第五三段 愛宕

愛宕の山に照る月を曇らぬ鏡白糸の、といえば我が小学校の校歌になるのであるが、この愛宕山は私の実家から一望できた。

幼少から慣れ親しんだその姿は私に明確な長崎の在り方を教え、人としての在り方を教えた。


それが、今では生家が失われただぽかりと空いた場所にその山肌が見えるだけとなってしまったのが昨年の冬である。


愛宕山は山頂に愛宕神社を控えた小高い丘であり、その実は名立たる山からは程遠い。

先の校歌についても美辞麗句の類なのであろうが、それでも、白糸の地から見える愛宕山の勇ましさは他の追随を許さない。

これを三笠の山に出し月を比肩したのは往時としては当然の成り行きであったろう。

当時の人々にとっての「世界」とはかほどに狭いものであり、かつ無限の想像に富んだものであった。

そも文人には長く愛されてきた以上、そのような誉に与らぬ謂れはないのである。


春、明るさを湛えた草木に覆われて中腹まで連なる人々の営みも自然と明るくなってくる。

炬燵から抜け出して見るその姿は私を外に誘うに十分な魅力を持っていた。


夏、蔦の枝垂れ越しに見るその姿は最も濃い時間である。

外で爆竹の音が響けば耳を塞いで中に籠る。

花火の音がすれば心沸く。


秋、色づいた山肌に年の終わりを予見する。

隙間風はまだ心地良いが、窓を開ければぶるりと震える。

夜更けに見える威容が最も映えるのは不思議とこの時期であった。


冬、蔓のみが見える窓の奥で寒風に耐えた姿は威厳に満ちる。

年越しの朝に伸びきった私を真直ぐ見守る。

おかげで炬燵の中に在りながら私が世の一部として在ることができた。


 夢現 いずれ長崎 愛宕山 小僧の宿る 破屋知らずや


先の感傷を車内に在りながら進める。

ふと熱いものが込み上げてくるのを感じたが、不思議と涙は漏らさなかった。

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