そして、悪魔は自分を嘲笑う。

 いつから自分に自我が芽生えたのかさえわからない。気がつけば、俺はその世界に”悪魔”として存在していた。



 悪魔は、知能ある存在を惑わし、落とし、契約を果たし力を蓄えるもの。

 だから、いつだって契約をしていない時は契約者を求めてる。



 前の契約者が死に、勇者に殺され、しばらく力が弱まって、動けなくなっていた俺は森の中で目を覚ました。



 深い、魔物の存在する森の中。

 新しい契約者を探そう。そんな思いに駆られている中でさっそく、



 ―――死にたくない、死にたくない、死にたくない。



 という、強い欲望が近くから響いてきた。



 強い欲望は、悪魔を引き寄せる。強い願望は、悪魔の力となる。ついてる、目覚めてすぐに契約が出来そうだ。

 そう思った俺は、さっそくその強い願望の主に、近づいて見えた小さな影に語りかけた。









 そうして、得た契約者の名はメアリ。

 わずか、12歳にして、悪魔と契約した落ち人。














 契約してからずっとメアリと一緒に森の中で暮らしていた。メアリは、落ち人だというのに、絶望しているとか、狂ってるとかそんなのはなかった。彼女は、正常なままだった。見ていると普通の”人間”にしか見えないのに、メアリは落ちた。



 今までの契約者は欲望に忠実だった。恋人のいる女性を手に入れたい、そんなみにくい願望から落ちて無理やり奪った男や、全てを奪われて全てを壊したいと願った者。



 沢山の人やエルフや、ドワーフなどの知能ある種族と契約した。でも、メアリは彼らとは違う。確かに表情は動かないけど、何かを壊したいなどという欲求にかられない。



 いつしか、特別になっていた。

 メアリを殺されるのは嫌だ、などという柄にもない思いに駆られるようになってしまった。



 姿は12歳の幼い子供。悪魔である自分が、契約者にこんな愛着を持つなんておかしいことだろう。だって悪魔にとって契約者は力のための餌なのだ、基本的に。

 でも、俺にとってのメアリは餌ではなかった。



 俺が心配すれば、泣いたんだ。優しくされたのは、久しぶりだと泣いてた。



 メアリの昔の話も聞いた。

 昔は異なる世界に居たといっていた。まぁ、勇者は基本的に異世界から来るから、別に異世界があることには驚かない。



 メアリは召喚でも何でもなく、この世界に放り出されたらしい。言葉も通じずに、奴隷となって、絶望して死んだといっていた。



「――そう、私は一度死んだの。確かにこの手で自分を殺したの。知らなかった。この世界で死んだものが必ずこの世界で生まれ変わるなんて」




 メアリは世界が望まない訪問者。世界は、メアリを受け入れない。


「世界は、私を認めていない。だから、私は魔力もあんまり持ってないし、精霊は私を嫌ってる。だから異常なんだ」



 言葉が通じない中で放り出されて、絶望して、そして死んだのに、記憶を持ったままメアリは生まれ変わった。異世界の言葉や前世の記憶が邪魔をして、中々言葉を覚えられなかったらしい。異世界ではありえないような髪や目の色が怖いと言っていた。




「その点、悪魔は黒髪に黒眼だから、ちょっと安心できる」




 悪魔に向かって、そういって笑う少女なんてはじめてだった。









 自分が落としてしまった少女との暮らしは、楽しかった。



 落ち人は別に何も食べずにも、ずっと生きていける。だけど、メアリは食べることを好んだ。森の中で、動物を捕まえて料理を施して、そしておいしそうに食べていた。



 悪魔だってそういう食べる行為をする必要はなかったけれど、メアリがおいしそうに食べるから食べようっていう気持ちになった。




「誰かと一緒にご飯を食べるのは、楽しいのよ。前世で、両親や妹と一緒に食べた食事は凄く楽しかった。大切な思い出なんだ」



 木でできた椅子に腰かけて、懐かしそうに、メアリは笑っていた。

 前世の事を楽しそうに笑うメアリにとって、きっとこの世界は辛い記憶ばっかりだったんだと思う。



「でも、かすれていってしまうの。もう家族の顔もうろ覚え。ずっと覚えて居たかったのに」



 悲しそうにメアリはそう言っていた。



 過ごしていく時間が増すごとに、無表情だった顔に感情が宿る。笑って、泣いて、メアリは落ち人らしくない落ち人だった。



 深い森の中で、魔物を狩ったり、魚を釣ったりしながらのんびりと過ごす日々。

 60年が経った頃、勇者が召喚されたという事を知った。



 落ち人を殺すために定期的に呼ばれる存在。今までの契約者も、勇者に殺されてきた。どうせ悪魔は死ぬことがないから、負けたとしても黒い石に魂を宿すだけ。だから契約者が死のうと何も感じたことがなかった。今までの契約者は精神的に何処か狂っていたし、メアリと暮らすような穏やかな時間はなかったのだ。



 嫌だな、と思った。メアリが死ぬのも、この時間が終わるのも。

 落ち人にしなきゃよかったかもしれない、なんていう後悔が頭をよぎる。そうすれば、メアリが勇者に殺される何て事はなかったはずだから。



 でも、もうメアリは人ではない。俺が、人じゃなくしてしまった。

 勇者が召喚されたという事実を知った頃、メアリと俺は一つの約束をした。
















 勇者の情報が出回ると共に、メアリは何処か悲しそうな表情を浮かべていた。

 時々、泣いていた。何で、自分は放り出されたのに。勇者と私何が違ったんだろうって、泣いていた。



 悪魔は人の心を読む事が出来る。契約者の心はより一層響いてくる。何処までも悲しみや妬ましさに満ちていた心が、俺に響いてきた。



 何で、どうして――…。言葉に出来ないような思いが、メアリの胸いっぱいに広がっている。

 メアリは神を信じていない。この、信仰が激しい世界で神を信じていなかった。祈ったって、助けてくれるわけではないと、そうメアリは知ってたから。



「…大丈夫か」



 そう問いかければ、泣きそうな顔をしてメアリは言う。



「…大丈夫だよ」



 震える声が、耳に響く。揺れる心が、胸に響く。

 やっぱり、殺したくないと思った。死んでほしくないと思った。この少女を失いたくないと思った。









 でも、どんなに願っても、勇者はやってくる。



「――――…か……な」



 やってきた勇者、黒髪黒眼の、少女とも言えるくらい若い勇者を目にしてメアリは驚きに目を開いていた。



 ――――どうして。どうして、香奈が。どうして。

 戸惑った心。困惑した心。



 響いてくる心が、勇者がメアリの前世での妹だったという事実を教えてくれる。

 ―――攻撃なんて、できない。出来ないよ。大切な妹に!!



 響いてくる感情は、悲痛に震えていた。目の前の勇者が敵だとわかってても、前世の妹を殺したくないとその心は震えていた。



「メアリ…」

「うん……」



 これは、駄目だ。そう思った俺は、メアリを抱えて逃げた。

 途中で、剣先が掠めて、力を弱められてしまったけど、そんなの関係ないとばかりに逃げた。



 どうして、勇者がメアリの昔の大切な人だったのだろうか、と思う。殺したくないと嘆いている心が、胸に響いてくる。



「……ごめんね、シュバルツ」




 逃げた先で、メアリは必死に謝っていた。俺を見て、悲しそうに泣いていた。ごめん、ごめんって、謝っていた。



 ―――決めなきゃ。どうするか、決めなきゃ。

 戸惑いながらも、決心を固めようとするメアリの心を知る。

 やらなきゃやられる、だから決めなきゃって、メアリは必至だった。












 もう一度勇者と対面した。


 その時には、メアリは勇者を殺そうと決意していた。だから、闇の力を使って、対峙した。



 けれども、勇者の目を見た時、メアリの心が揺れた。その、躊躇いに満ちた瞳を見た瞬間、メアリの心が、一気に響いてきた。




 ―――香奈、香奈、香奈、殺したくないよっ!!

 大事な妹を殺したくないと嘆く心が、響いてきた。その、一瞬の隙で、メアリは勇者の持つ聖剣に貫かれた。



 そうして、倒れていく、メアリの体。契約者が聖剣に貫かれた事により、俺も小さな石へと姿を変える。一気に力が持っていかれる。

 考えることさえ、難しいほどに、力が弱まっていくのが感じられる。



「―――ル、ツ」



 倒れたあの子の声を聞き逃すまいと、意思を傾ける。



「――見、………け、て。やく……そ、だ…よ」




 聞こえてきた声と、響いてきた心に、ああ、あの約束の事かと思う。




 ―――…シュバルツ、私は世界に望まれない侵入者だからさ。もしね、私が死んだら―――、生まれ変わった私を見つけて。

 ―――きっと相変わらず、世界に、精霊に愛されない私が生まれるはずだから。

 ―――――ねぇ、約束よ。私を見つけて。そして、また傍にいて。独りぼっちは嫌だから。








 メアリが言った、あの言葉。

 聖剣によって、力を奪われて、意識が朦朧としている中で、忘れたくないとその言葉を何度も何度も思い起こす。



 メアリの体が、灰となって消え失せていくのが映る。

 落ち人は、死ぬ時、灰になるのだ。聖剣によって浄化されて。残されるのは、メアリのきていた服と、あの、日記。

 異世界の言葉で書かれた日記を、勇者が手に取ったのを、なくなっていく意識の中で見た。








 ――――目が覚めたら、生まれ変わったあの子を探そう。

 ――――もし、記憶を覚えてなかったとしても、それでもいいから。

 ――――――あの子の魂を、覚えておこう。あの子との約束を、忘れないように刻み込もう。

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