神の子対完璧なる男Ⅲ
山岳戦、本当は平地で戦いたいネーデルクス軍であったが、ラロを討つために敵の領域に踏み込まねばならなかった。要塞を占拠すべきとの声も上がったが、ルドルフはその声を抑え込み、山間での決戦と相成った。
「ラロの本陣、まだ掴めないの?」
「申し訳ございません、ルドルフ様。必死に捜索しているのですが、どうも一戦ごとに本陣を移しているらしく、足取りは掴めておりません」
「はいはい、承知しましたよ。とりあえず、引き続き捜索お願いね」
「はい!」
ラロが要塞から出てきて二日、中々足取りを掴ませぬ動きにルドルフは苛立ちを隠せない。相手はゲリラ戦術主体で立ち回り、的を絞らせない動きを取っていた。総大将であるラロの影は掴めないまま、交戦回数だけがかさむ。
戦局自体は一進一退、むしろある部分によりネーデルクス優勢であるが、あくまで局所的なものであり、大局の絵図はまだ見えていない。
「……この眼がさ、うっとおしいなあ、もう」
天運は我が方に傾いている。相手は間違いなく苦心しているだろうし、押しているはずなのだ。それなのに何故か、悪寒が拭えない。
全てを見透かされているような気がして、気持ちが悪い。
○
「ラロ様、カシミロ隊、落石により分断されました。昨日の土砂崩れと言い、雨が降ったわけでもないのに、こう立て続けですと」
「無理して犠牲を増やす必要はない。残存部隊は下がらせて」
「はっ!」
運が悪い。転じて相手の運が良い。天運を司る怪物、まさに無敵の存在であるだろう。その上、それを持つ男の頭もかなり切れると来た。
「ラロ様、ご報告いたします!」
「報告に参りました!」
「報告に――」
ラロの下には大勢の伝令兵が押し寄せてきていた。ここ一帯を用い、ゲリラ戦を選択したため、部隊数が増えたためである。また、戦線が広がっているため逐一報告せねば全体の統制も難しく、こうして必要以上に部下たちは情報を持ってきて、そしてラロに伺いを立てるのだ。
これがラロの狙いである。
「……ふむ」
完全無欠、運に愛された男の前では勝負すら成立しない。それが当初、ラロの考えていた最悪のケースである。だが、押されているとはいえ、勝負自体は成立しているのだ。この時点でラロは彼の力が絶対ではないと推測した。
それが昨日の時点。そして今は、
「意識、かな? 彼自身の視界かと思ったが、カシミロ隊を彼が目視したとは考えられない。だが、軍勢の動きとして比較的素直で想像しやすかったため、落石により分断することが出来た。まあ、落石が偶然でなければ、だが」
さらにルドルフを、神の子を、深掘りし、見通さんとしていた。
すでに主だった部下には自分の推測を話した上で動いてもらっている。カシミロもその一人、彼にはあえてわかりやすい動きを取ってもらった。そして推測通り、何かが起きたのだ。彼はおそらく討ち死にしただろう。
だが、その犠牲は無駄にせぬとも伝えてある。
力が限定的であることを見抜き、今日はそれをさらに絞り込むための動きを指示してある。伝えて士気の上がるものには伝え、伝えぬ方が働く者には伝えずに機能してもらう。ラロの軍に意図せぬ動きはない。
勝利も、敗北すらも、全て意図したものであるのだ。
「報告致します。奇襲を敢行したクレト隊が完勝致しました!」
「それは僥倖。クレトには一度、下がるよう伝えてくれ」
「はっ!」
これでまた一つ、神の子が透ける。
「意識の外であれば奇跡は起こせぬ、か。存外可愛らしいな。そこは所詮神の『子』でしかない、と。さて、もう少し試行回数を重ねてみようか」
ラロは微笑む。
「君が優秀でよかった」
その眼は徐々に――
○
さらに二日、ルドルフは顔を歪めていた。この二日間、徐々に相手の動きが読めなくなっていき、今はもう完全に見えていない状況に陥っていた。
わかっていたことであるが、相手は自分より上手である。いや、想像以上に今の自分とはかけ離れたレベルであったのだ。
「……ラインベルカ、相手はどうやら、僕を把握したみたいだよ」
「まさか。ありえません。まだ日も経っておりませんし、そもそもお坊ちゃまのそれを信じることすら、普通の者には――」
「普通じゃないのさ、ラロ・シド・カンペアドールは」
いくらなんでも早過ぎるが、それはもう飲み込むしかない。今までどんな相手も神の子を暴こうとはしなかった。王や父はただ称え、周囲は近づこうとせず、敵は知らずに滅ぶ者、知って逃げる者、知ってなお力を押し付ける者、それぐらい。
そもそも目に見えぬモノを信じて、その上で細かく分析してやろうと考える者がおかしいのだ。しかも、これだけ効率的に、凄まじい速度で、である。
「もう少しは、優勢でいられると思ったんだけどね」
「……私がいます、お坊ちゃま」
「まずは、ラロの居所を掴まなきゃ、だね」
広がる戦線、あちらもやり辛いはずだが、おそらくは指示の差がある。ある程度シチュエーションに応じた指示を先出しで授けているのだ。だからこそ、彼らはこの広過ぎる戦場で密な連携を可能としていた。
こちらの裏をかくような、意識の外側を狙って。
「……あっちのやり方に付き合っていても仕方ない。だけど――」
先ほどアメリア、フェンケの両名から打診された案、一度戦線を引き締め、ある程度まとまって動くべきだ、と言うもの。これ自体はルドルフも考えていた。考えた上でなしだ、と言う判断を下すしかなかったのだが。
一つにまとまれば生存率は上がるだろう。だが、自分たちは侵略者なのだ。消極的な動きをすれば、相手にとって都合が良いだけ。ルドルフらはあの要塞で何が起きているのかは知らない。何かが起きていることはわかっても、その内容を知らぬから援軍の、後詰めの可能性は常に頭に入れていなければならない。
その調査をすべきだとは思うのだが、こちらから発見した抜け道は全てあちらからも潰されており、使用不能。固く門を閉ざしているため、潜入不可能かつ、脱出も不可能な場所と化していた。情報は入ってこない。
ゆえにどちらも短期決戦しかないと考えていた。
考えれば考えるほどに、先回りして出来ることが潰されている。それがルドルフとラロ、現状の差。大きな隔たりに彼は苦い笑みを浮かべるしかない。
「どうする? 考えろ、もう奇跡は起きないんだ」
ラロはおそらくこちらの間合いを掴んだ。神の子のからくりを暴き、それに頼った戦いでは歯が立たないだろう。こんなものなのだ。所詮、神頼みなどでは『本物』を討ち果たすことなど出来ない。
浅はかなる国と、それしか持たぬ自分。浅はかなる自分たちが勝つためには、自分がある程度追いつく必要がある。ラロとの距離を縮め、間合いを埋め、天運に縋るでもせねば到底届かない。
これがエスタード、新たなる時代の旗手。
「考えろ」
ルドルフ・レ・ハースブルクはまたも眼前にそびえる壁の前に立ち尽くす。前回は感じる間もなく間合いを詰められた。
今回は、あの日を繰り返す愚は犯さない。
○
じわじわと削られていく感覚。あらゆる思考を張り巡らせ、相手を読もうとするもことごとく裏をかかれる。指し合えば指し合うほどに、沼地に飲まれていくような感覚が身を侵す。大概のことはすぐに出来た。槍も意味が無いと思って捨てたけど、振るい続ければひとかどの人物にはなれたと思う。勉学も不真面目だったが、それでも聞いたことはすべて覚えたし、頭にも入っている。
兵法だってそう。ガリアスの基礎戦術は全て、ダルタニアンらによって更新された分も含めすべて頭に入っている。優れた者らが繰り広げた戦史も、地形や戦術も含めある程度は網羅していた。それこそラロ対ガリアスの戦いも。
だが、対峙して理解する。
先頭を征く者の足跡は、この世界のどこにも存在しないのだと。学習では届かないのだ。物真似だけでは限界があるのだ。既知だけでは届かない。それを結び付け、新たなる視点を獲得出来た者のみが先へ進む。
ラロに在って自分には無いモノ。
「ルドルフ様、ジャクリーヌ様が落石に見舞われ、部隊を分断されました! 幸い、ジャクリーヌ様の方は逃げ場があったため、生存できたのですがもう一方は全て蹂躙され、率いていた半数近くが戦死したものと思われます!」
「……落石、ね」
意趣返し。こちらは天運で起きたことだが、彼らは自分たちの手で罠を仕掛け、嵌めた。これが知略だと言わんばかりのやり方であろう。
偶然でしかない自分たちでは、分断後の殲滅までには至らない。知恵を凝らした策だからこそ、その後の動きがスムーズで、効果も高いのだ。しんがりを討ち取った程度、その部隊の十分の一程度しか削れなかった自分たちと、半分近くを持っていった相手。その差は歴然、考えれば考えるほどに、ドツボにハマる。
「は、は、くそ、ったれ」
しかし、ルドルフは考えることをやめない。それをやめた時が敗北の時だと彼は理解していた。そして何よりも――
「何でもいい。知恵をくれ。この前のような余裕はないだろうけど、それでも僕だけの視点じゃ届かない。頼む」
「「「はい!」」」
若き彼らに示しがつかないだろう。普段偉そうに振舞っているのだ。傍若無人に、神の子などと気取っているのだ。何が『青貴子』。三貴士の上に特設された彼だけの地位に座す以上、ここで折れる姿を見せるわけにはいかない。
「……すいません、俺が、戦いたいと言ったせいで」
「ああン? 笑わせんな、息子。君の階級を考えろ。君が何言ったところで軍を動かすことなんて出来ねえよ。これは全て僕の決定だ。下っ端はな、何考えてても良いけど、とりあえず言われたことをやれば良いの。理解した?」
「は、はい」
「って言うか、そもそも君だけ他の二人に比べて明らかに案が劣っているの。反省するのはそっち。同期に負けんなよぉ。恥ずかしいよん」
「はい……」
マルサスらの背を見て、ルドルフは深呼吸をする。最初から、撤退を考えていた時から、こうなる気はしていた。今の自分では足りない。もしかすると天運がそう告げていたのかもしれない。退け、と。
だが、ルドルフはそれを足蹴にした。腐り果てたと思っていたネーデルクスにも小さな芽は生えてくる。自分が今まで見ようとも思わなったものが。
ウィリアム、ヴォルフ、今の彼らでは束になってもこの相手には敵うまい。だけど彼らはいずれ、ここへ、下手をするとその先へ至る気がする。
おそらく自分は立場が立場ゆえ、彼らほど場数を積むことは出来ない。今のネーデルクスの惨状を思えば、主戦場はおそらく政治の方になるだろう。そしていずれ、差を付けてきた彼らが現れ、自分の前に立ちはだかる。
立場は言い訳出来ない。それに悪いことばかりでもないだろう。今この瞬間、おそらく同世代の中で自分が一番良い体験をしている。この危機はアドバンテージ、今の自分が足りぬのならば、今すぐ成長して埋めるしかない。
「……せめて、天運で埋められるところまで」
自分を引き上げる。
それが神の子を騙る者の、最低限の責務であろう。
○
ラロは手応えの変化を感じていた。この戦の中で、急速に成長している星がある。正体を掴みつつある天運などよりも、よほど恐ろしい存在。
元々頭の切れる相手であったと思う。だからこそ、読みやすいと思っていた。だが、少しずつ、ほんの少しずつだが、足音がしてきたのだ。
「……十年、いや、五年後ならば、怖い存在になったかもしれんな」
だが、まだ遠い。この場で埋め切れるほど自分が積み上げてきたものは甘くない。地の利はこちらにある。戦術的優位もこちらに――
「こほ」
乾いた咳、それにラロは笑みを浮かべる。これは仕方がないこと。要塞から出立した時点で、出来るだけ選抜はしたが、それでも全て大丈夫だという保証はなかった。罹患している者もいただろう。知らず、誰かに移し、自分の下まで辿り着いても不思議ではない。こればかりは偶然、始まりは天運であっても、彼の力ではこれを必然にすることはできないはず。出来るならもう、負けているはずだから。
「……問題ない。まだ、時間はある」
詰める準備は整った。彼にそれが見えるか。少しだけ、ほんの少しだけ、ラロは今この時を楽しんでいた。体調は芳しくないが、それでも戦が噛み合っている気がする。まだまだ巨星が、英雄が蔓延る戦場において、彼のような人材は稀有であり、こういう戦いをずっとしたかったのだ。
あのガリアス戦とはまた違う。この場での知恵が要求される。互いにこんな展開になるとは想像もしていなかっただろう。だからこそ面白い。
「さあ、楽しもうか、ルドルフ君。まだまだ、沼は深いよ」
不謹慎だが、久方ぶりに滾る想いが男を突き動かす。
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