あくりかわ事件

1つ目の発端

 地元出身の現職町長、新戸ほめるの一人っ子である陽喜夫ひきおは、父の再婚を機にワガママと自意識の塊となった。抑圧されていたきたないものを吹き出させるその行為自体は珍しいものではないが、問題はその年齢である。

 30歳を越えてからの口癖が「親父に言いつけてやる」となると、自ずと友人関係も限られてくるのだ。

 今、陽喜夫は、パチンコ五百億兆ドルの前で、友人たちとともにプラカードを掲げジグザグに走り回っている。


 友人といっても一回りも二回りも若い連中だ。友人というより父のカネで飲み食いしているだけの雇用関係に近いが、陽喜夫は友人だと思っている。


 入店していく客を睨みつけながら、陽喜夫たちはバラバラに鬨の声を上げた。プラカードに書いてある内容を連呼しているのである。


「違法ギャンブルを潰せ!」

「パチンコは毒だ!」

「五百億兆ドルの店長は暴力団!」


 しかし、妙に客の数が多い。はたと気づいた陽喜夫は落ち着きをなくし、友人たちに今日の日付を確認した。


「5月15日ですが」


 イベント「ゴリゴリミリオンドリーム」の日だった。ますます落ち着きをなくした陽喜夫はプラカードを友人に預け、少しだけ考えたふりをした後五百億兆ドルへ入店、10秒後には尻を蹴られて追い出されていた。これにはイエスしか言わない友人たちも失笑を隠せない。


「あいつらふざけやがって! 違法ギャンブルのくせに!」


 見当違いも甚だしい逆恨みを込めた遠吠えに、本気で呼応する者はいない。それでも再び店外でなんやかんや騒いでいると、店長の釘尾が姿を現した。


「お前ら、デモするのはいいけど、道路使用許可、警察に出したのか? そこ、うちの敷地じゃなくて道路だぞ」

「だ、出してある。暴力団の手先め、店をたたんで町から出ていけ!」


 陽喜夫は記憶を探った。確か、誰かに頼んでおいたはずだ。


「なら移動しないと。デモは止まったら法律にひっかかっちゃうぞ?」

「うるせえ、わかってるわ!」

「あと、敷地内でわいわい騒いで打たないのなら、出てった方がいい。おれここの3階に部屋があるから、住居侵入罪」


 釘尾はタバコに火を点け、煙を陽喜夫に向かって吐き出した。目を閉じ咳き込んだ陽喜夫が気づくと、友人たちは全員消えていた。店内に入っていったようだ。


「ずいぶんと仲の良いお友達をお持ちで」


 皮肉しか含まれていない釘尾の言葉を、そのまま解釈した陽喜夫は胸を張った。


「そうだ。わざわざおれの依頼に応じて集まる、気のいい奴らだ」

「お前、いつからそんなバカになった? 高校の時はまだ普通だったと思うが……。まあいい、二度と来るな」


 携帯電話を取り出し、釘尾はどこかへ電話をかける。その直後に、痩せぎすの男がぬらりと現れた。上から下まで白一色といういかれた出で立ちである。


「なんだこのくたびれたチータラみたいなのは」


 思ったままの言葉を吐いた陽喜夫だったが、次の瞬間には白いもので視界と動きを封じられていた。


「殺しますか」

「いや、そこまでで」


 何やら物騒な会話が途切れ途切れに聴こえてくる。包帯でぐるぐる巻きにされたと知ったのは、しばらく後のことだった。


 駐車場の片隅に転がされた陽喜夫は、芋虫のように蠢いて脱出を試みた。だがまったくうまく行かない。猿ぐつわのように包帯を噛まされているので、声も出せない。かろうじてくぐもった悲鳴を上げていると、何人かが近づいてきた。


「なんじゃあ、この芋虫は」

「ああ、殺し屋の仕事だべ」


 じゃあ手出しせんほうがよかっぺと言い残し、男たちは去っていった。

 この町にまともな奴はいないのかと自分の行動を棚の上に放り投げ、心の中でわめき続ける。友人たちはどうしたのだろうか。自分をほっぽって帰ってしまったのだろうか。

 いや、そんなわけはない。あれだけタダで飲み食いさせてやっているんだ。おれを裏切るわけがない。友達が友達を呼び、今やおれのグループは30人以上に膨れ上がっている。一人ひとりの名前すら覚えていないが、向こうがおれを知っていればそれでいい。多分今は、大当りが続いて出てこられないのだろう。


 突然目の前が開けた。二人の男女がしゃがみこんでこちらを覗き込んでいる。


「おめえ、町長んとこのボンか?」


 確か酒屋の親父だ。酎條ちゅうじょうといったか。隣の女は肉屋だったような気がする。陽喜夫は無言で二人の顔を見返した。黙っていても助けるだろうという意識の現れである。


「ん、なんだボン」


 それでも陽喜夫は無言だった。ただ目線と首の動きで伝えようとする。


「いいよ酎條さん。助けてもらった礼も言えないんだよ。とっとと換金してからあくりかわ行こう」


 肉屋のにくばやしが明るい表情で促した。


「けど、喋れねえかもしんねえじゃん、このボン」

「いいから早くここから出せよ!」


 陽喜夫は声を張り上げた。


「ね。都合のいい時だけ声出すんだよ、こういう甘ったれは」


 さらりと的確な判断を下した肉林は立ち上がり、換金所へと向かった。酎條も後を追う。


「ま、待て! 助けろ! 助けたら親父に行ってお前たちの店を……」


 独りよがりのその声は、もう誰の耳にも響かなかった。

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