五章 大吉は 凶に還ると 言うけれど 人が還るは 気抜けた躯(むくろ)  エピローグ

 水香は顔の前に閉じられた扇子を立てて、先を続ける。


「リベラル派の校長先生方と、保守派の理事長方。今は後者の方々が優勢なのですが、彼等は生徒に校則やその他作法などを完璧に守ることを要求しています」

「作法って……、あの林檎がどうたらってヤツもか?」

「はい。彼等のルールに反した者は、懲罰房に連行され厳しいお仕置きをされますの」


 俺は林檎の少女の怯えようを思い出し、硬い唾を飲んで訊いた。


「厳しいお仕置きってのは……?」

「分かりませんわ。わたくしは受けたことがございませんから……。ただ、お仕置きされた方は詳しい内容を決して語らず、以後、保守派のルールを厳守するようになりますの」

「虐待なんて今の時代にやったら、保護者が黙ってないぞ」

「この学校の生徒の保護者も、多くは同窓ですわ。母校なうえに大抵の資産家は自身の辿った道に対して絶対の自信を持っているものです。それに懲罰房自体は古くからあったようですし……」

「懲罰房なんてきな臭いものがあるのを承知で同じ学校に入れてるわけか。それなら、子供がお仕置きされようが構わないって思ってるんだろうな……」

「まあ、罰の内容は親と子の世代で変わっているかもしれませんけれど」


 水香は静かな足取りで近づいてきて、俺の横に立った。


「ここに通う生徒の大半は、息を吐く暇もない生活を送っていますわ。学校外では両手の数ほどの習い事をこなして、令嬢としてパーティーへ出席し、休日には政治家などの権力者への挨拶へ行き、時には両親の職場へ勉強に行かされますの。わたくしはそういった方に比べれば、まだ自由にさせていただいている少数派ですわ」

「……ブラック企業みたいな生活だな」

「ええ。ですから親の目が届かない学校ぐらいでは羽を伸ばしたいはずなのです。けれども保守派の方がいるせいで、ここもディストピアになってしまっているのが現状ですわ」


 隣に腰を下ろした水香は、そっと白猫の顔に手を伸ばし、目を閉ざした。心なしか猫の表情がさっきよりも安らかなものになった気がした。


「部活があった頃はきっと、もう少し楽だったのでしょうね。内申を理由に自分の好きなことに打ち込める時間を作れたのですから。でもそれも今はなくなってしまいました」

「……もしかして、ここの生徒が猫をいじめてるのって……」


 彼女は目を伏せ、小さく頷いた。


「おそらく灯字さまの想像した通りでしょう。彼女達は溜まった鬱憤の捌け口が欲しいのです。大した抵抗もできない弱者をいたぶり、殺める。この死の香り漂う赤黒い血で乾いた心を潤しているのです」

「だからって、動物の命を奪うのが許されるのかよ!?」


 俺の怒号に、水香は唇をかんで俯いた。


「わたくしも生徒会長として、催し物などでどうにかストレスの発散をする場所を設けるなどはしているのですが……」


 はっと俺は我に返り、申し訳なさで彼女に頭を下げた。


「すまん……。水香が悪いわけじゃないのに……」

「いえ……」


 今の怒鳴り声で誰かが来たりしないかと不安になったが、幸いそういったことはなさそうで安堵した。

 白猫の亡骸を見下ろし俺は訊いた。


「コイツはどうするんだ?」

「孤輪車を持ってきて載せ、ブルーシートをかぶせてひもで結んだ後、墓地までお運びいたします」

「墓地……?」

「作ったんですの。せめてもの償いのために……」


 水香は穴の底から赤い首輪を拾い、目前まで持ち上げた。


「このような姿を飼い主の方にお見せするのも気の毒ですし……。敷地内で殺められた猫は主人の有無にかかわらず皆、わたくしが手厚く弔うことにしています」


 少し考えた後、俺は言った。


「……まあ、それがいいかもな」

「ご理解いただき、ありがとうございます。灯字さまはこれからどうされますか?」

「そうだなぁ、……ん?」


 ハンドバッグ内のスマホが着信音の『さくらさくら』を流す。そういえばさっきも電話がかかってきていた。

 俺は手の汚れを籠目模様のハンカチで拭ってからスマホを取り出した。

 画面を見やるとマインの名前が表示されている。

 意外な相手に何だろうと思いつつ電話に出た。

 途端、いきなり彼女の焦り声がスピーカーから発された。


「とっ、とっ、灯の字ッ、たっ、大変だッ!」

「何があったんだ?」


 尋ねてもマインは「だから大変なのだッ!」と要領を得ない回答しかよこしてこない。


「一旦落ち着いてくれ」

「おっ、落ち着いていられるかッ! がっ、学校がっ、みんながっ、アマミーがっ……」


 最後の言葉に、俺の平静も失われる。


「美甘!? 美甘に何があった!?」


 弾んだ呼吸が繰り返された後、嵐のような人の声に混じって彼女の声が続いた。


「さっ、攫われたのだ……! アマミーがっ、何者かにッ……!」

「何だって……!?」

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