完璧なる戦Ⅳ

 緻密な連動を肝とするモノは一度崩れると収拾がつかなくなる。それでもよく持たせた方であろう。さすがは歴戦の将、場数が違う。

 敵味方とも、余裕の顔つきをしている者は一人もいない。

「ここまでだ」

 ラロの剣がウジェーヌの首に添えられる。この場の誰よりも指示を飛ばし、この場で最も厄介なラロを止め続けた男。肩で息をしながら、それでも眼は死んでいない。この執念、若き彼らにとってはこの上ない刺激となっただろう。

 この戦いの経験が必ず、どこかで活きる。

「一つだけ、わからないことがある」

「何でしょうか?」

「何故、他の船を逃がした? ヴァイクを上手く使えば、いや、使えずともそれなりに活用するだけで、もう少し戦果を伸ばせたはずだ」

 ウジェーヌの問い。それを聞いてラロは哀しげに微笑む。

「まず一つは、先に述べた通りお二人を確実に討ち取るため、他にリソースを割かずに注力したかった。これは嘘偽りない本音です」

「まず、か。では、本筋は?」

「……知らぬ方がよいこともありますよ」

「構わん」

「……ガリアスを、もっと言えばガイウス王を、弱体化させるため」

 ウジェーヌは、大きく目を見開いた。考えていなかった筋道、繋がっていく違和感。経験が、知識が、嫌でも答えまで導いてしまう。

「……これは、前段階か」

「はい。此度の海戦、あまりに多くを葬ればガリアスそのものに大義を与えてしまう。全面戦争は望むところですが、それでは少し、弱い」

 狙いが全面戦争なのはわかっていた。だが、これはあまりにも悪辣な――

 ウジェーヌは自らの失態を、過ちを、悔いていた。充分取り立ててもらった。これ以上は望むまい。後進の育成に専念しよう。それがガリアスのためになる。

 その謙虚が、欲をかかなかったことが、裏目に出てしまったのだ。

「出兵の理由は、ガイウス王の独断専行でなければならない。その上で敗北すれば、革新王の権威を削ぐことが出来る。それは同時に、今のガリアスにとって足かせとなりつつある文民、文官の影響力が増すことに繋がる。つまりは――」

 先ほどまで熱情に満ちていた男の眼に、熱はなかった。代わりに浮かぶのは冷たい景色、ローレンシアと言う盤面を見据える俯瞰の景色。

「超大国の腐食を早めるのが、俺たちの狙い、です」

「……私は、これ以上ない生贄だった、と言うことか」

「はい」

「何故だ! 何故、そこまで見えているならば、何故時を逆行させる⁉ 卿ならば見えているはずだ。先の時代、進むべき道筋が。ローレンシアなどで争って何の意味がある? いや、我らが争っているのはローレンシアの、大陸の中でも一部なのだぞ。世界は広い、やるべきことはたくさんある。それなのに――」

「そこに戦士はいない」

「ッ⁉」

 ラロの言葉は零度を帯びていた。わかっているのだ。

「エスタードは戦士の国、少なくとも今、時代を進められるわけにはいかない。暗黒大陸、蛮族らが跋扈する大森林、無間砂漠の果て、可能性があるのは重々承知。だが、今のエスタードにその可能性を掴むことは出来ない。いや、それが出来るのはずっと準備をしてきたガリアスのみだろう。それは、許容しかねる!」

 見えているからこそ、ここで阻み、挫かねばならぬと動いた。何故、こんな男がエスタードに生まれた。何故、ガリアスにいてくれない。教えても理解せぬ者たちを抱え、飛ぼうとしているガイウスの翼たり得る男が、何故敵なのだ。

「ガイウス王が取り立て、王にとって信厚き将、かつ王や現場以外の評価は少し、落ちる。『銅将』という名が、その証拠。貴方を討ち、ガリアスは面子を傷つけられたと挙兵するでしょう。問題はその後、我らに負けた後、必ず敗戦の責任を問う声が上がる。誰も責任など取りたくない。逃げ場を探す。そして、辿り着く。王の贔屓がこの事態を招いたのだと。たとえ彼らが無責任に、面子を守れと喚いた張本人であったとしても、必ずそうなる。それが、衆愚の行着く先」

 嗚呼、この男は本当によく理解している。

「ガリアスという国は全てに置いて早過ぎたのです、ウジェーヌ殿。平和の世と乱世では強い国の形が違う。ガリアスは弱者に力を与え過ぎた。弱き者の声を拾い過ぎた。多くの声を拾えば、動きは遅くなる。遅い国は、弱い」

 かつてネーデルクスが辿った道。アクィタニアもそう。栄え、巨大化し、愚鈍に、そして弱くなる。避け難い現実、そうせぬために法整備など細かく、巨体に見合うシステムを構築したが、運用するのは人。その脆さを、見誤っていた。

 国に巣くう蟲は、年々増すばかり。

「時間は進ませない。そして、古き時代ならば我らエスタードこそが最も強い。『烈日』をトップとし、多くを軍が掌握している。今は少々凪ゆえ、王家共が喚き始めているが、乱世になればすぐに黙る。そのための下準備は、とうの昔に済んでいる」

 とうの昔、その言葉にウジェーヌは最悪を、思い浮かべる。ずっと謎であったのだ。あれほどの男が何故、あんな争いをせねばならなかったのか、を。

 王家の有力者を率い、大義を掲げ『烈日』と争い、敗れた男。

「……ジェド・カンペアドール」

 ラロは答えない。答えないことが、反応を示さぬことが、答え合わせ。

「エスタードを勝たせるのが俺たちの役目。エレガントではない。美しくもない。醜く、汚らわしい行いと誹られても構わぬ」

 おそらく七王国の中で最も軍部の力が強い国。ただ一人を掲げるのは弱さでもあるが、乱世においてトップダウンのシンプルなシステムは時に何物より勝る。エル・シドがあえてそうしていたのかはわからない。自分のため、一族のため、そうしていた可能性はある。それでもこれを理解して、有効に活用しようとする者がいれば、この男がいれば、エスタードは間違いなく最強の国であろう。

 歴戦の猛者と新たなる力、それが合わさった時――

「アデュー、偉大なる将よ。俺たちは貴方たちを忘れない。ここにいる者たちは、貴方を尊敬し続けるだろう」

 ラロは緩やかに振り被る。

「あえて言おう。貴方たちは、正しい」

 そして、その剣を――

 ウジェーヌはその白刃を見つめながら、思う。そう正しかったのだ。大恩ある革新王ガイウスは、何一つ間違っていなかった。

 だから悔いない。王を信じる。国を信じる。

 時代を先に進める者が現れることを、祈る。

 首が、宙を舞う。


     ○


 ウジェーヌと言う男の人生は決して華やかなものではなかった。そもそも生まれからして元奴隷の子、ガリアスでなければ果たして軍人になれたかどうか――そのガリアスでさえ差別され、理不尽に虐げられた。

 実力を正しく評価してもらったことなどほとんどなかったのだ。

 かの王に出会うまでは。

「卿がウジェーヌか」

「はっ」

 革新王ガイウス。武王とは異なる路線で国を率い、破竹の勢いで勢力を伸ばす次代の名君になるかもしれない男、当時はそういう評価であった。

「サロモンから優秀な人材がいると聞いてな、少し時間を貰うぞ」

「はい、何なりと」

 まさか自分が王の御前に呼ばれるとは思っていなかった。一生、縁のない場所であると思っていたし、縁のない相手だとも思っていた。

「ふむ、戦術理解、剣の腕も申し分なし、これで……十人隊長ですらないのか? む、むう、これは、また、なるほど、そういうことか」

 おそらく自分の情報が書かれている羊皮紙なのだろう。そこに目を通し、ガイウスはため息をついた。ウジェーヌにとっても幾度となく見た光景である。

 最初は評価してくれていた上役も、自分の生まれを知ると落胆するのだ。

「何故、卿が未だ役無しなのか、理解しておるか?」

 ガイウスの問い。愚問であった。ウジェーヌは迷わず答えた。

「父が、元奴隷身分だから、です」

 幼き日よりずっと自分に付きまとう足かせ。父は何度も自分に謝った。生まれのことで苦労を掛けて済まない、申し訳ない、と。

 そんな当たり前の中で生きてきた。

「違うな。システムの問題だ」

 そう思っていたのに、飲み込むしかないと無理やり納得していたのに――

「人の優劣は生まれで決まらん。無論、生まれによって機会や教育に差はある。それを埋めるのは容易ではないが、逆に言えば自力で埋めた者は同等の力量であっても資質であれば上、ということ。要は父の築いたこのガリアスが、杜撰なだけよ。卿が役無しの理由は環境が悪い、それだけだ」

 この男は、頂点に座す男が、

「そもそも卿も悪いぞ。何故胸を張らん。何故堂々と言わぬ。自分の父は奴隷から這い上がった男なのだと。並大抵ではあるまい。余は奴隷になったことはないが、その生活ぶりに関しては幾度も視察しておる。酷い環境だ。その日暮らしでさえ楽ではない。将来のための貯えなど、考える余裕すらなかろうよ」

 当たり前を、

「それを、だ。身分を買い、嫁を得て、卿を立派に育て上げた。これを誇らずしてなんとする。皆が自分を癒すために飲む、一杯の酒。そこをぐっと我慢し、銅貨を積み上げ、コツコツ、地道に明日へ投資し続けた。実に天晴れな生き様よ」

 この王が引っ繰り返してくれたのだ。

「余はこのガリアスを変える。卿も手伝え。余と共に王道を歩み、そして天下に知らしめよ。人は生まれなどで優劣は決まらぬ、と」

 ずっと、心のどこかでは思っていた。父はこんなに卑屈に、息子にまで謝らねばならぬようなことをしたのか、と。何故虐げられねばいけないのか、何故きちんと実力を見てもらえないのか、何故なぜなぜなぜなぜ――

 ずっと引っ掛かりはあった。だけど、声に出すことは出来なかった。

 そこに巨大な、当たり前の壁があったから。

「優を示せ、結果でな」

「……必ずや、ご期待に応えて見せます!」

 王の言葉でようやく胸のつかえがとれた。あの真面目で地道な父を誇って良いのだと。その父を言い訳にして諦める必要はないのだと。胸を張って、奴隷から這い上がった男の息子だと、言って良いのだと。

 その日、ガリアスは一つの大きな力を得た。

 結果を出した。どんな小さな戦場でも、どんな小さな仕事でも、父のようにきっちりこなして積み上げた。そうして上り詰めたのだ。

 王の左右へと。

 だが、そこからの道のりは平坦ではなかった。誰かがやらねばならぬ仕事であり、誰もがやりたがらない北の守り、対オストベルグ。王への忠義が、国家への忠誠心が、ウジェーヌにそれを選ばせた。王もサロモンも、ジャン・ポールも、そこは持ち回りでやるべきだと言った。一人で抱え込む必要はないとも言われた。

 それでもウジェーヌは譲らずに、特化した。負けぬ戦を極め、最強の将軍であるストラクレスを、その右腕であるベルガーを、弾き返す盾と化した。奇しくも北と南、『不動』と『銅将』、強過ぎる怪物が特化した将を生み出したのだ。

 ただ、アルカディアとガリアスに違いがあるとすれば、それは国家の規模であり、人材の厚みの差であろう。優秀な人材を見つけ育む、特にウジェーヌは自分の成り立ちからも下から引っ張り上げるのが得意であった。引き上げ、鍛え、多くの人材を輩出したことで、皮肉にも自身の価値を相対的に引き下げてしまう。

 だからこそ、安定してきたところで、

「……すまぬな。ウジェーヌよ」

「いえ、後任はしっかりやってくれるでしょう。これでよかったのです」

 ウジェーヌは王の左右の任を解かれた。王にとっても苦渋の決断、これまた皮肉にもより良き国を目指しシステム整備を進めたこと、ボトムアップの部分を設けたことが仇となった。下からの突き上げを無視できなくなっていたのだ。

 それはウジェーヌも理解している。そのために後任を育て、準備もしてきた。

「海、ですか。お気遣い感謝いたします。老後はゆっくりと――」

 だが、

「馬鹿者。余は転んでもタダでは起きんぞ。卿ほどの男をだ、死蔵するなどもってのほか。まだ、先の話ではあるがな……次の時代の主役は海だ!」

 またしてもこの男がウジェーヌの当たり前を打ち砕く。

「海が主役、ですか。ピンとはきませんが」

「海は良いぞぉ。広い、デカい、そして障害がない。もう少し真央海や外海の沖が穏やかであれば、とうの昔に物流に関しては頂点を取っていただろうて」

 子どものような眼で革新王は胸の内を吐露する。

「昨今、海が穏やかになりつつある、と言う報告もあるが、重要なのは海の向こうに広大な土地、国があると言うことだ。どうにもヴァイクのリューリク辺りはかねてより一部と付き合いがあったようだが、まだまだ充分巻き返せる範囲よ」

「……蛮族がいるのでは?」

「うむ。大森林同様にな。奴らよりも高度な文明ではあるようだが、はてさて、如何に攻略したものか。他国に付け入られるのも癪であるしな」

「国内で、それも一部の者だけが、その狙いを知るわけですか」

「そうだ。まあ、サロモン辺りはロマンがなく反対しておったし、今のところは余の一存でしかないがな。ある程度ローレンシアの足場を固めた後、海へ漕ぎ出す。それが余の次なる野望よ。天命尽きる前に、到達してみたいものだが」

 なれば断る理由はない。身命を賭し、革新王の次なる野望の下地を創り上げよう。それが最後の奉公であり、自分の中の壁を壊してくれた恩返しである。

 ウジェーヌは迷うことなく海軍の統括を引き受けた。

 最初は掃き溜めのような場所だった。少しずつ、慌てず騒がずに病巣を取り除き、まずは環境整備に勤しんだ。環境整備の最中、功を焦った地位だけは高い男が暴走し、暗黒大陸を遠ざけもした。ただそれだけのことに五年ほどかかったが、ようやくマシな土壌が出来たところで、サロモンから一人の青年が送られてきた。

 目を見てすぐに分かった。辺境の出身、差別と偏見に抗い続けてきた怒りと憎しみが煌々と漂っている。懐かしき、かつての自分。

 自分と違うのは輝ける才能があると言うこと。剣才、統率、そして本人は出身を想起させるため才を否定したがったが、波風への理解もまた強力な武器である。革新王の夢をかなえる最後のピースを見つけ、彼を育成することの喜びは如何ほどであったか。ウジェーヌ最後にして最大の仕事は、新たなる時代を担う彼を育てること。

 そして、全てを託し、尊敬する父のように穏やかな幕引きを迎える。

「申し訳、ございません」

 その夢が、砕け散る。

 何故なら、ラロの策が叶えばガイウスが責められることはもちろんのこと、原因である海軍こそ責められるだろう。海軍増強、海運強化の道も揺らぐ。まさに鬼手、無情の一手が人知れず革新王の野望を打ち砕き、時代すら押し戻そうと言うのだ。

 先んじたことでガリアスは後れを取る。

 押し戻したことで、エスタードら古い国が抜きん出る。

 無念だ、とウジェーヌは断腸の想いを噛み締め――散った。


     ○


 ラロたちは目的を果たし旗艦へ戻っていた。さすがに皆疲れ果てたのか、船倉で雑魚寝していた。どこでも熟睡できるのもある意味で彼らの強みである。

「……俺たちはたぶん、ろくな死に方をせんな」

「そうだね。そう思うよ」

 ラロとピノは船長の部屋、つまりはピノの個室なのだが、そこで互いに視線を合わせずに腰掛けていた。策の立案はピノ、最終的に実行すると決めたのはラロである。分かっていたことだが、あまり良い気分ではなかった。

 世界にとって、ガリアスの、彼らの行動はきっと素晴らしい進化をもたらすものであった。後世に残る偉業となり得たかもしれない。それを潰したのだ。

 それを今から、完膚なきまでに踏み潰すのだ。

「セヴランは想像以上だったか」

「そうだね。腕は互角だったよ。まさかガリアスにあそこまでの船乗りがいるとは思わなかった。積み荷が君たちでなければ、あの切り返しを返せたかどうか……」

 そう、セヴランは敗北感に打ちひしがれていたが、あの切り返しを返せたのは積み荷の差でしかない。ガリアスの兵士たちがその場に留まり、左右のバランスを整えたのに対し、エスタードの皆はラロ指揮の下、適宜左右に移動しスタビライザーの役割を果たしていたのだ。同じ積み荷なら、結果は違ったかもしれない。

「だからこそ、価値のある一戦だった」

「あとは君の仕事だ。ガリアスの大戦力、勝てるかい?」

「一番の山は今日、越えた。もう負ける要素はないよ、ピノ」

「……そうか」

 世界を乱世に引きずり込む一手、まずはガリアスを飲み込む。

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