしたのだった。


******


 セバスチャンという執事が現れてから、このアパートで俺がこなしていた仕事は全て彼に奪われてしまった。いやまぁ別に大した事をしていた訳でもないのだが。

 もはや習慣となった早起きをしようが、それよりも早くに起きていたセバスチャンにより、朝にやるべき家事は全て済まされている。俺に出来る事といえば欠伸を噛み締めつつ顔を洗って用を足し、用意されていた朝食を済ます事くらい。

 近代化に対する弊害は、こちらが簡単な説明をしただけで一から十まで理解してしまったセバスチャン。向こうの世界には存在しないであろう家電など、彼にとってはもはや便利な道具程度の認識でしかない。


 ちなみに俺が会社で仕事をしている日中、連中が何をしているのかと聞けば、向こうの世界に帰るための手段を探しているとのこと。三人寄れば文殊の知恵ってやつだろうか。

 とはいえ日々俺が帰宅した所で、何か一つでも話がまとまった形跡もない。


 セバスチャンが言うにはキールが確証に至る鍵を握っているそうなのだが、果たしてその鍵をどうやって見付けるのかなど、俺には検討も付かなかった。


「──引っ越し、とな?」

「さすがにこの人数で暮らすにゃ此処は狭いからな」


 セバスチャンやキールが加わっての生活から一週間が経った頃。いつものようにテーブルを囲んで夕食を済ませた俺達は、食後にそんな会話を交わしていた。


「ちょっと金は掛かるが3LDKってやつだ。来月からはここに住むぞ」


 持ってきた賃貸雑誌を広げ、その部屋のページを指差す。


「待て。余に断りもなく勝手に決めるでない」


 ともすれば何が不満なのか、雑誌を手に取ってパラパラと眺め始めるシオン。


「……ふむ。此処が良かろう」

「一軒家選んでんじゃねぇよ」


 やがて開かれた後半のページにある家を指し示したシオンに、俺は雑誌を閉じて抗議する。見るからに値段の張る豪邸であったのは言うべくもない。というか何だあの廃校でも改装したかのような広大な間取りは。


「何をする貴様。これでも相当譲歩したのだぞ。

 本来この余に見合う居住と言えば、絢爛な城以外あり得ぬというのに」

「んなもん月の返済だけで給料飛ぶわ。一般リーマンの月収舐めんな」

「ええいやかましい。貴様もおのこならこの程度の金額四の五の言わずポンと払うくらいの甲斐性をだな」

「人生何回繰越しゃ持ち合わせられんだそんな甲斐性」


 まぁ運良く一等宝くじにでも当たれば不可能で無いこともないが、それはそれ。

 横から不貞腐れた文言が飛んで来たのを受け流しつつ、再度雑誌を開き、予め決めておいた物件ページを軽く叩いてみせた。


「とーもーかーく。もう決めてんだよ。

 というかもう審査も契約も済ませてある。残るは引っ越しの準備をするだけだ」

「くっ、この余に対し事後承諾とはいい度胸をしておる……!」

「ふふん。悔しかったら俺より稼いでみせろ居候め」


 勝ち誇った表情で魔王を制する。ともすれば三度飛び込んでくる野次をスルーしつつ、今度はセバスチャンの方へと視線を送る。


「セバスチャンもそれで良いよな?」

「私に拒否権などありますまい。

 ただ、そうですな。魔王様が御安全に、かつ健やかにお過ごし頂ける場所であれば」

「それについては何の問題もねぇ。

 今度はオートロックかつモニター付きのインターホンまで備わってるマンションタイプの賃貸だ。防犯面に関しちゃ今より安心出来るだろうよ」


 相変わらず魔王本位の立ち位置で紡がれる渋い声色にセキュリティの何たるかを説いた俺は、そこで雑誌を閉じて立ち上がる。

 目下には異なった感情の籠もる視線が二つ。それらを見下ろしながら、今回の引っ越しについての根本的な解決方法を問うことにした。


「あとはこの住所不定の輩をどう説明したもんか。なんだよなぁ……そこんとこ、どうすっかね?」


 こればかりは解決の糸口がさっぱり思い浮かばない。

 そもそも別世界の住人ですらあるこいつらに、住民票なぞあろうものがない。じゃあ、だからといって転入届を行おうにも本籍すらこの世界に無いのだから、それを証明する戸籍謄本すら発行出来ないのだ。もっとも、連中の世界にそのような物があるのかどうかは知らんが。

 そんな法律に基づいて凝り固まってしまった頭をほぐそうと、おもむろに尋ねてみた台詞だった。


「何だそんな事か。そんなもの、我らが済む話だな」

「然様にございますれば。キール」

「えー。アレやるのー?」


 それまで会話に加わらずに宙を漂っていた綿菓子に三様の視線が向くと、さも億劫な様子を隠さずにキールが答えた。先日シオンによって喰われた箇所はいつの間にか治っており、それによる弊害らしき様子も全く見受けられない。


「アレ結構お腹苦しいんだぜー?」

「お腹?」

「おう人間。よーく見とけー」


 すぐさま行動に移したのはさすが魔王の使い魔といった所。

 キールが口をすぼめて息を吸い込みだすと、両手に乗せられる程度でしかなかったその体積が、急に膨張し始めた。


「おわっ!?」


 その速度に一人驚く俺を他所に、二人は事も無げに茶をしばいている。そんな事に気を取られる暇もなく、慌てて膨らみ続ける綿菓子もどきから逃げようと部屋の隅へ後退っていく。

 瞬く間に膨張したキールの体積は一間の半分以上を占めていた。部屋の中央でテーブルを囲み座っていたシオンとセバスチャンの姿は、とうにそれによって飲み込まれている。


「もーいーかーい?」

「うむ」


 あくまでも緩い姿勢を崩さないキールの問い掛けに答えたのは、これも変わりのないシオンの返事だった。


「へーい……フシュゥゥー」


 魔王の返事を了承と受け取ったキールは、風船から空気を抜くような音を発しながら今度は一気に萎んでいく。そしてあっという間に、元の体積に戻った。

 ただ、さっきと明らかに異なる点は、テーブルを囲んでいたはずの二人が居なくなっていた事だ。


「あー苦しかった」

「ど、どうなってんだ……?」

「え、見りゃ分かろーよ」

「分かんねーから聞いてんだろうがよ」


 軽く混乱したままの俺がたまらずそう答えると、キールは短い両腕を竦めた後、片腕を滑らせて自らの横っ腹をポンポンと叩く。


「察しがわりーなー。に入ってるに決まってんじゃん」

「この世の雲隠れ現象の発端はてめぇかコノヤロウ」

「何言ってんだおめー。おちつけ」


 よもや綿菓子に突っ込みを貰うとは。


「心配いらねー。ここだけの話、この中、衣食住完璧だぜ? 知らんけど」

「知らんのかい」

「あたしがどうやって手前てめーの腹ん中確認するってんだよ」

「お前ほんとアレだな。腹立つ生物な」

「なまものって言うなし」


 とまぁ、冗長はここまでにしておいて、本題に移ることにした。こいつのペースで喋ってたら何時まで経っても話が進まん。


「……で? その腹ん中にシオン達を匿って、お前はいつものハンカチにでも擬態してれば大丈夫ってか?」

「なんだ分かってんじゃーん」


 どういう仕組みなのか皆目検討も付かんが、もはやそういうからくりとして認識しないと無駄に疲れるだけなので、深く考えるのは諦める事にした。


「例えばお前がその状態でハンカチになっても、はちゃんと無事なんだよな? ほら、こう、キュッとしないよな?」

「あたりきよ! 魔王様が腹ん中に居る以上、最高級のクッションで安心安全かつ超快適な居住性を約束するぜ!」


 両手で挟み込むような身振りをして確認すると、キールは腕の先から更に短い指らしき物を一本、天井に向けて伸ばしてみせた。

 ……ん? というか、そもそも最初から全部こいつに任せとけば、わざわざ引っ越しをするまでも無かったのでは?


「まぁしゃーない、もう契約しちまったし。

 ……ったく。どんどん日常から離れてってる気がするなぁ」

「あたしからすりゃおめーの存在の方が、日常からかけ離れてっけどなー。そんな日和見でよく今まで殺されんかったな」

「物騒な事言ってんじゃねぇ。生憎、俺が暮らす辺りはこの世界でもトップクラスに平和な場所なんだよ」

「ははぁ。どーりで怖いもん知らずだと思ったわ。こっちの世界ならまっ先にお陀仏してるタイプだぜおめー」


 キールの言いたいことは十中八九、シオンへの接し方について他ならないだろう。


「いやマジな話な?」


 突然耳元に寄ってきたかと思えば、キールはトーンを抑えて語りかけてきた。


「魔王様がこんな平和ボケしてそーな世界をぶっ壊す事なんて、数日もありゃ出来んのよ」

「は? いやいや、魔力がどうのって言ってたぞあいつ」

「んな訳ねー魔王様舐めんな。あの方がその気になりゃ、おめーらをジャンクフードよろしく片手間に喰ってでも出来らぁよ」


 その時脳裏をぎったのは何時ぞやシオンに見せられた、幻術内の風景だった。あの荒廃しきった景色と異形の姿は、忘れたくても忘れられない。


「魔力が足りねー? 馬鹿言っちゃいけねぇ。

 元々あの方の魔力は生まれながらに、歴代の魔王様に仕えてきたあたしでも身震いするくれーの底無しよ。仮にこの世界みたく魔力素が無くたって、向こうウン百年は余裕で生きれるくらいの在庫すらあるだろーぜ。

 でもって、それくらいこの世界で生きたとして、永い時間を掛けて魔王様の強烈な魔力を浴び続けた大地は、いずれそれに


 最後の言葉を聞いて、背筋にひやりとした悪寒が走る。


「……何が言いたいんだお前」

「つまるところ、魔王様がまだそれに気付いてないってだけの話さー。

 せいぜい、今のうちに媚びだけは売っとくんだなー人間」


 喋るだけ喋ったと思えば、ふわりと耳元から離れていくキール。


 順応する。連中からすれば聞こえは良いが、こちとらまるで魔力素によって環境汚染でもされるかのような謂われようだ。かつて人類が地球をそうして来たように、この世界もいずれは魔王にとって住みよい環境になるとでも?

 それこそ現実離れしている。ただそう思うのは俺らみたいな人間だけであって、他の生物らはより強者に付いて行くため、或いは生きていくために、あらゆる手段を使ってでも進化せざるを得ないのかもしれない。


 なるほど生存闘争とはこのように説かれていたのか。俺なんぞがそう感じるくらいだ。キールの話を聞く限り、他の狡い人間だって思う所は一緒かもしれない。

 これまで何度か、幻術の中でも魔王の魔力に充てられた事がある。それだけでも生きた心地がしなかったのに、そんな力の源が酸素の如くこの世界に存在されるようになれば、恐らくどんな人間でも気が狂ってしまうはず。


 だとすれば、世の平静を取り戻すため諸悪の根源を消さねばなるまい。という連中は必ず出てくる。こればかりは名誉や下心で済む話じゃなく、人類の存続に関わる問題だからな。


 ……とはいえ、自前であんな防御手段エナジーガードだなんてチート技を編み出す奴にかかれば、例え人類が結束したとしても対抗する手段なんてきっとこの世に無い。

 一瞬だけゲーム内の住人の気持ちが分かりかけたが哀しいかな、現実の人間はそこまで強くない。それこそ勇者なんて存在すら居ないこの世界では、きっとシオンがその気にならずとも遠からず滅ぼされてしまうのがオチだろう。


 ならばこそやはり、シオン達には早急に手段を見付けてもらい、元いた世界にお帰り願いたい所である。


「なーに考えてんだか小難しい面しおってからに」


 すると思い耽っていた俺の眼前に再びキールの姿が現れる。


「まーあれよ。こんな世界に迷い込んじまったうっかり魔王様相手に、何だかんだおめーは殺される訳でもなく今まで世話してくれてたんだ。

 その礼がてら、この世界にとっての最悪のケースだけは避けてやんよー」


 それは自信の表れなのか、キールは不敵にも口角を上げてそう言った。

 思い返してみれば、こいつが魔王の魔力を探知してこの世界にまで追ってこれたとセバスチャンが言っていたな。だとすれば帰還の鍵を握るのは、やはりこいつって事になるのか。


「……本当に大丈夫なのか?」

「まかしときー。伊達に何千年と生きとらんわいな」

(綿菓子の癖に格好いいこと言うなこいつ」

「そうだろそうだろー? って綿菓子関係ないやろがーい!」

「やべ、口に出てた」


 衝いて出てしまった口元に、キールが体当たりよろしくな突っ込みをかましてくる。絹糸で作られたクッションを当てられたような感触である。


「すまんすまん。いや、マジな話、頼むわほんと。引っ越しもこの件に関しても、お前だけが頼りだ」


 両手で胴体を挟んで引き離し、目の前のふくれっ面に謝意を込めて答える。


「むふん。始めっからそう言やぁいーものを」


 するとあからさまに上機嫌になったキールは、身体をやや前方に上げてくる。どうやらこれで胸を張っているつもりらしい。というか、随分と扱いやすいなこいつ。


「そうだったな。今度からは感謝と尊敬の意を込めて、キールとでも呼ばせてもらうよ」

「うひぃ、その言い方はやめれー何かくすぐってー」

「そんな事言うなってキールさん。

 ついでにその神業でこの辺の家具も匿ってやってくれないか?」

「おうおうしょうがねーなー? ぜーんぶこのあたしがやってやんよー!」


 やっべめっちゃ便利だこの疑似◯次元ポケット。


 そうして引っ越しの準備をあっけなく済ませた後、俺達は次の住まいへと拠点を移したのだった。

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