歯がゆい子供

「ほい」

 ボクは怜悧用に買ったホットのカフェラテをなるべくさりげなく手渡した。

「ありがとう」

 怜悧が両手で受け取る。

 寒いのか、いつも捲って七分で着こなしているブレザーの袖を、掌に被さるぐらいに目いっぱい下ろしている。

 雨に濡れた怜悧をマジマジと見たかったけど、さすがにどうかと思ったので、どこに座ろうか考えてるフリしながら、あちこちに視線を動かし、視界の隅でチラ見した。

 ブレザーの隙間から見える白シャツが、肌に貼り付いている。

 まだ完全に夏服じゃないのが悔やまれる。

 それでも、正面から見える、シャツの下に着ているキャミのシルエットだけで、なんだか生きる希望みたいのが湧いてきた。

 先生や、親に怒られた後に見るエロ動画とは、また違う、なんだか神聖な欲望といった感じの何か。

「おい、アイス」

 あまりの充足感に、動きが止まっているボクを、ぶっきらぼうに赤坂が突いた。

 岩舘は、無言でパンを食べている。

 そりゃそうだ。

 仲間内では気軽に呼び捨てで話題に出来ても、実際に目の前にアイドルがいたら普段通りではいられないだろう?

 あんな不思議な体験をした後なら、なおさら。

 そういうことを理解したからといって、どうこう出来るボクでもなく。

 ボクはいつもより不器用に椅子を引くと、黙って座った。

 ゆっくりとペットボトルの蓋を開けて、もう大して熱くはないホットのカフェラテをさも熱そうに飲んだ。

「さっきのアレ。誰?あれかな、最近噂の行方不明に関係してるやつかな?」

 赤坂がアイスを齧りながら聞いて来た。

 何か調べているのだろうか、片手でスマホをいじっている。

 雨に打たれた後でアイスを食うのも凄いが、唐突に沈黙を破るのも凄い。

「分からない」

 怜悧が首を振って言った。

 まるで疎遠だった今までの2年間ちょっとがなかったかのように、彼女はこの空間に馴染んでいた。

「じゃあ知らない人?」

 ボクはつまらない質問をした。

 畜生。この中でボクが一番怜悧と長い間過ごしているのに、なんだかドキドキして思考がまとまらない。

「う…ん。知らないけど、あっちは知ってるみたいだった。でも、なんていうか…」

「なに?」

「わたしもなんだかどこかで見たような気がして…でも、違う。あんな変な人、見てたら分かるはず。だから、わたしの勘違い。そう」

 怜悧は最早先ほどの衝撃から立ち直ったらしい。 

 声はいたって冷静だった。

 ボクはつい30分前までの出来事を思い出す。

 怜悧に覆いかぶさる様に、両手を上に挙げて襲い掛かる人影。

 でも…あれは…人じゃなかった。

 変な考えだけど、妙に確信めいたものが有った。

 別にそれを望んでいる訳じゃない。

 もちろん。

 ボクの妄想やら、不純で邪な部分を差し引いて、なぜだかそう思った。

 結局、誰も何も分からない訳で、多分、行方不明者に関係する変質者だろう、という結論になった。

 怜悧は家に帰って親に相談してみると言った。

 ボクらも他に何も思いつかなかった。

 ボクに出来ることは、と言えば怜悧を送って行くことぐらい。

 暗くなる前に帰ろうといういう流れになって、ボクらは怜悧を送って行った。

 帰り道はいつも通り。

 何事もなかったかのように、怜悧は家の前で少し冷たいぐらいの態度でサッと手を振ると、家に入って行った。

 ボクは家に帰ってご飯を食べ、寝る前に河童祭りのことを思い出し、明日から怜悧を送って帰ろう、そう思いながらいつの間にか寝ていた。


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