あなたを月に招待します

天崎 剣

あなたを月に招待します

 久しぶりだなと、かつての友人が現れたら警戒するべきだという話を聞いたことがある。

 小中学生の頃、大して仲が良かったわけでもないような同級生が食事に誘ってくる、遊ぼうと言ってくるようなときは、大抵詐欺の前兆だと、そういう話だ。懐かしさのあまりうっかりと話に取り込まれて、知らないうちに詐欺の片棒を担がされたり、借金を背負わされたり、妙な宗教に誘われたりするやつだ。

 信じられないことに、そういうことはままある。

 大学の友人が引っかかりかけたらしく、俺に生々しく体験談を聞かせてくれたばかりだった。

 よほどの情弱でなかったら、単純には引っかからないはずだと思っていたが、奴らはとても狡猾に話を進め、気が付くと取り込まれてしまっているらしい。

 対策を講じていたとしても、常に新手が現れてくるのが世の中というもの。怪しい事象に遭遇したら警戒に警戒を重ね、自衛するしか方法はないと、肝に銘じていたはずだった。






 唐突に、物事は訪れるものだ。






 アパート近くのコンビニで、いつもの買い物をして帰ろうと自動ドアを出たそのときに、ふと見知った顔に出会った。


鄕介きょうすけ


 自分の口からこぼれた言葉に、俺自身が驚いた。

 山下鄕介は、小学生の頃の大親友。毎日のように互いの家を行き来していた仲だった。


隆志りゅうじ?」


 鄕介は目を見開いて、その場に立ち止まった。


「いつ振り? 近くに住んでんの?」


 思わず顔がほころんだ。

 懐かしい。言いようのない柔らかな空気が、俺たち二人を包み込む。


「あ、うん。そう。隆志も? もしかして今日、休み? 時間ある?」


 頭の中が小学時代までタイムスリップして、俺はすんなりと鄕介の言葉を受け入れていた。

 このとき、少しは違和感に気づくべきだった。

 鄕介は俺を誘っておきながら、決してカジュアルではない格好をしていた。スーツ姿、手にはアタッシュケース。学生じゃない、仕事中、サボりだなと、頭が勝手に解釈した。それこそ、ごくごく自然に、だ。

 鄕介に誘われ、近くの公園へ。隣同士でベンチに座り、互いに買っていたペットボトルを開けた。

 俺はコーラ、鄕介はミルクティー。昔から、好きな飲み物は変わらない。俺は炭酸、鄕介は甘い飲み物ばかり選んでいた。


「鄕介は今、仕事してんの?」


「うん……、まぁね」


 炭酸が抜けないよう、しっかりとボトルの口を締め、鄕介の顔を覗く。


「休みの日も出勤かぁ。大変だな。営業?」


「あぁ……、うん、営業」


 歯切れが悪い。

 俺は首をかしげ、ボトルをベンチに置いた。

 休日の公園には、親子連れ、小学生、年寄り、ありとあらゆる年齢層の人間がいる。甲高い子どもの声、母親たちのぺちゃくちゃとした世間話、居眠りするじいさまのいびきや、遊具の軋む音、往来の排気音、様々な音という音が入り交じり、それらがどこか遠い意識の隅っこで響いていた。


「何の営業? 鄕介、頭良かったから金融関係とか医療関係とか?」


 と、鄕介はなぜか小さくクスリと笑い、何度か頷くような仕草を見せる。

 俺がどうでも良い会話で、久々に出会った旧友とどうにか心を通わせようと努力するのを、まるで見透かしているような、変な笑い方だ。


「宇宙関係」


 爽やかに笑って、鄕介は確かにそう言った。


「宇宙? マジ? JAXA関係とか?」


 突拍子もない答えに、俺は慌てて適当に返す。

 少し的外れな返しだったのか、鄕介の反応が薄かった。

 宇宙関係って、JAXA以外何かあったか? 民間ロケット? 人工衛星ってのもあったっけ。

 しかし、鄕介はすぐに正解を言わない。ボリボリと頭をかいて少し思案して、言葉を一つ一つ選びながら、更に言葉を繋いでくる。


「招待状、覚えてる?」


「招待状?」


「小学校、何年生だったかな。十歳の頃だから、四年……? 誕生日に、招待状を貰ったって、隆志に見せびらかした」


「ああ……、何だっけ、ウサギがどうの……」


「そう。よく覚えてるね。ウサギの招待状。きれいな満月とウサギのイラストが描かれた、上品な招待状だった」


 なんとなく、覚えている。

 本の虫で内向的だった鄕介が、あんなに興奮しているのを見たことがなかったからだ。

 人付き合いが苦手だった印象の鄕介が、どうしてまた、営業なんて。

 少しの引っかかりを残しつつ、鄕介の話は続く。


「あの招待状で、人生が変わったんだ。代わりに、いろんなものを失ったけどね。それが良かったのか悪かったのか、まだ判断するところには達してない。誰も、未来のことを予測することなんて、出来ないんだから」


 そうだ。

 鄕介は、自慢の招待状だと、家に俺を招いて、そこにあった文を読んで聞かせてくれた。

 難しい言語で書かれていた。それをなぜか、鄕介はすらすらと読んだ。どうして読めるのかと聞くと、だって書いてあると、意味不明な回答が戻ってきたのをなんとなく覚えている。


「招待状の内容、覚えてる? あのときした、約束のことも」


 そう言って俺の顔を覗く鄕介の瞳が、心なしか、淡く、青白く光っているように見えた。

 日の光が反射しているのか。

 頭の中で、俺は必死に何かに抵抗していた。


「約束なんか、したっけ?」


 動揺を押し隠そうと、俺は軽く笑ってごまかした。

 約束。

 そうだ、約束した。

 なにか、とてつもない約束を。


「したさ。隆志は力強く、『絶対だぞ』って言ったんだ」






 鄕介の目が、更に強く光った。






 ――確か、鄕介の家は、あまり裕福ではなかった。

 母子家庭で、いつも家にひとりぼっち。

 偶々、鄕介が小学校の図書室で借りていた本と、俺が借りようとしていた本が被って、その場で意気投合した。宇宙飛行士か天文学者になりたくて、ずっと宇宙の本を読んでいるのだと、鄕介は言った。

 普段は真面目で、あまり冗談も言わないようなタイプだった。友達も少なく、いつも思い詰めたような顔をしていた記憶がある。

 同い年のくせに、どこかませていて、時々何かを悟っているようなことを口走ることがあった。

 鄕介は、どこかへ行きたがっていた。

 自由で、自分のやりたいことを存分に出来る世界。

 そのためにも、鄕介は勉強をしなければならなかった。

 格差の連鎖という言葉を、小学生の俺は知らなかった。夢を持ち続ければ、いつかはかなえることが出来ると、当然のように思っていた。

 自分の生まれた境遇が人生を左右することを、鄕介は既に知っていた。

 だから、遠くへ行きたがった。


 そんな鄕介が誕生日に招待状を貰ったのは、偶然だったのかどうか。

 強すぎる思いがどこかに通じていたのかも知れない。


《あなたを月に招待します》


 そう書かれているのだと、鄕介は嬉しそうに俺に話した。

 月の裏側には人類の知らない世界があって、そこで優秀な人間を集め、様々な研究をしているのだと。

 招待されたと、鄕介は興奮し、嬉しそうに何度も飛び跳ねた。


 ――『隆志も行こうよ』


 小学生の俺は、鄕介の悪い冗談だと思っていた。

 遠くへ行きたくて行きたくて、その強すぎる思いがとうとうそんな狂言に及ぶまで膨らんだのだと、その程度にしか考えられなかった。

 何の変哲もない平凡な家庭で育ち、難しいことなんて考えずに育っていた俺と、常に崖っぷちで、自分の将来の可能性を悲観していた鄕介とじゃ、心に秘めていたものは違っていた。だから、とうとう鄕介は追い詰められて、そんなことを言い出したのだと、そう、思っていた。


 ――『急には無理だよ。大人になったらね』


 俺はそう言ってごまかした。

 心にもない言葉。

 だけど鄕介は、


 ――『じゃあ、約束ね』


 と、右の小指を差し出してきた。

 指切りした。

 どこかへ行きたがっていた鄕介の気持ちが、俺の指切りによって晴れてくれるなら安いものだと思ったのだ。


 ――『絶対だぞ』


 確かに、言った。

 鄕介を救いたかった。

 今にも消えそうな鄕介を、どうしてもとどめておきたかった。






 ふと、我に返る。

 待て。

 変だぞ。

 確かあの後、鄕介は。


「お前……、誰だ?」


 血の気が引いていく音が聞こえる。

 鳥肌が全身によだち、肩をすくめる。


「鄕介は確かあの後、失踪した。そうだ、思い出した。次の日から学校に来なくなった。どこにも、居なくなった」


 震えた声で話す俺を、鄕介を名乗る男は、ほくそ笑みながら見ている。

 あれ? 違うな。

 俺がこの男を鄕介と呼んだんだ。

 自分から声をかけた。無意識に、彼を鄕介だと判断した。


「間違ってない。鄕介だよ。大丈夫か、隆志」


 どこか、面影はある気がする。

 けれど、彼が本物の鄕介なのかどうか、判断する術はない。


「迎えに来たんだ」


 そう言って彼は、アタッシュケースをおもむろに開け、中から一枚のカードを取り出した。

 葉書大のカードだ。

 美しい月と、ウサギのイラストが描かれている。


「大人になった君を、迎えに来た。僕は今、月にいるんだ」


 受け取ったらお終いだ。

 分かっているのに、何故だか身体が勝手に動く。

 イラストの上に重なるように、読めない文字で何かが書かれている。

 ……と、指が、カードに触れた瞬間、その読めなかった文字が言葉になって、急に頭の中へと入ってくる。

 と同時に、公園のベンチごと俺と鄕介の空間だけが切り取られた。

 心配するなとばかりに、鄕介はにこやかに頷いた。

 カードには、こう書かれていた。






《あなたを月に招待します》






≪終わり≫ 

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