乙女座

「──ペルさんとは何か?」

「そう、ボクが食べた”ザクロ”とは何か」

 俺は思わず息を呑んだ。

「もっと、出し惜しみする情報じゃないの。それ」

「なんで」

「……いや」

 俺は買ってきたホットサンドメーカーに、ソーセージを詰め込んで火にかけた。

 パチパチとはじける火の粉が紅く舞う。

「そもそも隠してることでもないしね。うわっ。すごいよお兄ちゃんっ!」

 寝袋の上へごろんと寝転がったペルさんが興奮気味に俺を誘う。

 無防備に手招きするから、を期待してしまう自分がいて心が痛くなる。

 それでも寝袋を敷いて倣うように宙を見上げると、今の今まで持っていた煩悩だとかが、一瞬で満天の光点に飲み込まれて消え失せた。

「──ッ」

 ──言葉を失ったのだ。

 赤色だとか、青だとか。白色や橙色。一等輝いて見えるモノ、羽虫程度の小さいモノ。輝く星々は一つとして同じには見えず、それぞれが唯一無二の個性を放つ。

「ボクは星座博士じゃないけれどね、自分の星座くらい知ってるんだ」

「ペルさんの星座?」

 真上に向けて吐き出した言葉は無限遠まで飛んでいき、もうこの場所には返ってこない。俺は改めて空の高さを知った。

「多分お兄ちゃんも知ってるよ。”おとめ座”って言うんだけど」

「知ってる。どこにあるんだ?」

 指さされても分かりっこないだろうけれど。

 何せ俺のワンルームからの天とは見える星の数が違い過ぎる。

 しかしペルさんは笑って首を横に振る。

「ううん。今日は見えないんだ。おとめ座は春の星座だから」

「夏のイメージがあるけどな」

「星座占いしか知らないでしょ。……おとめ座はね、秋から冬には見えないんだ」

「へぇ」

 ──ジジジ。

 端なく唾液がこぼれそうになる香ばしい匂いが、ホットサンドメーカーから運ばれてくる。そろそろ頃合いなのだが、しかしまだ大の字に寝ていたかった。

 漆黒の大空にふわりと浮き上がる感覚、それがどうやら体を起こす気力までも吸い上げているようなのだ。

「だから”Persephone”は”大地農耕の女神”であり”冥界の女王”──冬の間は冥界で過ごすと言われてる」

「大地の女神で冥界の女王か……キャラが濃いね」

「神様なんて適当なもんだよ。だって”Persephone”はゼウスの娘でハーデスの妻。しかも冥府に誘拐されて無理やり結婚させられた上、冥界の”ザクロ”を食べたせいで1年の半分近くを地下で過ごさなければ──」

「──”ザクロ”」

 ネット小説並みに詰め込まれた設定へ苦言を呈したくなったが、反射的にペルさんが発した”ザクロ”という単語をオウム返ししてしまった。

 首を倒して横を見れば、傷んだ髪が真一文字に切り揃えられた幼げな横顔があり、この世の全てを知ったかのような真っ黒な瞳がこちらを流し見る。

「そんな期待しないでよ。そんな大した話じゃないから」

 そう言ってペルさんは星空に手を伸ばす。


「──ボクは、アニメを創るためだけに生きているんだ」


 一呼吸置いた後彼女は悲しげに言った。

 俺はどうしてそんなに切ない声を出すのかが解らなかった。

 モノ創りに全てを賭けられるということは、寧ろ誇れるものじゃないのか。

「……この生き方は後天的な性質なんだけど、過程は重要じゃない。ボクにとってはもう”こうやって生きる”のが当たり前のことだからさ」

「こうやって生きる?」


「つまり──『死んだり生きたりを繰り返す』ってこと」

 

「……」

 ペルさんの声音はあまりにも平常運転だった。

 人間の俺にとっては全くそれが理解できなくて、無限平面の真っ白なパズルを組み上げているような気分になり、ただ木偶の坊の如く彼女を見つめる。

「お腹が減って、人目を忍んで、肌にねっとり張り付く汚れが気持ち悪くて、本当に孤独でギリギリな3日前から今日、こうやって肉の焼ける匂いと星空の下、お兄ちゃんとどうでもいいことを駄弁っていられる。


 ──ボクはこので作品を創るんだ」


 スキージャンプ、或いはジェットコースターのように、ペルさんはアニメを描くんだ。

 あの日4日前衝撃を受けたアニメーションに対する雑感──『生きているようなエネルギー』というものは錯覚ではなかったのだ。

「……どうしてそこまで」

 例えば俺があの日腐敗臭がしたペルさんを、厭悪感から見捨てていたら。

 例えば俺があの日大切なモノクソな仕事を選び依頼を断っていたら。

 彼女は、きっと──。

「どうしてもこうしてもないよ。一度”ザクロ”を食べてしまえばもう、自分の生き方に疑問なんて持たないさ。……お兄ちゃんが毎日仕事に行くようにね」

 段々とぼやけた”ザクロ”の実像が掴めてきた。

 多分”ザクロ”とはペルさん自身の成功体験──もしくはそれに準ずる快感のようなものなのだろう。だとするならば。

「……俺が仕事に行くのも”ザクロ”によるものなのか?」

 自分の生き方に疑問持ちまくりだが。

「うん。だって……。こういうこと、あんまり言っちゃいけない気もするけどさ。学生の頃──高校生の時とかさ、夢があったんじゃないの? お兄ちゃん」

 ──っ。

 脳みそにあの頃の記憶がフラッシュバックする。

 勉強できない、運動できない、会話できない、バイトできない、優秀な弟との能力差、社会・家庭内の立場────唯一見出した逆転の光明。


 好きだった小説で一山当てたい。


「……どうしてそれを」

 ペルさんの言葉は何もかも図星であった。

「んー? ……いや、勘だけど」

「……カマかけやがって」

 脱力してまた宙をぼんやりと眺める。

「アハハー。神様には全部お見通しだよお兄ちゃん」

「神様ねえ。……ペルさんは死ぬのとか、怖くないの?」

 いい作品を創るため自分を死の淵に追いやるなど、俺には到底できそうにない。

 今も自分の口から滑り出した『死』という言葉は浮ついて現実味がなかった。

 ペルさんは不敵な笑みを浮かべ「」と言った後。

。怖いから、生きてるーって思うんだよ。その感情がボクになっていく。……逆にお兄ちゃんは怖くないの?」

「俺だってそりゃ怖いに……」

 反射的に返した言葉を噤む。

「……ん?」

 決まってなどいなかったのだ。

 死にたいと思うことはあれど、生きたいと思うことなんてなくて、じゃあどうして今生きてるのかと言えば、死んでいないからに他ならなくて。

 ”生”を白蟻のように食い潰して、俺は”死ぬまで生きているだけ”なのだ。

「いや。俺は怖くないのかもしれない、案外な」

 生きてて遺せそうなモノがないからかもね。

 そう自嘲気味に言うと、「変なの」とペルさんは何も気にせず笑った。

「その答えは流石にお兄ちゃんの方が神様っぽいよ。ペンネーム、『透明少年』から何か神様の名前に変えたら?」

「うるせぇ。何があっても変えん」

 俺も合わせて笑った。

 たった今、能動的に楽しいと思える瞬間が初めてやってきて、機械的に動いているだけでは手に入らなかった感情が、もう10年も前に手放した感情が再び蘇りつつあった。

「──東京に帰ったら、すぐ描き始めるよ」

「おう、任せた」

 結局ソーセージは炭のように黒く焦げ、俺はペルさんに怒られて、沢山食べて沢山飲んで、もう限界まで腹を満たしたら怠惰に草原へ寝っ転がり、星空のカーテンを見上げながら少し話をして、昼間の疲れからか俺たちは気絶するかのように眠りに就いた。

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