34.嘘と心配

 気分が悪い。

 込み上げてくる吐き気を抑え込むように手で自分の口元を覆いながら自宅のドアを開ける。


「ただいま……」


 家に帰ってからはドアの鍵を閉め、それから荷物を玄関に置いた私はすぐに寝室へと向かった。


 長谷川一花、まさか彼女と会うなんて思ってもみなかった。

 思い出されるのは先程のことばかり、一体何故彼女があんなところにいたのか。

 私は寝室にあるベッドに倒れ込み、ゆっくりと目を瞑った。



◆ ◆ ◆



 夕暮れ時の大通り、そこには中学生時代の知り合い、長谷川一花がいた。


「久しぶりー、花蓮ちゃん」

「ひ、久しぶり。一花ちゃん」

「なになに? 元気なさげじゃん。どうしたの?」

「いや、別に何でもないよ。ただ疲れてるだけ。じゃあもう良いかな?」

「そっか、もっと話したかったけどお大事にね。あとそうだ、今度合コンがあるんだけど花蓮ちゃんも来てよ」

「う、うん。分かった」

「じゃあ連絡先教えてー」

「はい」

「ありがとー。じゃあ私友達待たせてるからまたね。後で連絡する」


 一花はそう言って友達──先程まで会話をしていた男のもとへと戻っていった。


 またそういうことなのか。ここでも私を利用しようとしているのか。込み上げてくるのは怒りの感情、私は必死にそれを抑え込む。


 そうか、私はまだ彼女を許せてないんだ……。


 咄嗟にそう感じてしまった私は声を荒らげそうになるのを必死に我慢しながらただその場で立ち尽くすことしか出来なかった。



◆ ◆ ◆



 ふと目を覚ますと、そこは寝室のベッドの上だった。さっきと違うのは既に日が沈み、夜の帳が下りていることくらいだろうか。

 どうやら私はいつの間にかに眠ってしまっていたらしい。


「最悪……」


 しかし、寝起きのぼんやりとした頭はすぐに今日の彼女──長谷川一花との出来事のことを思い出してしまう。

 言葉が漏れてしまうほどの嫌悪感、長谷川一花のことが、何より彼女に対して未だにあんな態度しか取れない自分自身のことが嫌になる。それと同時に彼女の誘いを断れなかったことに対しての後悔が今になって押し寄せてきていた。


「何が合コンだよ。私を参加者に入れようとするなよ」


 これを本人の前で言えたらどれだけいいか。そんなことを考えていたところで例のようにインターホンの音が部屋で鳴り響いた。

 まぁ来るよね、分かっていましたとも。

 私は玄関の方へと足を運ぶ。


 既に誰が訪ねて来たのか想像はついているが、一応念のため玄関のドアに付いている覗き穴から外の様子を窺うとそこには楓と桜田の二人の姿が映っていた。


 鍵を開け、ドアもゆっくりと開けていく。そうしてドアを完全に開ききると、それから少しして桜田が心配そうな表情で私の名前を呼んだ。


「有栖川……」


 彼の呼び掛けからは色々事情を聞き出したいというニュアンスを感じるが、それでも躊躇っているのか一向に何か聞いてくることはない。

 それは楓も同じようで、しばらく私達の間には無言の時間が流れていた。


「……とりあえず上がる?」


 流石にこのまま長い時間はいれられないと思った私が一言そう発すると、二人は緊張の糸が切れたようにホッと息を吐く。

 それから私は二人を引き連れてリビングに向かったところで彼らに話を振った。


「もしかして心配して来てくれたとか?」


 私の言葉に楓は大きく首を縦に振る。

 まぁ彼らのことだ。大体そういう理由で訪ねて来たのだろうということはある程度予想が付いていた。

 それにあの時の私は自分でいうのもなんだが、かなり様子がおかしかった自覚はある。それで二人に気づかれないというのはあり得ないだろう。


「有栖川の様子がおかしかったから来た。余計なお節介かもしれないとは思ったんだがそれでも心配でな」

「そうです、なんだか有栖川さんがいつもの有栖川さんじゃないみたいでした」


 いつもの私じゃないか。確かにその通りかもしれない。あの時の私はだった。


「いつもの私じゃないか……」

「はい……もしかしてまた体調が悪いんですか?」

「まぁバイト終わりで疲れてたのかもしれないね。でも体調が悪いわけではないかな」

「だったらあの知り合いとかいうやつが原因なのか? 何があった?」


 続けて桜田が意を決したように言葉を発する。恐らく最初からこれが聞きたかったのだろう。


「まぁ話せば色々長くなるんだけど、そうだな……」


 何から話せば良いのか、とりあえず初めはこれだろう。


「まずあの一花って子とは中学生の時ずっと一緒のクラスだったんだよ。普通に話したり、遊んだりした仲だったかな」

「……ということは本当に友達だったってことか」

「そうだったね」

「今は違うのか?」

「だって卒業してからお互い別々の高校行ったんだよ? 中学生の時は携帯持ってなくて連絡する手段なかったし、それに喧嘩したんだよね。だから顔会わせづらくて」

「そうか、それで有栖川の様子がおかしかったのか」

「そうそう、そういうこと。まぁ向こうはもう気にしてないみたいだったけど。だから桜田君達は何も気にしなくて良いんだよ。これは私の気持ちの問題だからね」


 私の言葉で納得してくれたのか桜田は『そうか』と一言だけ呟く。そんな彼の言葉に楓も安心したのかふーっと深く息を吐いた。


「事情は分かった。夜に邪魔したな」

「お邪魔しました」

「うん、またね」


 そう言って手を振れば、楓だけはそれに応えてくれる。しかしもう一方の桜田に関しては手を振ってくれるどころか、私と目すら合わせようともしてくれなかった。


 もしかして今のが嘘だってバレたのかな……。

 手を振りながら、微笑みながら、そんなことを考えてしまうが、きっと私の思い過ごしに違いないとすぐに浮かんだ考えを外へと追い出す。

 だって彼に私の嘘が見破れるわけがないのだ。

 もし私の嘘が見破れるとしたらそれは当事者くらい。流石に桜田が同じ中学校にいなかったことくらいは覚えている。


 それに所詮彼らとはただの友達だ。もし今ので嘘がバレて愛想をつかされとしても私としては何の問題もない。寧ろお節介されることがなくなる分、嬉しいまである。


「そうだよ。二人とはただの友達で、別にいなくても変わらない」


 そもそも少し前までは一人だったのだ。少し前に戻ると思えば何も変わらない。そうだ、何も変わらない。

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