第29話 弱肉強食

食べるものはないか…… 腹が減った……


若井はエリア内の飲食店の食料をほぼつい尽くしていた。

食欲だけで動いている若井にとって空腹は想像を絶する苦痛だった。


なんでもいい、腹に何か入れたい。


若井の腕には大量の血が滲んでいた、口の形に数カ所えぐられ、一部では骨まで見えるほど、深く噛みちぎられている。痛みよりも空腹が勝るほど空腹に耐えかねているようだ。


前日に竹内から受けた無重力スキルでの屈辱。

そこからさらに空腹が増してしまっていた。


ーー俺の空腹を邪魔する奴は殺して食べてやる。


若井の思考はもはや誰にも止められないほどに暴走していた。



そんな若井の近くで女の声が聞こえた、近づいてみると黒沢が中村を怒鳴っている最中であった。



「ウォォォォォォォ!!!」


若井は喜びのあまり叫んでいた。


人ですら食料にしか見えなくなっていた。


一緒にいた沖田も含め3人もいる、これだけいれば少し腹の足しになるだろう。



肥えきった体を引きずりながら3人の元へ突進していく。



若井の立ち振る舞いに圧倒され黒沢は沖田の背後に身を隠した。


「あんたがなんとかしなさいよ!」


無理やり押し付けるように沖田を若井に向け押し出す。


「よしっ!」


言われるまでもなく沖田は臨戦態勢に入り、若井に向け構えをとる。


若井も目前の沖田をロックオンした、そのまま食らいつくかのごとく両手を広げ大きく口を広げ覆いかぶさっていく。



巨体の影に埋もれそうになりながらも沖田は冷静だった。


息を一息吐き、構えの中から自然に右拳を前に突き出した。



正拳突き。



若井の巨大な体はこれ以上ない的だった。



幼少期から続けている空手に筋力スキルを上乗せした一撃は単純なパンチとは格が違い兵器とも言えるような破壊力を持っていた。



下腹部にねじ込まれた拳は、破壊力を伴う強力な衝撃で巨体を弾きとばした。


距離にして10メートルは宙を舞った、沖田と若井の間には血や、肉片、口から吐き出された様々な残骸が撒き散らされている。



「がぁぁァァァ!!」


若井は腹を抑え苦しんでいた。


効く、こんな怪物相手にでも自分の空手が通じることに沖田は軽い鳥肌を覚えた。


「押忍!」


やる気がみなぎってきた、この怪物を倒して黒沢を守る。

沖田は若井との間を詰めていく。



「意外とやるのね、見直したわ」


「ニヒヒヒ……」


黒沢から言葉の後押しでさらにやる気が充満した。


黒沢に魅了され理性を失いかけてはいるが沖田は純粋だった。

厳格な家庭で育ち、幼少から真面目に育ってきた沖田は言葉尻は軽く、態度も緩そうに振る舞ってはいるが、根の正直さや、芯の強さはチームの誰よりもしっかり持っていた。


仮にスキルで精神を汚されたとしても、これまで培ってきた肝の部分に変わりはなく、偽りの魅了をされたとしても本気で黒沢を愛し、向かってくる者は本気で倒す、これだけはブレることなく沖田を沖田であり続けさせる柱となってる。



誰がなんと言おうと、自分を信じ放つ正義の拳。



若井に沖田の力全てを叩き込み、自分のこれまでを、そして愛する黒沢を守ってみせる。





若井は立ち上がっていた。

車のクラクションにも近いような轟音で腹の虫が鳴り響く。


「ハラが……ハラがへっタァァァァァァァ!」


心の奥底から湧き上がる怒りで若井は沖田に向かっていく。



沖田の気持ちに迷いはない、たとえ同じ職場の仲間だとしても、信念もなく欲望のまま行動した上に自分の愛する人を傷つけようとする者に同情などしない。


全力を、自分の全てを叩き込む。



先と同じように腹に右手拳をねじり込む。


スキなく次に顔面に向けて左手拳を当てる。



グチャッ、グチャッと気味の悪い音があたりに響く。


沖田の拳は止まらない。



若井の急所に向け魂の篭った一撃を確実に当てていく。


若井の周りには血と肉片が飛び散っていった。



「も、もういいんじゃないの?」


一発一発が致命傷と言っても過言でない攻撃を息つく間もなく繰り返す沖田に、黒沢は異常さを感じていた。


(まだだ相手は怪物だ、確実に仕留めるためにはやりすぎなんてない)


沖田に油断はなかった。

ここで確実に仕留めなければ若井は黒沢に危害を加える可能性もある、ならば絶対にここで殺しきらなければいけない。



自分の体力なんて関係ない、ここで朽ち果てようとも若井だけは殺しきる。



沖田の気持ちは拳を何発ねじ込もうと変わることはなかった。



しかし、筋力スキルで得た強靭な力を支える体は限界をすでにこえてしまっていた。



無言で殴られ続けていた若井が沖田の右腕を掴む。


変わらず会心の一撃を放っているつもりだった沖田は慌てて右腕を引き離そうとするが、若井は離れない。


もがきはなれようとする沖田の右手に丸ごと噛み付いた。



「ぐぅわあぁぁぁ!」


叫ぶ沖田を振り払うように首を振り地面に叩きつけた。


痛みを堪えて、沖田はすぐに体勢を起こす。


「ちょっと沖田さん……手が!」


右手がない、手首から先が噛みちぎられてしまっていた。



若井が口を動かし何かを食べている。

ゴクリとそれを飲み込んだ後に、腹をさすった。


「タりねぇ……」


気がつくと、沖田が与えた攻撃の傷は全てなくっている。



レベルが違う、自分達は若井にとってエサでしかない。


沖田は肉食動物に抑えられた草食動物の気持ちになっていた。


「ねえ、助けてくれるんじゃないの……どうするのよ、ねえ!」


黒沢だけは絶望的な事態を受け入れられていなかった。


「ムリだ……」


愛するものの言葉でも弱肉強食の原理には逆らえなかった。


「無理じゃないわよ! あんたにはそれくらいしかできないんだから私を庇って死ぬくらいしなさいよ!」


沖田の心は奮い立つことはなかった。



若井は沖田を払い除け黒沢に向かっていく。


「えっ、ちょっと私のこと守ってよ! 早く! 守りなさいよ!」


心が折れ抵抗できない沖田に向け黒沢は罵声を浴びせるが事態は変わらない。


「ウルせぇ……」


若井の拳が黒沢に向かおうとしたときだった。


拳が氷で覆われて止まり、若井と黒沢の間に1人の男が入り込んだ。



「かんっぺきなタイミングだ……」


自画自賛しながら寺田が現れた。

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