第22話 二人でひとつ ―Awakening―

 例えるならば、巨大台風。

 それが誇張だと断じられないほどに、目の前の『異形』は強大なものであった。

 接近と離脱を繰り返す「ヒットアンドアウェイ」戦法。突撃から【防衛魔法ディフューズ】を貫通せんとする嘴や、振るわれる爪の一撃一撃の威力は桁外れ。

 今も継続的に与えられる衝撃に、光の防壁内にいるマナカたちの機体は悲鳴を上げている。

 

「カナタくんも、早乙女くんも、必ず私たちのところに来てくれる! だから今は――全力でッ、耐えしのぐ!」


 気炎を吐くマナカの声は、仲間たちにとっての道しるべであった。

 彼女はカナタやレイのようにパイロットとして特別優れているわけではない。だが、その「意志」は最高の原石だ。磨けば磨くほど仲間たちを鼓舞する、大勢で戦う場において欠かすことのできない「偶像アイドル」。

 叫びに込めた意志が、飾らないありのままの言葉が、聞く者の心を奮い立たせる。

 仲間を瞬殺されて消沈しかけていた彼らの闘志が、彼女の手で再び湧き上がった。


「そうだぞ! だって、ツッキーもレイ先生もえーもん。ちょっとのアクシデントも、すぐに乗り越えて戻ってくる!」

「楽観的すぎますわ、などと一蹴するのは野暮ですわね」

「不思議だな……さっきからずっと魔法を使ってるのに、まだまだ力が湧いてくる! 月居が魔力を扱う感覚を教えてくれたおかげかもな!」


 シバマルが、リサが、イオリが、その表情に笑みをたたえて口々に言う。

 攻撃を食らうたびに表面に波紋を広げるドーム状の緑色の魔力の壁。それを見上げ、ユキエたち後衛の面々はレイから授けられた魔法の『詠唱』を開始した。


「――【ただ守るなかれ。攻撃こそ最高の防御なり。防御こそ最高の攻撃なり。心と身体、機体と操縦者、その相補性の中に息づくものこそ、攻防の奥義】」


 間違いがあれば初めからやり直し。その緊張の中でもユキエは一言一句違わず玲瓏に『詠唱』をこなし、魔法を完成させた。

『コア』がパイロットから魔力を吸い取り、突発的な激しい頭痛と吐き気に見舞われるが、それを堪えて前を向く。


「負けるわけには、いかないのよ! ――【千手防壁】!」


 彼女たちがその魔法の名を高らかに叫んだ瞬間――光の防壁の表面から、無数の細い腕のようなオーラが伸び上がり、肉薄してくるラウムの脚を絡め取って押さえた。

 どんなに高速で目で追えないとしても、敵側が来る一瞬を狙い打って幾本もの手を伸ばせば何本かは当たる。

 数打ちゃ当たる――それを体現してみせる【千手防壁】の真価は、それだけではない。

 ユキエの隣に立った風縫カオルは、不敵に笑ってさらなる魔法を加えた。


「風よ唸れッ! 【颶風ぐふうの加護】!」


【イェーガー】の開いた手のひらに渦巻く、小さな風。

 頭上へと昇っていく風は、【千手防壁】に触れた途端にその無数の手に力を付与する。

 

「荒れ狂え、吹きとばせ! 兄貴の魔法、アタシも使わせてもらうよ!」


 少女が生み出した薫風くんぷうは、防壁の魔力との共振によって颶風へと昇華した。

 纏わりついた手を振り払って旋回からの後退を目論むラウムへ、千手の手のひらから放たれた台風のごとき風が牙を剥く。

 風には風を。脅威には、それに匹敵する驚異を。

 兄譲りの技で敵に対抗するカオルの姿に、隣のユキエは美麗な顔に笑みを刻んだ。


「やるわね、あなた」

「アンタもね、冬萌さん。その魔法、初めてなんでしょ? じょーでき」


 額に滲む汗や激しさを増す鼓動も意に介さず、少女たちは互いをたたえ合う。

 カオルの風やユキエたちの千手は、ラウムの肉薄を完全に防げはしない。だが、勢いを殺せてはいた。彼らの防壁で数分間は受けきる余裕ができる程度には。

 魔力残量がじわじわと減りつつあるのをメーターで確認しながらも、マナカは声の調子を落とさずに仲間たちへ感謝を伝えた。


「ありがとう、冬萌さんたち、カオルさん! あと五分――それだけ凌げば、早乙女くんたちは来てくれる! だから、それまで一緒に頑張ろう!」

「ええ!」「あったりまえじゃない!」


 マナカが出した五分という時間に根拠はない。

 あるのは、彼らがその短時間で事態を解決してくれるだろうという信頼と、それ以上は耐え切れないという確信だ。

 勝つか負けるかの瀬戸際において、彼女は無駄な足掻きをしたくはなかった。

 死守も死闘も彼女の好みではない。出来る範囲で全力を尽くし、それ以上は望まない。

 人の感情に働きかけ、動かす――それを得手としながら、彼女の判断は常にドライだった。恋慕する相手の前という例外を除けば、マナカは冷静で的確な判断を下すことができる。


「リサさん、イオリくん! 君たちは魔力消費を少し抑えて! 今のペースだと、二分後には魔力が尽きちゃうよ!」

「了解ですわ。ですが、その分の魔力は……」

「後衛の真壁さんと日野くんに代わってもらう。二人には負担を強いることになるけど……戦線への加入が遅かったぶん、あと五分はつはずだよ」

「ほんとよく見てるな、瀬那は。早乙女が一目置いてるのもわかる」


 リサの疑問に明確な回答を用意するマナカに、イオリは感嘆の声を漏らした。

 真壁と日野という男女の生徒も、個人の総魔力量と魔法の消費量から「五分」のリミットを導き出したマナカの眼に、驚いていた。


「も、もしかして瀬那さん、みんなの魔力量を完全に把握してるの……!?」

「そりゃすげぇや。でも、残念だったな、俺の魔力ならあと六分保つ!」

「日野くん、その気概いいね! でも、無理はダメだよ!」


 見栄っ張りな少年を褒めつつ釘を刺すマナカ。

 仲間たち一人ひとりに気を配る彼女は、カナタたちが再起するのを祈って防衛戦線を組み立てていった。



「瀬那さん、案外リーダー向きかもしれませんね。単純なパイロットとしての腕よりも、もっと大事なものがリーダーには求められるのかも……その点、ボクは……」


 自分が出る幕もなかった、とレイは乾いた笑みをこぼした。

 クラスメイトが能力を開花させ、仲間たちの精神的支柱となっている。それは喜ぶべきことだ。

 だが、どうしても卑屈になってしまう。エリート気取りのプライドが壊されたあとなら、なおさら。

 今も通信越しに激しい激突音が響き続ける中、レイは声を張り上げてマナカへ告げた。 


「……瀬那さん、現場の指揮はそちらに任せます。君はボクが思っていたよりも味方を見る目に長けている。仲間の状態を把握し、それぞれに適した指示を下す。現場の指揮官として求められる力を、君は持っているのです」


「私は自分にできることをやってるだけだよ。君みたいに魔法やSAMの知識なんて全然ないし、ラウムが姿を変えたときだって、とりあえず【防衛魔法】使っただけだし……戦略を組み立て、大局を見極める眼は君のほうが優れてる。――君はすごいよ、早乙女くん。だから、そんな風に言わないで」


 声音の端々に投げやりさや嫌味が滲んでしまったと、言ってからレイは自覚する。

 それでも、マナカはレイの良い点を挙げて彼を賞賛した。もし隣にいたとしたら、きっと笑っているだろう――そう思わせる温かい声で。


「叶わない夢だって馬鹿にされるかもしれないけど、私ね、誰も『異形』に怯えなくていい平和な世界を作りたいの。その理想を実現するためにカナタくんに近づいて、『契約』を結んだ。みんなが内心では諦めかけている希望を、この手に掴みたい。もし君がこの理想に共感してくれるなら、私たちと手を組んでほしいなって思うんだ。……どう、かな?」


 ラウムの甲高い咆吼と、爪や嘴が防壁に衝突する音をBGMに、マナカはレイに打診してきた。

 何故この状況下でそれを言うのか、レイには分からない。が、興味は引かれた。瀬那マナカという女性の人となりと、月居カナタが彼女と『契約』したという二つの事柄が、彼の意見を傾かせる。


「……考えておきますよ。それより今は、目の前の脅威に対処するのが先です」

 

 それでも素直になれない少年は適当に言葉を濁して、思考を現実へ向けさせた。

 今を乗り越えなければ未来は掴めない、彼の台詞をそう解釈してマナカは力強く頷いた。


「うん! 答え、待ってるからね。絶対、勝って戻ろう!」


 彼女との会話をそれで切り上げ、レイはカナタを振り向く。

 操縦席に掛けている銀髪の少年の意識はまだ、『コア』と同調して精神世界へと飛んでいた。

 逆立った銀髪や獣のような犬歯、伸びた爪という容貌は先程までと同じ。変わったのは――【メタトロン】のモニターに表示され、リアルタイムに更新され続けるプログラムだ。


「これは……?」


 黒い背景に浮かぶ白い文字列が現れては、目で追いきれない速度でスクロールしていく。  

 悪意を弾くカナタの魔法が【メタトロン】内の悪意あるウイルスを発見し、それに対抗するためのプログラムの生成を『コア』に促しているのだ。人体における免疫細胞のような働きが起こっている、と考えれば分かりやすいだろう。

『コア』とパイロットの接続については、脳に関わることだけあって未だブラックボックスな部分も多い。なのでレイのその考えもあくまで推測の域を出なかったが――次にモニターに出た一文は、彼が正解を引き当てたことを証明していた。


『【メタトロン】の「太陽砲」起動シークエンスを開始します』


「やった、これで……!」


 ラウムに止めを刺せる。レイが歓喜に震える中、真紅の瞳に光を宿したカナタは彼の顔を見つめ、穏やかな微笑みを浮かべた。


「……い、今の時刻は?」

「13時21分ですが……何故それを?」


 開口一番にそう訊かれ、困惑しつつもレイは答えた。

 獰猛に逆立った髪や、鋭い牙と爪はそのままに、カナタは「ありがとう」と呟く。


「め、【メタトロン】との完全フルシンクロ中、僕が感じた時の流れは何十時間にも渡るものだった。コンピュータの計算速度に人間の脳が適応した結果、そう感じたんだろうね。でっでも、錯覚だったとしてもそれだけの時間を過ごして、この力が少しは理解できた気がするよ」


 どこか雰囲気が変わったカナタに、レイは呆然とするしかなかった。

 メタトロンとの接続を解除した銀髪の少年は、ヘッドセットを外して相棒へそれを渡す。


「ぼっ、僕のこと下の名前で呼んでくれて、嬉しかった」

「えっ……き、聞こえて、いたのですか?」

「ふ、完全フルシンクロに移行する段階でのことだったから、うっすらとだけどね」


 途端に赤面するレイの頭をカナタはポンと軽く叩き、笑った。

 ――馬鹿。そんな顔で、こっちを見るな。

 その思考を見透かしたかのように、赤い目を細めてカナタは言った。


「ば、馬鹿、って言おうと思ったでしょ? ふ、ふ……馬鹿だよね、戦いの最中にあんなこと言うなんて」


 肩を揺らして笑い、白いアーマメントスーツの少年はコックピットを後にする。

 残されたレイは盛大に舌打ちし、それから開き直ったように大声を放った。


「そうですよ、君は大馬鹿者です! ボクの気持ちも知らないでッ、あんな顔をして――!」


 ヘッドセットを乱暴に装着し、席に着く。彼の心情は妙に乱れてはいたが、愛機との接続はスムーズに済んだ。

 モニターを見据えて現在の戦闘状況を確認、砲の射角の調整を開始する。


「戦いが終わったら、ちゃんと落とし前、つけて貰いますから!」



 メタトロンとシンクロして分かったことがある。

 月居カナタが持つ力は、「喰らった『異形』の力を得られる」というもの。

 元々彼の魔法で出来る範囲は、ウイルスの居所を検知するだけ。そこから先の排除に関しては、正直に言うと何の策も持ち合わせていなかった。  

 にも拘らずそれを為せたのは、彼が電子の世界に完全に適応した『パイモン』の力を獲得していたから。彼は電脳世界を自在に移動し、ウイルスという外敵と戦闘、魔法で打倒したというわけである。

 それをしている最中は無我夢中で意識していなかったが、いま振り返ればはっきりと分かる。


「せ、瀬那さん、それに母さん。僕はこの力が理解できたよ。気を抜けば『暴走』しかねない暴れ馬だけど……意志を強く持てば、乗りこなせるってことも!」

 

【ラジエル】に搭乗し、マナカたちが待つ戦場へ飛ぶ。

 激しく刻まれる心音、今にも鎖を引きちぎって表出しそうな自身の中の「獣」。

 SAMとのシンクロを高めるほどに増していくその衝動を、少年は意志の力で抑え込んでいた。

 

「あっ、あれが、第二形態……!」


 視界の前方下部に映った白っぽい巨鳥の姿に、カナタは息を呑んだ。

 高速旋回と攻撃を両立するラウムの挙動は、彼ほどのパイロットであっても肉眼では追えない。残像を捉えるのが精一杯だ。

 それでも、【ラジエル】との完璧なシンクロを、同調を果たせれば――「人」の力では為せない追跡も、「機械」の力で実現できる。


「ま、マナカさんたちが頑張ってる。僕も、役割を果たそう」


 レイの問題は解決した。残るは、あのラウムを倒すことだけ。

 柳眉を吊り上げた銀髪の少年は、腰から【白銀剣】を抜き放った。

 天空に舞い、得物を構える。


「か、勝って、掴むんだ。マナカさんや早乙女くん、冬萌さん、犬塚くんたち、みんなと一緒に――勝利を!」


 ラウムの黄色い眼が上空へ向けられた。その瞳は銀翼の機士きしを捉え、敵意の炎を滾らせる。


(さあ、戦おう)


 視線と視線が交錯し、緊張の糸は一瞬の間に張り詰めた。

 必要な儀式は、深呼吸一度。それ以外はいらない。獲物を前に彼は薄い唇をひと舐めし――そして、


「――いくよ」


【ラジエル】の姿が、その瞬間にラウムの視界から消失した。

 機体の存在が霧散したわけではない。姿を消しただけだ。だが、鳥の頭ではそれを即座に理解はできなかった。

 グラシャ=ラボラスの能力、透明化。特殊な光で自身の身体をコーティングし、敵の視覚を欺く魔法である。

 少年は息を潜め、を待っていた。

 決して敵に攻撃の瞬間を気取られないように、剣を上段に構えた姿勢のまま、沈黙する。


(3、2、1――GO!!)


 静から、動へ。

 トップスピードで駆け出した【ラジエル】の音を、ラウムは確かに捉えた。

 遥か上空から真っ直ぐに、こちらへ急降下してくる。魔力を燃やし、機械が奏でる双翼のブースト音――見切れた、と彼は確信した。

 閃く剣の軌跡が、一直線に空中を両断する。

 姿は見えなくとも、音がその軌道をありありと語ってしまっている。

 ラウムは嘲笑うかのような短い鳴き声を発し、旋回。その剣撃を躱し、すぐ側を吹き抜けた風に煽られながら、彼は【ラジエル】の位置に目星をつけて突撃を敢行した。

 失敗すれば負ける、渾身の一撃。彼にもはや、躊躇いはなかった。


『ショオオオオオオオオオオオオッッ――!!』


 鋭い叫びと共に、風を切る。弾頭となって剣を振り抜いた姿勢から正位へ復帰しようとする【ラジエル】へ、突貫。

 しかし、直後――斬りつけられた座標を「目」として、台風のごとき暴風が発生した。


『ガアアアアアアアアアッッ!!?』


 クリーンヒット、成功だ。

 その悲鳴が耳朶を叩く中、カナタは透明化を解除して上空を仰いだ。

 ラウムの肉体は渦巻く狂風に絡め取られ、螺旋を描きながら天高く舞い上がっていく。

 ――予め相棒が設定していた、砲の発射予定座標まで。


「――今だよ、早乙女くん!」

「ええ! タイミング、位置、共に完璧――素晴らしいですよ!」


 微かに震えた声は歓喜を隠せない。

 カオルの風でさえ勢いを殺すのがやっとだったにも拘らず、一撃で敵の自由を奪うほどの威力を出す実力。レイのタイミングに完全に同期した、その呼吸。

 彼とならどこまでも行ける気がした。どんな相手にも勝てる気がした。理屈を無視したそんな確信が、少年の中に芽生えた。

【メタトロン】の背面に後光のごとく輝く円環を支えるアームが伸び、その日輪を頭上へと持ち上げる。

 照準よし。迷わずに、撃つ。


「――発射ッ!!」


 レイの鋭い叫びに乗せて、【太陽砲】は放たれた。

 地上から天空へと一直線に進撃し、標的を狙う文字通りの光速の一撃。

 一瞬の間に空を横切る、白き一閃。凝縮された熱エネルギーが巨鳥の胸部――心臓の真上に直撃し、その肉体に風穴を穿ち抜く。

 絶鳴を上げることも許されずに、ラウムは散った。

 と、同時に――。


『試験終了。一年A組の皆さんは、速やかに『第二の世界ツヴァイト・ヴェルト』からのログアウトを開始してください』


 全員の機体内に、無機質な女性の声によるアナウンスが響いた。

【防衛魔法】やそれへの付与魔法を解除したマナカたちは、呆然とした表情のまま、モニターに映る墜落していくラウムの遺骸を眺めていた。


「終わった、の?」


 マナカは呟く。

 ラウムの第二形態に仲間を散々殺された。それでも自分含め生き残った数人で、必死に【防衛魔法】を用いて耐え凌いだ。カナタやレイがトラブルを解決してやって来てくれると、愚直に信じて。

 その望みが、現実となったのだ。【ラジエル】が敵の絶対的な隙を生み出し、【メタトロン】の砲撃が止めを刺した。


「……か、勝った。ぼっ、僕たち、勝ったんだよ」


 皆に聞こえる通信網を使って、カナタはその事実を口にした。

 ここで戦った全員が信じた少年の、生きた言葉。淡々と告げてくるアナウンスよりも、その声は彼女らに勝利の実感を強く覚えさせる。


「そう、だよな。おれたち勝ったんだよな、ツッキー、レイ先生!」 

「ふふっ、めでたいこと。わたくしたち全員での勝利ですわ」


 まずシバマルが言い、続いてリサが噛み締めるように言った。


「でも……犠牲者は多かった。俺たちだって、ラウムには特にダメージを与えられなかったし……結局、月居や早乙女の力に頼りきりだったのは否めないよ」


 単純に喜べないでいるのは、イオリだ。彼は死にはしなかったが、目立った活躍もなかった。

 ユキエや後衛の面々も、同じ感想を抱いていた。

 そこでコックピット内で俯く彼らに声を投じたのは、マナカである。


「確かに、私たちの今の実力じゃ二人に頼らざるを得なかったのも事実。だけど、私たち生き残ったんだよ? 『異形』戦において最も大事とされるのは、兵を死なせないこと。兵の命は換えが効かない貴重な財産なの。だから、自分たちの命を守れたっていうのは、十分誇れることなんだよ」


 仮想現実といえども、戦場でやり取りする命の重さは決して変わらない。胸に手を当て、その命の重さを語るマナカに、反駁する者は一人としていやしなかった。


「瀬那さんの言うことはもっともです。……ボクは、過去にドイツで仲間を亡くしました。同じ学び舎で訓練に勤しんだ仲間や、同じ部隊に配属された姉を、『異形』戦で失ったのです。ここでの戦闘は仮想のものですが――しかし、未来に有り得る『可能性』です。それを、忘れないよう」


 自身の経験をもとに、レイは戦場では残酷に命が奪われるのだと強調した。

 その上で、彼は言外に生き残った仲間たちへの感謝を伝える。

 マナカとレイの言葉を胸に刻み、A組の生徒たちはログアウトのためにウィンドウを開き出した。

 と、最後に、カナタが皆へ一言、思いを告げた。


「み、みんな、ありがとう」


 銀髪の少年に対し、マナカたちは一様に彼以上の感謝の言葉を送った。

 新暦20年6月13日。月居カナタ、早乙女・アレックス・レイは仲間と共に、前期中間試験にてラウムを討伐。彼らにとって初の集団戦闘での勝利となったのだった。

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