現人神対英雄Ⅱ

 いつもであれば聖ローレンスの難解な地形に誘い込み、ウェルキンゲトリクス自らが持ち前の機動力を生かし相手を削っていくのだが、今回の彼はただただ退いた。相手を刺激せず、自らの心臓部に誘い込む。

 狙いは一つ、彼らの総大将との一騎打ちである。

 そもそも今のネーデルクス軍はシャウハウゼンが突っ立っているだけで常勝するほどに平均値も高い。野戦でも届かないが、より厳選して少数精鋭で聖ローレンス領に足を踏み入れたネーデルクス軍との差はさらに開いている。

 大規模な戦場も強いが、小規模だとさらに強い。

 超大国の層の厚さ、黄金時代の分厚さは他国の追随を許さない。

「う、ウェルキンよぉ。どいつもこいつも強そうな連中ばかりだぜ」

「強そうじゃなくて、強い」

「……か、勝てるのか?」

「戦争なら、絶対に勝てない。今のネーデルクスは全てが揃い過ぎている」

「……そ、そっかぁ」

「逃げるなよ、司祭長」

 ウェルキンゲトリクスの脅しに男は身震いする。ただの山師でしかなかった自分が、見栄えのいい飾りでしかなかった彼女に力を授けたこの男の出現によって、嫌でも逃げられぬ重責を担わされた。裏切ればこの男、地の果てまで追ってくる。

 と言うか実際に逃げた奴が、翌日首だけになっていたこともあった。

 彼女を利用しようとした自分たちを、この男は絶対に許さない。宗教を演じ続けねば、聖女を掲げ信仰を見せ続けるためだけに、彼らはウェルキンゲトリクスの掌の上で踊らされ続ける。それが聖ローレンスの実態。

 虚構の王国、張りぼての神を祀る宗教国家。それを構成するためだけに生かされている、哀れなる操り人形が、彼女で一儲けしようとした自分たちの末路である。

「彼らの誇りを信じるしかない。彼らが俺を討とうとした理由が、俺の想像通りなら必ず乗って来る。この戦は、彼らにとってはただの証明だから」

「……?」

「信じろ。超大国を。世界最強の男を」

 最初はただの無礼な小僧だった。学もなく、礼節も知らない野生児。だが、彼は日々彼女から、自分たちから、信徒たちから様々なものを吸収し、飛躍的に成長している。元々地頭は良いのだろう。今では彼の思考に凡夫でしかない自分たちはついていけない。学がないと侮っていたが、学などすべて後付け出来るもの。

 それ以外の全てを兼ね備えていた者に、それが備わったのだ。

「それに負けんよ、俺は。彼女の命を背にする以上」

「……で、ですよねえ」

 男たちは山師であった。曲がりなりにも国を興し、世界中から金を巻き上げようとした連中である。それなりの場数は踏んでいるし、修羅場も潜り抜けている。その辺の商人とは格が違う。そんな彼らの眼から見て、この男は格別であった。

 強さがどうとかいう話ではない。ただ、華があるのだ。こればかりは生まれ持ったものであり、どれだけ凡人が積み上げようと、近づけはすれ届かない。華を持つ者の言葉には力が宿る。そこに実は無くとも、騙すことなど容易なのだ。

 金になる資質である。力になる資質である。

 人を動かす資質が、ある。

 ただしそれは――

(……あの男も同じ、なんだよなぁ)

 世界の頂点、神もまた持つ資質である。その上で、あの神は凄まじいほどの実績を積み上げている。そりゃあ神にもなるだろう。

 同じ資質を持つ者同士、実績の差で集団戦は覆しようがない。何せどちらも策を凝らすような才覚はないし、それが強さに結びついている稀有な存在なのだ。今はまだ明確にウェルキンゲトリクスでは足りない。それは事実。

 だが、一騎打ちであれば他者に働きかけるカリスマ性と言うのは意味を成さない。確かに活路は其処しかないだろう。

 彼らが乗ってくれるのを祈るしか、ない。

 その上でウェルキンゲトリクスが負けたなら、この虚構の国は亡びる。あっさりと、この世界に初めから存在しなかったかのように。

 ただ、彼を知る者であれば――

(この化け物が誰かに負ける姿は、想像出来ないがな)

 命を賭すには充分だと、山師の彼らをして思う。


     ○


「ウェルキン、お帰りなさい」

「すまないな。この地にまで引き寄せるしかなかった」

「構いませんとも」

 名を捨てた女性、この聖ローレンスにおける象徴、聖女がウェルキンゲトリクスを出迎える。公の場では見せない彼らの空気感。

 親密なのだが、どこか遠い、そんな雰囲気である。

「勝てますか?」

「そのつもりだよ」

「……いつもならば勝つとだけ答えるのに、それほどの相手ですか」

「……君には敵わないな。そうだね、怖い相手だ。一目見てわかった。彼はたぶん、俺とは違う山脈を踏破した怪物なんだ。古い記憶とは全然違う。記憶の中ならば、勝てると思っていたけれど、今は、わからない」

 ここに来て初めて見せる弱さ。それほどの相手だと言うことなのだろう。勝つと言い切れず、恐れすら抱く相手。

「負けても構いませんよ、ウェルキン」

「そうしたら、皆死ぬ」

「それが天命と言うこと。私は受け入れます」

 あっさりと言い切る彼女を見て、

「ならば、負けられないな」

 ウェルキンゲトリクスは気合を入れ直す。彼女を守るためにこの地に根差した。向いていない王などを自称し、気取っているのは全てそのため。

 彼女が死を受け入れようとも、それをウェルキンが否定する。

「俺は勝つよ」

「御武運を」

 彼女が望むからではない。己がそうしたいから、戦うのだ。


     ○


「この地に根差す者が現れる、か。時代も変わるものだ」

 シャウハウゼンはかつて自分が英雄の血族と戦ったことに思いを馳せる。何もない場所であった。住み着こうとしても世界の中心、誰かが追い落とし、その誰かもまた追い落とされ、定住に至った民は今までいなかった。

 その前は、この地自体が聖地であり禁足地であった。魔王と勇者が雌雄を決したとされる場所であり、人々は進んで近づこうとしなかった。

 それが今や、

「……安定しているのは君のせいかな? ウェルキン、ゲトリクス君」

「何の話か分からないな、シャウハウゼン」

 それより遥か昔から連綿と続くもう一つの伝説、英雄の血統が力ずくでこの地に根を張ろうとしているのだから世の中わからない。誰とも群れず、交わらず、世界の均衡のための剣であり続けた一族の末裔が、それを乱す。

 いや、もしかすると――

(……この男の存在によって均衡が生まれる、か)

 シャウハウゼンは脳裏に過ぎった考えをかき消す。その予感の到達点は自身の敗北、それは、それだけは、あってはならないのだ。

 例え世界がそれを望んでいたとしても。

「何故ウェルキンゲトリクスと名乗る?」

「響きが良かったから」

「……ぶは、なるほど。素晴らしい答えだ。響きは大事だよ。何事においても。ふとした時に口ずさめる名は、人々の脳裏に残りやすいものだ」

「……ありがとう」

「どういたしまして。おっと、あまり無駄話をしていると、部下に怒られそうなのでね。そろそろ始めようか。一応、そちらの条件を聞いておこう」

 キュクレインの急かすような視線を受け、シャウハウゼンは苦笑する。

「一騎打ちを所望する」

「無論、構わんよ」

 あっさりとそれを呑むシャウハウゼンに対し、聖ローレンス側が騒然とする。逆にネーデルクス側など微動だにもしていない。何しろ、誰一人疑っていないのだ。シャウハウゼンの勝利を。何があろうとも彼が勝つと思っている。

 だから揺らぎはない。

「決着はどちらかの死。その勝敗を以てこの戦争の決着としたい」

「戦争と来たか。ふふ、それも構わぬよ」

「閣下」

 誰も口出ししなかったが、腹心であるキュクレインだけが咎めるような声を出す。

「何か問題でもあるか? キュクレイン」

「あまりあちらの条件を鵜呑みにされるのは如何なものかと。侮られかねません。本来であればこうなった時点で、彼らに降伏勧告をすべき局面です。戦争に関しては我らが無傷でここに至った時点で、我が方の勝利なのですから」

「……その勝ち方をした瞬間、私とネーデルクスは沈む」

「全ての口を封じればよいのです」

「人の口に戸は建てられぬ。我が方の味方まで殺す気か?」

「この場に閣下を裏切る者など!」

「わかっている。だが、心に嘘はつけぬよ。私に曇りがあってはならぬのだ。それはお前が一番わかっているはずだ、キュクレイン」

「……はい」

「不安か?」

「滅相もございません」

 シャウハウゼンは腹心が抱える一抹の不安に苦笑するしかない。それはきっと、今自分が浮かべているものと同じであろうから。

「私を信じろ。勝つとも、今まで通りに」

「はっ」

 絶対に勝てる相手ならばそもそもシャウハウゼンはここまで来ない。白黒つけねばならぬ相手だからこそ、わざわざここまで出張って来たのだ。

「勝った方がこの場から立ち去る。何一つ奪うことなく。それでよろしいかな?」

「お心遣い感謝する」

 感謝を述べるウェルキンゲトリクスに対して、

「なに、感謝は要らぬよ。私一人が働けば労せず土地を得る、むしろ私が言うべきだろう。ありがとう、と」

 シャウハウゼンは睥睨し、万物を見下ろしながら返す。

「それには及ばない。俺こそ労せず最強の座を得られるのだ。やはり、感謝すべきはこちらの方だろう。ありがとう、シャウハウゼン」

「ふは、不敬な」

 二人は何も言わず、片方は槍を、もう片方は剣を構える。

 大気がひりつく。黄昏の陽光が、紅く染まる。

 始まってしまえば、どちらか一方が死ぬ。双方ともに国を背負っているのだ。中途半端な決着はありえない。この勝負に勝った方が、頂点に座す。

「先手は譲ろう。来なさい」

「余裕だな」

「私が頂点で君が挑戦者、当然だろう?」

「ならば、御言葉に甘えて!」

 だん、とまるで弓矢のような勢いで加速するウェルキンゲトリクス。見た目はそれほど大きく見えないが、この体躯でこの出力はやはり怪物のそれ。ネーデルクス勢は一斉に目を剥く。練達ゆえ一目でわかる、質の違いが。

「なるほど」

 シャウハウゼンはそれを見て苦笑し、

「私も侮られたものだ」

 次の瞬間、笑みを消した。力のない構えである。動き出しもゆらりと遅い。この動きでは間に合わぬだろう、とウェルキンゲトリクスの経験値が告げる。

 だが、それと同時に、

「ぐっ⁉」

 本能が危険を叫んだ。決して速く見えない。なのに、気付けば先んじられている。相手が遅いのではなく、体感速度が引き延ばされていた。

 ただの突き。ウェルキンゲトリクスはそれを紙一重でかわす。彼の背中にぶわっと嫌な汗が浮かぶ。かつての幻影とはモノが違う。今までの相手とは質が違う。何とかなる、その確信がただの一突きで、揺らぐ。

「よく出来ました、だ」

 これが『神の槍』。世界最強の男が持つ、絶対的な槍の技。

(体感速度のズレを修正しろ。慣れたら、どうとでも――)

「ふん、ふふん」

 鼻歌交じりに槍を振るうシャウハウゼン。そのどれもがとても美しく、それでいて速くも力強くも感じない。それなのに先手を取られ続ける意味の分からなさ。攻防が続けども、一向に慣れる気配がない。

 常に後手を踏みながら、ギリギリでの受けや捌きを強いられる。

「おや、意外と飲み込みが遅い。まだわからないかな?」

「……くっ」

 横薙ぎの槍をギリギリでかわし、ウェルキンゲトリクスは後退し距離を取る。嫌な汗が止まらない。攻防を続ければ続けるほどに、汗が滲む。

「お前は……速いし、強いのか」

「その通り、だ」

 ウェルキンゲトリクス自体、武将の中では特筆して大きな方ではない。カンペアドール兄弟やストラクレスと比べても一回り、下手すると二回りは小さいだろう。まあそれでも全体から見ればかなり大きい方ではあるが。

 その自分よりもさらに頭半分ほど小さいのだ、シャウハウゼンは。そんな優男が緩やかに見えるモーションから、強くて速い槍を繰り出すギャップを、わかっていても簡単には頭が受け付けてくれない。彼の振るう槍は知っているのに、この感覚を味わったこともあるのに、それでもなお、まるで違う。

「そこそこ洗練された剣に、驚異の身体能力、か。くく、笑わせる」

 聖ローレンス側の誰もが驚愕する中、ネーデルクス側は当然のことだと鼻を鳴らす。ウェルキンゲトリクス恐れるに足らず。この攻防一つで格の違いと言うものが明らかになったことだろう。若く、剣も達者、身体能力は抜群。

 ただ、それだけ。

「杞憂だったな。あの程度では閣下には届かない」

 神の模倣をするキュクレインは嗤う。彼の模倣は難しい。四六時中彼を凝視し、頭の中で神を想い続けている自分ですら、ようやく最近形になった程度。そんな自分でも凡俗相手の体感速度を狂わせることなど容易。あれはただの錯覚でしかないから。丁寧な運指、足捌き、それらを見て頭が勝手に遅いと決めつけるのだ。あんなに丁寧な動きなのに速いわけがない、と。初見では脅威なのだが、それ自体は決して本質ではなく、ただの副産物でしかない。

 神の槍の本質とは、

「まさかこの程度では、あるまいね」

「……まさか」

 複雑な動きを難なくこなし、シンプルな動きよりも速く、強く、槍を振るうことにある。最善を追求した結果なのだ。最速を、最強を、ただただ追求した結果、この槍が生まれた。常人では繰り出せぬほど繊細な指捌きから、持ち替えるよりも早く指先だけで槍を旋回させ、どんな手段よりも早く必要なポジションを確保する。持ち手を滑らせながら、常に特定条件下での最大効率を探求し、ベストな持ち手で突き、払う。足の置き場にも無駄がない。シャウハウゼンが生み出した四つの基礎、その全てを支える大地を操る術理こそが、彼の槍術の根幹である。

 妥協なき槍。だからこそ、神がかる。

 指先から足先、頭の重心に至るまで、全てが最善最速最強を探求し続ける。これがシャウハウゼンの本質。彼の槍、げにおぞましきは槍への執念。

「その程度で弱兵を背負い、マクシムは抜けまい。そろそろ本気を出したまえよ。じゃないと、もう終わらせてしまう、ぞッ!」

 華麗。しかしてその実、水面の下の白鳥のように絶え間ない努力が、工夫が、ある。この男の美しさとは常軌を逸した機能美にあるのだ。

 ウェルキンゲトリクスは思う。この男は異常者なのだと。たかが槍に、ただの武器でしかないものに、この男はのめり込んでいる。この男の本質は、自分と同じで国を背負うようなものじゃない。そんな人間にこの槍は使えない。

「人間だとは、もう思わんッ!」

「ほう」

 ゆえにウェルキンゲトリクスは眼前の男を人間の枠から外した。あの虎。あの兄弟二人を足した存在。大将軍マクシムという集団を一つの生き物にする怪物と同様の、人間を超えた存在であると認識した。

「ウェルキン!」

「ご安心を。聖女よ、信徒よ。俺は、誰にも負けんよ!」

 ウェルキンゲトリクスは痛みを消す。そして、人を超える。人を超え、獣の領域へ。ただの人間であるならば身体が持たない、限界の先。ただ、ウェルキンゲトリクスの身体は特別製である。ある意味、この男だけは違うのだ。

 紅き領域、人間ならば限界を超えねば踏み越えられぬ場所に、この男は多少の損耗程度で足を踏み入れることが出来る。

 頑強。この男もまた、人外の存在である。生来、と言う意味ではこの男が最も頑強である。ただし、後天的に無理やりそれに特化され、創られた存在に関しては多少落ちるかもしれない。まあ、この時代にはまだ彼女はいないのだが。

「俺はウェルキンゲトリクスだァ!」

 相手が究極の機能美、至高の技を得手とするならば、それを力ずくで粉砕すればいい。相手の技を力でこじ開ける。

 この名はただ格好を付けるために名乗り始めたわけではない。彼女を背負い、彼女が背負わんとする弱き者全てを守るために己を定義づけたのだ。

 聖ローレンスの守護者として、王として。

 いつの間にか日は完全に落ちていた。これより先は、夜の世界である。

 充血した眼が、紅き閃光と化し夜闇を裂く。いきなり速度が跳ね上がり、ネーデルクスの将兵は驚愕する。何事か、と。

 ただ一人――

「ならばあえて言おう」

 コォ、と気配静かに、

「私がシャウハウゼンだ」

 すれ違いざま、紅き血潮を溢したのは――

「ば、かな」

 膝を屈するは、限界を超え獣と化したウェルキンゲトリクス。それを見下ろすは、かすかに蒼き気配を漂わせる男、シャウハウゼン。

 その技に、一分の乱れ無し。

「出し惜しむな。それとも怖いか? 私が、その先をも上回ることが」

 まだ夜は、始まったばかりである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る