物語は続く

 ページをめくる様に霧が晴れた後、ボクらは怜悧の家の前の通りに居た。

 ワオーン。

 さっきから鳴いている声は、羽陽病院の斜向かい、大和田さん家のジュピターの鳴き声だった。

 ボクは、夢から覚めるように、貧血から立ち直る様に、急に現実感が戻って来るのを感じた。

「怜悧…」

「才蔵君…」

 多分だけど、二人共、何を話していいか分からなかった。

 少なくとも、ボクはそうだった。

 全部、夢だった。

 そう言われたら、そうかも知れない、そんな気がした。

 でも、怜悧の手には、銀色に輝く笛が握られていたし、その水色のワンピースには、ところどころ、濃い染みが出来ていた。

「怜悧…血、止まった?」

 怜悧の鼻から顎にかけて、血の跡がついている。

「あっ!やだ!」

 怜悧が手の甲で頬を拭う。

 血の跡が頬に広がった。

 自分の手の甲に付いた血を見て、怜悧は顔を顰めた。

「うわっ!なにこれ!服にもついてんじゃん!もうやだあ。お母さんに怒られる」

 河童に襲われても泣かない怜悧が、泣きそうな顔をするのを見て、ボクは心からキュンとした。キュン死に寸前に陥った。

「怜悧…あのさあ…」

「ん?」

 服のあちこちの汚れを確かめるように見ながら返事をする怜悧にボクは思い切って聞いてみた。

「あのさ、信之おじさんと泰子おばさんて…」

 怜悧の動きがピタリ、と止まった。

 ヤバい。

 あんまり触れない方が良かったか。

「うん。それね。そうだな。明日。明日時間ある?」

 怜悧はボクを真っすぐ見つめて来た。

 こういうとき、どんな顔していいかは分からない。

 けど、こんな時、変におどけるのは間違っている。

 真剣な問いには、真剣に応えよう。

 そうだろ?

「うん。あるよ」

「うん。それじゃあ、明日。才蔵君の家でもいい?」

 なんていうか。

 山羊座の運勢が一位、それは本当の事の様だ。

 まさか、怜悧から誘ってきて、しかも、家に来る?

 テレビの占いが当たることを、岩舘と赤坂に速攻ラインしなきゃいけない。

「うん」

 気の利いたことも言えず、ボクはただ、そう答えた。

「それじゃあ…明日。また、ね…」

 何て言う事もないセリフだが、それだけにダイレクトに心を直撃した。

 「また、ね…」なんていい響き!

 ボクが今度こそなにかグッと来る返事をしよう、そう考えている間に、街一番の美少女は、その長い足を翻すと、羽でも生えているかのように軽い足取りで、けだまと共に家の中に消えた。

 ボクは妙な高揚感と達成感に包まれて、その姿を残像まで見送ったまま、しばらく動けずにいた。






 これが、怜悧と一緒に戦う日々の始まりの夜が終わるまでの話。 

 この後、悲しいことが沢山あった。もちろん、楽しいこともいくらかは。

 ただ、あの夜から5年経った今言えることは、ボクは怜悧に会えてよかった、そういうこと。

 物語は続くが、今日はもう、寝ようと思う。

 お休み、また明日。

 物語を、君に。

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天狗の娘(てんぐのむすめ) 市川冬朗 @mifuyu_ichikawa

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