第11話 伏流、勢い増して 後編

 中世の芸術は、クリストの教えに則った文学や書物だけに留まらない。フランクの人々にも、アングルの人々にも口承の民話や、伝説やゴシップを残した作品がある。カール大王やアルフレッド大王は文学を含んだ文化の復興に意欲的で、様々な施策を通じて民族の物語を残した。

 このことは、カンブリアとて同じである。古代のグウィネド王マールグウィンの時代から、名のある詩人たちが言葉を紡ぎ詩文に練り上げた。王たちは大芸祭アイスタッドフォドという催し物を開いて詩人や芸人の腕を競わせ、優秀な者には宮廷詩人としての位を授けた。重要な政の節目には彼らを王の隣に座らせ、王とその他の者を称揚する詩文を作らせたという。

 グウェンシアンもその伝統にのっとり、グウィネドに居た頃は詩文の教育を受け、王族として様々な芸術を保護するようにとののりを受け入れた。それは南方デハイバースに駆け落ち同然で移り住んだ後も忘れたことがなく、宮廷詩人を重用し、彼に様々な民話を集めさせたという。

 カンブリアの民話集は、後世「マビノギオン」として知られるが、その中の「マビノギ四枝ペデール・カインス・イー・マビノギ」は、彼女グウェンシアンが蒐集ないし作成した部分である、と論じる後世の学者もある。その真偽は未だ確定はしていないが、芸術保護に義務感を感じる王家の人間であれば、間違いなく何かしらの関与は為したであろう。

 夫が北に旅立ってから、グウェンシアンは山塞の玉座に座し、フランクの動向を探る一方で、食事時や夜などには、宮廷詩人らの集める民話を僅か4歳の末の王子リースと共に楽しんだ。集められた民話にはどれも魔術や動物たち、人間の変身物語などが語られ、佳く母子を楽しませた。三月の頭、うららかに春の香りが漂い、マウルの山々の木々に花が咲き始めた今日も、彼女はリースと共にマビノギの物語を聞いている。

「…おお、私がそなたに為し、かの女性が望みしこと。後生である、頼みを聞いてくれ。そなたの槍との間に川原で見つけた岩を置いても良かろうか。良かろう、拒みはせぬ、とスレウは答えます。ああ、神がお主にしっぺ返しを与えるだろうに、と。グローヌウは岩を彼とスレウの間に起きました。槍が放たれ、岩を突き破り、グローヌウに突き刺さって、背中から飛び出しました。グローヌウ・ペブルは命を落としました。アルドゥディのカンファール川の丘に残るその石はこのことからグローヌウの石と呼ばれるようになったのです。スレウの兵はグウィネドの地を征服し、しきたりに従って、彼は王となったのでした。ここでこのマビノギの枝はおしまい、おしまい」

 朗々と詠じ終えた宮廷詩人に、グウェンシアンとリースが拍手を送る。マビノギ四枝の最終章、マースのマビノギであった。スレウというのは古代グウィネドの伝承上の王子で、マース王の魔法で命を得て、旅路の果てに妻を奪った狩人グローヌウを槍で刺し殺し、マースの後を継いで王となったという。名前から、獅子をもじったものであろう。漢字で表せば、獅子郎と言うところかもしれぬ。

「良き芸でした、褒美を取らせましょう。リース、貴方もよくがんばって聞きましたね」

 まだ4歳で言葉もそこまでわからないであろうが、リースは母親に頭を撫でられて上機嫌である。グウェンシアンは、素直で甘えん坊なこの末の息子を大層可愛がっていた。継承順位から言えば王の座はアナラウドらのものとなろう。長じて国政に関わっても大きな仕事は出来ぬかもしれぬ。この子にはせめて、芸術を愛し、育むような心を持ってほしいと、切に願っているのであった。

 宮廷詩人が畏まって謝意を述べて下がろうとしたところ、広間の向こう側から金属的な音と共に歩んでくる者の姿があった。グウェンシアンの長子モルガンである。父親の優男ぶりにグウェンシアンの青い瞳を受け継いだ今年20歳の青年貴族は、早足でグウェンシアンのもとに駆け寄った。

「お寛ぎのところお騒がせして申し訳ありませぬ、女王陛下。フランクに動きがありました」

 生真面目な長男の声に、グウェンシアンはひとたび眼を細めた。モルガンは自ら斥候を率いてマウルから南カンブリアの敵の情勢を調べる役割を父から命じられており、今日もその任務を果たしていた所であった。

「構いませぬ。どのように動きがあったのですか」

 側にいた乳母にリースを預けると、デハイバースの女王の顔になって、グウェンシアンはモルガンに問いかけた。凛とした表情に、かつての戦乙女としての光彩が宿るかのようである。モルガンは意を決し、母である玉座の女性の目を見据え、ゆっくりと語り始めた。


 その数日前、モーリス・ドゥ・ロンドルとラヌルフ他十名ほどの武装せりし騎士らが、キドウェリー城から東に在るカムル人の村へ乗り込んだ。武器を持ったこのような者どもが横行するところ、果報のあろうはずもない。村の人々は怯えて家に逃げ帰り、村の長が数名の男たちを従えて、騎士たちの前に立った。

 モーリスは鞍上で村長を見下ろしながら、大声で語った。

「一月、我らの同胞ワーウィック伯が、ゴワーにてワリア人の一団に攻撃を受け、多数の死者が出たことはおぬしらも知っておろう。この狼藉は、アングル領では謀殺罰金マルドゥラムを超える重罪である。我々はその重罪の首魁を探し出し、本国に送致してアングル王の裁きを受けさせねばならぬ。その首謀者として、某はデハイバース王グリュフドの身柄を探している。彼奴と昵懇の者あれば、キドウェリーの城に出頭するように伝えよ」

 モーリスの横で、必死にその言葉をカムルの言葉に翻訳して伝えるのは、憐れな写本生ジャンである。フランク側にカムル語を操る者がいること自体に村の長は驚いたが、やがてモーリスの語る内容を理解していくと、途端に顔を顰めた。

「フランクの騎士よ、我らはただの平民だ。デハイバースの王などとどのようにして関わることがあろう。また、たとえ関わっていたとしても、そのように剣呑な出で立ちで村の境を侵した客人に答える義理などあろうか。まずは武器を置いて出直してもらいたい」

 精一杯の虚勢を張って、村長は答えた。既に、彼の指示で馬を駆れる村の衆が一人、マウルのグリュフドの根城に走っている。彼は時間を稼がねばならなかった。一度追い返してしまえば、夜にはマウルからグリュフドの手勢が駆け付け、フランクの兵から守ってくれるはずであった。

 村長の言葉を汗だくになってジャンが訳すと、モーリスはふん、と冷笑気味に嘲笑を浮かべ、ラヌルフに顎で合図をした。ラヌルフは馬から降りると、村長に近寄り、丸太の様に太い腕でその背中を掴むと、一息に彼を俯せに押し倒した。カムルの男たちに動揺が広がった。そう若くはない村長はうめき声を上げながら立ち上がろうとしたが、巨漢のラヌルフがその上にのしかかり、村長の首元を膝で押さえつけた。

「やはりワリア人は物分かりが悪い。素直に応じればもう少し穏便にしてやったものを」

 怯える男たちを前に、騎乗したフランク人が意地の悪そうな笑い声をあげた。

「やれ」

 モーリスは短く命令した。騎士たちは村の家々の入り口を次々と蹴破り、その中を改めていく。震える村人たちは家の隅に縮こまった。若い女性たちが五名ほど騎士に腕を掴まれ、或いは美しい髪を引っ張られて連れ出される。悲鳴が方々から上がって、いよいよカムル人たちは蒼白となった。

「よせ、娘たちに何の罪がある」

 息も絶え絶えに、村長が非難する。ジャンが目の前の光景に青ざめながら訳すと、彼の上に伸し掛かるラヌルフは、無言で懐から短剣を抜き出し、村長の口元に突き付けた。

「余計なことを喋るなよ、ワリアの犬め。お前らが俺たちを止めよう、非難しようなど思わぬことだ。その良く吠える口ごと使い物にならないようにしてやるぞ」

 おお、神よ、とジャンは天を仰いで十字架を切る。彼にとって眼前で起きている出来事は、神の名の下に俗界を守る騎士の正道を逸れるどころか、正反対の行いであった。ラヌルフの口から出る罵倒を訳すことにすら悍ましさと嫌悪感を覚えたが、「何をしている、訳せ」とラヌルフがすごむので、仕方なく訳す。村長は押さえつけられながら、ジャンとラヌルフの双方を睨みつける。私を睨んでも仕様がないじゃないか、とジャンは目で語ったが、村長には伝わらなかった。ラヌルフが徒手で村長の顔を殴りつけたからであった。血と泥に塗れて、村長は呻いた。

 娘たちがモーリスの前に連行されてきた。モーリスは今一度村長の方に向き直り、馬上から言い放つ。

「デハイバース王グリュフドには、王家の財貨を過去に盗んだ罪もある。そのような者を庇い立てするようなことあればそれもまた、罪であろうな。グリュフド王がキドウェリー城に来るまで、この娘たちを預からせて頂こう」

 やめろ、と叫んで前に出ようとした村の男に反応し、ラヌルフは手に持っていた短剣を投げつけた。短剣は目にもとまらぬ速さで男の目の前の地面に刺さる。男は腰を抜かしてその場に尻から座り込んでしまった。娘たちがひぃっ、と悲鳴を上げた。泣き出している者もいる。

「勿論、預からせていただくのであって、手荒な真似はしないだ。だがまあ、あまりにも遅ければ、我々の仲にも神の使徒としての仕事に励む者あり、娘どもに産めよ、増やせよとの仕事を与えねばなるまいて。おぬしらの村に高貴なノルマンディーの血を引く赤子が授かるとしたら、それもまた罪滅ぼしになるだろうよ」

 好色な笑いを浮かべ、モーリスは村長らを馬上から見下した。彼らの目には憎悪と憤怒の光が宿っていたが、その発露を恐れるモーリスではなかった。何と言っても歴戦の騎士である。村人風情が束になろうが、騎士に敵うものではないとの認識が彼にはあった。そしてそれはほぼ真実であった。

「さあ、では娘たちは丁重に我が城の客人としてご同行頂く。おぬしらは精々グリュフドに事の次第を告げ、キドウェリーに出頭するよう哀願するがよい」

 哄笑して、娘たちの手を縛って空馬に乗せると、モーリスは村人に背を向けた。ラヌルフは村長の上から離れた。息も絶え絶えになった村長は力尽きて起き上がろうともしない。生きる暴風のような男は、投げつけた短剣を地面から抜いて息をひと吹きし、鞘の中に収めた。茫然と佇むジャンを自分の馬に乗せると、ラヌルフは村人たちを振り返って、冷笑を投げかけ、モーリスの後を追った。村人たちは慌てて村長に駆け寄り、抱き起してその顔を拭いてやるのだった…。


「フランクの城代のひとり、モーリス・ドゥ・ロンドル、国王陛下を大逆の罪人と罵り、キドウェリー城に出頭せよと布告を出した模様です。そればかりか、近隣のカムルの村を襲い、乙女たちを何名か拐かして、王の出頭なくばその乙女たちの身の安全は保障しないと、卑劣にも…」

 モルガンの声は憎しみの歯軋りでかき消された。グウェンシアンは深く息を吸い込みつつ目を閉じた。

 恐れていたことが起こった、と彼女は思った。グリュフドがいれば、単身キドウェリー城に向かうか、アングル王或いはグロスター伯ら上位の君主に事の次第を告げ、モーリスの如き狼藉者を裁くように沙汰を願うこともできたであろう。あるいは、兵を集め、かつてのようにキドウェリー城を奪い、モーリスとやらをアングル領に退治できたかもしれぬ。だが、今彼は南北カンブリア大同盟というハイウェル善王以来の大業を為す途の上にある。使者を出して彼の帰還を促して呼び戻したとしても、娘たちの安全と貞操は失われてしまうであろう。

 何もしない、という手段もある。おそらく彼女の兄オワインであれば、冷静に事情を判断し、このような恫喝ごときで腰を浮かせることはあるまい。10代の頃から兄は冷淡なほどに沈着であった。間違いなく娘たちを犠牲にし、その非道を既成事実として、アングル王に外道の懲罰を求めるだろう。だが、その為に娘たちの純潔が汚され、望まぬ子を孕んでしまったとしたら―。

「下々の声はどうか。グリュフド王を待ち望んでいるか」

「はい、口々に娘たちを救うようグリュフド王の助力を願い出ております。王が立たれるのであれば我々も武器を取り馳せ参じる、と」

 グウェンシアンは頷き、ふと視線を動かした。そこには乳母に抱かれ、こちらを真っ直ぐに見返す最愛の子息リースの、宝珠のごとき瞳があった。自分は愛する人との子にこんなにも恵まれたと言う、厳然たる事実を、彼女は今一度認識したのである。彼女の中で、何かが燃え上がった。かつてグウィネドから国境を越え、山野を駆け巡り、フランクと戦った頃に燃え盛っていた気高き何かが、彼女の心を内側から焼いた。

「モルガン、マールグゥインを呼びなさい。私の具足を用意するのです」

「母上…!」

 モルガンは女王陛下と彼女を呼ばず、私人、一人の男児に戻って、悲痛そうな声を上げた。

「私はデハイバースの女王です。女王であると言うことは、国の母でもあります。その私がここで何事もせずただ夫の帰りを待つようであれば、国の母の名折れであり、あの人の名にも傷がつきましょう」

 朗々と彼女は長子に、そして自分に語り掛けた。自らを鼓舞するための、それは出陣の合図であった。右手を前に突き出し、決然として、空色の瞳の女王は叫んだ。

「出陣である!兵を集め、キドウェリーのフランクを討つのじゃ!」

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