第7話 警報


 “皇女殿下の備品ごっこ”。僕は顔面の腫れと引き換えにようやくその一言を聞き出した。

 というか、僕の顔面は軍人がドン引くレベルの惨事であったらしい。終業後、戦闘教官から教官室への呼び出しをくらった。

 厳つい顔の恐い教官が、出頭した僕の顔を不気味そうにじろじろ見てくる。その視線だけで僕のガラスのハートには傷がつく。

 ただ、教官は一応僕の身を心配してくれているものらしい。そっと抑えた声で「虐められてるのか?」と聞いてきた。

「……いえ。別にそういうわけでは」

「それならその顔はどうした?」

 当然の疑問である。というか、今日一日過ごしてこれを聞いてきたのがこの教官だけという事実は、結構ヤバイのではないだろうか。なんで他の誰も心配して聞いてくれないのか。

 つまり相変わらず僕はクラスメートの誰からも声をかけられていない。とはいえ、下手に聞かれても返答の仕方に迷う問いだった。

「……自室の備品の皇女殿下に飛び蹴りを食らいました」

 正直な申告なのだが。意味不明すぎる。

 教官の反応は、しかしこの人も例の暗黙ルールを承知しているのだろう。「備品」「皇女殿下」の単語で勝手に納得した顔になった。

「ああ、諒解した。そういうことなら」

 一瞬の表現に困った顔。

「仲良くやれ」

 教官は手を振って僕の退室を指示する。この人も黙殺するつもりか。だが、僕は承知も諒解もしていない。この機会を逃せば次はいつ教官とこうして話せるかも分からない。

「教官、せめて説明、してください」

 食い下がる僕に教官は不快な顔になる。殴られる。と思ったが、すでに大惨事な僕の顔を重ねて殴るような非情さは、さすがになかったらしい。教官は上げかけた拳を静かに下ろす。

 それから憮然とした顔で言ったのが「皇女殿下の備品ごっこ」だ。

「単なる気まぐれかなにかだろう。短くて二三日、長くても一二週間。それでお飽きになられる」

 これ以上はかかずらいたくはない、とそっぽを向いて強く手を振る。

「なるたけ穏便にやり過ごせ」

 情報としても助言としても十分とはとても言えない。でも僕が食い下がって許されるのもここまでだろう。ともかく頭を下げて礼を述べ、僕は寮へ戻るしかなかった。

「おかえり、アオイ・カゼ。今日は少し遅かったな」

 部屋ではいたずらっぽい笑みを浮かべた皇女様が待っていた。椅子に座って人のノートを広げている。そのあまりに勝手な振る舞いに僕はむっとする。

「なに、してるの」

「いや別に。ただ、授業についていけているかどうか、ちょっと見ていただけだ」

 大きなお世話だ。だいたい僕の勉強と皇女様とにどんな関係があるというのだろう。しかし皇女殿下は僕の苛立ちなど頓着することもなく、ノートを置いて椅子をくるりと回す。

 本当に一体なんなんだろうか、この人は。基地の偉い人や上官から忖度され、気ままに振る舞い、お菓子も食べ放題、娯楽も自由放題、気まぐれで他人の部屋へ居座り、人のものを勝手にいじる。

 どれほどお偉い立場なんだか知らないが、僕にはこの人の我儘に付き合えるほどの余裕はない。

 くるくると楽しそうな皇女様がなにか喋りだす。到底相手をする気にならない僕はなにを言われても沈黙を通す。

 椅子をぴたりと止めた皇女様は、不審そうに片眉をあげて僕を見た。

「黙りこくって、どうした?」

「……別に」

 僕はあからさまに顔をそらす。どうして僕に誰だかも分からない殿下のご機嫌を取る必要があるだろう。

 さすがに不機嫌が伝わったらしい皇女様が小さく息をつくのが聞こえた。ああ、その調子でさっさと飽きて出ていってくれれば、なお嬉しい。

 ちらりと盗み見た皇女殿下は、しかしどうしてそんなに悲しげな顔なのだろう。

「――」

 皇女様がなにか口を開きかけたとき、基地全体を切り裂くサイレンが鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る