第四章 新長崎

第三六段 県庁前通り

長崎を離れて俯瞰した「長崎」というものは意外なほどに私の心の中に根差していることが感じられた。

郷土愛なるものよりも自己愛の方が強いと思っていた過去の私からすればこれ以上になく意外なものであり、今でも半信半疑である。

それでも、三章までを書き上げてはや九年が過ぎようとしているが、ここで増補を行うのもまた一興ということで、学生の先を描いていくこととした。

そして、その初めの地をどこにするかで少々悩んだのであるが、県庁前通りを充てるというのは我ながら天邪鬼が過ぎるではないかと思う。


県庁前通りは大波止と浜町を直線で繋ぐ坂の上に在り、その名の通り長崎県庁に面していた。

これを過去形で書くというのは、長崎県庁がいつの間にやら漁港跡地に移転してしまっており、よもや跡形もないからである。

このことに気づいたのは昨年の暮れであったが、更地となった空間に広がる寂寥感というのは冬の盛りを強烈に後押ししていた。


さて、この県庁を峠としてハの字を成す坂は、幼少の頃には遠出の象徴として、青年の頃には登下校の象徴として、成人してからは飲み屋街の果ての象徴として君臨していた。

このような坂が堂々と市街地に広がるというのは斜面都市たる長崎の在り方を示し、その中心たる県庁舎は威風堂々たる面持ちであった。

それが今では長崎駅に近い平地に面してしまっており、利便性こそ増しているのかもしれないが、往時の威容は望むべくもない。

それが現代民主制の在り方であるといえばそれまでなのかもしれないが、この「長崎」の始まりの地が失われるのはいかがなものかと思う。

新たな長崎の始まりを象徴しているといえば聞こえはいいのかもしれないが、その背後には臨終の足音が忍び寄っていなければとひとえに願うばかりである。


 始まりの 岬を捨てる 人の様 上る下るの 苦味知らずや

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