第10話 伏流、勢い増して 中編

 16世紀にマルガム卿エドワード・マンセルという人物が残した伝承によれば、11世紀の後半、「グラモルガンの十二騎士」と呼ばれる伝説の騎士たちが存在したという。赭顔王ギヨム二世の寵愛したフランク貴族、ロベール・フィツ・ハモンの幕僚がその成員で、モルガヌグという辺境領ワリア南東部に侵入した。当時、先代デハイバースの王リース・アプ・テウドルとこの地域の小王が領土争いをしており、何を血迷ったか、後者が自分の利権を守るため、アングル領を制する赭顔王ギヨム二世の宮廷に駆けこんでしまったのである。

「奇貨居くべし。フィツ・ハモンはモルガヌグに赴き存分に戦働き奉り、領土を広げるがよい」

 好戦的で武断の気に富んだギヨム二世である。既にノルマンディーの大貴族ではありながら、同輩に遅れてアングル領に経営すべき領地を持たぬフィツ・ハモンに好機を与えようと思ったらしい。無論その裏には、気心の知れた家臣を大領主に仕立て上げ、王家に「多めの」租税を収めさせる狙いもあったであろう。

 命じられたフィツ・ハモンは大規模な手勢を組織した。前述の伝承によれば、12名の騎士、24名の盾持ち従騎士エスクワイア、3000名の兵士が彼に従い、モルガヌグに攻め入ったという。この12名の騎士は、各地を転戦した歴戦の武将であったかと思われる。彼らにリースらの軍勢は文字通り撃砕され、フィツ・ハモンはモルガヌグの小王からそれなりの利益を得た。が、勿論、幾ら貴族として祭り上げられようが、フィツ・ハモン、そしてアングル王の本質は、強大な軍事力を背景にしたである。そのような者の前で弱みを見せれば、骨までしゃぶられるのが人の世の常。兵に報いるに少なし、とフィツ・ハモンは断じ、やがて小王を放逐してモルガヌグ自体を略奪してしまった。そして、ここまではギヨム王の既定路線でもあったのだ。

 モルガヌグはグラモルガンとその呼び名を変えた。地理的にはゴワー半島とは地続きに東部に広がり、後年のワーウィック伯ボーモンの足掛かりを用意した形になる。この領土に、12騎士はそれぞれ領土を得た。彼らはフィツ・ハモンを盟主として、各地に城を築き、容易に抜かれることのない防衛線を完成させ、カムルの民を圧迫した。フィツ・ハモンが男児なく没すると、その地は伯領扱いに昇進し、その伯位はアンリ一世の庶子ロベールに与えられ、グロスター伯領と再び名前を変えて、歴史を刻んでいくことになる。


 十二騎士の一人、戦上手で名の知れたギヨム・ドゥ・ロンドルは、主君フィツ・ハモンよりグラモルガンのオグモア領を授かり、そこに城を築いた。当時の習いであれば、戦のあとに城が築かれれば、教会などを建て、名のある司祭を招聘し、クリストの教えを広めるのが常道である。それが現世で乱行を働いた武将たちの救済サルウァティオーとなり、死後の埋葬地ともなるのだから。彼もそれに倣い、シトー派の修道院などを建設して、「スランドフの書」などにその名を残した。

 1136年の現在、ドゥ・ロンドルの領地は子息モーリスが継承し、その支配の版図はキドウェリー城を包摂している。地図で見るとゴワー半島を東西から囲む領域となり、自然とワーウィック伯との連携が強化される格好である。

 後世、この地の城は、エドワード長脛王ロングシャンクスによってワリア人征討の為の「鉄環」戦略該当地域に指定され、大規模な普請が行われるのだが、今はまだその原始的な天守と囲い策しか持たない。それでも、強力なフランク軍を駐屯させ、周囲のフランク式教会や植民地を警護する要衝であり、何度もワリア人の襲撃を受けるほどである。

 キドウェリーは司教管区として1135年までウルバヌスという司教が統括し、地域の大陸的キリスト教化を受け、カンタベリー主位の教会政治を敷いた。彼の下で優秀な僧侶が育てられ、各地に新たな聖職者を輩出していった。

 教会が育てるのは聖職者は勿論であるが、聖書の教えや教会の功績等を残すための写本師もまた、業務の一環で育成される。クリストの教えを学びながら、当時は知的資産として価値の高いラテン語などの文法と記述方法を習い、材料を用いて教義などを転写し、書物として残していく仕事であった。その中には、教会で聖別を受けた人々の記録も入ってくる。その人頭を元に、聖職者は税を取り、教会を運営していった。

 1136年の2月も終わりに入り、写本生たちは天国の人となったウルバヌスの事績や教区の記録を残す日々に追われている。その中の一人に、ジャンと言う名の風変わりな写本師がいた。生まれはワリア辺境であるらしいが、ラテン語の覚えがよく、数年間アングル領オクスフォードの聖ゲオルギウス学堂コレギウムに学び、しばらくしてキドウェリーに戻ってきたらしい。

 彼の異才は、ワリアの言葉をフランクの言葉に置き換える才能である。ワリアの言葉とフランクの言葉は接触してからまだ一世紀を経ず、その混交は進んでいない。両者の完璧な把握には膨大な語彙と文法の知識が必要であるが、このジャンと言う男は生来その技術に卓越していたようであった。ワリアの民が話す言葉をそのままフランクの言葉にその場で訳して上役の僧侶に話す技術に、人々は舌を巻いた。

 当の本人は、食事と神への祈りが保障され、写本の技術を磨ければよいという人物で、日夜写本室に籠り、遠方から届けられる聖人の伝承や言行を精緻な花文字で刻むことに喜びを感じているようであった。この年30歳、写本師としてはまだまだ仕事をせねばならぬと、日々研鑽に努めている。

 そのジャンのもとに、ある日司教が訪い、声をかけた。

「ジャン、ご領主モーリス様が直々にそなたを召したいと仰った。写本室の席はそなたの為に温めておくゆえ、至急キドウェリー城に伺候せよ」

 領主と聞いてジャンは一瞬躊躇ったが、司教の表情は硬かった。後で聞いたところによれば、領主から教会領への寄進として相当額の賄賂が渡されていたと言うことである。教会領の庇護を法皇に求め続けた先代司教ウルバヌスといい、聖職の者は何と上位に行けば行くほどこうもがめついのかと思いながら、ジャンは身なりを整え、仕方なくキドウェリー城に参上した。

 モーリス・ドゥ・ロンドルは記録によればこのときおよそ37歳。父譲りの長大な体躯に大ぶりの剣を佩き、ふてぶてしい眼光で城主の座に仰け反り、写本生の登場を待ち構えていた。周囲には幕僚や重臣が集い、何やら物々しい雰囲気で、ジャンは些か胃の辺りが重くなる気分である。

「よく来た、学僧殿。ひとつお主に助力を願いたい義があってな」

 モーリスはジャンがうやうやしく礼を施すと、満面に笑みを浮かべてジャンの方に身を乗り出した。野良猫が餌を狙う顔つきだ、とジャンは緊張しつつ頷く。と、重臣の一人が一巻の羊皮紙を持ち出し、彼の目前に広げて見せた。そこには黒いインクでラテン語が記してある。その横には、ラテンの文字アルファ・ベータではあるが、何やらその語の正当な並びではない文字の組み合わせが並ぶ。自然とジャンの眼光に興奮の彩りが宿ったのを、モーリスは見逃さなかった。

「これは…」

 呻くジャンに、モーリスは舌なめずりをする獣のように、椅子から立ち上がり、近づいた。

「やはりな、ワリアの言葉か。俺の勘も捨てたものではない」

 モーリスは騎士であり、戦の技術に長じることが第一であるから、ラテン語は行政上の用語と文章程度の知識しか持たぬ。ましてやワリアの言葉などは解さない。その彼が、この書面の謎の語法に一つだけ読み取ったものがあったのである。

「ラテン語ではこう書いてあるな。「南の王、北の王に会うために北上し、故地を留守にせり。好機在り、攻め込むは今」と。その隣の文字は読めぬが、グリュフドと言う名が在ろう。どうだ、全文が読めるか」

 ジャンは黙して頷いた。「申してみよ」とモーリスが言う。それは命令であり、恫喝でもあった。一瞬で内容を把握してしまったので、更に逡巡したジャンであるが、周りは武装した騎士たちが囲んでおり、断れば何をされるかわかったものではない。覚悟を決めて訳すことにした。

「カムルの言葉を読める者を得て汝は幸運なり。デハイバースの王グリュフドはグウィネドの王グリュフドと面会し大同盟を果たす。今攻めなければ力を強めた彼の王は汝の国に害を為さん―」

 言葉を聞いたモーリスの表情が即座に緩い笑みを解いた。何千人とワリアの民を屠ってきた人殺しの顔に戻ったのだ。その様に怖気を感じ、ジャンは何やら酷い罪を犯してしまったような心持になった。まるで、殺人の計画に関わってしまったかのような―。

「諸卿、読みは当たった。グリュフド王に動きあり、だ。しかも奴は今この地にはおらず、遠くグウィネドに行脚するとな。直ちにデハイバースの蛮族らを叩いてゴワーの報復としようぞ。兵を集めよ」

 おう、と幕僚らが歓声をあげた。その様が群狼の遠吠えのように思え、猶更ジャンは首を潜めた。戦に疎いジャンでもわかる。これは何者かの密告なのだ。本来敵同士であるワリア―カムルの民とフランク人の間に情報は共有されないはずだ。しかし、何者かがそれを為した。しかも、モーリスらフランク人にとっては植民地の財貨を奪った大逆の頭目、デハイバース王グリュフドの動静を、である。

 何やらとんでもないことが起きそうだ、とジャンは腰が引け、脱兎の如く挨拶もそこそこにその場を去ろうとした。と、その肩が強い力で握り締められた。おそるおそる振り返ると、こちらも体躯の頑健そうな、顔に戦傷を幾つも刻んだ、壮年の騎士の姿があった。

「学僧殿、どこに行かれる。勤めはこれからだというのに」

「つ、勤めですか。私は一介の僧職にて、戦の祈りには城詰め司祭様がおられましょう」

 怯えるジャンに、その男がにんまりと笑って近寄る。しかし、肩にかかる力は一層強まる。

「城詰め司祭はワリア語を解さないのでな。あんたの力が必要なんだ。俺たちと一緒に来てもらうぜ」

 砕けたフランクの言葉には、遠慮がない一方で、ノルマンディーよりはフランドルの訛りが見受けられるようである。身なりからして、フランドル由来の傭兵のようだ。鈍色の頭髪にヘイゼルの瞳が、ガリア神話に出てくる闘士マナナーンを思わせる。

「ラヌルフの言う通りだ、学僧殿。お主には悪いが、しばらく我々と同行していただきたい。捕虜にしたワリア女を口説こうにも、言葉がわからぬでは後味が悪いし、わかれば猶更興が乗るからのう」

 モーリスの冗談めいた言葉に、一同が一層笑い声をあげた。そんな罰当たりなことは御免被りたい、とジャンは思いながら、ラヌルフと呼ばれた男に肩を組まれて笑いかけられ、作り笑顔で乾いた笑いを作り、半泣きになった。そして、十字を切って、心の中で神に祈るしかなかったのである。

 おお、神よ、憐れな汝の子羊を救いたまえ―。

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