第8話 気持ち


 果たして僕らはなにと戦っているのだろう。

 僕が駆り出される予定の戦場は、人間同士のそれではない。スカイデーモン。そう呼ぶ侵略者との死闘だ。

 奴らはある日宇宙から降ってきた。大きな大きな岩の塊みたいな巣がいくつも墜ちてきて、そこから湧き出してきた。そして人間を襲った、らしい。それを実際に見た人間はほとんど死んだから、それ以上の詳しいことは分からない。ともかく隕石みたいな巣とそこから出た化け物によって当時の人間世界は半分が滅びた。

 奴らの目的は侵略なのか、それさえよく分からない。たぶん奴らに知性などはなく、ただ本能のままに目の前の生き物、ことに人間を虐殺に来るだけなのだ。

 サイレンは鳴り続けている。

 敵が警戒線を越えて押し寄せてくる。奴らはとにかく数が多い。湧くように迫ってくる。凶悪な奴らを居住区へ近づけないため、迎撃部隊が出撃する。その合図だった。

 ああ、居住区へもこのサイレンの音はいつも聞こえていた。聞こえてきていたけれど、頭の上で鳴り響くのは、遠く聞こえてくるのと全然違う。出動部隊が出切るまでサイレンの唸りは止まらない。

「大丈夫だ」

 すぐ近くで声がした。いつの間にか目の前に皇女殿下が立っていた。

「大丈夫だ、アオイ・カゼ」

 皇女様は落ち着いた声で繰り返す。しかしなにが大丈夫なんだか、分からない。

「お前はまだ初期訓練も終えていないのだから、絶対に出動はかからない。少なくとも向こう半年は、戦場へ出ることはない」

 慣れない大音響のサイレンへの動揺を、出撃への恐怖だと勘違いされている。

 僕はびびってなんかいない。そう言いたいのに、喉が乾いて貼りついたように言葉がでない。ただ僕は皇女様を睨む。

 僅かに寂しげに微笑む皇女様の両手が優しく僕の頬を包んだ。

「今のお前にできることは、まだない。ただ彼らが無事戻るのを、待とう」

 暖かい皇女様の掌が、僕の顔の腫れにさわってめちゃくちゃ痛い。なにするんだと言いたいのだけれど、僕は文句を言うことも、その手を振り払うこともしなかった。できなかった。

 ただ無事戻ること。それが難しいのだ。

 居住区の誰もが目をそらし耳を塞ぎ、入隊したとて言葉では絶対に教えられることのない戦場の事実がある。

 ある人が僕に教えてくれた、兵学校へ行くと言った僕に知るべきだと返された言葉が甦る。

『あれはただの消耗戦だ』

 奴らは自ら引くことがない。ひたすら向かってくる。人間にできるのは、防衛線を越えられないよう持てる限りの戦力を叩き込んで、どれほどの犠牲が出ようとも凌ぎ続けることだけ。兵士は単なる残弾だ。全部が終わるまで決して戻ることは許されない。そういう戦場。志願して行くようなところじゃない、と。

 すぐ近くで、翠玉の瞳が静かに僕を見つめている。この人は、きっとちゃんと分かっていて、それで戻るのを待とうと、そう言っている。

 皇女殿下の手が離れた。代わりに腕を引っ張られ、僕は椅子に座らされる。傍らに寄り添い立つ皇女様が優しく僕の頭をなでた。その意味も状況も、考えるのが億劫になった僕は、大人しくされるがままになった。

 ようやく僕の口は動いた。

「別に、びびってるわけじゃ、ない」

 ムキになって強がっているように聞こえてしまったかもしれない。

 けれど彼女はこくりと頷いた。

「そうだな。でも少しぐらいびびっている方が可愛げがあっていいぞ」

 可愛げなんてものは、僕はいらない。

「……部隊、いつ戻ってくるだろう?」

「分からない。でも早ければ、二三日」

 それ以上、皇女様はなにも言わなかった。ただ黙って僕の頭をなで続けた。こんなところへ自分から来てしまった馬鹿の頭を。


 この日のこの出来事は思い返すだに気恥ずかしく、当分の間、僕は皇女殿下に頭が上がらなくなってしまったのだった。どう考えても痛恨のミスである。

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