13考目 涼香外伝2 乙女心とパン屋さん

「この作戦の中止には主に3つの要素が絡み合ってるわ。」


「3つの要素?」


レミが不思議に尋ねる。


「ええ。1つはこの街の特性よ。」


「街の特性?特に特徴があるようには思えないけど。

何か特別なことがあるかい?」


涼香は若い男の声真似で店主に詰め寄る。


「甘いぜおじさん!おじさんの目はビー玉かい?

一度イギリスに行ってその使えない目と高級ビー玉を入れ替えてくると良い。

少しはマシになるだろう!」


店主とレミが首を傾げながら目を合わせる。


「あら、どっかの牛乳坊やがうつっちゃったわ。」


涼香はペシっと自分のおでこを叩く。


そして、コホンと喉を整える。


「話を戻すわ。窓の外を見てみて。

何が見える?」


店主とレミは窓の外に目をやる。


「人が、見えます。」


「いつもの八町通りだね。」


「その人が大事なの。皆若い。でしょ?」


「あー確かにここいらには大学が多いから、学生さんも多いね。

1人暮らしをしている子も沢山いるし。」


涼香はパチンと指を鳴らし、にこっと笑う。


「exactly!この街は大学がある。それが最大の特徴よ。

うちみたいな偏差値があってないような大学もあれば、恐らくレミさんが通っているであろう、エリート国立大学。そして。。。」


「美術大学ですか?」


レミが伺うように答える。


「あーはーん。ご名答!この街は学生の街なのよ!

そして、2つ目の要素、パンの用途についてだけど。

美大生の中には木炭デッサンを行う人がいるということね。」


「木炭デッサン?なんだいそれは?」


「文字通り木炭でデッサンをするの。

鉛筆みたいに細い線は描けないけど、太い線が描けるから影を強調するときなどに使われるデッサン方法よ。

ただしこいつが少し曲者でね。

普通の消しゴムなどは木炭紙という専用の紙を傷めることがあるから、あまり好まれないのよ。」


「だから食パン。なのですね?」


「あーなるほど。食パンを消しゴム代わりにするってやつね

その話は聞いたことがあるけど、うちの店のパンを使っているのは考えたことがなかったな。」


涼香は満足そうに頷く。


「そう。つまり、この街には美大生がいる。

そして、食パンの用途が食用ではなく、デッサン用であるということね。」


涼香は鼻を鳴らしながら2人を見る。


「なるほど。使用用途は分かったけど、何でそれが中止になるんだい?」


店主がカウンターから身を乗り出して尋ねる。


「それが3つ目なんだけど、ここの食パンって最高で最悪なのよ。」


「褒めてるの?けなしてるの?

僕、分かんなくなってきちゃった。」


店主が肩を落とす。


「褒めてるのよ。おじさん。

おじさんの細部にまでこだわったパンが好きなの。」


「本当?」


店主の表情が明るくなる。


「私もここのパン好きです!」


レミも同調する。


「でも、最高で最悪ってどういうことですか?」


レミは涼香に尋ねる。


「私たちからしたら最高の食パン。でも美大生からすると最悪なのよ。

もっとも食パンの種類によるのだけど。」


「食パンの種類ですか?」


「そう。美大生達が買いにくるのは、サンドイッチ用に作る食パンの切れ端。」


「サンドイッチ用?そんなのあるんですか?」


「そうなんだよ!実はうちのパンは、サンドイッチ用の食パンと店売り用の塩食パンとを別にしてるんだ!

涼香ちゃん気がついてたんだね!」


店主が驚いたように話す。


「もちろんよ。違いが分かる女ですもの。」


涼香はフワっと髪を掻き揚げる。


「で、そのサンドイッチ用は具材の味を活かすために最低限の材料しか使っていない。」


「そんなことまで分かってたのかい。」


涼香はフッといたずらっぽく笑う。


「一方店の名物塩食パンはその名の通り、塩で味付けをしているけど、加えてバターもふんだんに使っているわ。

まさにおじさんこだわりの味ね。」


店主はうんうんと嬉しそうに頷く。


「そうだったんですね。全く気がつきませんでした。

サンドイッチもおいしいですし。。。」


レミが目を丸くする。


「でもそれが問題。」


涼香の目にキリっと力が入る。


「問題?」


店主とレミが同時に尋ねる。


「そう。美大生達はシンプルな食パンを目当てに買いに来ているの。

柔らかくて、余計なものがほとんど入っていない食パン。

それが一番デッサンに適しているから。

でも、逆に最悪なのはバターなど油分の多いパンなの。

油分が多いパンでデッサンをこすると、紙に油が染み付いて木炭がにじむのよ。

端的に言えば、絵が汚くなるわ。

そうなるとデッサンどころではないわね。

そこでさっきの2人の作戦を加味すると。。。」


「そうか!学生達が買う食パンの切れ端に、塩食パンを混ぜちゃうと。。。」


「美大の方たちに迷惑がかかる、ということですね。」


「その通り。塩食パンなんて混ぜたら阿鼻叫喚だわ。

だから、その苦学生に売るパンに塩食パンなんて混ぜたらだめなのよ。

もっと言うと他の美大生にもね。」


店主とレミははーっと息を吐き、状況を飲み込む。


「でも、それじゃあレミちゃんはどうしたらいいんだい?」


レミも力強くうんうんと同調する。


「そうね。その子が美大生と分かった以上、話の切り出し方なんていくらでもあるでしょ?

例えばそう、もしかして美大に通われてるんですか?とかね。

そうしたらどんな作品作ってるとか、それこそパンの使い道なんて聞いてみると盛り上がるんじゃない?」


「確かに。相手のことが少し分かった今なら話題はありそうだよレミちゃん!」


「後はレミさん次第ね。恥ずかしいとか言ってる場合じゃないわ。」


「ありがとうございます。なんだか涼香さんを見ていると羞恥心が薄れてきました!」


「んー?」


涼香は首をかしげながら店主の耳元に近寄る。


「おじさん、今のどういう意味だと思う?」


声を潜めて涼香が尋ねる。


「いや、割とそのままだと思うよ。」


店主が困ったように苦笑いをする。












カラーン。


店のドアが開く。


「いらっしゃいませ!」


レミが元気よく挨拶をする。


「いらっしゃい!」


店主もレミに続く。


「涼香ちゃん、あれが例の彼だよ。」


店主が声をひそひそと涼香に伝える。


「ほーどれどれ。」


涼香が青年に目をやる。


「あ!」


突如涼香が大きな声を出す。


青年もそれに反応して振り返る。


「やー立花女史じゃないか。奇遇だね。」


「やーじゃないわよ。岩佐守じゃない!」


店主とレミが顔を見合わせる。


「あのー2人はお知り合いですか?」


「あはは、そうみたい。」


涼香が無理やり笑う。


「へーそんな偶然あるんだね!

守君っていうのかい?

よろしくね。」


「あ。ども。」


それだけ言うと守は再び棚のパンに目を戻す。


「ちょっと、岩佐守。あんたどうせまた食パンの切れ端を買いに来たんでしょ?」


「立花女史、その通りだがどうして?

ひょっとして天才か?」


守が不思議そうに聞く。


「どうもこうもないわよ!」


それだけ聞くと、レミが店の奥に入りパンの切れ端を持ってくる。


「こちらですね。」


「おーこれこれ。どうもありがとう。」


守は満面の笑みを浮かべる。


「あなた、このパンどうするの?」


涼香が伺うように聞く。


「君は頭の中までパンが詰まっているのか?

パンだぞ。

食べるに決まってるだろう。」


守はスッと10円だけレミに手渡すと、じっとレミを見つめる。


そして、髪の襟足をクルクルと指先で遊ばせて、レミに視線を固定する。


レミは突然の視線にドギマギするばかりだ。


「あーはーん。立花女史。そういうことか。

僕は美大生でもなければ、パンを消しゴムにすることもない。

それに、ここのサンドイッチ用の食パンはバターこそ使っていないが、柔らかさを最大限に出すために、それなりの植物油を使っている。

結論、消しゴムには不適だ。

ついでに、僕がここに来る理由はただ1つ。

ここのパンは牛乳に合う。それだけのことさ。」


それだけ言い残すと守はそそくさと店を出ていく。












「けだるそうなイケメンね。。。

自分のことはあまり話したがらないと。。。

レミさん、あいつだけはやめときな。」


「え?」


「変なやつだからさ。。。」


ははっと涼香は乾いた笑いをこぼす。


店主とレミは涼香には言われたくないだろうという言葉を必死で飲み込んで、じっと涼香を見つめるのみだった。


「何よ。天才はあんたの方じゃない。」


涼香は誰にも聞こえないようにボソッとつぶやいた。








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天才 岩佐守は頭を使いたくない @shinonome862

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