第10話 チョコ

「てか、知ってる? 先生たち、あの人たちは軍人じゃなくって、軍に雇われた学者の先生なんだってさ」

 未だ名前の分からない隣の不運で図太い神経のやつは、脈絡もなく勝手に話し始めた。

「本当は軍でなんか働きたくはないんだろうなぁ。でも、研究職じゃ食べていくのも大変だからなぁ」

 ていうか、さっき叫んだあれはどういうつもりだ!と僕は問い詰めたい。クラス中に響き渡ったそれのせいで現在僕らは絶賛注目の的である。値踏みするような視線が集まってきていて、僕は吊し上げを食らっている気分だ。

 ところが目の前の元凶はさっぱり意に介した風もなく、唐突に関係のない話を始めた。

 どんだけ太いんだ、こいつ。

「でもだからだと思うんだよ、先生たちが生徒を名前で呼ばないのはさ」

「は? どういうこと?」

 思わず聞いてしまったけど、僕は別に同期との初めての会話を楽しんでいるわけではない。不意を突かれてペースに乗せられているだけだ。

「あー、なんていうか。教え子として一生懸命可愛がって教えてもさ、明日にゃ自分の手の届かないとこで死なれるんだ。そんなことを毎日毎年続けてたら、そりゃあ嫌にもなる。そう思わないか?」

 つい、なるほどと思う。一般科目の先生たちはどうにも生徒に無関心で、ただ義務を果たすかのような授業だ。まだしも訓練教官の方が、しごきは厳しいが僕らを生き残らせようと努力してくれているのが分かる。

 それにしてもこいつ。ただの無神経かと思ったのに。存外よく見ている。

「だからアオイはちゃんと学びたきゃ、邪険にされても先生たちに食いついてった方がいいぞ」

 さすがに学びたがる生徒に手向たむけもしないでいられるような人種じゃないからな、教師は。と、やつは言った。なんでこいつがそんなことを言うのかと、僕は驚いて言葉をなくす。

「あれ? そうだろ? 授業、すごく真面目にやってたから」

 やだ、なにこの人、恐い。寝てた癖に。

 僕が内心ビビり倒していることを知ってか知らずか、やつはようやく口を閉じる。タイミングを計ったように次の授業の教官が入ってきた。

「座学が続くときっていいよなー」

 前を向いて独り言のようにつぶやいたやつは、その三秒後に寝た。


 そんなことがあった日の夜。

 僕は今、皇女様の前で正座をさせられている。なんでこんなことになってるのかなんて、僕も分からない。

 今日も皇女殿下はベッドでゆるゆるおくつろぎだった。と思ったら、おもむろに降りてきた。そして僕に椅子を譲れと言う。嫌々ながら、でも仕方なく僕は退いた。椅子にふんぞり返った皇女殿下は床を指差し座れと命令、そして今に至る。

 皇女様は腕を組んで僕を見下ろした。

「ぬるい。ぬるすぎるぞ、アオイ・カゼ」

「……は?」

「あんな少し言葉を交わしただけで友になれると思っているのなら、とんだ勘違いだぞ」

「え」

「しかもなんだ、せっかくの機会を活かしもせず、その後は逃げるような真似をして。それで友人になろうとは。はッ、ちゃんちゃら可笑しいな」

 いやちょっと待て。なんであなたが今日の僕の出来事を知っている。

 皇女様は、ふんっとドヤ顔になった。

「私には全てお見通しだ。なにせ、皇女だからな」

 全く意味が分からない。あと、別にあいつと友達になるつもりなんて、僕にはない。

 僕を見下ろす殿下の目が可哀想なものを見るそれになった。

「なにを愚かなことを言っている。アル・ミヤモリはお前のクラスでもっとも顔が広く、親しくなるハードルの低い男だぞ。あれとも友人になれないようでは……お前、死ぬまでボッチでいるつもりか?」

 大きなお世話だ、と思うより早く僕の口からは正直な感想が漏れ出る。

「あ、そんな名前なんだ、あいつ」

「……名前も聞いていなかったか……」

 おや。どうやら詳しい会話内容まではご存知ないらしい。しかし、本当にどうやって知ったんだろうか。

「仕方ない、とっておきをやる。明日これを分けっこして友人になってもらってこい」

 皇女様は取り出したなにかをぱきりと折り、僕へ下げ渡す。ホイルに包まれた薄い板のようなこれは、なんだろう。

「アオイ・カゼ、それはチョコレートだ!」

「チョコレート?」

 自慢気に言われても分からない。

「……仕方ないな」

 えらく惜しげに皇女様は手持ちのチョコレートを小さく分けて差し出してきた。反射で手を出すと、皇女様は即座に引っ込める。あ、口を開けろってやつか。

 大人しく開けた僕の口へ皇女様が欠片を放り込むけれど、それは「はい、あーん」的なやつではなく、犬に餌を投げ与えるみた――え、なにこれ甘い。とろける。甘い。

「ふふん、どうだ。だいたいこれで私は友人を作れるぞ」

 殿下。それは、本当に友人ですか?

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