神の子対完璧なる男Ⅶ

 狼煙を見た瞬間、三隊は即座に踵を返した。

 どんな手段を用いたかはわからないが、ラロが本陣に到達した証。それからほどなくして地震が発生、偶然このようなタイミングで地震が発生するなどありえない。天運によるものだと三者は確信し、笑みを浮かべていた。

「ほんと、酷い力よね。敵だったらと思うとゾッとするわ」

 ジャクリーヌは改めて天運の、神の子の恐ろしさに対し苦い笑みを浮かべていた。味方であっても恐ろしく、敵であれば絶望的な相手であろう。むしろここまで渡り合ったラロが怪物なのだと、彼もとい彼女は理解していた。

 それに、本番はここからである。あの時はあまりの実力差に冷静な見極めすら出来ていなかった。よくよく見ればほとんどがかすり傷、あの『死神』の猛攻を捌き切った技量はさすがの守備力であるが、攻めに関しては傷を見る限り攻めあぐねていたとしか思えず、その程度の見極めも出来なかった己を恥じる。

 相手の演出にまんまと飲まれ、傍観するだけであった己の未熟を、弱さを、呪う。自分の槍が、豪槍が、微塵も通用しなかったあの日以来、新たな槍を模索し続けている。だけど、模索すればするほどに遠ざかっている気がするのだ。

 自分もかつてはあちら側だったはずなのに、いつの間にか遠ざかり続けている。神童、天才、秀才、今の自分はどこに立つのか。

 本当の槍はどこにあるのか。ずっと、考えている。

「アメリアの奴、大丈夫ですかね?」

「……え、ええ。あの子は大丈夫よ」

 考え込んでいたジャクリーヌは部下からの問いに慌てて答える。また、将ではなく武人の頭になってしまっていた。本当に向いていないのだ。

 自分のような人間は人を率いるべきではない。

「それに、今の『青貴子』がああいう子を捨てるとは思えないもの。残すわよ、意地でも。むしろ、捨てられる心配をすべきは私たち、でしょうね」

「まさか、三貴士ですよ」

「とうの昔に腐り果てているわよ。そんなもの」

「え?」

 部下に聞き取れぬ声量でジャクリーヌは本音を溢す。才人はいた。自分よりも向いている者もたくさんいた。槍だって同世代では抜けていたけれど、上の世代では自分よりも強い使い手など沢山いた。

 だけど、もう誰もいない。全て、ネーデルクスという国が使い倒し、殺したのだ。成熟する前に巨星に当て、充実に達する前に経験豊富なアルカディアの大将相手に潰された。その度に代わりを用意し、誇りに殉じさせ、気づけば――

(……奇人である私に回ってきた。酷い話よね、ほんと)

 自分が先頭に立たねばならぬほど、人材がいない。

 それが今のネーデルクス、超大国であった頃の遺産をしゃぶり倒し、人材などいくらでもいるとばかりに消耗し続けた先が今。

 ジャクリーヌには若き彼らの何が『青貴子』の琴線に触れたのかがわからない。あの程度の才能で何が出来るのか、とも思う。だからこそ、それが見えない自分は先頭に立つべきではないのだろう。この戦場を通して、自分たちは機能していない。マルスランもそこは重々承知しているはず。序盤、中盤、この戦場を支配していたのは綺羅星ではなく、普通の、平凡な兵たちであった。

 敵も味方もそう。それがきっと、これから先の戦場となるのかもしれない。自分には想像もできないが、ゆえにこそ彼は、彼らは――

「本陣に戻った後、優先すべきはラロ討伐、ですな」

「違う」

「え、いや、しかし――」

「優先すべきは閣下の守護、それに尽きる。ラロを逃がすことになっても、ルドルフ様を生かすことだけを考えよ」

「それは、命令に背くことになるのでは?」

「俺の首でルドルフ・レ・ハースブルクが救えるのであれば、いくらでも支払おう。今のネーデルクスは変わらねばならないのだ。俺たちには見えぬビジョン、それを持つ男がいて、初めて変化は訪れる」

「……承知いたしました」

「すまんな」

 マルスランも理解していた。自分が理解できぬことを。自分たちでは見えぬ先を彼が見ている。何が原因かはわからないが、彼はフランデレンでの戦を境に姿勢が変わった。今はわがままを言っても本国に従順なふりをしているが、それはいずれ牙を剥く時のために力を蓄える時間を、状況を作るためのもの。

 最近、彼はそう思うようになってきた。

 誰よりも古き力を与えられた男が、誰よりも先を見始めているのだから皮肉にもほどがあるだろう。それでも、もはや古い武人の自分は彼にすがるしかない。

 神の子ではなく、人の子として国を変えてくれることを。

「急ぐぞ!」

「はっ!」

 今日の勝利でまた彼は飛躍する。誰も抜けなかった、最後の黄金時代『双黒』を打ち破った憎き『烈鉄』を倒せば、軍事面を掌握することに誰も文句は付けられないだろう。与えられただけではなく、掴み取る。

 そこから始まるのだ、新生ネーデルクス王国が。

 だからこそ守らねばならない。何があろうとも。

 そしてそれは――

「お坊ちゃま!」

 誰よりも彼女が、ラインベルカが急いでいた。狼煙が上がり、地震が起きた。天運が彼を守ったのだろう。だけど、近くにはラロがいる。まかり間違えば届き得るかもしれぬのだ。ならば、ゆっくりなど出来ない。

 誰よりも急ぐ。そしてラロを討つ。

 それがルドルフの望みだから。彼女の存在意義だから。

「私が、守る。必ず、だから――」

 本陣が見えた。彼女は先頭で飛び込む。

 さあ、ラロの首は、何処だ、と。

 だが――

「……何ですか、これは」

 そこに広がっていた光景に、彼女は絶句する。

「どうなってんのよ⁉」

 ジャクリーヌも、

「馬鹿な、何故」

 マルスランも、

 ありえない光景に愕然と足を止める。

 本陣には顔を歪める若き騎士たち、しかいない。少し離れたところに巨大な亀裂が走り、人では到底届かぬほどの大きな溝が形成されていた。その対岸に、ルドルフがいる。それは良い。それでこそ神の子。

 しかし何故――

「おや、遅い到着だ。あの裂け目、もはや何をしても届かぬだろうに。彼らの到達が無意味となれば、どうやら神の力も品切れ」

 ラロがそちら側にいるのだ。

「幕引きとしよう。この戦いの」

 そして何故、ルドルフは顔を歪めながらアメリアの短槍を握っているのか。何故誰もいないのに、よりにもよって敵であるラロだけが其処にいるのか。

 追いついた彼らにはわからない。

 どうしてこのような状況となってしまったのか、が。


     ○


 地震発生、地割れが起きてルドルフと自分の距離が引き離されてしまった。神の力も込みで算段を立て、この状況まで引っ張り込んだルドルフは見事。ラロは自然と称賛の言葉を溢してしまった。部下たちには申し訳ないが――

 だが、それも一瞬のこと。ラロはすぐさま思考を切り替える。この戦いの勝利条件はルドルフを討つこと。それ以外にない。他の全てを討ち果たしても、彼を遺したのでは意味が無いと彼は判断していた。

 だから、この時点で少しでも多くを道連れにする、と言う選択肢は消える。そんなものに意味はないし、何よりもエレガントではないだろう。散った部下たちもそのような醜悪な己など見たくあるまい。

 ことここに至れば選択肢など僅か。足掻くと言う選択を削った時点で――

「ここは紳士的に行こうか」

 ラロはそう言って、敵が襲い来る最中、突然鎧を脱ぎ出した。誰もが驚くような奇行だが、絶体絶命に窮地で混乱しているのだろう、と皆判断する。実際に敵前で鎧を脱ぐ行為の意味を考えろ、と言われても咄嗟に出て来る者はいないだろう。

 鎧とは敵から身を守るために着るもの。

 それを敵の眼前で捨てると言うのだ。理解は及ばない。その必要もない。

「死力を尽くし、ラロを討つぞ!」

 マルサスを先頭に、勢いよく突っ込んでくる若き集団。

「馬鹿! そういう時は囲むって教えただろ!」

 ルドルフの指摘通り、それはあまりにも浅慮な、若さゆえの過ちであった。距離を取って囲み、弓などの長物を用いて討つか、後詰めを待つか。どちらにせよこの場で突っ込む判断は経験値不足であり、要修正と言えるだろう。

「だが、それも仕方ないこと」

 ラロは知っている。窮地にしろ絶好機にしろ、差し迫った状況下において人は、決して最善の判断を下せるわけではない。どれだけ事前に準備をしても、考え込んでいても、頭の中が真っ白になってしまうことはある。

 特にこう、天変地異などが起きた直後などは――

「悪いが――」

 ラロは脛当てを外しながら、低い姿勢のまま流れるような所作でマルサスの力強い一撃をかわすと、そのまま当身をして転ばせてしまう。彼のでも良いのだが、出来れば抜け辛そうな形状が良い。それゆえに――

「こちらを――」

 珍しき双槍使い、ふた振りとも短い槍で穂先の形状が少し独特なものであった。返しのような形状、初めからラロの狙いはこれ。

 右の突き手に対し、突きをかわしながら回し蹴りを放つ。それが綺麗な弧を描きながら手の甲を穿ち、槍を持ち続けることが出来なくなってしまう。両手で一本、であればこの状況でも槍を操作できただろうが、生憎片手ずつ。

 ならば必然――

「――失敬させてもらう」

 槍が浮く。それをラロが掴み取り、あとに続く者たちに向けて全力でひと薙ぎした。そのあまりの迫力に、後続はたじろいでしまう。

 そして、

「では、失礼」

 ラロは突如反転し、駆け出した。残っていた荷物は全て外し、少しでも自身を軽量化していく。その行動と、向かう先で――

「な、馬鹿な!」

 ようやく皆が彼の狙いに気付く。いや、だが、ありえない。すでに亀裂は人の飛び越せるような距離ではないのだ。だからこそ全員、ルドルフも含めた全員がそんなこと考えもしなかった。まさか、この断崖を、地の底にまで続くような裂け目を、人の身で飛び越そうなど、いったい誰が想像すると言うのか。

 ラロは剣と盾を放る。これで彼の身に重たいものはなくなった。そして、それらはルドルフから少し離れた場所に落ちる。

「おいおい、冗談きついって」

 あくまで冷静、その眼に無茶をしようなどと言う色はない。冷たい気配を察し、フェンケは顔を歪めていた。この感じは、出来てしまうのだ。

「弓です!」

 アメリアの指示で呆然としていた者たちが急ぎ弓に矢を番える。

 しかし――

「アデュー、若き諸君」

 だん、とその時には、

「ふシュ!」

 ラロは思いっきり大地を踏み込み、地面から跳躍していた。信じ難い跳躍力である。超人、としか言いようがないだろう。頭も切れる。技術も抜群。さらに身体能力すら他を隔絶する才を持つのだ。今までの、彼の評価がおかしかった。『双黒』を討ったのはディノらで、ガリアスを詰め切れなかった甘さがあり、他の戦果も軒並み他者やエルマス・デ・グランの堅牢さに拠るところが大きい。

 それが今までの、『烈鉄』の評価。守戦でこそ輝く将、隙は少ないが攻めには若干の難があるかもしれない。巨星と並べるほどではなく、明確に頂点からは落ちる。

 こんな怪物に対して、あまりにも馬鹿げた話であろう。

「届かないぞ!」

 如何に超人的な飛距離であっても、届かない距離。だが、ラロはそのために槍を奪っていた。対岸には届かずとも、その下にそびえる壁には届く。

 そこに槍を突き立て、

「ふ、ン!」

 槍が下への力を支え切った後、反動で上に跳ね返る力を利用し、ラロは跳ぶ。指先が、地面に引っ掛かる。ルドルフは這い上がろうとするであろう所を蹴飛ばしてやろうと近づくも、怪物は指先の力だけで、

「ふッ!」

 ぐん、と自分の全身を引き上げて再度、飛ぶ。

 そして悠々と着地し、乱れた髪を軽く整え、近づこうとしていたルドルフへ視線を向ける。悠然と、何てことはないとでも言うように、微笑みながら。

「待たせたかな?」

「……待ってねえよ」

「ふふ、つれないな。俺は君のことを高く評価しているのだがね」

 勝負あった。

「これで、僕が袋のネズミ、か」

「そう言うことになる」

 だけど、

「アメリアァ! 槍を寄越せ!」

 ここでハイ負けました。潔く首を渡します、と言う姿を見せてはならぬのだ。先人たちのように、格好良く、華麗に、時に潔く、戦場で生き、戦場で死ぬ。

 そんなものに意味はないとルドルフは思う。彼らを学べば学ぶほど、何故もっと戦う以外の道を模索しないのか、戦うにしてもその前に有利を築こうとしないのか、彼らの怠慢ばかりが目についた。サロモンやダルタニアンが世界中にガリアスの考え方を撒き、それを喰らった後で見れば、戦術的に学ぶ所がないのは明らかであった。彼らの時代ではそれでよかったが、今は違う。

 槍が強いことに意味はない。個が突き抜けたところで意味がない。

「は、はい!」

 集団で、勝つべくして勝つ。個に頼るのではない。弱きを束ねて強きを超える。人の数と豊かな国土、ネーデルクスにはまだ可能性があるのだ。

 夢を見ている老人共を駆逐し、明日を見据えれば――

「ほう、神の子は槍を使うのか」

 先を征く国家に追いつくだけのポテンシャルはある。

 あとは意識だけ。かつての栄光を捨て、新しい時代に目を向けることが出来るか否か。そこで必要なのは才人ではない、と彼らが飲み込めるか否か。

 諦めずに努力し続けることが出来るか否か。

 アメリアが放り投げた短槍がルドルフの眼前に突き立つ。ルドルフはぺっぺと掌に唾を吐き、髪をかき上げて気合を入れた。そして、槍を引き抜き、久方ぶりの感触と共に彼は構える。その姿は、久しぶりにしては良い感じだったが――

(……ちょ、こんな短小サイズでもこんなに重いの⁉)

 運動不足の体まではどうにもならない。

(だみだこりゃ)

 まあ、絶対勝てないけれど、

「……伊達では、ないな」

「いやいや、超伊達だから。その油断しない感じやめちくりー」

 とりあえず諦めない感じだけは見せておこう、そう思った。それさえ引き継いでくれたなら、何となくだがどうにかなる。

 自分が死んでも、英雄不在でも、いや、だからこそ辿り着く。

 英雄の時代を超え、人の時代へと。

「何故笑うんだい?」

「いやぁ、神の子が生贄になるって、結構な皮肉だと思ってね」

「ほう、何に対する生贄になるのかな?」

「ん、まあ、とりあえず、新しいネーデルクスの、って感じかな」

「新しい国家を支える才人はもう、ネーデルクスにはいないよ」

「要らないでしょ、それ。個に頼るのってさ、ワンマンを助長するだけなんだよね。正しい仕組みを、制度を創る際の、落とし穴になりかねない。これからはね、もう少し進まなきゃ、折角発展してるのにもったいないでしょ」

 ルドルフの言葉にラロは苦笑を禁じ得ない。自分が思っていたことを敵国の、自分が討つべき相手から聞かされたのだ。自国でもピノ以外から賛同を得ることすら出来なかったこと。ジェドからの贈り物によってようやく道筋が建てられたばかり。新しいエスタードが目指す道を、彼も見出していた。

 それをラロは嬉しく思う。同時に、

「エスタードのために、君を討とう」

 改めて除かねばならぬ敵だと再認識できた。神の力ではない。この短い間でもある程度攻略できた代物など、問題ではないのだ。それよりももっと危険な存在が彼である。その思想を掲げ、時代の最先端を征く国家は一つで良い。

 羊飼いは二人も要らないのだ。

 その役割をガリアスから奪い取り、エスタードに掲げることこそ自分の使命。祖国のために、彼は取り除かねばならぬ芽であった。

 それが少し前のこと――

 そして対岸に三貴士が現れ、狼狽し、

「――幕引きとしよう。この戦いの」

 見つめる中、ラロとルドルフが睨み合うのが、今である。

「お坊ちゃま!」

「……さあ、やろうか」

 その声に背を向け、ルドルフは息を吐き、集中する。

 もうちょっと真面目にやっておけばよかったな、と少し後悔しながら。

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