一章 墨香る 君の姿に 恋しがれ 仰ぐ空にも 想い馳せゆく   その4

 周囲の野球野郎共を睨みやると、彼等は怖気づいたかのように一歩後ずさった。

 ただ一人、岩石野郎だけは踏みとどまり、眼光鋭く睨み返してきた。


「……どうやらおめえ、ローストチキンにされてえようだな」

「お前達と戦う気はない。ただ、願いを叶えてやりたいだけだ。俺の書でな」

「はあ?」


 俺は天に手を掲げ、再び解除呪文を詠唱した。


「心に灯れ俺の魂。超魂能力祈願之筆!」


 すると頭上の宙に青い輝きが現れた。そこから一本の筆が現れ、俺の手に収まる。その筆の長さは通常のものを遥かに越えており、俺はもとより岩石野郎の身長をも越え、かつ太さもかなりのものだった。

 場にいた全員が呆然とこの巨大な筆を見やっていた。


「で、デケェ……!」

「あんなので殴られたら、死んじまうぞ……」

「それより、何でアイツ、あんなデケェの普通に持ててるんだよ!?」


 俺は筆を片手で持ち発言者に突きつけ、答えてやった。


「超魂能力は思いの強さに比例して能力が強力になる。それと共に、身体能力も強化されるんだ」

「なっ、何だと……!?」

「知らなかったのか? この程度、学校で習う知識だぞ」


 鼻で笑う俺の耳に、美甘達の声が聞こえてきた。


「灯字ちゃんもすごく成績悪いですよね……」

「補習受けてる間、ウチ達二人が毎回メッチャ大変な思いしてるっつーのに。エラそうにしちゃってさー」


 なぜだろう、仲間からの言葉が一番心にぐさりと来るのは……。


「ええいっ、ビビるんじゃねえ! あんなの見掛け倒しだ!」


 岩石野郎が火の玉を出現させ、その手を振るって連中に発破をかけていやがる。

 だがそんなこと、どうだっていい。


「何度も言うが、俺はお前等と争うつもりはない」


 ヤツ等に背を向け、筆を持ち上げる。


「ふざけやがって……!」

「まっ、待ってくださいキャプテン! あれ……何かマズいっすよ!」


 黒く染まった穂先から、ゆらりと青いオーラのようなものが立ち上る。同時に筆の柄からどくん、どくんと鼓動の音が聞こえてきた。

 腕が完全に筆の重量を忘れる。さらに鼓動に集中していると、神経が身体から筆へと移りいく感覚を覚えた。

 これから書くべきものを心に浮かべる。

 文字はすぐに思いついたが、書体はどうするか。

 楷書、行書、草書、隷書、篆書……。

 ……いや。熱き魂を揺さぶるのは、あの書体しかないだろう。

 意思が決した途端、体が浮かび上がった。


「とっ、跳んだ!?」


 走り高跳びの世界記録を少し超えた位置ぐらいだろうか。そこでまず、横薙ぎに筆を振るう。


 一。


 体が重力に引かれる感覚。

 時間がない、しかしこの書体にはそんなもの必要ない。


 瞬間的火力。


 全ての書を瞬発的に行い、思考や技術ではなく本能的に心を転写する。

 続けざまに線を宙に書き文字を生み出していく。

 できるだけ大きく勢いをつけて、線を連ねていく。

 黒き飛沫が桜の花弁のように舞い、風に飛ばされていく。


 最後の一振り。筆を叩きつけるように記し、穂先を離す。

 着地して見上げると、荒々しく燃えるような四文字が宙に刻まれていた。

 それを岩石野郎が気抜けた声で読み上げた。


「一球入魂……」


 振り返って見やると、野球野郎共は誰もが俺の書いた文字を眺めていた。その顔からは敵意や怒りは消えていた。ある者は目を細め、ある者の目には涙が浮かび、ある者は目をつぶって唇をかみしめた。

 岩石野郎は膝をつき、憑物が剥がれ落ちたような顔で言った。


「……何だ。何でオレ、こんなに……悲しいんだ」


 俺は隣に腰を下ろし、語り掛けた。


「この文字は江戸の末期に入木焔道(いりきえんどう)によって生み出された書体、焔道書体で書かれている」


「焔道書体……」

「そうだ。熱き魂を転写するとさえ言われるこの書体は、他のどんな書体よりも人の心を強く揺さぶる。慰め、鼓舞し、訴えかける。文字に語り掛けられるんだ」


 今なお『一球入魂』に見入っている岩石野郎に訊いた。


「お前にも、聞こえただろ?」

「オレ、……オレは」


 手から焔が消え、ヤツは地面の土をつかんだ。


「ただ……、野球がしたかっただけなんだ」


 一滴の雫が地面を濡らす。すぐさま二滴、三滴……と、とめどないものになり、やがて嗚咽が聞こえだした。

 俺は岩石野郎の肩を叩き、言った。


「確かに部活はなくなった。でも野球のできる場所は、他にもあるはずだ。そこでまた頑張ればいいじゃないか」

「だけど、オレは……もう」

「キャプテン!」


 突如響いた声に、岩石野郎は顔を上げた。

 見やると、野球野郎共が輪になって集まっていた。皆一様に決意に満ちた顔で、その佇まいも芯が一本通っていて揺るぎない意思を表していた。


「……オレ達で、クラブを創るっす!」

「クラブ……?」

「はい! ここのみんなで、日本一の野球チームを目指すっす! プロとだって戦えるぐらいの、最強のチームを!!」

「だが……、場所も金も、ないんだぞ。用具だって必要だし……」


「そんなの全然大丈夫っす!」

「バイトとかすればどうにかなるぜ!」

「商店街のみんな野球好きだし、協力してくれるよう頼んでみましょうや!」


 盛り上がるみんなの姿を見ていた岩石野郎は、地面を叩いて叫んだ。


「オレは……キャプテン失格だ!」

「ど、どうしたっすか……?」

「……今までずっと、間違った方向におめえさん達を引きずっちまった。本当ならもっと早く、こうやってお天道さんに胸張って野球できるように導いてやらなきゃいけなかったのに……」

「キャプテン……」


 重たい沈黙が落ちる中、俺は再び筆を構え、宙に文字を書いた。

 皆が見守る中、筆は線と墨の香りを残して、その二文字が生まれた。


「仲間……」


 土と汗臭いヤツ等を見やり、俺は言った。


「確かにお前等は間違ったことをしていただろう。チームとしては最悪だ」


 岩石野郎は項垂れ、他のヤツ等も悔しそうに顔を歪めた。


「だけど、それでもチームだった。思いを共有し、互いを認め合っていた。仲間として」


 ハッと弾かれたように彼等は顔を上げ、俺の書いた文字を見やる。

 その中の一人、岩石野郎に言ってやった。


「お前がいたからだ。お前が大黒柱としてチームの仲間の拠り所になっていたからこそ、みんなここにいる。……そうだろ?」


 最後に野球野郎共に訊いてみると、途端にたくさんの声が上がった。


「そうっすよ! オレ等がまたこうして希望を持てたのは、キャプテンのおかげっす!」

「キャプテンがいなきゃ、もう野球やることだって諦めてたぜ!」

「キャプテン、これからもよろしくお願いしますや!」


「おめえさん等……」


 岩石野郎は手の甲でぐっと涙を拭い、そして吠えるように訊いた。


「これからも一緒に……、野球してくれるか!?」

「「「はい、キャプテンッ!」」」


 そろった声が河川敷に響き渡った。

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