第52話 答え

 私はお前の部屋にいてもいいんだろうか。なんて聞かれて。

 もちろん。なにを今さら。もともと勝手にいたくせに。そう喉まで出かかって、でも僕は言葉を無理矢理飲み込んだ。

 頭も体も一緒にいたいと言えと僕に言う。でも、それは無理だと、僕は知っている。

 だって、僕は今日、お別れを言うために、会いに来た。

 なかなか答えない僕を皇女様の赤くなった目がそっと不安げに窺う。

「ごめん。もちろんいて、欲しいけど。でも、今日はお別れを言いに来た」

 皇女様が目を見開く。その目から止めどなく涙が零れ落ちて、僕は苦しくなる。頭も体も皇女様を泣かせるなと怒りだす。ああ、でも、そういうとこが問題なんだよ、お前ら。

「なんか壊れたみたいで、僕。たぶんもうそんなにたないと思う」

 皇女様の目がおろおろと僕を見つめる。

「なにを、言っている? 壊れた? 意味が、分からない」

「うまく説明はできないけど。体も頭も言うこと聞かないし、なんだかバラけたみたいでおかしいんだよ、ずっと」

「バラける?」

「そう。もう空中分解しちゃってて、好き勝手するし喧嘩するし。そんなのおかしいだろ」

 このままいけば、ほどなく狂った僕はアオイ・カゼでなくなるだろう。そうなる前に皇女様に会ってお別れを言いたかったのだ。

 皇女様が微かに首を振る。

「そんな、だって。お前はもとから少しおかしかっただろう」

「うん。うん?」

 なんか真顔でひどいこと言われたみたいなんだけど、僕。

「いや、おかしくないって。なに言ってんの」

「いや、いや! 最初からおかしかった! それに比べれば今の方がよほどまともだ」

 そんなはっきりと。澄んだ眼差しで。言うことか!

「……殿下の“まとも”と“おかしい”の基準がおかしいんじゃないの」

「そらみろ! とてもまともだ」

 なんか勝ち誇られた。皇女様がなに言ってんだかよく分かんないんだけど、もしかして分からない僕はまともなんじゃないか。あれ?

「全然壊れているようには見えないぞ」

「いや、うん。まあ。まあさ、今は殿下に会うためにひとつにまとまってるからね」

 それだ、と叫んで突然皇女様が立ち上がる。僕は驚いて仰け反ろうとするが、皇女様に袖を掴まれている。逃げられない。

「な、なに?」

「それは私がいれば大丈夫だということではないか」

「は? なんで?」

「私に会うために正気を保ったのだろう? ならば、次は私と一緒にいるために頑張ればよいのだ」

 ……なんですごくいいこと思い付いたみたいな顔してんの? そこまでの魅力が自分にあるとでも思ってるんだろうか、この人。僕は爛々らんらんと瞳を輝かせる皇女様をまじまじ見つめ、あ、めっちゃ可愛い。さっきまで泣いていたのが嘘みたいに皇女様は笑っていて、なんとも激しく可愛かった。

 そのあまりの可愛さに頭も体も仰せのままにと叫ぶ。こういうのを何て言うんだっけ。そう、五体投地だ。くそ、言ってることは、ぜんぜん可愛くないのに。

 伸びてきた皇女様の両手のひらが、僕の頬を優しく包む。

「大丈夫だ。もしお前が壊れても、そのときは私が叩いて直してやる」

 調子の悪いコンロでもあるまいし、そんな方法で治るわけないだろ。この人は僕のことをなんだと思ってるんだ。

「だから。頼むから、お別れなんて、言わないで。まだ、もっとずっと、一緒にいて」

 また泣きそうになっている皇女殿下を見て、僕は思う。ああ、この人はただ可愛いわけじゃない。とても、とても愛おしいのだ。それこそ、全身全霊で大事にしたくなるほどに。

 できる、だろうか。分からない。でも、大事にしたいと思う。

 僕は頬を包んだ皇女様の手に手を重ねた。

「ずっと一緒にいさせてください」

 僕が完全に壊れてしまうその時まで。できるだけずっと先にするから。

 皇女様が花のほころぶような微笑みを浮かべる。

「約束だ」

「………………………………」

「……お前はこれも約束は駄目なのか」

 そうじゃなくてね、殿下。僕は一世一代の告白のつもりで一緒にいてって言ったんだよ。それを約束て。ロマンスに欠けるだろうが。

 もしや僕の言う一緒にいると皇女様の言う一緒にいるはちょっと意味が違うのでは、という気がしてくる。

「一緒にいるのに約束なんて必要ない」

 強い口調で異議を申し立てると、やや不満げながら皇女様は頷いた。

「っていうか殿下。僕の部屋へ戻ってくるの?」

「戻っていいのか?」

 微妙に機嫌を損ねた様子で皇女様が聞き返してくる。そのむすっとした顔も可愛いけど。

「いいよ。いいに決まってる」

 もっとも、こんなに広くて立派なお部屋があるくせに、僕の狭い部屋へ居座るというのもずいぶんトンチキな話だが。

 嬉しそうに笑った皇女様は、しかしすぐに唇を尖らせる。

「それにしても、アオイ・カゼ。いつまで手を握っているつもりだ」

 仕方なく僕は重ねていた手を離す。やっぱりこう、ちょっとなんか違う気がするんだよな。

 皇女様は頬の手を離すことなく、僕はふにふにと弄ばれた。

「よし。また明日から部屋へ行くからな。用意しておけ、アオイ・カゼ」



 結局、僕はなんで皇女様が部屋からいなくなったのか、理由が分からない。そもそもなんで僕の部屋を選んで入り込んでたのかも、分からない。あるいは、ただ皇女殿下のワガママに振り回されているだけ、なのかもしれない。

 それでもまぁいいかと思ってしまうから、やっぱり僕はもう駄目かもしれない。

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