第38話 悪魔

 新人にとって会敵はただ死を意味する。まして津波に遭えば――。

 とうに分かっていたことなのに、やっぱりそれは全然実感なんかではなくて。この期に及んでどこかから助けが来てくれるんじゃないかとか、誰かが守ってくれるんじゃないかとか。そんなぼんやりとした楽観が僕にはあったのだろう。

 でもそれも、足下に繰り広げられる無惨な光景を見ていれば露のように消える。

 何機もの重量級兵器が刃を振るい、熱量を散らして戦っている。その腕は力強く鋭く、敵を潰して裂いて粉砕していく。しかし敵は、スカイデーモンはさらに多い。地面から沸いてるんじゃないかと思えるほど、潰しても潰しても次々とむらがってくる。

 隣では副隊長が、見張り台へ飛び付いてこようとする敵を淡々と撃ち抜いていた。僕にできるのは、近寄ってくる敵に小さな手榴弾を落として牽制することぐらいだ。

 スカイデーモンの鉤爪は容易に鋼の装甲へ突き刺さり、食いついた顎はローダーを引きちぎり、ぐ。次第に数多の敵に取りつかれ、足を取られて倒れるローダー。腹を食い破られて、はらわたのように引きずり出されるのは、人間。

 その様を僕はただ眺めているしかない。そして嫌でも理解した。

 あれが全部終わったら。次はあいつら全員こっちへ来る。

 あの爪と牙が、僕に刺さる。

 少しの時間だったのか長い時間だったのか、動いているローダーがずいぶん減ったころ、副隊長機が立ち上がった。

「これ以上はここの防戦も無理だ」

 僕ら一年は呆然と副隊長の声を聞く。

「悪いが、後は俺も下へ行って戦う。お前らは……まぁ、お前らもうまく死ね」

 いやちょっと待って! なんて止める間もなく副隊長機は飛び降りた。下の戦場にその姿を探せば、副隊長は見張り台のすぐ側で戦って敵を防いでくれていた。

 その姿に安堵して。そして。ああ。どこまでも足手まといだな。僕らは。と思う。

 戦場にはぶちまけたようにスカイデーモンの欠片が散乱し。力尽きたギアローダーが転がり。肉塊と果てた人間が放り出されている。ついさっきまで、ここで、一緒にしゃべっていた人たちが、そこで死んでいる。

 泣きたい。吐きたい。喚きたい。

 けれどチグリスには涙を出せる目なんてない。吐き戻す胃もない。喉もなければ、口もない。この体チグリスは泣き喚くことを許さない。せいぜい兵器チグリスにできるなんて、手足を動かして暴れることぐらいだ。

 だったら。泣き喚けない代わりに僕も下で暴れようか。

 そんなことをぼんやり思ったときには、僕は手榴弾の入った箱を隅で丸くなっていた同期のローダーに押し付けていた。

 不思議そうに僕を見つめる同期へ心のなかで「ちょっと下で泣いてくる」と別れを告げて、それから僕は迷わず見張り台から飛び出した。

 チグリスはこんなときも軽やかに動く。

 ふわりと地面に降り立てば、すぐ目の前にスカイデーモンがいた。立ち上がったソレはチグリスと変わらないぐらい大きくて僕は息を呑――だからチグリスには喉も口もないんだってば。

 恐怖も絶望も悲しみも、鋼の体チグリスを縛る鎖にはなり得ない。焼くような衝動に駆られるまま、僕は出せない叫びの代わりにやいばを出した。

 飛びかかってきた敵。僕は懸命に爪や牙を避ける。避けてチグリスの刃をめちゃくちゃに叩きつける。微かに振動しているそれは切れ味がとても良く、触れたスカイデーモンの足を簡単に切り裂いた。

 でもその程度の傷ではヤツらは動き続ける。地に下り立って振り返ったスカイデーモンは強い怨みの咆哮を上げた。なんだ。お前らでさえそうやって声を上げられるのか。僕は呻きも叫びも上げられやしないっていうのに。

 スカイデーモンが再び地を蹴る。チグリスのシステムが囁いた。

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 体感速度がひどく緩慢になった。ゆっくりゆっくり跳んでくるスカイデーモンを僕は避けずぶつかって両腕の刃を一息に縦に振るう。スカイデーモンは二つになって宙を舞い、地に転がってまったく吼えなくなった。よし、これでいい。

 次々とスカイデーモン共が群がり集まってくる。こいつらに取り付かれたら。終わりだ。ああ、でも。大丈夫だ、と僕は思う。チグリスの視界は360度だし、時間は引き延ばされたように緩やかで細かな動きまでも感知できる。

 なによりチグリスは上からずっとこいつらを見ていた。こいつらの動きを覚えていた。さっき先輩が攻撃を上手に避けて戦うのも僕は見ていたし。おんなじように動けばいい。残念ながら先輩は、途中で動けなくなってしまったけれど。それも僕は見ていたけど。

 チグリスは僕の思い描く通りに動く。動き続ける。息も上がらない。というか、息をする必要もない。疲れない。僕がどんなに感情を昂らせようが、どれほど激しく動こうが、鋼の体チグリスは揺るがなかった。僕の体アオイ・カゼはチグリスに抱かれて静かに眠っている。嘘の信号を与えられ、外のことはなにも知らず、常と変わらぬ鼓動で大人しく収まっている。

 右の敵を刺し貫き、前の敵を後ろの敵へ投げ飛ばし、左は下から縦に切り裂いて、腕に食いつこうとした頭を叩き割る。涙を流せない代わりに敵の体液を流し。喚き声をあげられない代わりに敵の断末魔を聞く。重ねれば重ねるほどに僕の気持ちは軽くなって、チグリスの動きも軽やかになるようだ。

 殺しても殺してもスカイデーモンは集まってきた。なにをそんなにしたいのか、僕のところへ殺されに集まってきた。ときどき爪で引っ掛かれそうになったり囲まれたりもしたけれど、もうこの際だからと僕は銃器も好きなように使ってスカイデーモンと遊んだ。チグリスの撃つ高圧縮エネルギー弾は澄んだ青白い光になって四方の敵に降り注ぎ、焼き尽くし、なんともまぁ強力な武器だった。これは面白い。ときどきばらまこう。

 どれだけそうしていたのか、気づけば向こうで戦っていた副隊長機が倒れて転がり、集まり寄ってくるスカイデーモンがまばらになり、高く昇った日が血みどろの戦場を照り付いていた。

 顧みれば陣地も無惨に蹂躙され、あったはずの見張り台は二つほど無くなっていた。

 そしていつしか戦場には静寂が訪れる。ただ一人残された僕は首を捻った。あんなにいたスカイデーモンはどこへ消えたのだろう。なんで僕は一人でここに立っているのだろう。

 チグリスが小さな警告を伝えてくる。“本体アオイ・カゼ”が空腹と喉の乾きを感じている、と。

 面倒だなぁ。輸液でもぶっ射しといてよ。チグリスはまだ問題なく動いて戦えるんだから。


 陣地拾弐号、生存者1。

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