第15話 消灯


 部屋へ戻るアルを見送ると称し、僕は一緒に部屋を出た。消灯間際の廊下はしんと静まり返って、金属の冷たさに包まれている。

「俺の部屋も同じ階だぞ。教えとくな」

 そう言うアルは、どうして教えてもない僕の部屋を知っていたんだか。

 疑問はさておき、前を行く背に僕はそっと本題を切り出した。

「あのさ、あの皇女殿下のことなんだけど」

「うん?」

「できたら、あんまり人には話さないで、ほしいんだけど」

 振り返ったアルは、なぜか心外そうに眉を寄せた。

「そりゃ話さないし、話すつもりもないけど」

 僕はホッとする。これ以上僕のネタが増えるのはしんどいから、助かった。

「それにしても、なぁアオイ。あの皇女殿下様の“備品”ってのは、一体なんなんだ?」

「さあ? そんなの、むしろ僕が知りたい」

「え、なにかも知らずに一緒に暮らしてるのか?」

 不本意ながら。

「そうか。でも、なんか聞いたことあるような気もするんだよな」

 その呟きに僕は期待する。が、アルはまぁいっかとすぐに考えるのをやめてしまった。

「またなんか思い出したら教えるから」

 それよりさぁ、とアルは言った。

「昼間のシミュレーション、どうだった?」

 僕はやや苦い心持ちになる。また“英雄の孫”の話だろうか。

「……っていうか、なんでそもそもアルが“英雄の孫”のこと、知ってるんだよ」

 あれは入試のときの面接官たちのおふざけだったはずだ。

「え? なんでって。だって、合格発表の後にすぐ寮に入ったら、そのときにはもう噂になってたもん。今年の適正トップは“英雄の孫”だって」

 なんだそれ! なんだそれ! 僕は聞いてない。僕は聞いてない。

「アオイ、寮に来るの遅かっただろ? ずっと見かけなかったもんな。さてと」

 アルがひとつの扉の前で立ち止まる。

「ここが俺の部屋。いつでも遊びに来いよ」

 念のため、万が一ってこともあるかもしれないし、だからちょっとした予備として、僕はアルの部屋番号を心の片隅にメモしておくことにする。


 アルと別れて自室へ戻ると、なんとも重苦しい沈黙が流れていた。

 主な原因は、さっき皇女様の機嫌を損ねてしまったことである。ベッドの上の皇女殿下からは、僕が出ていくときも戻ってきたときも一切音沙汰なしだった。

 どう声を掛ければいいか分からないし、明日に先送りして寝てしまいたい。けれど、時間が経てば経つほど気まずくなるのも、確かだ。あのときすぐに謝らなかったことが悔やまれる。概ねアルのせいだ。

 とにかく謝るしかないのだろう。僕は近づいていって、下からロフトの柵に手を掛けた。

「あの、殿下」

 返事はない。下からでは顔もなにも見えないけれど、たぶんむくれているんだろう。

「さっきは、ごめん」

 ごそごそとベッドの上で動く気配がして、柵の隙間から皇女様の顔が覗いた。その顔はやっぱりむくれていた。

「あんなきつい言い方、するつもりじゃなくて。ただ、僕もすごい焦ってたから」

 たぶん焦りのせいで、ちょっとイライラしていた。それであんな声が出てしまったんだと、僕は思う。

「別に殿下が邪魔だったわけじゃないのに、そう言ってしまったから。本当にごめんなさい」

 深緑の瞳が瞬いて、それから起き上がった皇女様のお顔が上から覗いた。

「いや、私も悪かったのだ。調子にのって差し出口を挟んでしまった。だから、いいのだ」

 そう素直に言葉を口にする皇女様の瞳はきらきら揺らめいて見えて、とても綺麗だった。

 僕と皇女様は互いに「ほう」と息をついて、たぶんこれで大丈夫になるはずだった。

 まだ多少のぎこちなさを残しつつ、皇女様が言う。

「……アル・ミヤモリとちゃんと親しくやれているのだな。友になれたようで良かった」

 それにしたって、なんで皇女殿下に僕の友人関係を心配されなくちゃいけないのだろう。

「……別に友だちじゃないけど」

「……まだそんなことを。お前には友人が作れない呪いでもかかっているのか?」

 皇女殿下の嫌味な物言いに、僕はむっとする。

「……誰と友だちになるかなんて、僕の自由だろ」

「……そう言って、アル・ミヤモリの他に一人でもお前が話せる人間がいるか?」

 嫌なことを言う。確かにそうかもしれないが。そんな指摘は大きなお世話だ。

 黙り込む僕に皇女殿下が畳み掛ける。

「アル・ミヤモリはいいやつだぞ。誰とでも気さくに話すし、ちゃんと気を使えるし、あれで頭の回転も悪くない」

 そんなことは僕だって知っている。

「多少気ままだが、自己中ではないし。分を弁えていて無茶をしないという点で信頼できる」

 皇女様がアルを褒めそやすのを聞かされて、僕はなんともムカムカした心持ちになった。確かにアルはいいやつかもしれないが、それを皇女様にとうとうと語られるのは気に食わない。だいたいなんで皇女様はそんなにアルに詳しいのだ。どうしてそんなあいつの肩を持つ。

「……そんなにアルがいいんだったら、だったら殿下はアルの部屋の備品になればいいだろ」

 僕が投げやりに言うと、殿下は気色けしばんだ。

「……お前、そんな風に備品わたしのことを思っているのか?」

 そんな風もこんな風も、僕には意味が分からない。

「そんな風ってなんだよ。別に、部屋の備品のことなんか、どうとか思うわけないだろ」

 皇女様は僕をきっと睨んだ。

「このニブチンの唐変木!」

 罵詈を残して皇女殿下の顔は消えた。そして殿下の味方をするかのように部屋が消灯した。僕は暗がりの中に呆然と立ち尽くす。

 なんだったんだ、今のは。僕はなにかまずいことを言ってしまったのか。

 皇女様は、どうして僕の部屋で備品をしているのだろう。

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