第2話 アキバで地獄

 アキバは玄人の街だ。

 売り手、書い手の双方に各ジャンルに一家言あるオタクが集う。

 だから、同じ穴のムジナに出会う確率は大きい。

 さらに、この街を行く誰もがネットとリアルのダブルスタンダードを生きている。

 さっき、肩がふれたデブはSNSでよく議論をする奴かもしれない。

 すれ違った美少女は、オンラインゲームでのライバルかもしれない。

 ここは縁が入り乱れる場。

 だから、通常ではありえない出会いが起こり得る。


 人はもちろん、物についてもしかり。

 どんなにネット通販が進化しても、揺るがない黄金律がある。

 『アキバでPCを買うには現金で』だ。

 この街をくまなく歩くと、ショップが実験的に組んだハイスペックPCや処分価格の店頭展示品、なぜか工場から流出したプロトタイプなど、一期一会のマシンにまま出くわす。

 そして、そうした店は現金取引しかしていないケースが多い。

 俺は駅前のATMで今日の軍資金十万円を都合し、ジーンズの前ポケットを膨らませた。

 時折、触って厚みを確かめながら、街を散策。

 ネットにも流れないお得情報、一瞬で店頭から消える逸品を狙って、五感をフル稼働させる。

 電気街通りだけじゃなく、ビジネス街である昭和通りもくまなく歩く。

 ここらは比較的、家賃が安い。

 そのため、小さくてしょぼいが良品を扱う店がちょこんと開いていたりするのだ。

 マニアックな店舗は支持を集めれば細く長く生き残るが、最初の一歩でつまずくと光の速さで消滅する。

 歩いて覗き回る以外に発掘する道はない。

 スマホで情報を集めながらペンシル型の雑居ビルや、倉庫にしか見えないダンボールだらけの店舗を覗いてまわる。

 俺は、日の光に長時間さらされると溶けはじめる仕様なので、街路樹の影や暗めの路地を選んで移動し続けた。


 何軒かの空振り後、御徒町に近い雑居ビルで素敵な出会いを果たした。

 どこぞの工場から流出したであろう未発売グラフィックボードを積んだ超安値の自作PCだ。

 半分趣味でやってる店だろう。

 ミミズの寝床のような細い店内には新旧のマシンとパーツが雑然と置かれ、店の最奥は生活スペースだろうか、店長らしき太った爺様がちゃぶ台に座ってテレビを見てらっしゃる。

 俺は値引き交渉をすべく爺様に声をかけた。

 話すこと十分で轟沈。爺様、一歩も引かず。

 結局、俺が折れた。言い値を目の前に積まねば売らんと言われた。

 追加資金を融通せねばならぬ。

 銀行へ向かうべく、店を出たところで……後ろから肩をつかまれた。

 店にいた客だ。

「金、貸してよ。兄さん、持ってるよね」

 百七十センチの俺より、頭半分でかい。

 そしてガッチリした体、スキンヘッドに眉のないつり目、薄い唇にすきっ歯。

 ニンニク臭い息。いや、モンスターか、こいつは。

「俺もPCを買いに来たんだけどさ。ちっと足りなくてね。見てたよ、値切りに失敗したの。手持ちで十万とは豪勢だね」

 肩を組まれて逃げられない。

 耳元で愛を語るようにささやいてくる。

 ふん、あなたの目当ては私のお金なんでしょ!

「う……う」

 いかん、声が出ない。

 これが恐怖ってわけかと脳のどっかが冷静に観察している。

「おいっ」

 痛っ!

 膝蹴りが、俺の薄い臀部に突き刺さった。

「ケガして金払うのと、ニコニコ現金払い、どっちがいい?」

 ぐえっ……みぞおちに拳が押し込まれる。

 俺はその場で崩れ落ちる。

「こんなとこで寝んなよ。風邪ひくぞ」

 地面にへたり込む俺の体をまさぐり始めた。

 目の前には、スキンヘッドの……右耳。いちかばちかに賭けてやる。

 ワンチャンスよ、俺に微笑め。

「ぎゃあああああああああああああ!」

 必殺技、百四十ホン。

 一人カラオケで鍛え上げた声量を受けて見よ!

 鼓膜の奥のカタツムリめがけて爆音を放つ。

 スキンヘッドがのけ反った瞬間、俺は車道へ転がった。

 そのまま、立ち上が……れなかった。

 ジーンズの裾をつかまれている。

 ずりずりと半身をアスファルトにこすり付けられつつ、元の位置へ。

 残念、命がけの絶叫も怪物の闘争心を逆なでしただけらしい。

「穏便に済ませたかったんだけどさ。コトを荒立てたいのね。今ので鼓膜敗れちまったよ。こりゃ賠償だ。鼓膜再生手術。十万じゃ済まねえよなあ」

 道端に正座状態の俺。

 スキンヘッドは右足を何度も上げ下げして、顔面キックを匂わせる。


 喰らって、地面に側頭部ガツンしたら死ぬかもな。

 金で済むなら安いか。

 いや、十万稼ぐのどんだけ大変だよ。

 ケガの治療費どうする。

 国民保健料、督促状来てたよな。

 どうせ、クズ仕事で稼いだ金だろ。

 でも、もったいねえなあ。

 帰り、飯代は残してほしい。天丼が食いてえ。

 逃げられないかねえ。


 様々な思いが脳に生まれては消えていく。

 ボーっとしてた頭上を、凄まじい速度でバスケシューズが横切った。

「払いますっ!」

 風圧に押された。

 大声でお支払いを告げてしまった。

「よし、出せ。え……? これ、う? うぎゃあああ!」

 巨体が断末魔の叫びと共に顔面を覆い、膝をついた。

 俺の目も痛い!

 鼻も痛い!

 口の中も辛い!

 涙と鼻水と涎がどんどん湧いてくる。


 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ


 耳をつんざく、巨大な電子音が響き渡る。

 だが、目が開かない。

 顔面の全感覚器官を蹂躙されて、俺はのたうちまわる。

 なんだよ、何が起きた?

 涙でかすむ風景の向こうに、何者かが仁王立ちしている。

「大丈夫。君は直撃じゃないから。立って! 走るよ」

 ソフトに耳孔をくすぐる甘い声。

 女?

 苦痛と疑問で脳がオーバーフローしている。

 手をつかまれた。

 華奢で冷たい女性の指が、俺の骨ばった手を引っ張り上げる。

 俺はTシャツの裾を空いている手でつかみ、目を拭きながら駆け出した。

「あのハゲ、立ち上がったよ。早く! 振り向かないで! 走れっ!」

 ぼやける視界、足がもつれる。

 生きろっ、ジム通いしている脚力。

 ジムへの道を往復してるだけだが。

 柔らかく華奢な指に引っ張られて、俺はつんのめり気味に走る

「殺すっ! 殺すっ!」

 追っ手の声が近づいてくる。

「ええいっ」

 女は、いきなり立ち止まり、ハゲ頭めがけて防犯ベルを投げつけた。

 電子音が空を飛ぶ。

 彼女、来た道を駆け戻る。

 すると、化け物の絶叫がビル街に響いた。

「ぐぎゃあっ!」

 人間サイズのガマガエルを踏んづけたようだ。

 彼女は息を切らせて戻ってきた。

「ほらっ、走って。いまなら、あいつ、のろいから!」

「なんで?」

「防犯スプレー! 追い打ったの。でも、すぐ来るよ、ダッシュ!」

 また、手を引かれる、ひいこら走る。

 目の前で、ぼんやり見える彼女の姿。

 タイトスカートから伸びるふくらはぎを目指して、泣きながら走る。

 俺はなんでこんな目に遭ってるのだ。

 汗だく、息切れ、大通りが見えた。

 急に人が多くなる。人の波に紛れるべく、混んでる方へ歩を進めた。

 まさか、ここで手出しはしないだろう。

「待てやぁあ!」

 あまかった。

 ハゲはあきらめていなかった。

 巨大な強面の出現に、人の海がパカッと開く。まるでモーゼだ。

 まだ、奴はこちらに気付いていない。

 彼女は止まってるタクシーの窓をたたいた。

 ドアが開く。二人で乗り込む。

「そこかっ、おらぁ!」

 見つかった。

「運転手さん、とにかく出してっ」

 クルマは発車してすぐに止まった。赤信号だ。

 まさに、信号にひっかかったという感じ。

 リアウインドウ越しに、暴力ハゲが人殺し上等な顔つきで迫るのが見える。

 信号は変わらない。

 ついに、プチトマトのごとく充血した目がサイドウインドウ越しににらんできた。

 拳でガラスを叩く。

「開けろ! 降りろ!」

 運転席横のウインドウが開いた。

「ちょ、運転手さん、何を?」

 車内に突っ込んできたスキンヘッド、その耳の後ろに、火花が散った。

「あぎ?」

 妙な声を出して、ハゲは膝をついた。それと同時に信号が変わった。

「スタンガンです。最近、物騒ですからね。大丈夫、死にゃあしませんよ。たぶん」

 運転手は、よくあることなんでねえと落ち着いた口調で語りつつ、ゆっくりと発進した。

 俺は目を閉じた。

 女の顔を確かめたかったし、聞きたいこともある。

 だが、まだ、顔面中がずきずき。

「大丈夫? 災難だったね」

「ああ……」

 少しアニメ声優っぽい高めの声に生返事をしながらも、俺は色々と混乱していた。

 誰だ? どこへ? なんで?

「メイジくん」

 え? 俺、名乗ったっけ?

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