一章 墨香る 君の姿に 恋しがれ 仰ぐ空にも 想い馳せゆく   その3

 飛行機雲を追いかけるように駆け続けること十分。

 住宅街を抜けて、目的地が見えた。


 市の中心を流れる川の左右にある河川敷。

 その此岸側に、野球のユニフォーム姿の男が集っていた。

 人数は十数人程度か。彼等は剣呑な様子で二人の女子を取り囲み、中にはバットを構えているヤツさえいる。


「やめろッ!」

 声を張り上げ、俺は坂を転げるように下りていった。

 野球野郎共が敵意を含んだ視線を向けてくる中、女子達が声を上げた。


「あっ、灯字ちゃん!」

「ったく、おせぇよ灯字っち! アンタはア●セル・ロ●ズか!」


 灯字ちゃん呼びのちっこい黒髪ロングが茶之間仁美甘(ちゃのまにみかん)。

 もう一人の水色髪のギターを抱えているヤツが明石久遠(あかしくおん)先輩だ。

 ちなみに彼女達が着ている矢絣模様の着物と海老茶の袴も、言わずもがな学校指定の制服である。


「とっ、うぉっ、ぶぼっ!」


 よそ見をしていたせいか、途中でずっこけた。痛い。

 嘲るような野太い声の中、美甘の「だっ、大丈夫!?」という心配そうな声が聞こえた。

 俺は「へ、平気だ」と返して立ち上がり、ゆっくり下りていった。

 見たところ、美甘も久遠先輩もケガはしていないようだ。場の空気こそ剣呑だが、野球野郎共も人を傷つけるつもりはないらしい。気は緩められないが、僅かに肩の力が抜けた。


「おいおい、どこのピエロだよおめえさん?」


 野球野郎の中でも一際体格のいい、岩石みたいな男がのしのしと近づいてくる。所々茶色いものがひっついており、それから甘ったるい餡子の香りが漂ってきた。


「俺はそこの二人の仲間だ」


 岩石野郎の顔に、下卑た笑いが浮かぶ。


「ははーん、治安維持委員の残党ってワケか」

「今すぐ二人を解放しろ」


 俺の要求をヤツは肩を上下させ鼻で笑った。


「何を言ってやがる。先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方だろう?」

「お前達が学校で暴れたからだろ」

「それだって先公が悪いんだ。今日はうちの学校は休日で、授業はない。だから校庭で部活をしてただけだ」


 岩石野郎が「そうだろ?」と振り返ると、野球野郎共は声を上げて同意した。

 それに美甘が声高に反論する。


「何言ってるんですか!? 部活はもうどこの学校でもすでに廃止されてるじゃないですかっ!!」

「るっせえよッ!!」

「ひっ!」


 岩石野郎の剣幕に美甘が涙目で後ずさる。

 ヤツは顔を真っ赤にし、肩を怒らせてがなりだした。


「オレ達ぁ、今の学校が野球の名門校だったから入学したんだぞ! それなのに、部活を廃止するとか舐めてんのかこの野郎ォ!!」

「だ、だからって武力行使はよくないです! 学校の方に聞きましたが、骨折した人だっていたそうじゃないですか!」


「知らねえよッ! オレ達の青春の邪魔するヤツなんか、この力で消し炭にしてやらぁ!」


 日に焼けたごつい手を天に掲げて、ヤツは解除呪文(アンロックワード)を唱えた。


「唸れオレの魂! 超魂能力(ソウルスキル)《燃える魔球》!」


 途端、岩石野郎の手中に野球ボールサイズの火の玉が出現した。それは赤々と燃えて、周囲の空気さえ焼き食らっていくようだった。


「目ん玉開いて、よおく見てろよ」


 岩石野郎は足を腰より高く上げ、河川敷の坂を睨んだ。そして大地を力強く踏みしめ、直角に曲げていた腕を空を切るように振るう。その流麗なフォームは普段野球を見ない俺でも、ヤツが今まで数えきれないほどの球を投げ続けてきたのだろうと一目で解することができた。


火の玉は目にも止まらぬ速さで坂に着弾、音を立てて瞬間的に燃え膨らみ、だがすぐに消えた。着火した部分を一瞬で飲み込んでしまったせいで、燃焼し続けるための焚き物さえ残らなかったのだろうか。


「ハッハッハッ、どうだオレの能力は! 降参するなら今の内だぞ!」

「悪いが、お前と戦う気は毛頭ない」

「はあ?」


 呆けるヤツを置き去りに、俺は胴乱から黒いタスキを取り出し、手早く腕の袖をまくり固定する。そして腕まで露わになった両手を天上に突き出し、解除呪文を叫んだ。


「心に灯れ俺の魂。超魂能力祈願之筆(きがんのふで)


 唱えるやいなや。


 …………。

 ……………………。

 …………………………………………。


「あれ……?」


 何も起きず困惑する俺を、岩石野郎は指差して哄笑した。


「ぶっははははは! おめえもハッタリ野郎か!」

「は、ハッタリ……?」

「そうとも! そこの女共と同じ、威勢だけのハッタリ野郎だろう!?」


 美甘の方を見やると、彼女は悔しそうに拳を握り締めていた。


「おい、美甘。これってどういう……」

「……魂力切れですよ、灯字ちゃん」

「魂力切れ……?」


 問うと彼女は頷き、続けた。


「はい。灯字ちゃんは今日、珍しくお仕事頑張ってましたよね?」

「珍しくは余計だ……」

「だからそのせいで、超魂能力に必要な魂力が足りなくなっちゃってるんですよ」


「……エネルギー切れみたいなものか?」

「ええ。身体の体力切れ、心の鬱状態と同じです」


 俺に戦う力がないと気付いた野球野郎共は、じりじりとこちらとの距離を詰めてくる。

 チクショウ、打つ手がない……!


 万事休すかと思われた、その時。


「グハハハハハ! グーッハッハッハッハッハ!」


 河川敷に幼い女の高らかな笑い声が響き渡った。


「なっ、何っすか!?」

「……あっ、あそこだ!」


 岩石野郎の指差した先。

 太陽の光を背に受け、橋の上に佇む影が一つ。

 そいつは漆黒のマントで身を隠し、こちらを見下ろしていた。

 足場の悪い手すりの上にいるにかかわらず、風が吹きつけようとも金色の髪とマントがはためくだけで、態勢が揺らぐことはない。


「なっ、何者だッ!?」


 タダ者ではない気配を察したのか、岩石野郎は警戒心露わに問いただした。

 少女は場にいる全員に聞こえるよう、声高に答える。


「聞けっ、三流の悪党共よ! 我こそが真の悪にして、世界を統べる者! 人呼んでっ」


 マントを脱ぎ棄て、少女は正体を現す。

 その子は美甘よりもさらに小さく、小学生にも見える可愛らしい容姿だった。

 彼女は歌舞伎役者のように大仰に見栄を切って名乗りを上げた。


「魔界の覇者っ、世界マイン(せかいまいん)! 混沌の世に正しき悪を示すべく、ここに推参ッ!!」


 なかなか様になっているポーズを決める少女。時代が時代なら体操部のエースになっていたかもしれない、見事な柔軟性と平衡感覚である。

 しかし野球野郎共の目は別の部分に奪われていた。


「おっ、おいっ、あれ……」

「間違いねえっす、あの制服は天下の名門校、ドリーム高校のヤツっす!」


 マインの着ている服はこれまた風変わりだ。

 トップスはクリーム色のセーラー風半袖着物。衿部部についているカラーは若葉色で、白ラインが二本入っている。袖は通常の着物と同じ大きさの元禄。

 スカートは菫色の袴風で、色とりどりの蝶が舞っているシルエットが描かれている。

 彼女は本革製のブラウンのレースアップブーツを履いているが、色はいくつかの種類の中から選べるそうだ。

 道楽衣装に見えるかもしれないが、ドリーム高校のお偉方が指定した正式な女子用制服だ。ただちょっとばかしデザイナーが無駄に張り切りすぎた感は否めないが。


「ってことぁ、おめえはドリーム高校の治安維持委員か!?」

「察しがいいな。だがただの委員ではない。我こそはドリーム高校の治安維持委員会の長である!」


 つまり委員長ってことだ。

 野球野郎共の声がざわっと上がり、緊迫感が張り詰める。

 ふと彼等の内の一人がある疑問を呈した。


「ところで、あの眼帯は何なんっすかね?」


 彼が言ったのは、マインの左目にある黒い眼帯のことだ。


「……分からねえ。おめえさん等、油断するんじゃねえぞ。あれに何かとんでもねえ奥義みたいなもんが隠されてるかもしれねえからな」


「「「うっすッ!」」」


 野球野郎共の威勢のいい返事が重なり響く。

 彼等は知らない。あの眼帯の本当の意味を……。


「……まあ、思いませんよね。ただのお洒落道具だなんて……」

「しっ、美甘っち。アイツらに聞こえちゃうっしょ」


 美甘と久遠先輩のひそひそ会話は、幸い気の昂っている野球野郎共の耳には届かなかったようだ。

 マインは「とうっ!」と声を上げ手すりから飛び、くるりと宙で一回転して俺の横に軽やかに降り立った。テレビや動画だったら「危険ですのでよい子のみんなは真似しないでください」のテロップが出るところだ。

 彼女はしゃがんだ姿勢のまま訊いてきた。


「灯の字よ。先ほどの様子を見る限り、そなたは魂力を切らしていたせいで超魂能力を使えなかったようだな」

「ああ、そうなんだ」

「なればその力の源泉、我が蘇らせてやろう」


 そう言ってマインは地に手を突き、解除呪文を唱えた。


「古の眠りより目覚めよ我が魂。超魂能力《ハートフィールド》ッ!」


 途端、彼女の触れた地面が淡く緑色に輝き、それが広がっていく。

 その輝きに包まれた途端、俺の胸中が温もりを放ち、頭の中がすっと澄み渡っていくような気がした。


「何だこの感じ……。すごく、気持ちがいい……」

「グハハハ。我が魔術《ハートフィールド》は望んだ子羊の精神力と魂力を回復させることができる! 今なら、そなたの超魂能力を発動させることもできよう」

「ありがとう、マイン」

「礼には及ばぬ。さあ、見せてみよ。そなたの能力を!」

「ああっ、やってやる!」

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