第五章 社会を変えるために

第一話 この社会のために

 俺はセリーと一緒に魔法契約書をもってレミアンのところへ行くと、「お前ならやっちまうと思ったが、面貸せ」といわれて一発殴られた後に笑いながら「よくやったな」と俺とセリーの頭をワシワシと撫でたのだった。

 それ以降はレミアンが任せろというので、半ば疑心暗鬼になりつつも、数日間待つと進展があったのだから驚きである。


 その動きは実に早く、そしてあっけない幕引きだった。

 一日のうちに裁判が閉廷し、次の週にはグランテ公爵は牢屋に入れられることになった。グランテ公爵は国家反逆罪として終身刑を言い渡され、手錠で繋がれて町中を一周すると牢屋に連れていかれた。罪を犯した囚人が一度さらされるのはこの町の風習みたいなもので、人々が罪を犯さないよう心理的に抑止する役割を担っている。


 グランテが牢屋に連れていかれたのを俺が目の前で確認した後、感謝の言葉を述べようとセリーと一緒にレミアンが滞在していた宿に足を運んだのだが、既にレミアンはいなくなっていた。宿の受付に、レミアンがどこに行ったか聞いても分からず、感謝を伝えることは叶わなかった。


 平穏な日常、とは言わないが、俺たちはいつも通りの日常に戻っていた。

 グランテ公爵の屋敷からついでに盗んだ宝飾品があるので、孤児院に寄付をしても、当分食うには困らない。俺たちはいつもの食卓を囲み、いつも通りメッテのご飯を食べている。


「はい、今日はセリーちゃんの好きな羊肉のシチューよ! いい牛乳が手に入ったから、かなりの自信作! ほら食べて食べて!」


 メッテは松葉杖を使いながら器用に料理をする。リハビリの成果もあり、直立なら安定するようになったが、足を動かすとなると松葉づえに頼りながらではないと無理だ。しかし、なんだかんだ家事も完璧にこなすのだから、メッテには頭が上がらない。


 セリーがいつも手伝いをすると申し出ても、メッテは持ち前の巧みな話術でのらりくらりとかわし続け、家事という自分の領域を誰にも譲ることはない。俺も自分の部屋の掃除ぐらい自分でやろうとしたら、メッテに怒られたことがある。彼女曰く、家事が自分にとって最も良いリハビリなのだという。


「ありがとうございます! 凄い良い匂いです!」


 シチューの皿が食卓に並べられる。

 ゴロゴロと大ぶりな羊肉が、甘い匂いのする白いソースの中に転がっていた。


「そうでしょ、そうでしょ! ゼルもセリーちゃんみたいにもっとはしゃいでくれれば、もう少し料理する側の楽しくなるのに」


「……美味しいって分かってるから、意見しないだけだ。大体、俺がはしゃいでるところを見ても気持ち悪いだけだろう」


「ま、それも一理あるけどねー!」


 そういうと、メッテは松葉杖をテーブルにもたれさせるように置き、俺の隣に座る。

 セリーは笑顔のまま、シチューを口の中に運んでいく。頬を膨らませながら一心不乱に好物にかぶりつく様子は、幼い子供のそれにしか見えない。一皿食べ終えたところで、セリーの表情が一変し、笑みが消えたのだった。


「どうしたの、セリーちゃん? 悩みごと?」


 セリーの心境の変化に気づいたメッテが、問いかける。セリーは重い口を開いた。


「メッテさん、ゼルさん、一つお伝えしたいことがあります」


 依頼でも相談でもないということは、これからセリーが口にすることは確定事項であると、俺たちは察した。


「……私、家に帰ろうと思います」


 セリーの突然の告白に、俺の心拍数は上昇する。一瞬頭の中が真っ白になるものの、何とか冷静を保つ。


「……そうか」


 俺は落ち着いてそう返答するが、メッテは驚きのあまり声が出ないようだった。

 とうとうその時が来たか、と俺は心の中で呟く。セリーは今も昔も貴族である。最近は盗賊の色に染まりつつあるが、それでも書類上の「貴族」の二文字を消すことはできない。


「父上が牢屋に入った今、グランテ家の領土を管理するものはいません。家系図上は兄上と私がグランテ家の領土を任されることになっております。色々考えた結果、帰るのであれば、今このタイミングだと判断しました」


 現在の社会制度上、グランテ公爵から公爵位がはく奪されることはないが、グランテ公爵の子供が実質の裁量権を引き継ぐことになる。旅に出ていたというグランテ公爵の息子は急遽帰還し、慣れない作業に四苦八苦しているらしいとの噂は巷に流れていた。

 グランテ公爵に虐待されていたセリーがどれほど力を持てるのかは分からないが、制度上は公爵位を引き継ぐことになるし、形だけでも権力者になることが出来る。


「……本当に、戻っちゃうの? セリーちゃん?」


 メッテは目に涙を浮かべながら、セリーに確認する。


「……はい、ゼルさんとメッテさんには大変お世話になりました」


 セリーは人一倍メッテのことを慕い、好意を寄せていた。セリーは出来るだけメッテを悲しませることを回避する行動をとる。だが、今回のセリーはメッテの涙を見ても引くことはなかった。それほどセリーの決心は堅かったのだ。


「私はこの社会を変えたい……ゼルさんとメッテさんが住みやすい、そんな国にしたいんです。お兄様は父上と違って、勤勉で良識のあるかたです。父上の傍若無人な態度に愛想を尽かせ、家出同然で屋敷を出ていったぐらいまっすぐです。私は……兄上と一緒にこの社会を変えたい!」


 クエストでもサポートしてもらったり、グランテ公爵の屋敷に一緒に潜り込んだり、長く行動を共にしていく中で、セリーがもしかしたら盗賊としてずっと傍にいるのだと錯覚していた自分に気づく。彼女は貴族として、セリーとしてこの社会で何が出来るかを常に考えていたのだ。俺たちが想像していたよりも、セリーは思考を巡らせており、そして大人だった。


 俺はメッテと目を合わせる。

 メッテの目は赤く充血しており、その動揺を隠しきれていないが、概ね方向性は同じであると確認できた。


「……わかった」


 セリーとしては決定事項であり、別に俺の許可など必要ないのだろう。

 だが、このような大きな決断では誰かに背中を押してもらいたいのだ。俺がレミアンやメッテに背中を押してもらったように。


「盗賊として、お前をかなり鍛えてやったつもりだ……ちょっとやそっとじゃ倒れやしないだろう。この世界で歴史を刻む貴族になれ。お前なら出来るはずだ」


「はい!」


 素直に人を応援することは久々で、気恥ずかしい。

 だが、不器用な言葉はセリーに幾分か伝わったようで、彼女は明るく返事をした。


「……グスッ……い、いつでも戻ってきてね、セリーちゃんならいつでも歓迎するからあ!!」


「め、メッテさん……! い、痛いです……!」


 メッテはセリーの手を両手で思い切り握りしめている。

 本当は放したくないのだろうが、メッテはそれほど理解のない女性ではない。


「この社会で貴族が盗賊になれる日が来たら……その時には、必ず私はここに戻ってきます。私の家は、ここにしかありませんから」


 卑怯だ。そんなことを言われたら、俺も感情を抑えられない。

 最後のセリーの言葉に刺激された感情は、涙となって俺の頬を伝る。


 ああ、これで良かったのだ。セリーを誘拐してからずっと心の中にしまい込んでいた罪悪感が消えていく。

 心の重荷が軽くなり、自分を責めなくて良いのだと、自分のやってきたことは間違っていなかったのだと、そう認めてくれた気がした。


「ゼルさん、メッテさん。――今までありがとうございました」


 セリーがこれから社会を変えられるかは分からない。

 貴族は貴族なりの苦労があり、立ち向かわなければならない課題もあるだろう。


 その時に、俺とメッテはセリーのための居場所になれればいい。


「ああ、――全力で行ってこい」

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