第八段 中島川

長崎には「さるく」という方言があり、市はこの言葉を冠した街歩きルートを策定している。

しかし、この方言の原義は夕食後の街歩きであり、よく言えば粋な散策であり、悪く言えば夕闇の中の徘徊である。

特に、私がこの言葉に持つ印象はほろ酔いの街歩きであり、正直なところ、観光に向く言葉ではないと考えている。


とはいえ、全く嫌いな言葉であるかといえば、どことなく間延びした言い方がゆったりとした歩みを表しているようで非常に心地が良い。

現代人の歩みが速いという話もあるが、少なくとも浮世から僅かに離れたひと時を表す言葉としては最適であるように思う。

そして、この「さるく」に最も相応しい場所のひとつが中通り・中島川沿いの一角である。


中島川はアーチ型構造で有名な眼鏡橋を筆頭に、浜町から諏訪神社までを繋ぐ長崎では最も重要な川の一つである。

昔はこの沿岸に魚河岸があり、長崎の魚食文化の中核を担っていたが、今では静かに鯉が泳ぐ国道の裏庭となっている。

周囲には個人の飲食店も点在しており、浜町より諏訪神社までを歩めば、夢心地に陥った気分になる。


しかし、それ以上に「さるく」に向くのは中通りの商店街である。

昔からの店が多く存在しているため、長閑な商売というよりも商いを見ることができる。

ゆえに、丁寧な仕事も残されており、長崎の甘味を堪能することもできる。

何か今の自分が置き忘れてきてしまったものが、そこにあるような懐かしくも少し悲しい味。

それが、この界隈の魅力である。

そして、この味を支えるのは言うまでもなく空間であり、そこに厳然として寝そべっている『場』が何よりも喜ばしいのである。


 川沿いを 夕暮れを背に さるきをり 歴史の風を じかに受けつつ


海風はどこか寂しい。

しかし、この川の風はどこか優しい。

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