不可思議先輩は砂糖と塩を間違えている。

ブリル・バーナード

不可思議先輩は砂糖と塩を間違えている。

 

思いついたので、ノリと勢いで書きました。

季節外れですが、バレンタインデーの話です。


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 放課後の学校は賑やかだ。特にテストが終わった直後だからだろう。午前中で終わりだし、生徒たちはいつも以上に元気だ。それに加え、今日は2月14日。バレンタインデーなのだ。

 女性が仲の良い男にチョコを渡す聖なる日。リア充たちの祭典。ボッチには唇を噛みしめ、血の涙を流す地獄の日。

 ボッチの俺は今、震えながら男子トイレの個室に閉じこもっていた。消臭剤の匂いがキツイ。

 イジメ? 違う。

 腹痛? 違う。

 緊張。正解。

 興奮。正解かもしれない。

 ゴクリ、と喉を鳴らして、震える手であるものを握りしめる。


「こ、これは恋文、ラブレターというやつか!?」


 ピンク色の封筒。差出人は書いていない。やはり、これはラブ手紙レター!?

 俺がいつも通り一人で帰ろうとしたら、靴箱にこの封筒が入っていたのだ。周囲を確認し、ポケットにねじ込んだ俺は、即座に近くの男子トイレに飛び込んで、現在に至る。

 様式の便器に座り、俺は考える人になる。

 待てよ。ラブレターと断言するには早すぎる。


「まさかドッキリ!? 悪戯!? あ、あり得る。ボッチの俺の反応を楽しむために……」


 そう考えたところで、俺は首を横に振って、その考えを吹き飛ばす。

 あり得ない。俺はボッチなんだ。反応を楽しむような人はいない。俺は生粋のボッチだ。

 あはは……なんか心の汗が……。

 取り敢えず、震える手で手紙を開ける。中には可愛らしい便箋が入っていた。

 可愛らしい丸文字を想像していたのだが、お手本になりそうなくらい綺麗な字だった。


『今日の15時に百千公園で待っています』


 たったのその一行。簡潔な内容だった。

 百千公園は学校の近くにある小さな公園だ。住宅街にひっそりと存在している。知らない人も多いはず。手紙の差出人はそんな公園を指定してきた。

 一体何をするつもりだ? やはり悪戯か?

 いやいや。本気の告白というのも極僅か、奇跡にも等しい天文学的確率で残っている。

 仕方がない。まだ時間はあるから、一度家に帰って昼ご飯を食べてから向かうことにしよう。

 手紙をリュックに仕舞って、トイレから出る。

 再び靴箱に向かっていると、歓声が聞こえてきた。男子だけじゃなく、女子たちも群がっている。

 チラッと中央にいる人物が見えた。黒髪ロングの凛とした女子。生真面目な雰囲気の美少女。確か名前は不可思議ふかしぎ 須臾しゅゆ。一つ上の先輩だ。美人で有名。

 テストの時に名前を書くのが面倒くさそうだと思う。


「ちゃんと全員分のチョコはあるので、押さないでください!」


 なるほど。チョコを配っているのか。美人から貰えるなら、あんな歓声も上がるだろうな。貰えるなら俺も貰いたい。

 押し合いが起きている群衆を遠目に見て、俺は一人寂しく靴箱に向かう。


「リア充爆発四散しろ」


 ボソッと呟き、少し乱暴に靴箱を閉めた。

 バレンタインデーなんか滅べばいい。



 ▼▼▼



 百千公園の時計の針が14時50分を指している。ブランコに飽きた俺は、ベンチに横になっていた。

 まだ2月。凍えるほど寒い。来るのが早すぎたようだ。この体の震えは寒さによるものだ。決して緊張によるものではない! 違うと言ったら違うのだ!

 ……くっ! 落ち着かない!

 やはりドッキリなのだろうか。悪戯なのだろうか。来るのは間違いだっただろうか。

 そんな考えが頭の中をグルグルしている。

 目を閉じて、大きく息を吐く。肺で熱せられた息は白く染まっていたに違いない。


「お待たせしました」


 突然、凛とした澄み渡った声が聞こえた。

 なんだ幻聴か、と思い込んだその時、異を唱えるかのように熱いものが頬に当てられた。俺は慌てて飛び起きる。


「熱っ!?」

「ご、ごめんなさい。熱かったですか?」

「いや、大丈夫です……って、不可思議先輩?」


 火傷を負わせようとしたのは不可思議先輩だったらしい。学校帰りなのか、まだ制服姿。手には自販機で買ったであろうホットココアの缶。

 睫毛が長くて、瞳が綺麗で、パッチリ二重で、日本人離れした美貌で、スタイルが良くて、黒いストッキングで覆われた肉付きのいい脚がエロくて、身体から甘い香りがする。何より、マフラーがよく似合っている。

 近くで見るとより一層美人だ……。

 そんな不可思議先輩が美しく首をかしげる。


「あれ? 何故疑問形なのですか?」

「いや、先輩がここに来るとは思わなくて……」

「手紙に名前を書いて……書いて……ない? あれっ? 私、手紙に名前を書き忘れてました?」

「手紙って、これのことですか?」


 ピンク色の封筒の手紙をポケットから取り出した。そうです、と不可思議先輩が頷く。どうやら、差出人は不可思議須臾先輩だったらしい。


「完全に書き忘れていましたよ」

「申し訳ありません。つい緊張して、名前を書き忘れてしまったようです」


 不可思議先輩は、礼儀正しく頭を下げた。美人の先輩に頭を下げられると、とても居心地が悪い。


「謝る必要はないですから! と、取り敢えず、座ってください」

「はい。失礼します」


 何故この先輩は、俺の隣に密着するように座るのだろう? ベンチは長いのに。

 天然か? それとも誘っているのか?

 あ、寒いからか!

 先輩が隣に座ったことで、俺の体温も急激に上昇している。

 気まずい。離れたい。でも、離れたくない! この機会チャンスを逃したくない!

 思春期の青少年の心はとても複雑である。


「本題に移りましょうか。今日呼び出したのはですね……」


 ゴクリ、と喉を鳴らしたのは一体どっちだっただろう。

 俺は猛烈に緊張している。先輩も緊張しているように見えた。

 頬が赤いのは、寒さだけのせいではない。

 柔らかそうな先輩の唇が開き、白い吐息と共に、言葉を紡いだ。


「『さとうとしお』くん。これを受け取ってください」


 先輩の手には、綺麗にラッピングされた箱が握られていた。バレンタインデーのプレゼントだ。中身はおそらくチョコだろう。

 俺はじっとその箱を凝視し、ゆっくりと手を伸ばして、受け取らなかった。そっと押し返す。

 不可思議先輩は戸惑っている。


「えっ?」

「すみません、先輩。『さとうとしお』を間違えていますよ」

「えっ?」

「俺は確かに『さとうとしお』ですけど、先輩の言う『さとうとしお』は別のやつです。だから、受け取れません」


 俺の名前は『佐藤利夫』だ。でも、学校にはもう一人『さとうとしお』が存在する。奇しくも俺と同じ学年。漢字は一文字だけ違う『佐藤利男』だ。

 『佐藤利夫』の俺はボッチ。でも、『佐藤利男』の彼はバスケ部のレギュラーで高身長なイケメン。テストの成績もいい文武両道のモテ男だ。

 不可思議先輩は、『佐藤利男』にチョコをあげるつもりで、間違えて『佐藤利夫』である俺の靴箱に手紙を入れてしまったのだろう。

 先輩の勘違い。間違い。ここに来るはずだったのは、俺ではない。

 あはは……なんか心の汗が……。


「――いいえ。ちゃんと合っています」

「えっ?」


 今度戸惑うのは俺の番だった。ちゃんと合っている? どういうことだ?


「私は貴方に受け取って欲しいんです、佐藤利夫くん」

「俺に? 俺なんかが? どうして……?」

「好きだから、ですよ」

「は?」


 俺の時間が止まる。恥ずかしそうに微笑む先輩の顔から目が離せない。


「な、なんで先輩が俺なんかを。きっかけも理由もないはずです」


 声がかすれる。あり得ない。美人の先輩が俺を好きなんてあり得ない。罰ゲームだろうか。それとも、これは夢だろうか。夢なら覚めないで欲しい。

 でも、先輩の甘い香りも、美しい眼差しも、白い吐息もリアルすぎる。

 不可思議先輩が、ニッコリと微笑む。


「人を好きになるのに、きっかけや理由は必要ですか?」

「えっ?」


 もう何度目の戸惑いだろう。頭が混乱して状況が理解できない。


「気づいたら貴方のことを目で追っていて、気づいたら好きになっていたのです。それの何が悪いですか?」


 キッパリと断言する先輩。好きになるのにきっかけや理由があるのは多いだろう。でも、確かに理由がないこともある。

 そうだな。先輩の言う通り、人を好きになるのに、人に恋するのに、きっかけや理由は必要ない。


「……何も悪くないです」

「そうですか。では、受け取ってくれますか?」

「……はい」


 俺はラッピングされた箱を受け取ってしまった。よく見たら、所々不格好というか、素人感がにじみ出ている。市販のではなく、先輩が自らラッピングしたのだろう。


「利夫くんだけの特別なプレゼントです」


 耳元で囁かないで欲しい。心臓に悪い。大きく飛び跳ねて、そのまま止まってしまうかと思った。


「告白もしてしまいましたし、返事は今すぐ聞きたいところですが……」


 チラッと不安そうな先輩が俺を見るが、俺に余裕は全然ない。今すぐ返事をしろなんて無理だ。無理無理無理。絶対に無理。頭がおかしくなりそう。

 何故か先輩は、ベンチに置いていたホットココアの缶のプルタブを開ける。口をつけてコクリと数口飲む。ゆっくりと嚥下し、喉が艶めかしく動く。なんかエロい。

 悪戯っぽい笑みを浮かべた先輩は、少し飲んだココアの缶を俺に手渡してきた。


「交際を了承するなら飲んでください。ダメならベンチに置いてください」


 な、なんですとぉー!? 俺に間接キスをしろというのかぁー!?

 返事をするよりも難易度が高いんですけど。


「えぇ……」

「はい、ちゃんと飲んでくださいね」


 それって事実上の強制じゃないかぁー! 先輩って結構押しが強い?

 いやでも、イエスかノーかと言われたら、もちろんイエスだ。先輩のことは嫌いではない。好きか嫌いかと言われたら好きと答える。

 正直に言うと、恋愛的に好きかどうかは自分でもよくわかっていないが。

 俺は覚悟を決めた。


 ――ゴクリ。


 熱い液体が喉を伝い落ちる。

 ココアの味は全然わからなかった。ただ、温かくて甘いということだけはわかった。

 先輩が嬉しそうに微笑む。


「間接キスを確認しました。よろしくお願いしますね、旦那様」

「は? 旦那様?」

「ふふふっ。冗談ですよ、利夫くん」


 クスクス笑った先輩は、俺の手からココアを奪うと、再び口をつけて数口飲む。

 せ、先輩も間接キスをー!?


「甘いですね。幸せの味です」


 よ、よくそんなことを堂々と言えますね。聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど。

 返されたココアの缶を、俺は呆然と眺める。

 先輩の唇が確かに触れた缶の飲み口。また間接キスをしてもいいのだろうか。

 付き合い始めたらしてもいいよな? していいはずだ……多分。


「さて、そろそろ私は帰りますね」

「帰るんですか?」

「はい。本当はもっと利夫くんと一緒に居たいですけど」


 先輩は俺の心臓を破壊したいのだろうか。心停止してしまうぞ。

 寂しそうな先輩は、制服のスカートのポケットに手を入れて、紙のようなものを取り出した。


「メアドや電話番号、SNSの情報を書いておきました」


 そこで一旦言葉を区切った先輩は、スッと顔を近づけてきた。耳に熱い吐息が降りかかり、甘いココアの香りが漂う。


「絶対に連絡をくださいね。待ってますから――」


 心臓が止まった。脳も処理能力をオーバーして、熱暴走をしている。

 熱い。身体が熱い。二月で寒いはずなのに、身体が猛烈に熱い。

 俺の心臓を射抜いた先輩はスッと立ち上がると、またね、と可愛らしくウィンクして帰っていった。

 俺にできたことは、呆然と見送ることだけ。

 公園に残された俺と飲みかけのココアとバレンタインのプレゼント。


「……開けてみるか」


 ようやく体が冷えた俺は、ラッピングを解き、箱を開ける。

 中にはいくつもの薄い板状のチョコが入っていた。若干不格好ながらも美味しそうな手作りチョコ。

 一つ手に取って一口齧る。パキッと同時にサクッとした歯ごたえを感じた。


「ふむふむ。中にクッキーが…………うっ!? 辛っ!?」


 口の中でチョコが蕩けた瞬間、味に猛烈な違和感を感じて、慌ててココアで胃に流し込んだ。

 間接キスを楽しむ余裕などなかった。


「――先輩。やっぱり『さとうとしお』を間違えてますよ」


 俺は残りを口の中に放り込む。

 塩味が強かったけど、それ以上に何故かとても甘く感じた。




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不可思議先輩は砂糖と塩を間違えている。 ブリル・バーナード @Crohn

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