神の子対完璧なる男Ⅱ

 ほぼ全ての抜け道を潰され、エスタード軍は要塞都市に押し込められた形となる。堅牢極まる不落の要塞、籠城戦はむしろエスタード軍の思惑通りである。対ネーデルクスの要衝であり、エスタード躍進の象徴でもあるこの地には常に半年分近くの兵糧が常備されていた。これはラロが統治するようになってからの施策である。

 籠城戦の王道、干上がらせるのが目的であればその筋は事前に潰しておく。費用は掛かるが全てはもしもの時のための必要経費。

 まさに盤石、揺らぐ理由がない。

「都市全体を配給制に切り替え、切り詰めながら長期戦に備える所存です。半年、いや、一年は持たせて見せます」

「素晴らしい。だが、そう無理をして切り詰める必要はない。半年あれば十分だ。アークランドの遠征が長期化したとしても、半年も彼らが海上で漂っていられるわけがない。元々肥えた土地ではないからね。その頃には撤退しているだろう」

「そうすれば連絡がないことを不審に思い、本国から後詰めが来る、と」

「ピノならば黙っていてもそうするし、ジェド様から送られてきたエルビラも問題なく動くだろう。むしろ彼女の場合は早く動き過ぎる可能性の方が怖いね。あくまで最大の敵はアークランドだ。アーク・オブ・ガルニアスの大遠征、そこで我らエスタードが負わされた傷は甚大であった。二の轍は踏まん」

「若い彼女ならば、そうしてしまいそうですね」

「その辺りはチェ様の威厳に期待しよう。まだまだ彼女は蒼い。盤面だけで戦場を考えすぎるきらいがあるからね。衝突はするだろう」

「あはは、目に浮かびますな」

 最初の奇襲で追い返せたと思ったが、粘ってくる以上この要塞の力を示すまでのこと。ただ、少し懸念もあった。対聖ローレンスとの戦において、疫病がかの『英雄王』の軍勢を蝕んだ、という報告である。

 それがあったから『青貴子』とやらは『英雄王』に勝つことが出来た。運が良かっただけ、世の風潮はそんなところであるが、もしこの疫病、彼らがコントロールしていた場合、話は大きく変わってくる。

「かつて若き頃の武王がさる国の王都を攻める際、用いた戦術がある。その後、王会議によって禁じ手とされたものだが、それを彼らが秘密裏に使ってくる可能性はある。それなりに頭の切れる男のようだからな」

「禁じ手、とは?」

 部下の問いにラロは乾いた笑みを浮かべる。

「疫病で死んだ者の死体を、都市に投げ込む、だ。それを繰り返すことで武王は戦わずしてその国を落とした。ただし、そこは十年、誰も立ち入らぬ禁足地になってしまったがね。かの王もあれは過ちだったと王会議で謝罪しているほどさ」

 王族のマウント合戦会場である王会議において、頭を下げる行為がどれほど重いのかは王会議に随行したことのない者でも容易に想像がつく。

 そうせざるを得ないほどの被害だったのだろう。

「対策は徹底させます。このエルマス・デ・グランでそのような蛮行、通すような真似はさせませんよ。それほど閣下の直属である我らは間抜けじゃありません」

「もちろん、信じているとも」

 ラロは皆に笑みを向ける。だが、ほんの少しだけ頭の中に過ぎる『もし』があった。あれが人為的ではなく、運によって引き起こされたものであり、その運を操る常識では考えられない存在による、災厄であった場合は――

「閣下、美しい鳥が飛んでいますよ。あれは吉兆に違いありません!」

「……水鳥だね。実に美しい」

 杞憂、そう思いたい。人の戦場、運が左右することはあっても、それを操作して自分に傾けることなどあってはならないのだから。

 エルマス・デ・グランの水場に一羽の鳥が止まった。一人の子どもが無邪気に、嬉しそうに手を伸ばす。指先が触れ、柔らかな羽毛の感触に笑みがこぼれる。あまりにもキラキラして見えたから、その手で目を――擦った。


     ○


 ルドルフは包囲させたまま優雅にくつろいでいた。部下には未だに抜け道を捜索させているが、おそらく完全に潰し切ることは不可能だろう。まあ、手持無沙汰なのでやらせているだけ。あの強固な要塞を攻めさせることもしていない。

 ただし――

「はいカスゥ!」

「うぐ」

「はいゴミィ!」

「う」

「お前あばずれぇ!」

「なんであたしだけ⁉」

 何故かマルサス、アメリア、フェンケの三人には攻城戦に向けた戦術、そして野戦での戦い方などを考えさせ、適宜資料の提出を貸していた。

 まあほぼ全て今のようにバッサリ破り捨てられるだけなのだが。

「エルマス・デ・グランは多重外壁なわけ。梯子掛けて登っても、少し空いた先に二層目の外壁がある。一層目から高さも充分で、外壁の厚みもかなりのもの。つまり、強固なわけよ。見てわかるでしょ、脳味噌まで筋肉だったりする?」

「……ぐぬう」

「現行の攻城戦におけるマニュアルは通し辛いと考えるんだね。そういうのを全部埋めたのがあの要塞だからさ。アメリアの穴掘りは悪くないけど、道具がない、時間がかかる、金もかかるし、その上バレないことが前提だから成功の確率も低い。労力に見合わないんだよね。相手高所に構えているでしょ? つまり視界も取れている。相当穴ぼこ長くしないと、バレないで遂行するのは無理」

「は、はい」

「フェンケは……見切り早いねえ。要塞攻略は不可能、野戦は……まあそこそこ面白いかな。敵兵の格好をして敵部隊に潜り込み暗殺、あら嫌らしい!」

「そ、それは褒めてもらってるんですかね?」

「で、この役やってみたい?」

「……嫌です」

「そゆことー。バレたら即死亡確定、誰にやらせるんだって話だね。しかも相手は寄せ集めではなくラロに鍛えられた精鋭だ。ここに詰めて長いだろうし、古参は皆顔見知り、中枢まで近づく前に、たぶん死んじゃうだろうねぇ」

「はい」

「でも、着眼点は面白いよ。場合によっては採用する価値あるね。マルサスは攻城戦の基礎から一歩出て、通り一遍のことじゃなくて自分で考えてみること。アメリアはそこから一歩進んで、うちの財布、台所事情とか加味した上で考えること。フェンケはどうやったら部下にやらせることが出来るか、まで考えてよ」

「「「はい」」」

「へいほー、じゃあ今日は解散。暑苦しいから散ってね」

 そそくさとルドルフのそばから撤収していく三人組。その卑屈な姿を見てルドルフはけらけらと笑う。底意地が悪いのは相変わらずだが、そもそもこの行為、やり取り自体がネーデルクス勢にとっては驚愕の連続であった。

 ダメ出しを受け続け、心がへろへろになっている彼らは辛いだろうが、ルドルフと言う男が他人に意見を求めること自体稀。その上で助言めいたことまでしているのだ。ラインベルカなど何故か少し拗ねているほど、珍しいことである。

「良かったわね。貴方の息子、気に入られたみたいじゃない?」

「良かったのか悪かったのか……ただ、彼を見ているとふと思い出さないか? 昔の先達たちの、説明もろくにせず、やって見せて、ついて来いと言う感じを。俺は槍の才がなく振り落とされてしまったが、少し懐かしく思う」

 マルスランが苦笑する横で、ジャクリーヌは顔をしかめる。

「私、あの感じ嫌いだったのよね。かわいそうじゃない、ついてこれない子が。それなら今みたいに何でも噛み砕いて、優しく教えてあげる方が伸びるわよ」

「俺もそう思う。だが、それだけでは育たぬ芽があるのではないかとも、思うようになった。歳を取ったせいかもしれんが」

「なぁに、もう一抜けのつもり? そうは問屋が卸さないわよ」

「ああ、わかっているとも」

 誰よりも新しいはずのあの蒼き男の眼が、背中が、何処か先達たちと被る気がしてしまう。そして、その度にマルスランは思うのだ。

 果たして神の子とは、産むべきであったのだろうか、と。

 ただのルドルフ・レ・ハースブルクでは駄目だったのか、と。

「お、お坊ちゃま、肩でもお揉みしましょうか?」

「いいよ、さっきマルサスにやらせたから」

「……え?」

 傍若無人、国のことなど微塵も考えていないように見える軽薄さ。だが、時折垣間見える光は、マルスランには眩しく見えた。

 何故だろうか、まるでかつての栄光を追い求めている自分たちの方が、あの時代から離れて行っている気がしてしまうのは、何故なのだろうか。


     ○


 一週間、双方の陣営はほぼ何もせずに過ごした。互いに必勝と思っての期間、ここの優劣はまさに天運としか言いようがない。

 つまりは――それを司る神の子が勝る。

「……住民の一部が体調を崩し、数日が経過して死者が出始めております。死者の割合は現状、およそ三割ほどでしょうか。症状は皆風邪のようなものですが、明らかに感染拡大の速度が異常です」

「……そう、か」

 ラロは頭を抱える。信じたくない方の目が出てしまった。これを偶然とするにはあまりにも神がかり過ぎている。これが神の子の所以、そう考えれば英雄王の急進にも理解できる。こんな危険な存在が、この世界に存在しているのだから。

「移っていないと断言できる者は?」

「わかりません。何処から、何が原因なのかもわからず、それらしきモノが投げ入れられたこともないのです。ですので、私も、閣下ですら」

「……承知した。伝令は絶対に出すな。場合によってはこのエルマス・デ・グラン、焼き払わねばならぬことになる」

「そ、それは性急過ぎるのでは? 症状は風邪のようですし、強力な疫病のように体に異常をきたすわけでもありません」

「だから、広める可能性だけはあってはならぬのだ。四肢が腐り変色する。全身がぽつぽつと膨れ上がる。それらに比べ、健康体に見える方が恐ろしい。疑心暗鬼を生み、社会秩序を容易に破壊するだろう。アークランド、眼前のネーデルクスなどよりも、よほど危険な存在だ。国家の危機、そう心得よ」

「は、はい!」

「災厄を呼ぶ、神の子、か。攻めている側が悠長に動いていると思えば、くく、やってくれる。アークランドがいてくれて良かった。後詰めを呼んでいれば、エスタード全体に広がるきっかけとなったかもしれぬ。考え過ぎかもしれないが、こういうものはそれぐらいが丁度いいのだ。飲み込めよ、俺」

 部下を下がらせ、ラロは一人で彼方を見つめる。

「ゼノ、キケ、すまぬな。俺は生きて帰れぬかもしれん。だが、必ず災いの芽は絶とう。我が全霊を以て、青貴子を討つ」

 そして、東の空へも目を移す。

「青貴子を討ち果たし、それでもなお俺が生き永らえていれば……いや、未練だな。あの日、あの時、届かなかった時点で俺は我を捨てている。一生に一度の賭けで敗れたのだ。ゆえに、諦めよう。だから、勝つ!」

 胸元の花を握りしめ、手折る。これがネーデルクスの辿り着いた答えであれば、全力で否定せねばならない。時間を戻そうとした自分が言える性質ではないが、それでも人が積み重ねてきた歴史に泥を塗るかのような行為である。

 彼に教えてやらねばならぬだろう。

「ルドルフ君、先に言っておくよ。俺はね、個で大カンペアドールに、ウェルキンゲトリクスに、勝てると思ったことはない。だが、人を率いて、と言うことであれば別だ。もうとっくに、俺は大カンペアドールを超えている」

 積み重ねてきた自負、相手が神だと言うのならば教えよう。人の積み重ね、その厚みを。英雄すらお払い箱となる時代、そこに神の居場所などない。

「俺は強いよ。この時代ならば、誰よりも」

 戦場を睥睨する眼が、全てを見通す。

 相手が神ならば、そのように動くまでのこと。


     ○


「エスタード軍、包囲の一角に急襲! こちらが対応しようとした時には撤退していった模様。損耗は軽微です。すぐに立て直し追いかけさせます」

「動くな」

「りょ、え?」

「動かずに待機。全軍に伝えろ」

 ルドルフは本陣で笑みを深める。甚だ不本意だが、フェンケの言っていた通り、この要塞を正面から突破する方法は現状、皆無なのだ。相手がラロである以上、間違えなどない。間違えさせねば、活路など皆無。

 だから裏技を使うしかなかった。

「……ラインベルカ、僕を嗤うかい?」

「いえ、ネーデルクスが、祖国が求めたことですので」

「そう。僕なら……嗤うけどね」

 思惑通り、あの堅牢なる要塞からラロを引きずり出した。ここからは野戦、エルマス・デ・グランを周辺、山間部での戦いとなる。これで何とか勝負を成立させることが出来た。端から奇跡頼り、それが今のネーデルクス。

 それが今の――自分。

「敵が外に出てきたってことは、要塞を取るチャンスじゃない?」

 ジャクリーヌの言葉を一笑に付すルドルフ。

「ノン。もうそのフェーズは終わったから。ここからはさ、どっちの首を取るか勝負だ。僕も手札を晒した以上、あっちはもう逃がす気なんてないよ」

「どういうこと?」

「生きるか死ぬか……そういう勝負ってこと」

 ルドルフだけが感じ取っていた。邪道を用いて引きずり出したのは巨大なる怪物。世界は彼を守戦の男と評しているが、それはガリアスを追い詰めなかったから。そこに別の狙いがあったことを知らぬ者が勝手に評したに過ぎない。

 この全てを覗き込まれている感覚は、そういうレベルじゃない、と訴えかけてくる。果たして自分は、ネーデルクスは、この山巓を越えることが出来るか。

 この圧は、かつて邂逅した英雄王、彼が最後に見せたモノと遜色ない。

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