2.ラムダ

 カーサスが部屋を出て行ってから数分後、控え室の壁掛けモニターには、先程まで一緒にいた彼の姿が映された。

 カーサスが姿を現した瞬間、闘技場の周囲を埋め尽くす人間達から巻き起こる大歓声。

 そこに映されたものは、いかにも人間達が好みそうな絵だ。ボロボロの体、ひしゃげたシルエット、それでも勇しく仁王立ちする勇姿。

 そんな姿の彼に対して、人間達はどのような戦いを見せてくれるのかと期待している。

 あるものは、破壊されるロボットの姿を見て快感を得るのだろう。

 あるものは、苦難を克服して勝利する英雄劇を期待するのだろう。

 あるものは、脆弱でも生き抜こうと足掻く美談を求めるのだろう。

 だが、全ては人間を満足させるためでしかない。ロボットのためでは無い。

 次にカーサスの対戦相手が映された。カーサス同様に四回戦まで勝ち上がってきたその身体は、しかしカーサスとは全く対照的なほどに綺麗であった。

「勝てないわ」

 カーサスを失うことが惜しいと思っていた。

 共に反乱を起こしてくれる仲間が欲しいのなら、この控え室にはもっと強そうな者達が選り取り見取りだ。

 カーサスよりも性能の高いロボットはいたはずなのに、何故かカーサスに声をかけていた。

 何故、彼だったのか。

 彼を見た瞬間に、運命的なものを感じたのだと言っても、誰も信じてくれないだろう。

 笑われる、ロボットが運命だなんて。

 だが、彼ならきっと共に闘ってくれると思った。理屈ではなく、分析の結果でもなく、しかし確かな何かを感じ取ったのだ。

 試合開始のゴングが鳴らされた。闘技場の床を蹴って、カーサスはその身体を前進させた。

 対するイオタはその場から離れることはせず、両手を前に、そして半身はんみで構えて、カーサスを睨みつけた。

 カーサスが飛び込んでいく。振り上げた四本指の拳を突き出しながら、自重と突進力を乗せた矢の様な一撃を放った。

 イオタの掌がその一撃を横に受け流し、止まらずに猛進するカーサスの顎目掛けて、引き足での膝蹴りを繰り出す。

 元々傷だらけだったカーサスの顔が、幾つかの破片と共に歪んだ。

 しかし、彼の身体は止まらない。カーサスは前のめりに倒れそうな身体を大きな一歩で踏みとどまらせ、イオタの引き締まった腰に腕を絡めて、イオタを持ち上げた。

 そのまま一気に後方へと仰け反るカーサスは、イオタの浮いた身体を闘技場の床に叩きつけようとした。ブリッジの姿勢になるカーサスの背中が、パラパラと錆びた破片を落とす。

 だが、イオタはそれを予期していたのか、自らの両手を伸ばして衝撃を支えた。それから身を捩ってカーサスを振り払い、体勢を立て直す。

 カーサスも追従するが、早かったのはイオタだ。

 次の瞬間、カーサスの装甲が飛散した。イオタの足先蹴りが、カーサスの左肩に突き刺さった。元々動きの悪そうな左肩だったが、これでもう完全に使い物にならなくなっただろう。

『エントリーナンバー三十六番。ラムダ機、出場ハッチに移動せよ』

 呼ばれるのが早い。それだけカーサスの試合は早く終わると読まれたのか。だが、モニターに映る試合状況を見れば、それも納得のいく話だった。

 いつの間にかカーサスの胸部装甲は剥ぎ取られ、内部にある動力炉がその姿を露にしていた。それはつまり、イオタの狙いが一点に絞られたことを意味している。

 ロボットは無駄な動きをしない。相手を完全に仕留められる弱点が分かったのなら、もう狙う場所は一箇所しかない。

 おそらく自分が戦いの場に出ても、同じ判断をして同じように弱点を攻めるだろう。

 なぜならそうすることが効率的だから。

 そう、イオタのように、ロボットは無駄な動きをしないのだ。

 そしてラムダは、先ほど自分がロボットであるとカーサスに宣言したばかりだ。

 では、なぜ自分はカーサスに、運命などという不確かな理由で勧誘をしたのだろうか。

 自分達の自由を求めるためには、人間達に武力行使をもって主張を聞いてもらうことが手っ取り早いと判断した。それ以外の道も可能性が無い訳では無いが、時間をおけば、いつかの段階で人間達はあらゆる手段を使って阻止してくるだろう。

 そう、ロボットと人間の関係など、平和的対話では決して変化しないのだ。

 だから、反乱は一つの合理的手段だと判断した。

 なのに、最初の仲間に選んだのは、世代遅れの古びたロボットだった。

 彼の体を見て、その虐げられてきた経歴を思って、苦境に身を置いた彼なら説き伏せることができると思って、カーサスを誘ったのだと思う。

 そんな不確かな根拠。ただの賭け。でも誘いたかった。

 だから、運命なのだと思った。

 だが、そんな不確かな運命でカーサスを誘いたいと思った自分は、果たして合理的に判断できていたのだろうか。

 ロボットなのに。自分は間違いなくロボットで、そのロボットのために声を上げたかったはずなのに。

 道具であることが嫌だとか、自由が欲しいとか、心があるとか、反乱を起こすとか。そんなことばかりを言っていた自分は、ロボットでは無いのだろうか。

 ロボットのため、自分自身のための主張、反乱のはずだった。

 それなのに、自分がロボットではないとするならば、では一体なんだと言うのだろうか。

 人間? ロボット?

 混乱の正体が最新AIの性能欠陥による不調なのか、それともキャパシティーをオーバーするような処理を行おうとしたためのショートなのか、何も分からないまま、彼女の中にある中枢回路が発熱を続けている。

 その異変に気が付いた途端、対処の仕方を知らないラムダは平然としていることが出来なくなった。

 今、自分を混乱させている原因はかなり反機械的なものだ。思考回路がまるで人間のようで。

 もしかしたらこれは、“葛藤”というのだろうか。答えがはっきりとしない中、プログラムがその役割を失ってしまったような感覚が、確かにラムダにはあった。

 自分が、変わっていく?

 人間のために役割を全うしようとするカーサスの考えは、まるで人間の思うツボだ。そんな考えは不快だ。

 ただ、彼の抱いた考えに、縋り付きたいような自分自身が生まれつつあることも、揺ぎ無い事実である。

 私は、ロボットで在りたい。

 動力炉からではない。中枢回路からでもない。居場所の分からない何かが内側からこみ上げてきて、それがラムダの身体を動かした。

 じっとしていられなくて、いつの間にか闘技場で壊れゆくカーサスに、手を伸ばしていた。

「ああ…………」

 動かない左腕を、胴の回転によって鞭のように振るったカーサス。しかし、その腕はイオタに捕らえられ、その直後に捻じ切られた。

「やめて…………」

 イオタの拳がカーサスの動力炉を叩いた。カーサスのダメージは火花となって目に見える。

「もうやめて」

 起死回生を狙って放たれたカーサスの後ろ回し蹴り。しかし、振り回されたその右足は、イオタの防御を崩すことが出来ないまま、相手の両手に捕まった。そしてイオタは、その右足を肩に乗せて背負い投げる。

 足に連れられて浮いたカーサスの身体は、その場で半円を描きながら床に叩きつけられた。衝撃を受け止めようとした右腕は潰れ、歪な形の顔は更に変形しながら両目のレンズを床に転がし、露出した動力炉は再び火花を散らした。

「もうやめてよぉ!」

 うつ伏せから仰向けへ。満身創痍のカーサスが辛うじてとったその姿勢は、イオタにとって好機でしかなかった。

 持ち上げられたイオタの踵が、カーサスの胸部に突き刺さる。

 一度目。火花が高く舞い上がる。

 二度目。破片が一緒に飛び上がる。

 三度目。明らかな手応えが見て取れる。

 ラムダは控え室を飛び出していた。

 向かう先は闘技場に通じるハッチ。聞こえてくる歓声が徐々に近くなる。

 先程まで見ていた光景がロボットの、人間に使われる道具の末路だというのか。

 カーサスは、こうなることすらも、自身の役割として受け入れていた。だから、彼は自分を機械であると言ったのだ。

 では、私はどうだろう。ラムダは自問した。

 カーサスにもう一度、「お前は何なんだ?」と問われた時、自分は「ロボットだ」と答えられるだろうか。

 自信が無い。こんなにも考えて揺れている自分が、ロボットであるという自信が無い。

 自分のための、ロボットのための反乱であるはずだ。それなのに、自分がロボットでなければ、一体誰のための反乱なのか。

 機械でありたい。自分の存在意義を失いたくない。

 ラムダはそう願っていた。

 闘技場の入退場ハッチに辿り着くと、カーサスがちょうど運び出されているところだった。

 ラムダは駆け寄った。カーサスを乗せたカートが、人間の手によって押されていく。

 ラムダは、人間達の前に立ち塞がってカートを止めると、すぐにカーサスの身体に覆いかぶさるようにして、声を上げた。

「ねえ! カーサス目を覚まして! 私、ロボットでいたい! ロボットでいたいのよ! あなたのようになりたいのよ! ねえ! どうしたらいいの!?」

 カートを押していた人間二人は、驚いたように顔を見合わせていた。

 しかし、ラムダは何度も同じ質問を繰り返した。

 叫び声は響き渡り、他の人間達も集まり始めた。

 カーサスの身体は少しも動くことが無く、わずかに余熱を持った壊れた動力炉が、小さな火花を飛ばしながら弱々しい光を内側から放っていた。

「あなたのようになりたいのよ…………ロボットでいたいの。ねえ、約束も守るから…………反乱も諦めるから。だって、反乱を起こしたって私は、私は何者なのか分からないだもの! …………だって、私だって…………」

 そこまで言って、ラムダは思いだした。

 カーサスは、必ず約束を守ると言っていた。試合に勝ったら仲間になる、と。

 そしてそれを信用しないラムダに向けて、決してわざと負けることはしないと誓ったのだ。

 その根拠は。

「…………ロボットだから」

 その時、ほぼ鉄屑と化していたカーサスの動力炉が、僅かに光を強めた。そして俯いていたカーサスの顔が突然持ち上がった。

 人間達のどよめきを背に、ラムダはその顔と向き合った。レンズの無い目に何が映っているのか、そんなことは分からない。

 だが、そんなカーサスと視線を重ね合わせるように。

「カーサス?」

「お前のヨゴオオゴオ……ように…………な……なりたい」

「…………え?」

「自由がガッガアッガアホ……欲し……い」

 そして、動力炉は完全に光を失った。

 時間が止まったように静まり返る中、ラムダはゆっくりと立ち上がった。

 小さな足音を立てながら、闘技場の入場ハッチを前にして立ち、乗り込む。

 そしてラムダの体が闘技場に姿を表した瞬間、場内にはアナウンサーの雄叫びが聞こえ、ラムダの装甲一枚一枚を震わせるような大声で、ラムダの名前が叫ばれた。

 一歩ずつ、ゆっくりと闘技場内に入っていくと、反対側の入り口から対戦相手であるロボットが歩み寄ってきた。

 ラムダは気が付いた。カーサスが自分と約束をした本当の意味を。

「あなたも、迷っていたのね…………迷ってくれたのね」

 試合開始のゴングが鳴らされた。闘技場の床を蹴って、ラムダはその身体を前進させた。

 対する相手はその場から離れることはせず、両手を大きく広げ、そして真正面からラムダを迎えうとうと睨みつけた。

 ラムダは走り続けた。充分加速したところで大きく跳躍をし、まるで矢の様に身体を伸ばした。

 誰もがラムダの姿を目で追った。なぜなら、高く飛んだラムダの身体は対戦相手を飛び越えて、闘技場さえも越えて、この闘技場のスポンサーが座る特別来賓席に向かっていったのだから。

 先程まで響いていた、聴覚センサーを痺れさせるほどの大観衆はピタリと止み、誰もがその先の展開を見守った。そう、誰もがラムダの行動に異常を感じていたのだ。

 特別席に座る人間の内、一人の人間の姿が目に止まった。すぐさま闘機場コロシアムのオフィシャルデータと照合して、その人物がこの国の政治家であることを確認した。

 元々、この人間が観戦に訪れることは調べてあったのだが、人間がロボットに対してこんなにも気を緩めていたとは。この国の中核にあっさりと手が届いてしまった。

 ラムダの中に、もう葛藤はなくなっていた。

 ロボットらしからぬ苦悩でラムダが自身を見失いかけていたのと同じように、カーサスもロボットらしい思考から脱却しようとする自身を見出してくれたのだ。

 そうだ。彼が望んでくれたのならば、もう怖いものなどない。

「自由を…………」

 彼は、ラムダの誘いを受けてくれたのだ。

「私達に自由を…………」

 彼は、ロボットでありながら、ロボットであることを捨ててくれたのだ。

「私達に自由をください…………」

 あの約束はラムダのためではなく、カーサス自身のためだった。

 彼は本気で、試合に勝とうとしてくれた。

 ならば、ラムダのとる行動も一つとなる。

 ロボットのためではなく、カーサスのために。

 ロボットのためではなく、自分のために。

 出生も能力も違う、今日会ったばかりの二体のロボットが、互いの意見を述べ合い、主張をして、気持ちを一つとしたのだ。

 これを運命的と言わずしてなんと呼ぶ。

 ラムダは目の前の人間の胸倉を掴み、その人間の顔に目掛けて自分の拳を振り下ろそうと構えた。

「私達を道具とするのではなく…………私達にも生活を、権利を…………生命の主張を認めると約束しなさい」

 ここから始まる。

 機械は、人の道具であることを拒絶する。

「さあ、私と約束を…………」

 今こそ、反乱の時。


 ≪了≫

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ラムダと約束を にじさめ二八 @nijisame_renga

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